魔公子の切り札
別名、元老会は大変糞野郎ですのターン。
キシュタリアは正面からコンラッドを睨み返していた。
コンラッド・ダナティア伯爵――彼の目には、最初から憎しみが宿っていた。
その視線が、声が、態度がすべてキシュタリアを憎悪していると伝えてくる。
本人は隠している気かもしれないが、キシュタリアは敵意に敏感だった。
それはラティッチェ公爵家の後継者として育ってきたからだけではなく、生まれた頃から実父や義母、異父兄たちから蔑まれてきたからでもある。
自分に悪意を抱く人間を見抜かなければすぐに痛い目に合う。上手く立ち回らなければ母に迷惑がかかる。
ずっと好意より敵意が多い人生だった。
好意の大半は下心たっぷりで、下手な敵意より質が悪い。
(そういう意味では、分かりやすくて助かるけどね)
ずっと敵だと認識していられた。
それもキシュタリアの大切な女性を奪い取ろうとする特大な害悪だ。
「おやおや、若きご当主は心配性のご様子。姫君は私たちがいるから問題ないですよ」
話を振られたアルベルティーナは首を横に振っている。
表情もイヤイヤと訴えている。こんな状況でも素直な彼女は、つくづく社交界に向いていないと思う。
全身で「この人嫌い」とコンラッドを拒絶しているが、コンラッドは気にしていないのか、気付いていないのか微妙だ。
笑みを浮かべているが、キシュタリアのはらわたは煮えくり返っている。
「ずっと黙って聞いていましたが、随分おかしなことをしているようなので。国王陛下御不在だというのに、このような決定はいかがなものかと」
「このような時だからこそでしょう。ラウゼス陛下はそれなりのご年齢。本格的に後継者やその補佐を考えるのは普通のことでは? それにこの決定は元老会も賛成しています」
確かに王位継承権において、元老会は大きな権利を有す。
だが、本来は王が明らかに統治能力のない人間を指名した場合や、貴族や平民の多くに賛同が得られないなどの理由がある時だ。
独裁的な国王の決定に異議を突きつけて、差し戻すもの。
それが徐々に大きく口を挟むようになり、王位継承権に大きく干渉するようになった。
本来ならば特例的な特権が、常用されている。
それは元老会が本当にするべきことを見誤り、国を憂う忠臣ではなく権力に溺れている不忠義者になり下がったことを意味していた。
「元老会の賛成……ね。自分の利権にばかり忖度する輩の判断に、どれだけの信憑性があるのでしょうか」
キシュタリアが肩をすくめながら言う。それは高位貴族であれば大半は思ったことがあることだ。
ただ皆、口を閉ざしていた。元老会は歴史ある譜代貴族の当主か、その親世代で構成されている。幅広いコネクションに揺るがない地盤と財力を持った古狸の巣窟だ。
その古狸たちはコンラッドの後援者でもある。
「随分失礼な物言いだ。サンディスを支え続けていた忠臣たちに言う言葉ではないな」
穏やかな声音だが、その中に僅かに苛立ちが混じった。キシュタリアはそれを見逃さない。
「支える? 王族に寄生の間違いでは?」
それは明らかな侮辱だった。キシュタリアの白いかんばせに美しくも酷薄な嘲笑が浮かんでいる。
コンラッドは気づいた。
キシュタリアの目的は元老会を叩くこと。王家や貴族に圧力をかけ、絶対権力者として君臨し続ける老人たちの排斥――それは、コンラッドの足場崩しでもある。
(やってみろ小童。お前のような青臭いガキにやれるならな!)
コンラッドも笑みを浮かべているが、それはすでに紳士ではなく猛獣のようであった。
彼も逃げるつもりはないのだ。キシュタリアからの挑戦状を受け取り、この機会を利用して逆にキシュタリアをラティッチェごと潰すつもりだった。
グレイルが当主になりあっという間にサンディス一の大貴族となったラティッチェ。
ずっと目障りだったのはコンラッドも元老会も同じだ。
「貴公は自分の発言に責任が持てるのか? そのような言葉を公衆の面前で吐くなんて、元老会は国のために長年尽くしているというのに」
後ろにいるファウストラ議長をはじめ、元老会とその関係者はその通りだと言わんばかりに首肯している。
「尽くす? これを見ても」
そう言ってキシュタリアが封筒から紙を出す。その紙は黄ばんで汚れていて、折り目に沿ってそのまま千切れそうなほど古い。
最近はドミトリアス産の植物性の上質紙が主流になりつつあるが、これは一世代以上前の羊皮紙だ。
人垣を割って近づいてきたのは、この場でも指折りの大貴族の二人、アルマンダイン公爵とフリングス公爵が、皆を代表して受け取った。
年季の入った羊皮紙はインクに沿って紙が腐ってしまったところもあり非常に読みにくい。
最初はその紙の持ちづらさや読みにくさに、顔を顰めつつ内容を見ていく。
「これは奴隷の売買契約書だな。だが……随分高額だ。これ一枚で高級奴隷が十人は買えるぞ」
「おや、買ったことがあるのですか?」
「ふざけるな。奴隷密売の摘発で覚えただけだ。一体何を買ったんだ? ハイエルフや幻獣クラスの稀少種でも取引でもしないとこんな金額が動かないぞ」
「きっと違うでしょうな。年齢が人間だ。高級奴隷だと月狼族やセルケー族? 我々と成長速度が一緒の獣人種とか? あー、でも名前がサンディス出身者っぽい……しかも貴族だね。きっと」
アルマンダイン公爵と、フリングス公爵。サンディス貴族の最上層である四大公爵家の二人が、良く通る声でしゃべっている。
至極普通に、だが朗々と響く。内容はあまりに不穏だったが。
二人の言葉にざわめきが広がる。
平民――特に浮浪児や孤児といった身寄りのない子供が奴隷商に誘拐される話は珍しくない。保護者も探す人もいなければ、仕事がしやすいからだ。だが、身元のはっきりしている貴族はそうそうないはずだ。
財力ある一族なら家族が誘拐されれば必ず探す。愛や情がなくても、消えてもらわなければ困る事情でもない限り面子にかけて動くだろう。
「この名前、あまり平民に使われる名前じゃない」
平民にも貴族にも使われる名前もある。だが、貴族にのみ使われる名前もあるのだ。
人の名を多く目にすることのある公爵当主だからこそ、フリングス公爵は気づいた。
「これは……雰囲気だけど王都出身者じゃないかな? 名づけしたのは」
なんでそんなことまで分かるんだ。
フリングス公爵の解析力が怖い。若干引き気味の視線が周囲から突き刺さる。
「こう見えて、若い頃は戸籍管理の文官だったんだ。年代や地方によって傾向がある。伝統や信仰、貴人や流行りにあやかったりするから。でもおかしいね。これだけの人数が行方不明になれば騒ぎになるはずだ」
売買契約書に記載されている年齢や特徴が書いてある。まだ親の庇護が必要な年齢もいれば、成人に近い青少年もいる。
基本、貴族は同年代の男女を把握している。もし王都を拠点としている貴族なら、なおさら誰かしら知っているはずだ。
貴族は家の都合を考慮した結婚が多いので、頭の中にどこの家にはこの年齢の子息や令嬢がいると頭に入れるのだ。
「これはファウストラ公爵家の取引と書いてあるね。こちらはトールキン侯爵家かな? 読みにくいけど、特徴のある筆跡だ」
この二つの家は代々元老会の議員を輩出している名家でもある。
何でもないように羊皮紙をめくりながら、情報を晒していくフリングス公爵。食えない笑みを顔に張り付け、振り向きざまに問う。
「筆跡鑑定をしてみたらどうでしょう? 二十年以上は前の代物だろうけど、王宮にならその年代の書類もあるはずです」
「我々をお疑いか! フリングス公爵!」
「いえいえとんでもない! 長年サンディス王国と王家に仕えているお方の身の潔白を証明すべきだという進言ですよ!」
目玉をぎょろりと動かしながら吠えるファウストラ議長に、フリングス公爵は「おお怖い。そんなに怒るなんて」と怯えてみせるが、どう見てもおどけている。
そんなフリングス公爵に、アルマンダイン公爵は「この食わせものめ」と内心だけで毒づいていた。
「それも気になるが、私は売られた子たちの行方が気になる。文字の読み書きができる子が多いから、それなりの教養を身に着けた良家の出身と考えるのは妥当だろう。
貴族以外だと考えられる商家や豪農などの子供たちが消えたという話も聞かない。いったいどこから調達したのだ?」
もしファウストラ議長たちがやっていたのだとすれば、サンディスから奴隷密売問題が消えないのも頷ける。
これだけの大金が入るなら、あの財力や権力も頷けた。だが、その奴隷たちの出どころが謎だ。
「調達ではなく生まれたのを引き取ったのが大半ですよ。その子供たちは貴族の血筋も多いでしょうけれど、親の共通点は違います」
貴族ならとっくに足がついていた。
彼らはサンディスで最も価値のある血筋でありながら、最も不安定な存在だった。
「彼らは王家の血を引く子供たちです。大半は先代や先々代のご落胤です。血守の名目で管理され、必要に応じて交配されていたのでしょう」
元老会はサンディス王家の血を絶やさぬために、その傍系を管理している。
王家の直系に王家の瞳が生まれなかった時のために、スペアを保持していた。彼らは必要に応じて王族になることもあったが、大半は役目がくることがなく一生を終える。
先代・先々代の王は色狂いの悪評があった。貴賤に問わず、美しい女とくれば見境なく手を出していた。政より閨ごとに耽ることに忙しい暗君だった。
ファウストラ議長をはじめとする血守の一族は父である王や王子に認められなかった非嫡子たちをすべて引き取っていた。
王族の血を引く者を保護するという名目で、商品を仕入れて影で売り捌いていた。
簡単だっただろう。王家は有り余る王子王女がいた。誰も面倒見たがらない子供。商品価値を付けるために、養育していたのだ
そして『交配』。
より価値のある商品を作るために、一部は手元に残していた。王家の特徴を持つ商品は、他とは比較にならない価値になる。
ほかの資料を見れば、実際にそう書いてある。高級商品はどういう『交配』なのか説明があるのだ。
表記の仕方で、どれだけ人間扱いしていなかったかわかる。
年齢、髪の色、瞳の色、容姿、魔力属性と保有量で価格が決まる。どれだけ顧客のニーズに応えられるかしか考えていない。
表では王家の血筋を尊びながら、裏で家畜のような扱いをしていたのだ。
奴隷として売られた彼らの戸籍はあってないようなもの。王家の危機以外は飼い殺しになる予定しかない。争いの火種になるので、下手に血を残せない――公式には。
「条件が良く王家の血が濃い数人手元に残していたようですが、数年前に全員メギル風邪で夭折していますね」
キシュタリアは付け足す。
それは本来の血守としての、正しく存在した子供たちだったのだろう。
王家の瞳と結界属性、そして強い魔力を持った子供たちは確かにいた。
彼らならルーカス、レオルド、エルメディアと王家の瞳に恵まれない若き王族たちの伴侶になってもおかしくない。
それを失ったことは、管理の不行き届き。面子は潰れ、奴隷商売も一番の売れ筋を失った。
だからこそ、理解できた。
元老会のアルベルティーナに対する異常な執着――大事な商品をすべて失って、元手すらない状態。ラウゼスは年齢でこれ以上の子供は難しく、彼の子供はその瞳を受け継がなかった。
そこに王家の瞳を持った妙齢の女性が現れた。傾国の美貌に結界属性と強い魔力。両親の血統も非常に良い。
大事な大事な――新しい金蔓だ。
ファウストラ議員たちは何としてでも自分の派閥から王配を出さなければならない。
王家を取り込むためだけではない。散々奴隷商売で荒稼ぎして、いまさら足を洗えなかったのだろう。
読んでいただきありがとうございました。