迫りくる悪意
お久しぶりです。またごたごたしますよ。
アルベルティーナは公務ができるまで体調が戻った。
喪に服しているので精力的に動く必要はないのだが、王子二人が謹慎中。王妃二人は息子たちを王配にすべく必死だ。エルメディアは公務以前の問題で、勉強やマナーを再教育しているが難航している。ラウゼスは国王であり、そもそも彼しかできない仕事が多い。
結果、未来の女王と有力視されているアルベルティーナに集中しがちだ。
公務といっても書類仕事だけだ。離宮を出ることは滅多にない。僅かな外出も仕事の関係で、叡智の塔か図書館である。
ジュリアスが仕事を厳選し、捌いているがそれでもやることは増えつつある。
なまじアルベルティーナが優秀で仕事が早いのが悪かった。勢力を失った王子たちやまったく決済の進まない王妃たち、論外の王女に奏上するよりよほど確実だった。
病み上がりのアルベルティーナに押し寄せる書類の束。それを見たジュリアスは、凶悪なほどの渋面になっていた。そして、それは義父と義兄、義姉も似たり寄ったりだった。
アルベルティーナは仕事があると気がまぎれると前向きに臨んでいるのが、せめてもの救いだった。
無理をさせるのは厳禁だが、暇を持て余しすぎてふさぎ込ませては意味がない。
(ふむ……思った以上に収穫が多いな)
ジュリアスが手にしているのは、貧困街の再開発と救済の事業だ。
思った以上に好調で、すでに城下町の一部として機能しつつある。税収による資金の回収も、前倒して見直しが必要だ。
何よりも大きな収穫は人員だ。幅広い層から救い上げた才能は、燻ぶっていた時間を取り戻すように積極的に活動をして成果を上げている。
最下層を経験した人間は、ハングリー精神がすさまじい。
元孤児のジュリアスも、その気持ちは分かった。二度と掃き溜めに戻りたくない。ゴミと同じ視線を向けられ、腐った食べ物を漁り、死に怯えながら眠る。
貴族どころか、普通に生活している平民ですら想像を絶する日々だ。
(持たなかった人間が手に入れた『ヒト』らしい生活。這いつくばっていた側からすれば、奇跡に等しい。下手な貴族から人材を借りるより安全だ……アルベル様への忠誠が高い)
そして、その光る人材を真っ先に引き抜ける権利がジュリアスにある。
ジュリアス自身が、元使用人――平民でも最下層の孤児から貴族に這い上がった人間だ。夢を見せるに丁度いいだろう。
(アルベル様は人種や身分といった出自で差別しない人間だ。区別はするが、下々に対しての蔑みはない)
ジュリアスが引き抜いた人材を疎んだりしないだろう。
上手くいけばラティッチェの人間のように、熱狂的に夢中にさせるはずだ。下心を抱かず、崇拝という支配下に置く。それは自発的な献身であり、恐怖による強制ではない。
それはそのまま、アルベルティーナを守る剣であり盾となる。
(それにしても……王配についての発表後、荒れると思ったのに不自然に静かだ)
ジュリアスはそこが気になった。
正直、自分をはじめキシュタリアやミカエリスを暗殺しようと躍起になると思っていたのだ。
すでに烏合の衆たちを纏め上げた一大勢力が出来上がっているのかもしれない。貴族たちの密会や企てが減るのも納得できる。
首魁からの指示が行き渡り、多くの貴族がそれに従っている。派閥が割れておらず、上下を決める小競り合いの必要がなくなったのだ。
こちらから、一石投じるべきか。
ふむ、と一人考えているとにわかに騒がしい音が響き始める。
(……かなり重い足音だ。男だな……それに金属音? これは鎧の音?)
それも複数だ。
騒がしさの原因は、まっすぐにこちらの部屋に向かっている気がする。
時折、使用人らしき者たち悲鳴が聞こえる。強盗でも来たのかと一瞬思うが、それにしては周囲の反応が静かすぎた。
賊が来たのなら、守衛たちが駆けつけてくるはずである。
扉を壊す勢いで開け放たれ、一気に人がなだれ込んでくる。身に重厚な鎧をまとい、剣や槍といった武器を手にしている。
それらは見覚えがあった。サンディス王国の王宮騎士団の纏う甲冑だった。
「フラン子爵……いや、フォルトゥナ公爵子息、ジュリアス・フォン・フォルトゥナだな?」
「そうですが……それを理解しての狼藉ですか?」
先頭にいた騎士が、一歩進みジュリアスの前に立ち塞がる。巨体もあり、聳え立つような威圧感だ。
だが、ジュリアスは冷ややかな一瞥をよこすだけで動揺するそぶりも見せない。
その堂々たる態度が、かえって騎士たちを困惑させる。
しかし、それでも彼らはさらに己を奮い立たせるように互いに目配せをする。
「ジュリアス・フォン・フォルトゥナ! 国王殺害容疑により、フォルトゥナ一族を拘束する!」
まるで印籠のように、書状をジュリアスに突き付けた。
その内容に流石のジュリアスも、目を見張る。こんなこと全く持って寝耳に水である。
「陛下がお亡くなりになったのですか?」
「残念だったな! 床に伏してはいるが、我が国の太陽は身罷られていない!」
後続にいる騎士が、威勢の良い声で答えてくれた。
なんとなくだがアルベルティーナに懸想をして、王配候補となったジュリアスを快く思っていなかったのだろうと予想がついた。
勝手にラウゼスの生死に口を滑らせた騎士を苦々しく睨む先頭にいた騎士。
「フォルトゥナ公爵が陛下に毒を盛った疑いがかけられている」
「あの人、そんなまどろっこしい真似をするタイプじゃないでしょう」
ジュリアスはサクッと言い返す。もともと、ガンダルフは長らく王宮騎士団長をしていた。
グレイルの死に伴い、今は元帥に就いているが畑としては王宮騎士だった時代のほうが長いのだ。彼らだって元部下だろうし、それくらい知っていそうな気がする。
「だが、フォルトゥナ公爵から贈られた茶葉に毒が仕込まれていた――もがっ!」
さらに余計な情報を漏らそうとした騎士を、隣の騎士が殴って止めた。
馬鹿が自陣にいると大変そうである。ジュリアスは冷めた気持ちでそれを見ていた。有能な敵より、無能な味方のほうが時として邪魔になる。
騎士たちは強引にジュリアスを連行しようとする気配はない。ジュリアスが逃げたり、攻撃したりして抵抗するそぶりがないのもあるが。騎士たちの中でも疑惑が残っているのだろう。
あの堅物・真面目・石頭の三拍子そろったThe剛の男の典型なガンダルフ。
彼がラウゼスに反意ありであれば、暗殺ではなく意見を散々ぶつけ合わせた後に決別するはずだ。
ガンダルフの興味は、現在アルベルティーナに向いている。
可愛い孫娘を溺愛し、全力で守ろうとしていた。
(アルベル様が望むなら出自もはっきりしない俺を養子にするくらいだ)
ラティッチェで拾われた孤児であるジュリアス。
犬猿の仲であるグレイルの下で働いていた男を、息子として遇するくらいアルベルティーナに甘いのだ。
ガンダルフはアルベルティーナの後見人であるし、何もしなくとも莫大な権力がついてくる。
急く必要がないし、そもそもガンダルフが大事なのは『王太女』ではなく『孫娘』なのだ。
国王を強引に排斥してまで、彼が動く理由がない。
むしろ、別の候補者がいればそっとアルベルティーナを政治から遠ざけ、大事に見守るだろう。
それにアルベルティーナはラウゼスを慕っている。親類としての敬愛、そして王としての畏怖がある。実父をなくして落ち込んでいるアルベルティーナから、懐きつつある義父をとりあげたりなどしない。
むしろ急いているのはガンダルフより――王妃や元老会だろう。
そこまで考えが行きついても、ジュリアスはそれを訴えるつもりはない。
こんな書状まで出して、フォルトゥナ公爵家に踏み込んできたのだ。王を危険にさらしてまで冤罪を作り上げたのだ。
強引さと残忍さ、そして狂気を感じる。
ちらりと窓に視線をやると、フォルトゥナの私兵とは違う鎧がうろうろしている。
逃げるのは難しいだろう。逃げられたとしても、反逆者の汚名に尾びれ胸びれがついて、良いように吹聴させられる。
「身に覚えはありませんが……それが王命であるのなら従いましょう」
本当に王命なら――その言葉は飲み込んだ。
暗殺されかけた王が、どうやって玉璽を使って勅令を出したのか。床に伏しているのだから、無傷ではないはず。
命からがら、意識を保って押したのかもしれないが、その可能性は低い。
だが玉璽を使って誰かがこの勅命を発したのなら納得できた。
同時にその人物はそれだけ王に近いか、近しい人物を自分の駒として使える状態にあるのだ。
ジュリアスは冷静だった。
フォルトゥナや自分という駒が使えなくなっても、アルベルティーナを守る存在はまだいる。
ただ、せっかく手に入れた茶葉が気がかりだ。
アルベルティーナのお気に入りの茶葉で、紅茶を淹れてあげたかった。
あの人は、ジュリアスの淹れた紅茶が大好きなのだ。
読んでいただきありがとうございました。