ガンダルフという男
6月2日書籍第四巻発売です。くわしくは活動報告で。
その時、アルベルティーナはヴァユの離宮にいた。いつものようにインドア令嬢らしく、部屋で刺繍をしていた。
だが唐突に近づいてきた、見知らぬ気配に体をこわばらせる。
「……誰?」
知らない――身近に覚えのない気配だ。
静かな中、突然騒々しい気配が数を伴ってやってきた。気づかないほうがおかしい。
アルベルティーナは武人ではないが、魔力を通して気配には人一倍敏感だ。
ついでに言えば、王城となると使用人にも貴族出身者が雇用されることが多い。大なり小なり差はあっても、魔力持ちが多いので感知しやすい。
アルベルティーナの周囲にはフォルトゥナ公爵家でも信用があり、アルベルティーナが恐れない人間が配置されていた。
一時期はめまぐるしく変わっていたが、最初に比べれば今は落ち着いている。
「どうなさいましたか、殿下?」
「知らない人が訪ねてきたようなのよ。しかも、随分と大人数で……変ね、今日は来客の予定はないはずよね?」
「はい。私の知る限りでも先触れはございません」
専属侍女として、アルベルティーナの予定を把握しているアンナは即答する。
アンナにはまだ来客の気配が分からないが、アルベルティーナがそう感じ取っているのなら来客が来ているのだろう。
それが招かれざる部類かもしれないと、アンナは静かに警戒をする。
アルベルティーナは、不安げに窓のほうを見ていた。
間もなくして足音が聞こえてきた。複数だ。重く規則的な足音は、鎧を着た騎士だろう。
途中、女性の声が途切れ途切れに聞こえてきたが、途中からなくなった。あの声はベラのはず。
ヴァユの離宮の侍女長をないがしろにするなど、あってはならないことだ。
アンナは不安げに胸に手をやっている主人に寄り添った。
ドアを睨みつけていると、足音は部屋の前で止まる。ノックは大きくはっきり響いた。
「アルベルティーナ王太女殿下、火急の知らせにございます」
「……入りなさい」
知らない声にアルベルティーナの表情が不安げなものから警戒に強張っていたが、それもすぐさま切り替わり凛とした貴人へなった。入室を許可した声も、人を従える立場としての声音だ。
入ってきたのは銀髪の青年だ。飛び切りの美青年と言って過言ではないのだが、纏っている服がやや古風なデザインだ。身に着けている装飾品も大振りなものが多く、豪奢であるが重厚すぎる気がした。
二十代半ばか後半くらいに見えるので、もう少し若々しくてよい気がする。
彼はどこかで見たことがある気がする――そうだ。王族たちの肖像画の中に彼とよく似た面差しの王子を見たことがある。
年齢を鑑みれば、彼はその子供か孫くらいの世代だろう。
(いえ、違う。もっと最近も見たような?)
それ以外にも最近見た気がする。たしか、戦場を駆けた者たちを慰労するパーティ。王配候補の発表の時に、彼もいたはずだ。
(多分!)
断定できないのは、アルベルティーナがいかに美形だろうが豪奢だろうが興味のない人間を覚えていないから。
だが、正式に紹介された記憶はないので知らぬ存ぜぬでも失礼ではない。
アルベルティーナは静かに扇を広げ、表情を隠すようにねめつけた。
「先触れもなく本当に失礼ですわね。どれだけ急ぎの用事なのかしら?」
冷ややかで傲慢に見える態度だが、アルベルティーナの気品と美貌も相まって非常に絵になる。
顰蹙よりも陶酔に誘うような雰囲気だった。
アルベルティーナの身分の高さを考えれば、この程度の振る舞いは『王族らしい』範囲だ。
ましてや、事前連絡もなしに来訪してきたのだから当然ですらある。
「無礼をお許しください。殿下の身の回りの警護を急遽変えることになりました」
「……どういうことかしら? そんな予定ないわ。結構よ」
すでに決定事項のように言い切るのが、アルベルティーナの不安を煽る。怪訝な表情で気弱な態度を出さないように取り繕った。
「フォルトゥナ公爵が、ラウゼス陛下暗殺未遂で投獄されました。いくら殿下の祖父であっても、逆臣の疑いのある人間に警護を任せられません」
アルベルティーナの心臓が嫌な音を立てる。一気に早鐘になり、寒くもないのに汗が滲んでくる。
男はそんなアルベルティーナを痛ましげ――に見える表情で見ている。
どうも胡散臭い。アルベルティーナの底辺と言われる危機管理能力が警報を鳴らしている。ヒステリックに鳴り響いている。
「お祖父様はそんなことをする方ではないわ」
「ですが、ラウゼス陛下は毒に倒れました。次期王位は王太女殿下です。そうなれば、フォルトゥナ公爵家がより一層の権力を持つでしょう。
殿下の摂政となってもおかしくない」
力強く言い切る男に、それを聞いている周囲の騎士たちも気まずそうにしている。
だが、そんなことよりアルベルティーナは思ったことを口にしていた。
「そんなもの欲しがらないわよ、あの人。孫には興味あるけど、王太女には興味ないもの」
アンナは見えた気がした。自信満々に言い切った男――確か、コンラッド・ダナティア伯爵が一刀両断されたのを。
アルベルティーナが当然のごとく、あっけらかんと言うので周囲の騎士たちもアルベルティーナとコンラッドを見比べている
「わたくしの機嫌を取るために、あの図体でぬいぐるみとフリル溢れるファンシーショップに通うジジ馬鹿なのよ? お祖父様の中の孫娘は随分と幼いみたい。あんよが上手な女の子くらいじゃないかしら? 女王になれなんて言わないわ」
騎士の一人がそろりと王太女の部屋を見る。
ぬいぐるみがさりげなく置いてある。それも一つや二つではない。
あれを巨大なあの巌の熊公爵が買ったと思うとシュールを超えて恐怖だ。
「あの人、わたくしが本気で嫌がることは強いないわ。王太女になるのだって、ラウゼス陛下から直々にお話がきたもの。
元老会みたいにサンディスを牛耳りたくてうずうずしているなら、喪中のわたくしに四六時中圧をかけ続けていたでしょうね」
アルベルティーナの記憶にある、時折離宮に来ては品定めをする目で見ていた老害を思い出す。
あのねちっこく下品で下劣な視線と、ガンダルフの不器用な眼差しは全然違う。
「うーん、きっと……そうね。彼がしたかったのは、わたくしを養女にすることじゃないかしら? 自分の手元で、大事に大事に守ってやりたいって。今まで会えなかった分を取り戻したいって」
ガンダルフはアルベルティーナが五歳の時に会える予定だった。
会えるはずだったが、王家主催のお茶会で事件が起きた。アルベルティーナが誘拐されて、心身に傷を負ってそれどころではなくなった。
魔王グレイルの絶対庇護の中、アルベルティーナは悲劇の令嬢として領地に引き籠り続けた。
娘の唯一の忘れ形見に対して、あの武骨で実直なガンダルフが冷徹な判断をできるだろうか。
どこからどう見てもクリスティーナの生き写しのアルベルティーナを、政治の駒として扱えると思えない。
無理だ――ありえない。
だとしたら
誰がフォルトゥナ公爵家を、ガンダルフを嵌めた?
読んでいただきありがとうございました!
書籍四巻の書影は活動報告に載せております。