最後の交渉
もはや本性を隠そうとしないコンラッド。
そこは薄暗い部屋だった。豪華な壁紙に、精緻な幾何学模様のジャガード織でできたカーテン。窓はあるが一般の部屋よりはるか上に位置しており、しっかりとした嵌め殺しである。
一脚の椅子とテーブルがあり、大柄の人物が座っていた。
暗くてそのシルエットしか分からないが、外からノックが響くとゆっくり顔を上げた。
「ご機嫌よう、フォルトゥナ公爵。心は決まったかな?」
扉が開くと光が差し込む。
部屋の中の大柄の人物の顔立ちがあらわになる。筋骨隆々で、厳つい顔の老人だ。黒い眼帯で片目を隠しており、傷跡が見える。
不精髭にほつれた髪で、身だしなみに気を使えない状況なのが分かる。だが、その眼光は鋭く生気を失っていない。
老人――ガンダルフは部屋に入ってきた青年を睨む。
「ぬかせ。誰がお前のような青二才を認めるか」
胆力がない人間なら、聞いただけで震えあがりそうな声音だ。
だが、青年――コンラッドは口角を釣り上げるだけだ。その金色の目は笑っていない。
「強情なことだ。どんなに待っても援軍は来ない。いい加減諦めて、殿下と私の仲を取り持つと約束すれば釈放するというのに」
「貴様に我が孫娘は預けられん。何度言っても無駄だ」
「このままだと処刑されるというのに?」
「信用ならん。惚れた女も自力で口説けんのか」
余裕の笑みを浮かべ続けていたコンラッドの口角がひくりと上がった。よっぽどアルベルティーナにつれなくされているのだろう。
ガンダルフは気づいていた。アルベルティーナは間違いなく箱入り娘だが、相手の本質を察知して敵味方を見抜く。コンラッドがどんな贅を凝らした贈り物をしても、心を許すことはないだろう。
愛を乞い、情を乞い、心を傾けて接すれば話は別だがコンラッドにはできない。
この男はすべて金と権力と暴力で叶えてきた。この男はアルベルティーナを強烈に求めているように見えて、彼女の面影の向こう側を見ている。
かつて、年頃になったクリスティーナに縁談が殺到した。だが、どいつもこいつもクリスティーナの美貌に目が眩んでいるか、システィーナの面影ばかり求めていた。
美しい妻が欲しい。誰もが羨む伴侶が欲しい。それはクリスティーナを素通りした欲望だった。
(非常に癪だが、グレイルは違った。クリス自身を見ていた)
好きになったのが、たまたま国一番の美女だった。
そして四大公爵家の令嬢だから、彼女を娶るに相応しい格を求めてラティッチェ公爵家を継いだ。
クリスティーナに群がる男どもを叩き潰し、婚約者から略奪するための決闘も辞さなかった。使用人を厳選し、安全に暮らせる堅牢な家を作り上げた。
すべてはクリスティーナの幸福のため。
(だから、許した。結婚するのも、閉じ込めることも――すべてはコーディーからクリスを守るため)
コーディーがクリスティーナと結婚したがったのは、システィーナの面影を求めて。
コンラッドはコーディーとよく似ている。髪や瞳の色は違うが、その容姿と同じように考え方は同じだ。
「またそんなことを言うとは、貴公も懲りないな」
喋り方も似ている――若き日のコーディーとの問答を思い出す。
システィーナへの思慕を拗らせたコーディーは、クリスティーナと婚約するまでしつこく食い下がってきた。その手段は悪辣で我儘で、一方的だった。
手当たり次第にクリスティーナの縁談を壊しまわり、強引に婚約者の座についた。
だからガンダルフは、悪評があってもグレイルのほうがましだと思った。
だが、その因果がアルベルティーナにまで及ぶとは。
「ほざけ。貴様のような輩、一生愛されることは無かろう」
ガンダルフの言葉は悪足掻きではなく確信だった。
面影を追い続けている限りコーディーとコンラッドの末路は同じだ。
アルベルティーナだって身代わりや、自己満足のために愛を囁かれても響かないだろう。
「……アンタはいつまでも癪に障る爺だな」
図星を突かれたのか、交渉決裂が悔しかったのかコンラッドは崩れた言葉で吐き捨てた。
今までの気取った紳士ぶった口調ではなく、子供じみた悪態。
「まあいい。老いぼれには何もできないだろう。お前はまた裏切りそうだし、無駄な時間だったな」
鼻で嗤ったコンラッドは対話を諦め、背中を向けて部屋から出て行った。
その姿を睨みつけて見送ったガンダルフは、視線だけでコンラッドを殺しそうな眼光である。
遠ざかる足音を確認しガンダルフは考える――この部屋を抜け出すのは簡単だ。
騎士とはいえ老人と侮っているのか、武器になりそうなものを撤去しただけでガンダルフの手足は自由だ。魔法を抑制する枷もない。
重要なのはタイミングだ。
あの手の人間は劇場を好む。安全な舞台で、敵を吊し上げて甚振るのだ。
余裕のある態度は優位を確信しているから、ガンダルフをすぐさま始末するのではなく対話を仕掛けてきた。
きっと、自分の料理を決定づける何か事を起こす。念入りに準備しているはずだが、相手を侮っているから詰めが甘くなるのだ。甚振ることに執心しすぎて、大事なものを見落とす。
グレイルなら着実に危険人物は潰していく。囮を使ってさも知らないように振る舞って、後始末すら綺麗に済ます。
公爵家の次男坊から、ジャイアントキリングを幾度としてなしてのし上がった男だ。
ふと、ガンダルフは気づく。比較対象に無意識にグレイルを思い出していることに苦笑した。
あれだけいがみ合っておいて彼の死を惜しんでいるのだ。
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