報われない想い
そしてミカエリスの恋心と現実。
アルベルの脱公爵家の道のりは遠い…知られると全員に止められる。
多分、偶然外に放流されたらすぐさまパパンに回収されるか、ジュリアスやキシュタリアが即座に動きます。ミカエリスは自分でも動こうとする前に前三人に巻き込まれて使われる。ドンマイ。でも、大切な人の為なら多少のことは許す大人です。
香しい紅茶に、慣れない外出に緊張していた神経がほぐれる。
スミアはなかなか紅茶を入れるのが上手なメイドだ。ジブリールにそれを伝えると、ジブリールも嬉し気に顔をほころばせた。
恐る恐るという具合に、少し震えた手でカレラス卿も紅茶を口に運んでいる。
本来なら、彼は私の前に腰かけられる立場ではないのは解っている。でも、彼は私に攻撃的ではないというか、むしろ気づかいの塊に近い。
それでもやはり男性は怖いのだ。彼が悪意も敵意もないと頭ではわかっていても上背があるし、やはり騎士だけあって体格がいい。ルーカス殿下の件で悪化したかもしれない。
幸い今はジブリールやアンナたちもいる。お父様からつけられた護衛たちもいるので、安全なはずだ。
「あの、アルベルティーナ様。恐れながらお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。構いませんわ、答えられる範囲なら」
「ドミトリアス伯爵とはどういったご関係で?」
「幼馴染ですわ。ジブリールと、昔からのお付き合いなの。とても良くしていただいております」
私の数少ない幼馴染であり、大切なお友達である。
彼としては特別な思いを抱いているらしいのですけれど、正直応えるつもりはない。
しかし、我が家の事情でお父様に振り回されているミカエリス。私も結構振り回していると思うし、彼が今困っているというなら多少のお手伝いはして差し上げたい。
お手紙でも、それとなくお伝えしているつもりなのですが――リップサービス続行中? ブラフかフラグか不明ですけれど…わたくしのようなポンコツ娘に関わっていないで、素敵なご令嬢を早く捕まえていただきたいものです。
変な女性につかまらないか、幼馴染として不安ですわ。
「爵位も継いでいますし、学園の卒業も近いですのに…
由緒ある家柄ですし、彼自身もとても努力家ですわ。真面目で誠実な方です。
あんなに素敵な紳士ですのに、なかなか縁談が纏まらないのはなぜでしょうか…」
「カレラス卿。この件については何も言わないでくださいまし。
原因は解っています。お兄様の理想が非常に高いうえ、それに該当する女性が非常に限られておりますの。
そして、唯一該当する女性は高貴な方で特殊なお育ちなので正攻法も奇襲も効かないうえ、おっとりしている割に頑固なところもあり婚姻する気がないのですわ。とんでもなく強力な守護神までいるので強硬策はダイナミックな自殺です。お兄様を含め、狙う狼もハゲタカもすべて撃沈。二進も三進もいかないのですわ」
「………………然様ですか」
「然様ですわ」
重々しくジブリールが頷くと、カレラス卿が「知らなければよかった」といわんばかりにがっくりとしている。
悄然とした哀愁漂う騎士。ジブリールがその様子を見て「ご苦労様でした。出て行った方がよろしくてよ」とぺいぺいっと追い出した。最後に私に深く一礼したカレラス卿は、警備に戻っていく。
「まあ! ミカエリスに誰か気になる方でも出来ましたの?」
「……流石、キシュタリア様の美貌とフェロモンの猛攻をすべていなし切った…いえ、いなしたことにすら気づかないお姉様ですわ。敵に塩を送る趣味はございませんが、挫けずめげず勇猛果敢にも挑戦しきったあの男に拍手位はお送りしてもいいと思います」
「わたくし、キシュタリアに口説かれたことなんてなくてよ?」
「それはあんまりでございますわ……」
「小さい頃に好きだと可愛らしい告白や、修道院に入りたいといったときにずっといて欲しいとは言われましたが」
「修道院!!? どういうことですの!?」
「お父様にお願いしましたが、許可はいただけませんでした…」
「それはそうでしょう…あの公爵はお姉様のことを墓場まで手放すことはなさそうですもの」
「ですので、修道女がダメなら平民になろうかと思っております。
わたくし、貴族の令嬢としての価値はありませんが、庶民であれば多少キズモノでも大丈夫と聞きます。社交界もありませんわ! 幸い魔法は使えますので、それで職を探そうかと思っています」
「おやめください、お姉様! どんな下種がお姉様を汚しにかかることか!?」
「ジュリアスのようなことを言うのね。大丈夫よ、いき遅れの年齢と偽ってしばらく顔を隠せば…」
「無理ですわ。お姉様の気品溢れる所作は上流貴族のものです。そのご容姿を隠そうともその立ち姿や声すら姫君そのものです」
ヒキニート、作法は令嬢として合格みたい。この場合は喜ぶべきなのでしょうか。
確かに、その人の言動って育ちが現れることが多々ありますわ。
ジュリアスなんて、極稀にですが口が悪くなるのよね。かなり声を潜めていますし、どさくさに紛れてって感じですが。私の前でそういうのが出るってことは信頼されているのか、もしくはこのポンコツ相手なら平気だと思っているのか…
「そうであれば、内職など人の目に触れないお仕事を探すなど…」
「普通にご結婚を望めばよろしいのではなくて? お姉様なら望むがままにお相手を選べましてよ? 王族だろうが、四大公爵家だろうがどこへでも」
「…それはわたくしではなくラティッチェ公爵令嬢を望まれているだけですわ。
嫁ぐことはできても、わたくしに社交はできない。立場を作れない夫人など、価値はあるでしょうか? わたくしという存在は、お父様を相手にするならばこれ以上にない人質となるでしょう」
ずっと社交をさぼり続けたツケはここに集結している。
作法は学んでも、実際の社交界を一度も知らないわたしなど良いカモだろう。
これ以上にない毟りがいのある相手となる。
「それは……」
ジブリールは口ごもる。
実際に貴族の絢爛にして、苛烈に陰惨な社交界を知っているジブリールはよくわかるだろう。
「ですが、それはお姉様が身を落としてまで守るべきものですか?
公爵様はお姉様を何にも代えがたく愛していらっしゃいますわ。
お姉様の苦労や不幸を代償にして得たものなど、お喜びになるとは思えません」
言い募るジブリール。ジブリールは本当によくわかっている。
私よりわかっているかもしれない。
「だからこそです」
ジブリールの赤い目が揺らぐ。それを見据えて、目を逸らさずに伝える。
「お父様はわたくし以外など深く必要としてないのです。
わたくしはお父様や公爵家が、わたくしのせいで翳ることなど耐えられない。
これはわたくしの独り善がりなのはわかっています…わかっていますが、お父様がわたくしを守りたいように、わたくしだって大切なものを守りたいのです」
サボったツケは自分で払うべきだ。
元祖アルベルティーナはお父様の権力を使いまくって社交界でも学園でも好き放題にしていた。私も同じだったのだ。お父様の膝の元でのうのうと貴族としての役割を放棄していた。
ジブリールは顔をくしゃりと歪め、ご令嬢の仮面がはがれるのが分かった。
「わたくしは、お姉様が大好きです。もっとずっと一緒にいたいです。
お姉様はとても綺麗で優雅で、そして誰より優しくてずっとわたくしの憧れです」
「ありがとう、ジブリール。わたくしも貴女が大好きよ」
「お姉様を愛してくださる方はたくさんいますわ…
きっとお姉様が手を取ってくださるのを待っている。ずっと手を伸ばしていることを忘れないで……」
それが地獄行きかもしれないと分かっていて、その手は取れない。
だから、曖昧に微笑むことしかできない。
私は臆病です。卑怯です。
ヒロインのように躊躇いなくその手をとって、一緒に行く勇気はないのです。
最初は、ただ自分の破滅だけが怖かったけど、いつの間にかその破滅を周囲に齎すことの方が恐ろしくなってしまった。
私を大切にしてくださるお父様、慕ってくれる義弟、心配してくれるラティお義母様、いつも助けてくれるジュリアス、傍に居てくれるアンナ。公爵家という狭い世界だけでも、十分過ぎるほど大好きになってしまったのです。ジブリールやミカエリスも大好きだし、とても大切に思っている。でも、私は彼らの力になれない。足を引っ張るしかできないのだ。
死にたくないけれど、それ以外なら譲れるくらいに。死んでしまったら、悲しむのは知っているから生きてお別れをします。遠い場所で、幸せを願うくらいは許されたい。
貴賓席からは、流石というべきか試合会場がよく見える。
広い日除けがあるし、広く座れる空間とテーブルまであるのでお茶や軽食を嗜みながら観覧することも可能だろう。聞けば、アルコールまで出るらしい。
そこから会場を見下ろせば、平民らしき人たちと貴族らしき人たちの席はわけられている。特に身分による制限はないらしいが、座席を取るにかかるチケット代が大きく違うらしい。
平民が多そうな場所には、歩いて飲食物を宣伝する売り子たちが見えた。昼間からお酒を買い求める人もいるという。
少し、野球のスタジアムに似ていると思った。行うものはスポーツではなく剣技を競うものだが、雰囲気はだいぶ近い。
平民の中にはサンディス王国らしき西洋風の衣装ではなく、異国風のものがある。しいて言えば、アラビア系に近いもの。よくよく見れば、シルエットもだいぶ違う。
「あれは獣人の方かしら? 初めて見たわ」
「あら本当。珍しいですわね、サンディス王国はそれほど差別的ではないにしろ、ゴユラン国が近いこともあって余り流れてこないのですが」
ゴユラン国はだいぶ獣人には排他的らしい。排他的というより、差別的といった方が正しい。人間至上主義で、同じ人型をしていてもエルフやドワーフ、獣人といった人間からしてみれば亜人として分類される種族に対して人権を認めない。彼らは須く扱いが家畜か奴隷なのだという。
ジブリールと二人で、ぴこぴこ動くお耳がピンと立っている狼系の獣人をみる。
アッシュグレイの毛並みは、日を浴びて白銀に見えるほど輝いていた。二足歩行の狼といった具合のタイプで、人間らしい肌は見えない。全身毛皮でおおわれており、獣人でもかなり動物よりの外見をしている。よく見れば、彼(彼女?)は帯剣していた。
「あの方も参加者かしら?」
「基本は騎士候や騎士団所属といった関係者のみですが、外国の方や異民族でも推薦状があれば参加は可能とお聞きしておりますわ」
「では相当実力派なのね」
「もしかしたら、他国からの移民の場合、自分を売り込んで市民権を得たいのかもしれません。
サンディス王国は富国で強国ですし、小国家の騎士よりも生活が段違いですから。
平民をして身を立てるくらいでしたら、他の国よりだいぶ定住しやすいでしょうし」
「まあ、遠くからわざわざ…異国の剣技とはどのようなものなのか、楽しみですわ」
「お姉様、意外と剣技を見るのが好きですわね」
「以前、ミカエリスに見せてもらったでしょう? 素敵でしたもの」
命がけのコロシアムのような闘技場は嫌いだけれど、純粋に技術を競うようなものであれば楽しめる。
ジブリールと話に興じていると、急にその灰色狼系の獣人がくるりと振り返ってこちらを見た。ばっちりと榛色の瞳と目が合った。
まるで――
「あら、あのお方…聴いていらしたのね」
「お耳がよろしいのね」
「獣人の方ですもの、聴覚や嗅覚は人より鋭いと聞きますわ」
「お耳も大きいですものね。良く動いていましたし」
「ですが、レディの会話を盗み聞きはよろしくなくてよ。紳士以前に、男らしくありませんわ。聞こえていても聞かぬふりをするのが礼儀ですわ。
あの悪いお耳、引っ張り上げて差し上げましょうかしら?」
ジブリールが舌打ちでも漏れそうなほど剣呑に言い放つと、やはり聞こえていたらしい獣人の青年(多分服装からして)はぺたんと耳を下げてすぐさま逃げるようにして去っていった。
「最初からそうしていればよろしいのよ」
ジブリール、貴女本当に逞しくなったのね。
ゲームのネガティブ引っ込み思案の貴女はどこへ消えたのでしょうか?
今の明るい貴女がいるのは、私がいるからでしょうか。
読んでいただきありがとうございます。
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具体的に言えばやる気が出ます。ええ、まじで。