譲れない侍女たち
ベルナは今までアルベルの周囲にいないタイプの人種。
有能だけど腹芸多いです。表情と思惑が違うのはよくあること。
ヴァニアの説教もあり、渋々ながらヴァユの離宮を訪れる回数を減らしたコンラッド。
その代わりにベルナに逐一報告させていた。
緩やかに着実に悪化の一途を辿っていたアルベルティーナの体調は、ようやく上向きになってきた。
余程ストレスになっていたのだろう。細くなっていた食事量も戻ってきたし、顔の強張りも減っている。
その露骨な変化にベルナは内心、失笑を禁じえなかった。
(殿下のお体は本当に心の影響が出やすいご様子)
それを理解しているベルナは、侍女長という立場だが一歩引いた立場に甘んじた。
アルベルティーナの専属侍女はアンナに固定したままで、基本的には干渉を減らした。
もともとこの配属には納得いっていないアルベルティーナに、無理やり近づいても溝ができるだけである。
だが――
「で・す・か・ら! 殿下がお好きなのはエンパイアドレスです! なんですか! そのドレスは膝上じゃないですか! スカートが! 短いです!」
「女学院で流行中のミニドレスですわ。殿下はスタイルもよろしいのですし、若いのですから少しの冒険も良いかと~! あと髪はツインテールで! 長く美しい御髪を際立てつつ白く眩しいうなじを披露するのです!」
「似合いますけど! ちょっと冒険しすぎです! せめてハーフツインです! ようやく不埒騎士の間引きが終わったのに、また増えます!」
ベルナとアンナが盛大に争っていた――理性では分かっている。それでも譲れないものがあるのだ。
互いに両手にドレスを持っていて、それぞれの背後に賛同する派閥がついている。
アンナはスタンダードな清楚・可憐・綺麗目スタイル推し。
ベルナは斬新なキュート・活発・冒険スタイル推しだ。
それぞれ最高級のドレスで、それを纏うのは最高峰の美貌を持った人間だ。似合うのはもちろんだが、互いに私情が入混じってヒートアップしている。
「これ以上殿下の魅力を上げて変な虫を増殖させたらどうするおつもりですか!」
「可愛い人が可愛く着飾る! これは正義です! 王道なのです!」
騒いでいる。ものすごく騒いでいる。
陰からアルベルティーナを護衛しているレイヴンはその熱気にドン引きであった。
アルベルティーナは少し離れたところでソファに座っている。隣ではクッキーに夢中のチャッピー、膝の上ではうとうとしたハニーが呆れたような眼差しでその光景を見ていた。
一応侍女頭はベルナだが、アルベルティーナが断固としてアンナ推し。しかもアルベルティーナの理解度が高い。二人の意見がぶつかり合う時は、ベルナが妥協しがちだが今回は火花を散らして争っていた。
「喪服で」
アルベルティーナがぽふ、と自分の胸元に手を置いて意見をした。
「「それは駄目です」」
この時ばかりはぴたりと息の合うアンナとベルナ。
グレイルの葬式から半年が経過した。アルベルティーナは慶事を行えないが、喪服をやめてもいい時期だ。
儀式や墓参りだけ喪服で過ごすこともあるが、アルベルティーナはかなりかっちり喪に服していたので遅いくらいだ。
そもそも「そろそろ喪服も新調したほうがいいかしら」なんて黒服続行しようとしていたのを何とか止めたのだ。
物持ちがよいアルベルティーナだが、チャッピーの食べこぼしやカミカミの餌食になっていた。だから新調するのが早まっただけ。そうでなければ、特に気にせず喪服を着続けていたかもしれない。
同じドレスは二度と着ないと豪語する者はいるが、アルベルティーナは大事に着るタイプだ。
この最高にナイスなタイミングを逃すわけにはいかない。
明るく綺麗な色の服を着れば、アルベルティーナの心も明るくなるはずだ。
フォルトゥナの騒動で気落ちが目立つから、ここぞとばかりに使用人たちは燃えていた。
「サンディスの至宝にして王家の薔薇というに相応しい王太女殿下ですもの。お色は是非ともこのピ・ン・ク! で……」
「嫌ですわ」
着る本人、即答の拒否である。
胸元にフリルとレースと薔薇のコサージュ、パフスリーブの絞り部分に長いリボンが揺れる可憐なピンクのミニドレスを掲げるベルナだったが崩れ落ちた。
アルベルティーナは言葉だけでなく、首までふるふる振っていた。
そんなアルベルティーナをじっと見つめ、顔の下半分を両手で覆ってさめざめと泣き始めるベルナ。その様子にベルナ側についていたメイドがどう声をかけたら良いかと迷った。
「がわ”い”い”……っ」
悲しさというより魂から漏れた噎び泣きだった。思ったより幸せそうな涙である。
顔を真っ赤にして、ぶるぶると打ち震えている。
何やら変態の気配を感じ、メイドたちの目が一気にドン引きに変わる。ベルナの美女補正があっても隠し切れなかった。
「殿下が可愛らしく美しいなんて当然なことで泣くのはやめてください」
アンナは全く動じず言い放つ。ラティッチェにはアルベルガチ勢が多く、こういった手合いが多かったので、彼女には耐性があったのだ。
それにアンナにとってアルベルティーナが可愛いなんて、昼間が明るいくらい当たり前のことだった。
ベルナが謎のダウンをしている間に、アンナは新しいドレスを手に取っている。アルベルティーナ好みでいろいろな格調に会うドレスを吟味している。
「この殿下に好みとは違うピンクやイエローの集団はなんですか……」
すごく可愛いデザインである。最高級のドレスなのは確かだが、ローズブランドが流行する前を思い出させる甘々なロマンティックある。
襟のスリーブの形、コサージュやビジュー、そしてレースのデザイン等で総合的に見ればトレンドも取り入れてある――だが、これだけ『可愛い』をゴリ押すとなれば、着用者もそれに負けない容姿が必要となるだろう。
(まあ、余裕ですけれど)
アルベルティーナの絶対的美貌の前では無問題。
問題は、どうしてアルベルティーナの趣味とは違うものがたくさんあるのかだ。
その疑問には、復活したベルナが指をさして答える。
ワンチャン狙えると思っているのか、目がギラギラしていた。
「あちらのピンク部屋のドレッサーにみっちりと」
アルベルティーナの私室の一つだが、半分開かずの扉扱いである。実はレイヴンの仮眠室でもある、内装に乙女系ドリーミーが炸裂しているお部屋だ。
「それはクリフ伯父様とお祖父様の用意してくださった部屋ですわ」
その瞬間、その部屋が水を打ったように静まり返った。
アルベルティーナにデレ甘髭伯爵のクリフトフならぎりぎり許容できるが、ドレスのドの字も知らなそうな厳格筋肉の熊公爵のガンダルフが用意したのだろうか。
メイドや女性騎士は多少ならば部屋を見たことがあるので、その内装の趣味とそれを用意した人物との齟齬に混乱していた。
前者はぎりぎりセーフ。耐えられる。だが、後者は想像すら脳が拒絶する。完全に未知の領域。むしろ理外の境地だ。
あのメルヘンお花畑とピンクとフリルとレースの大洪水が、筋肉熊の要望で錬成されたと意地でも認めたくなかった。
このメルヘン部屋の情報から深淵を感じた人々はいつもこうなる。
「殿下があの可愛らしいベッドでお眠りになる姿は、さぞ絵になるでしょうね。童話の姫君や絵画の一枚絵のように」
ベルナがはちきれんばかりの笑顔でアルベルティーナに寄ってくる。
全力で深淵から目を背けて話題変更した。
「嫌ですわ」
またもや首を横にフリフリして拒絶するアルベルティーナに、膝から崩れ落ちるベルナ。
それでも諦めきれないのか、ずりずりと這って近づく姿がホラーだ。メンタルが強いのか弱いのかよく分からない。
そんなベルナを見下ろしつつ、近くにあったぬいぐるみを引き寄せてほんのり嫌そうな困り顔のアルベルティーナ。
その二人の様子を見ながら、アンナの胸中は複雑だ。
(このベルナとかいう女。かなり厄介だわ。道化のように振る舞いながら、着実にアルベル様に近づいている)
大げさなリアクションを交えつつ、押しが強そうだが引き際を心得ている。
図々しいように見えて、アルベルティーナの本当に嫌がる領域には踏み込まない。
アルベルティーナの反応を敏感に察知して、警戒が濃くなると誤魔化して上手くやり取りしている。アンナの目には、コンラッドより余程危険だった。
コンラッドは根が我儘なのだろう。上品で穏やかに振る舞ってはいるが、やり口に強引さが見える。アルベルティーナの拒否や悪感情を軽く考えており、自分の思い通りにしようとしていた。
「王太女殿下……この、このお帽子だけでも! お出かけの時、いえ、散歩の時にちょっと被ってみませんか?」
そう言って、水色をベースに白いレースとリボンが揺れるボンネットを手にしているベルナ。いつの間に持っていたのだろうか。
そして相変わらずメルヘンキュート路線は諦めていない。目に涙をためて訴えている。
そのしつこさに隠れて護衛しているレイヴンの心は河岸にまで届きそうなほどドン引きだった。
仕事ではなく、純粋にベルナの趣味なのが分かる。演技は多少入っているが、アルベルティーナに着せたいのも本当だろう。引き時は心得つつも、アピールは欠かさない。圧倒的な熱量と気合いで揺れ動いたところを押し切ろうとするのが、オタクのそれである。
服装は動きやすさといった機能重視のレイヴンは、お洒落に対する情熱に理解がなかった。図体が育っても、その辺の情緒は以前と変わっていない。
顔を上げたベルナの目に映ったのは「嫌でござる」と言いたげに、困惑寄りの無表情で首を横に振るアルベルティーナ。
その手にはふわふわの熊のぬいぐるみ――テディベア。誕生日にグレイルから贈られた、一番のお気に入りである。
「がわ”い”い”……っ」
またもや顔を覆って轟沈するベルナ。頬がべっしょり濡れるまで涙を流して幸せそうである。
「殿下が可愛すぎて辛い……っ」
この時点でアルベルティーナはちょっと引いている。
可愛いと言われ慣れている彼女だが、目の前で美女の姿をした変態がのたうち痙攣する様を見るのは初めてである。
困ったように視線を泳がせるが、メイドたちはアルベルティーナ以上に顔を引きつらせて固まっていた。さらに助けを求めて周囲を見渡せば、腕を組んだアンナがいた。
「そんな当たり前のことでいちいち騒がないでください。仕事しないなら追い出しますよ」
「あら、失礼」
アンナの宣告に、軽く肩をすくめたベルナはさっと立ち上がった。先ほどの身悶えが嘘のようにケロリとしている。
(この女狐)
やはり途中からは演技かと更に疑心を深めるアンナと、にっこりと妖艶な笑みを返すベルナ。
二人の間に青い火花が散った気がした。
なんとなく空気が軋んだのを察したアルベルティーナ。誤魔化すように傍のテーブルに並べられていた帽子を手に取って被ってみた。
白いワイドブリムにオレンジのリボンとオーガンジーが巻かれ、精巧なコサージュが散りばめられて爽やかさと華やかさを演出している。
「似合うかしら?」
「「誰よりも」」
小首を傾げて問うアルベルティーナに、アンナとベルナが見事なデュオで答えた。即答である。
「殿下、そのお帽子でしたらドレスはこちらのお色が良いと思います」
フィルレイアがライムグリーンのサッシュベルトが鮮やかなベルラインドレスと、レモンイエローのエンパイアドレスを持ってきた。
それを皮切りに、他のメイドたちも我先にと一押しのドレスを持ってきてアルベルティーナに駆け寄る。
皆、目がぎらついている。凄まじい意欲が熱気となって押し寄せてくるのを、肌で感じた。
アルベルティーナがドレスはもちろん、黒以外の帽子を選んだのは久々だ。
自ら厳しい喪に服し公私すべて――それこそ寝間着以外黒かそれに準ずるような濃紺やダークグレーばかりだった。
アルベルティーナを着飾りたいと熱望していたのはベルナだけではない。
美男美女の多いサンディスの中でも一線を画し、絶世の美を称えられている主人。そんな彼女を常日頃着飾りたいとメイドたちは切実に願っていた。
アルベルティーナの状況を鑑みれば強引な真似はできず、ずっと我慢していたのだ。
あっという間に部屋は騒がしく、姦しくなる。
メイドたちはこの色ならこのドレスだ、このドレスなら帽子はこれ、靴はこれ、アクササリーはと喧々囂々の勢いで意見が飛び交う。
ドレッサーで眠っていた珠玉の一着が遂に日の目を見る機会が来たのだ。
メイドたちの情熱は誰にも、それを着る本人であるアルベルティーナすら止めることはできなかったのである。
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