魔王の娘
普段は埋没している父方の性質。
<告知>コミカライズ3巻4月30日発売予定です!
コンラッドは王配になりたくてアルベルティーナに近づいたのではない。
王配になるのではなく国王として君臨するために、国の頂点から今までのサンディスを支配しに来た。
まともな人間の意見は熱狂するダナティア派に気圧されている。
この異常な集団に身の危険を感じるのは仕方がないことだろう。
四大公爵など、一部の歴戦の猛者は眼光を失っていない。操られることもなく、釣られることもなく、怯みもしない。
群衆の中からドミトリアス兄妹を探す。見当たらないが、それでいい。
注目を集めるのはキシュタリアの役目。正面から切り込んでいき、コンラッドと元老会の相手をする。
バルコニーの袖の一瞬だけ赤い髪が見えた――死守すべきはキシュタリアではない。
「どうだ!? ラティッチェの小僧! これがこの国の総意だ!」
何も言わないキシュタリアに、勝ちを確信したコンラッドが哄笑を上げる。勝ちを疑わない、醜悪な表情だ。
なんて馬鹿馬鹿しいのだろうか。
これがサンディスの貴族。以前、グレイルが「質が悪い」と不機嫌になっていたのが良く分かる。
こんなに簡単に転がされて滑稽で、哀れで、最高に頭が悪い。
その時、黒髪が揺れた。
まっすぐ伸びた背筋と、静かで優雅で足取り。
「ああ、なんて情けないのでしょう。ダナティア伯爵、本当に王になるつもり?」
「ええ、そうです! 私が――」
「ならば勝手におなり。わたくしはウォリスへ参ります」
その唐突な言葉に一瞬で静まり返った。
キシュタリアは分った。背中しか見えていないけれど、この気配に見覚えがあった。
怒り狂ったアルベルティーナは、静かに青い火花を散らす。
その彼女に誰も逆らえるはずもない。だって――そうなったアルベルティーナは『憐れな姫君』ではなく『魔王の娘』になるのだから。
存在そのものすべてが周囲を魅了して圧倒する。
「な、なにを? 貴女は王太女で」
さすがのコンラッドも驚愕が隠せない。
理解できないのだろう。当然だ。コンラッドは、一度もアルベルティーナの真実を見ようともしない。
「ええ、王太女ね。けれど貴族たちは、わたくしではなく貴方を王へと望んでいるのでしょう。
聞きましたわよ、この耳で。はっきりと。鼓膜が破れるくらい『新たな王』とか『コンラッド陛下』と叫んでいましたね。
王色なんて言われているけど、緑の瞳なんていらないんじゃない。王女なら本物がそちらにおりましてよ。わたくしと違って、養子ではない王女が。年齢もわたくしと二つしか変わらないし、問題ないでしょう」
問題大ありだ。
莫大な人気と絶世の美と囁かれる王太女と万年問題児のオーク王女だ。
静かだけれど有無を言わせないアルベルティーナ。柔らかいけれど、その声は遮ることを許さない圧力がある。
周囲に振り回されてばかりの弱々しい印象の王太女のはずが、爆弾発言は止まらない。
唖然とするコンラッドは、この状況にもっとも参っていると思っていたアルベルティーナの決心についていけない。
「し、しかしなぜウォリスになどに……っ!」
「父方の祖母はウォリスのウィンコット侯爵家よ。令嬢として迎え入れは無理でも、稀少な魔法使いとしてくらいなら受け入れてくれるでしょう」
ウィンコット侯爵家はウォリス有数の魔法使いの家系だ。グレイルの強力な魔力も母親譲りと聞いたことがある。
アルベルティーナはくるりとキシュタリアへと向く。
目が合うと柔らかく細められるサンディスグリーンの瞳。いつだって、その眼差しは優しくキシュタリアを見つめる。
(ああ、綺麗だな)
「一緒に来てくれるかしら?」
「君が望むならどこまでも」
するりとその言葉は出てきた。
状況とか、作戦とかどうでもいいと思えるくらいにアルベルティーナが一番大事だった。
アルベルティーナがいらないなら、ラティッチェ公爵家もいらない。
「我が祖父筆頭に、フォルトゥナ一族はわたくしが責任をもって引き取ります」
アルベルティーナが細い手を払う仕草をすると、人垣が一気に割れる。
命令されるでもなく、本能的な行動だった。
誰もがアルベルティーナに気圧されている。誰よりも麗しい笑みを湛えたまま、恐怖の代名詞である魔王と同じ空気を放っている。
誰もアルベルティーナを止められない。止められる人間は、彼女を愛し従う者しかいないのだから。
彼女の向かうその先には放置されていたガンダルフたちがいた。暴動の影響で人にもみくちゃにされたのか、最初見た時より姿が乱れている。
アルベルティーナは微笑んでいる。だが、その声、仕草、笑みは彼女の意思を妨げることを許さない。
恐ろしいくらい彼女の一挙一動に引き込まれてしまう。
「あとは……そうね、護衛が欲しいわ。信用できる腕の立つ人が」
「では私が」
「片道切符しかなくてよ? ドミトリアス家はよろしいのかしら」
すぐに手を挙げたミカエリスに、少し困ったような顔のアルベルティーナ。
「我が剣は貴女のために。それではいけませんか?」
「もったいないくらい、最高の騎士よ」
こぼれる笑顔。色づいた唇から少し見える白い歯が悪戯っぽく可愛らしい。
アルベルティーナだけがスポットライトを浴びているようだ。
この空気は少し前の学園の出来事を思い出す。その場を存在一つで支配していたグレイル。
コンラッドは凄まじい形相だ。目を限界に見開き、酸欠の魚を思わせる動きで口を動かしている。喋ることすらままならない驚愕なのだろう。
アルベルティーナは軽くドレスを摘まみ、階段を使いバルコニーを降りていく。
まるで散歩に行くような軽やかな足取りで、微笑を絶やさない。
その仕草が、存在が、すべてが、誰もを惹きつけ魅了する。
途中でジブリールがしずしずと侍女のように下がった位置で付いて行く。ミカエリスと合流し、フォルトゥナ一行までたどり着いた。
アルベルティーナに視線を向けられた兵は、大慌てで腰に提げた鍵を使ってガンダルフたちを拘束している枷を外した。
「ウォリスは遠いぞ」
「その間、ゆっくりお話ししましょう。クリスお母様の子供の頃のお話を聞きたいの」
「……そうだな」
白く小さな手が武骨な手を取ると、癒しの魔法を施して離れる。クリフトフとパトリシアにも同様に魔法を掛けた。
ジュリアスの前に来たアルベルティーナ。
ジュリアスは一番酷い扱いを受けていたのが分かる。服も質素を通り越して襤褸に近いし、疲れが目立つ。
「アンダー・ザ・ローズからやり直しよ。ウォリス一の商会にできるかしら?」
「お任せあれ」
手枷の痕を軽くさすっていたジュリアスは、治療を施していたアルベルティーナの手を取り優雅に一礼をした。
満足そうに笑みを深めるアルベルティーナは、自分がこの場で回収した『大切な存在』を確認する。
きっとラティーヌやアンナ、レイヴンなどまだ拾い切れていない人たちについて考えているのだろう。
彼女を凝視している周囲などどうでもいい置物に向ける眼差しである。
「ああ、そうだ。忘れていたわ」
やっと思い出したと言わんばかりに、バルコニーの上で呆然と突っ立っているコンラッドに顔を向けた。
今まで向けたことのないとびきりチャーミングな笑みに、お手本のようなカーテシーを披露する。
「ご機嫌よう、ダナティア伯爵。わたくしを地獄から解放してくれてありがとう」
彼女は王籍も、王太女の座も、未来の玉座も何ら興味ない。
その晴れやかな笑顔が物語っていた。
どんな言葉より痛烈に、残酷にコンラッドに事実を叩きつけている。
ダナティア伯爵の作る国では、アルベルの大切な存在は笑っていない。
そしてそもそもアルベルには王族の自覚も愛国心も薄い。
利用されるために縛られるほど、サンディスは大切じゃない。
だったらいらない、ぽーい! ですよね。