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隠れた裏切り者

久々のあの人登場



「話にならんな」


「そっちがね」


 呆れるミカエリスに、笑みと言うには悍ましい表情で返すレナリア。

 彼女が持っていたのはそれだけじゃなかった。ナイフを持っていないほうの手に魔力が渦巻いている。

 今までとは違う凝縮された魔力。

 それを投げると、空中で真っ黒な蜘蛛の巣を思わせる魔法が広がった。糸は指より太く、弾力と伸縮性がある。

 それは一番近かったミカエリス、わたくしを庇ったキシュタリアやジュリアスも絡めとった。


「な、なんだこれは!」


 それだけではなく周囲にいた貴族たちにも及んでいた。

 魔力で切ったり焼いたりしようとするが、その傍から吸い取られて糸がさらに強固かつ太くなる。

 ふと上に気配を感じた。強烈な嫌な予感を感じつつ、顔を上げると馬車くらいありそうな巨大蜘蛛がいた。


「その魔物、人間と魔力が大好物なの。動くと食べられちゃうから」


 阿鼻叫喚を眺め、楽しそうなレナリア。

 会場は大混乱だ。迂闊に抵抗すると、その魔力や振動を察知した蜘蛛が、次々と人を襲う。

 魔物の動きでダナティア伯爵のかけていた魔法も、解けています。その分正気に返った人たちは大騒ぎです。

 目の前で生きた人間がぐるぐる巻きにされて蜘蛛の巣に張り付けられたり、吊るされたりしている。わたくしの傍にいたせいで、被弾したフォルトゥナ一家も巻き込まれてしまっている。

 魔力に反応すると聞いてキシュタリアも糸を焼き払えない。かといって、純粋な筋力だけでなんとかできそうにもない。


「アルベル、逃げて」


 半身に糸を浴びたキシュタリアが言う。大切な人たちは置いていけない。

 身分も、王位継承権もいらない。お金もいいの。これから稼げばいい。でも、人はダメ。これ以上失いたくない。



「逃がさない」


 

 お父様がお亡くなりになった時を思い出す。この騒動、この殺気立った空気――あの時も、レナリアがけしかけた魔物だった。

 ぞくりとして振り返れば、爛々とした狂気を瞳に宿す少女が、不器用な足取りで近づいてくる。

 レナリアも何度も爆風と炎に晒され、髪もドレスもボロボロに汚れていた。

 彼女は諦めていない。みんなを残してはいけない。首を振るがその大切な人たちは「逃げろ」と強い目で訴えかけてくる。


「あんたのご自慢の顔、ぐちゃぐちゃにしてやるわ!」


 ナイフを持ち嬉々としたレナリアの背後から、悲鳴に近い制止がかかった。


「やめろ! その完璧な美貌に何をする! お前みたいな寄せ集めや、どこにでもある顔じゃないんだぞ!」


「うるさいわね! 裏切り者のくせに!」


 今度はダナティア伯爵とレナリアで争い始めました。

 ですが、魔物を召喚したところでレナリアの武器は使い切ってしまったようです。数発の攻撃魔法を打つとブレスレットは壊れ、それからは一気ダナティア伯爵の優勢に変わります。

 魔法で吹き飛ばされた時、ナイフがこちらに転がってきたのでこれは危ない。さっと拾ってレナリアの手に渡らないようにします。

 そうだわ……このナイフなら、蜘蛛の糸を切れるんじゃ?

 一見シンプルそうで、禍々オーラがでていますし。

 しかし、糸は常に振動で揺れていて狙いを定めにくい。レナリアとダナティア伯爵は隠し持っていた魔道具で激しく打ち合っています。


「あの女は俺のものだ! 邪魔をするなら死ね! 糧となれ!」


 ダナティア伯爵は黄金の杯から出る黒い霧でレナリアを吹き飛ばすと、指さしながら怒鳴る。

 あれ、本当に聖杯ですの? ナイフより禍々していますけど。

 レナリアが立ち上がらなくなると、わたくしのほうへと振り向くダナティア伯爵。


「ああ、良かった。その顔は無事だな? 万が一にでもその顔に傷が残ったら大変だ」


 この男、本当に私の顔しか見てませんのね。知っていましたけれど、そう何度も口に出されると更にムカつきます。

 あの男にとって、本当に価値があるのはこの顔だけなのでしょう。

 そう思うとうんざりして、無意識にナイフを頬に添えていました。周囲が驚愕の眼差しでわたくしを見るけれど、頬に走った痺れるような痛みすらどうでも良かった。

 まだ触れていないはずなのに、禍々オーラだけで肌がひりつく。


「ああああ! なんてことをしているのだ! それは普通のナイフじゃないんだ! その顔が爛れたら! 痕が残ったらどうするんだ!?」


 唾を飛ばして声を張り、美形が跡形もないくらい驚愕が埋め尽くしているダナティア伯爵の顔。

 そんなに重要なこと? 少なくとも、彼にとっては最重要なことなのね。


「伯爵がわたくしに興味を失い、わたくしの顔しか見ていない馬鹿が減り、身の安全が向上して煩わしいことが減って百利あって一害なしですわ」


 信じられない? でもわたくしはこの顔で良かったと思うことより、嫌なことが多い。

 ラティッチェの箱庭では幸せだったけど、外に出ると災いにしかならなかった。


「アルベル様、おやめください」


「はぁい」


 ジュリアスに怒られちゃった。ちぇっ。

 ちょっと拗ねながら言うと、ため息をつくジュリアス。

 このナイフ、まだ使い道あるかしら? そう思って揺らしていると、後ろから手袋をした指が伸びて、手首に掴まれた。

 背中に当たる感触と懐かしい匂い。きっと、見下している優しい眼差し。


「刃物は危ないですよ、アルベル様。お怪我をなさる前に放しましょう」


 ジュリアスではない別の声。振り返らなくても分った。この声、知っている。ずっと昔から傍にいた。懐かしい。

 いっぱいお話をしてくれた。勉強を教えてくれた。たくさん本を読んでくれた。

 姿を確認したくても目から涙が溢れて、視界がめちゃくちゃになる。


「……セバ――」


「セバス、よくやった! そのまま捕まえておけ! 絶対怪我をさせるな! その顔だけは絶対にだ!」


 え?

 安堵や喜びが驚愕に押しつぶされていく。歓喜の涙が別のものに変わっていく。


「仰せのままに」


 乾いた音を立てて落ちるナイフ。信じられない思いで首を巡らせれば、勝ち誇ったダナティア伯爵が笑っている。

 ……少し、疑問があったの。

 あの堅牢とすらいえるラティッチェの警備を、どうやってレナリアが出し抜いたのだろう。内通者がいるらしいとは聞いていた。

 ラティッチェ公爵家はお父様のお膝元。王城にも引けを取らない警備の厳しさと、精鋭の護衛や使用人たちがいます。

 もしも敵側にラティッチェの内情を良く知った、優秀な人間がいたのなら?

 それこそ、お父様の側近であるようなラティッチェの中枢人物だったら?

 そんなこと、考えたくなかった。お父様の身近に、大切な人が裏切ったなんて思いたくなかったの。

 なのに、どうしてセバスがここにいるの? ずっと行方不明だったのに。


「セバス! 隷属の呪具を付けろ! これ以上、傷物になってはならぬ!」


「そうですね。お怪我をなさったら大変です」


 金属がこすれ合う音が小さくする。

 皆が驚いている。だって、お父様の右腕と言えばセバスだもの。

 行方不明になったはずのセバスが、無傷でここにいる。キシュタリアではなくダナティア伯爵の言葉に従っている。

 周囲も愕然という表情が一番似合う顔だった。


「や、やだ……っ、嫌だよ、セバス」


 完全に背中を取られている。わたくしではセバスから逃げることなんて不可能だろう。

 身体的に、それ以上に心がボロボロと崩れそうだった。

 見えたセバスの顔は優しくて、大好きな赤い絵本を読んでくれている時と同じ見守る表情。なのに、その手には魔力が込められた淡い青色に輝くアクアマリンのネックレス。宝石がゆらゆらと揺れている。


「申し訳ありません。私は旦那様の家臣なのです。大丈夫ですよ、アルベル様。じきに悲しみも消えましょう」


 優しいセバスの言葉は、絶望を深めるだけだった。

 そうやってみんなを、わたくしを、お父様を欺いていたのでしょうか。

 それを付ければはわたくしの感情が無くなる? 何も考えず、何も思わず、操られるままにすべてを放棄した人形になるの?

 ああ、でもネックレスがサンディスライトの緑ではなく、お父様の瞳によく似た色なのはセバスのせめてもの慰めなのかもしれない。

 首にひやりとした感触と重み。

 絶望に膝をついていると、肩にケープが掛けられた。

 ふと、一気に周囲が明るくなった。


「セバス!」


 今までに見たことのない怒りの形相をしたキシュタリア。その手に、凄まじい魔力が渦を巻いて輝いていました。

 涙に濡れた頬のまま、わたくしはそれを見上げます。


「往生際が悪いぞ、小僧!」


 ダナティア伯爵の声には愉悦が混じっている。聖杯から薄気味悪い蔦が伸びて、まだ蜘蛛糸を外しきれていなかったキシュタリアが拘束されてしまいます。

 締め上げるようにして持ち上げられるキシュタリア。わたくしは呆然とそれを見てしまう。


「ぐ……っ」


「なりませんよ。ラティッチェ公爵当主たる者、冷静さを失っては」


 柔らかくたしなめる老執事の姿は、記憶のままでキシュタリアの中に様々な感情が暴れるのが分かります。

 屋敷の穏やかな日を思い出す声音そのものなのに、こんな状況でも同じなのかと悔しくなる。


「まずはお前から処刑だ! その生意気な態度! その瞳がずっと気に入らなかったんだ! 刳り貫いてやる!」


 笑いながら恐ろしいことを口にするダナティア伯爵。

 その彼の言葉に呼応するように、蔦が触手のように滑らかに動きながら形を鋭く変えていきます。


「いや、それより――そうだ」


 薄ら寒い笑みと共に、嫌に上機嫌なダナティア伯爵が振り向きました。

 わたくしを見るとますます笑みを深めて、こちらに歩いてきます。嫌な予感がして仕方がありません。

 途中、落ちていたナイフを拾ってからわたくしの目の前に立ちました。


「そんなに好いているなら、最期に愛した女を目に焼き付けて死ねばいい」


 わたくしにキシュタリアの目を潰せと言っているのです。

 彼の思惑に気づいてぞっとします。命令を聞いてはダメ。逃げようとすると、腕を掴まれました。


「いいか、よく聞くんだ!」


 嫌だ。嫌だ! 聞きたくない! したくない!

 ダナティア伯爵がわたくしにナイフを持たせようと、押し付けてくる。

 ぎゅっと目をつぶって、彼の姿を見ないようにしたのはせめてもの抵抗でした。


「あの小僧を、キシュタリア・フォン・ラティッチェを殺せ! このナイフで唇を削いで、次は鼻だ! 耳と瞼を削いで、最後にあの腹立たしい目を刳り貫いて踏みつぶせ!」


「いや! そんなことしたくない! やりたくない! 触らないで! そんな命令、聞きたくない!」


 その時、ドッと何か重い音がして腕の痛みや引っ張る力が消えました。


読んでいただきありがとうございました。



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