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黄金の願望器

悪魔のささやき


 命令に従いたくなくて身を強張らせているけれど、意思に反して体が動く気配はない。

 ……ん? あれ? おかしいですわね。普通に喋れるし、体も自由に動けますわ。

 恐々と目を開くと、何かが床でじたばたしている。具体的には、喉を搔きむしるような動作をしながらのたうち回るダナティア伯爵が。

 口は酸欠のお魚さん再びです。でも先ほどより、すごく苦しそうな気がしますわね。

 新手の一人遊び? 空気が読めないにもほどがありませんこと? 一瞬、心の底から呆れ果てて白けましたが、すぐに重要なことを思い出しました。


「キシュタリアは!?」


 そんなことよりそっちが大事ですわ。

 そこには謎蔦から解放されてたキシュタリア。服を直しながら、なんとも複雑な顔をしてこちらを見ていました。


「大丈夫? 怪我は?」


「大丈夫なんだけど、してやられたと……」


 深いため息のキシュタリアは、わたくしの頬を撫でます。

 何でしょうか。ちょっと不貞腐れた? 拗ねている? 微妙な気持ちのご様子。


「がっ、がはっ! くっ、どういうこと、だ……!?」


 気が付けば後ろでダナティア伯爵が、ようやく息を吹き返したみたい。酸欠から脱出してしまったので、残念。あのまま静かにしていればよかったのに。

 ダナティア伯爵は血走った目でわたくしでもキシュタリアでもなく、セバスへと迫ります。


「どういうことだぁ、セバス!? どうしてアルベルティーナが命令を聞かない! 俺が苦しむはめになるんだ!?」


 彼は息も絶え絶えで問い詰めます。

 お年を召してもなお真っ直ぐな姿勢のセバスは、視線だけをダナティア伯爵に向けます。何故でしょうか。彼に従っているはずのセバスの視線が、とても冷たい気がするのです。

 あんなセバスは見たこと……ありますわね。お掃除が甘く、おサボりの気配を察した時とか。浮ついた使用人や騎士を選別する時なども、たまーにああいうお顔をしています。

 ダナティア伯爵に怒鳴られていてもケロリと涼しい顔のセバス。顎に手をやり、ゆっくりと首を傾げる。


「はて、年のせいかうっかり指令側と受信側の魔道具を間違えてしまったようですね」


 とぼけた答えのセバス。

 ダナティア伯爵は顎が外れんばかりに口を開きます。あんぐり、という表現がぴったりですわね。虫が入りそうですわ。

 やりとりを聞いた周囲が「うわぁ」みたいな表情になったような。

 ミカエリスやジブリール、ジュリアスは笑いを噛み殺しています。

 つまりこの魔道具――綺麗なアクアマリンのネックレスは、ダナティア伯爵すら隷属させる上位魔道具ということ?


「ふざけるなぁ……この耄碌がぁ! 俺の晴れ舞台が台無しだろうが! この日をどれだけ待ったと思っているんだ!」


「さあ、私には解りかねます――興味がありませんので」


 掴みかかろうとしたダナティア伯爵ですが、セバスにあっさりと避けられて床を滑ります。

 倒れこんだそのままで、立ち上がれないご様子。事実が受け入れがたく呻いている。譫言のように何かをブツブツ言い続けているダナティア伯爵。

 しばらく床に縋るような体勢でいましたが、急にわたくしへ振り向きました。


「そのネックレスを寄越せ!」


 床からスタートダッシュをして五歩も進まなかった。しれっとしたミカエリスが無言で足ひっかけです。ダナティア伯爵はまたもや床を滑ります。

 彼は雑巾かモップにでも転職したのでしょうか?


「アルベル様、復唱!」


 そんな中、声を張り上げたのはジュリアスでした。わたくしは考えるより早く、ジュリアスの言葉を一言一句違えないように神経を張ります。


「『すべての者に命ず。王家、ラティッチェ公爵家、フォルトゥナ公爵家に敵意およびそれに相当する意思を持った者は跪くこと。許可を得るまであらゆる言動を禁ず』」


「『すべての者に命ず。王家、ラティッチェ公爵家、フォルトゥナ公爵家に敵意およびそれに相当する意思を持った者は両手を床について跪くこと。許可を得るまであらゆる言動を禁ず』」


 ちゃんとできましたわ! つっかえずに言えました。わたくしはやればできる子なのです。

 周りでは自由を手に入れた人たちもいれば、膝をついて両手を床についた状態で、茫然としている人もいます。

 これなら味方と敵のすぐに判断がつきます。言動禁止なら、武器や魔道具、魔法の行使もできないですわね。


「よくできました。とりあえずはこれで良いでしょう」


「はぁい」


 満足げなジュリアスに、わたくしも満点の笑顔――ですが周りは複雑そうな顔なのです。

 何かダメなところがありましたか? 敵勢力の無力化は成功ですのに。


「アルベル……なんですぐに対応しちゃうの」


 キシュタリアが代表するように、言葉を苦々しく絞り出す。


「ジュリアスなら頭が良くて、信用できるもの」


「だがそのネックレスをしている状態なのだから躊躇ってくれ」


 キシュタリアだけでなく、ミカエリスからも窘められました。解せぬ。そんなわたくしたちを、セバスは優しい目で見守っていました。


「これはアルベル様を泣かせた分、これはアルベル様を怖がらせた分、痛い思いをさせた分――……これはキシュタリア坊ちゃまの分――」


 その足がわたくしから見えないところで、ダナティア伯爵を激しくリズミカルに蹴っていました。踵落としを数発頭部に、内臓狙ったつま先に自称未来の国王ボディの体が食い込み、鋭角なくの字になるくらい吹き飛ばしていました。

 お祖父様をはじめとする四大公爵当主たちは「さすが魔王の側近だった執事の蹴り。容赦が微塵もねぇ」と内心思っていたのも知りません。

 勢い余って床をローリングしたダナティア伯爵にわたくしが気づいたところで、セバスの連撃はストップしました。

 ぐったりしたダナティア伯爵の懐から、後生大事に持っていた黄金の杯が転がっていきました。

 それが蛇行するように転がります。拾い上げようとしたミカエリスの手を躱し、ひび割れた床で軌道が変わる。ぐるりと回転して蹴り飛ばそうとしたジュリアスの足元を潜り抜け、踏みつけようとしたキシュタリアの靴から逃れてなぜかわたくしの足元に。

 コツン、と靴の先に触れたその時です。



『願いはなんだ?』



『お前の願い、すべて叶えよう』


『どんな地位も、財も、夢も、奇跡も手に入る』


 あ、これ聞いちゃいけない。

 頭では分かっているけれど、頭に鳴り響く声は体を支配します。

 遠くで誰かが叫んでいる。隣のキシュタリア? ミカエリス? ジュリアス? セバスやジブリール? お祖父様やクリフ伯父様やトリシャおばちゃまかしら?

 みんなの声が何かに隔てられて遠く歪んで聞こえます。はっきり聞き取れなくて、意識が遠のいていく。

 手にはどろりとした禍々しい眩さの黄金の願望器。

 その黄金の輝きにわたくしの茫洋とした顔が歪んで映っています。


『さぁ、願いを言え。どんな欲しいものも与えてやろう』


 わたしくしの願い? そんなの一つだけ。

 遠のく意識の中で、懐かしく頼もしい幻影を見た。とても大好きで、幸せで、安心できるその背中。

 言っちゃだめよ。これは普通の魔道具じゃない。


 なのに、どうして。



「お父様を、生き返らせて……!」



 会いたくて、悲しくて、忘れられないの。

 みんなが見守ってくれて、支えてくれているのに追い求めてしまう。

 たった一つの、本当の願い。叶わないって知っているから、大丈夫って振る舞っていたの。強がって、嘘ついていたの――それが本当にならなくちゃいけないから。

 愚かなわたくしの心からの願いを、嘲笑う気配がした。



『その願い、叶えよう』







 砂漠の聖女が持っていた黄金の杯は――聖杯と呼ばれていた。

 その杯から生み出される奇跡はどんな病気も、どんな怪我も癒すと評判だった。

 そんな都合のいいものあるのだろうか。疑いながらも、実績だけは積まれていく。

 だが、今アルベルティーナを飲み込んだ邪悪な魔力は、清らかとは程遠い。


「アルベル!」


 キシュタリアが叫ぶが返事はない。アルベルティーナをその黒い渦から引きはがそうとしたが、上手くいかない。

 中にはアルベルティーナがいるから、力任せにできない。下手をしたら彼女を巻き込んでしまう。

 嫌な予感がする。一刻も早くこじ開けて救出しなければならない。慎重に、繊細に魔力をコントロールしなくては。

 その時、黒い渦は急激に収縮しだす。その中から、床に座り込んだアルベルティーナが現れた。

 その顔はやけにぼんやりしていて、両手に聖杯を握っている。


「アルベル?」


 声を掛けると少しだけ反応して、ゆっくりこちらを振り向いて力なく笑った。笑っているのに、泣き出しそうな顔をしている。

 取り返しのつかない酷い失敗をしたような弱々しい笑みだ。

 その時、アルベルティーナの前にアルベルティーナより一回りは大きな靄が生まれた。徐々に形を整えていき、中に人がいるようだった。

 キシュタリアは咄嗟にアルベルティーナを抱き寄せて、その人影にいつでも魔法を放てるように構える。

 明らかに普通ではないけれど、正体が判明しない状態で攻撃するのはまた別の危険があった。

 後ろでミカエリスやジュリアスも備えているのが分かる。

 だけど、腕にいるアルベルティーナは座り込んだまま、その靄をじっと見つめていた。その眼差しは揺れていた。

 やがて現れたのは――グレイルだった。

 誰もが息をのむと同時に、アルベルティーナの望みを知った。そして、この聖杯がかなり強力な力を持つものだと理解した。

 一歩一歩近づいてくるその人物に、キシュタリアは眼窩に熱を帯びていくのが分かる。

 整いすぎた顔立ちは相変わらず年齢不詳だ。艶のあるアッシュブラウンの髪、冷徹なアクアブルーの瞳、綺麗な鼻梁に、考えの読めない笑みを浮かべる唇。

 キシュタリアが我に返ったのはアルベルティーナの手から転げ落ちた聖杯が、音を立てたからだ。

 立ち上がったアルベルティーナはぺた、ぺた、とおぼつかない足取りで靄の中に佇む彼に近づいていく。


読んでいただきありがとうございました。

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