公爵令嬢の新たな野望
お父様が王族の側近や近衛騎士をブラッディカーニバルに吊し上げてしまったが、不思議なくらい周囲からの叱責はない。
いくらラティッチェ家が大貴族で、お父様が重鎮だからといって少しくらいお咎めあってもよろしいのでは?
ただヒキニートの耳に入らないだけかもしれない。実は王都ではギッスギスなのかもしれないと気を揉んだ。
しかし、気を揉んでも仕方がない。決意してセバスに聞いたが、眉を下げて「むしろ旦那様の機嫌を取ろうと必死でございます」と返答が返ってきた。何故に。
なんでも、第一王子と第二王子は下級貴族のレナリア嬢に入れ込んで、色々とやらかしていたらしい。それは貴族の中で不満として紛糾しており、爆発寸前だった。ルーカスとレオルドはまだ王太子としてどちらが成るかは決まっていない。切磋琢磨してその立場を勝ち取らないといけないはずが、すっかりとレナリア令嬢のご機嫌を取るためばかりに気を取られて怠けがち。婚約者たちを放置し、社交もおざなり、公務もほっぽってやることといえば男あさりに余念のないレナリア嬢の心を留めようと空回っているという。普通に嫌である。
そんな王子たちから有能な人間は、縁が薄いものたちから一気に離れていった。幼いころから一蓮托生が決められたものたちしか残らず、その者たちもレナリア嬢に入れ込んでいて以下省略。軽く地獄絵図だ。
学園というのは貴族社会の縮図。
今まで輝かしくも苛烈に競い合っていた王子たちのまさかの失墜。
ここにきて、第一王女派が裏で台頭してきているらしいが、王子たちの派閥に入れなかった漏れがそこにこぞって回っている感じで、急に担ぎ上げられた感じらしい。良いのかしら、王族がこんな感じで……。
そんなグッダグダになったなか、ルーカス王子が起こした問題。
貴族のご令嬢にまさかの冤罪を吹っ掛けた。これは今までにも何回かあったらしいが、王族の権威には逆らえず泣き寝入りが多かった。だがしかし、今回は最高峰クラスの上級貴族のご令嬢。しかも罵倒しただけでなく、怪我までさせた。
しかもその令嬢がサンディス王家すら一目置く――どころか恐怖に近い敬意をもって接している重鎮。そして、その当主は稀代の天才だが、気難しさでも有名だった。
おまけに過去にも、その愛娘は王族の失態により人生を台無しにされている。
私以外には危険物なお父様は王族が泥沼の火遊びをしようが、多少は目をつぶっていた。だが、愛娘と学園にいる子息に会いに来ていた――そして、その実、愛娘を知りもしないのに侮辱する噂を流していたという令嬢に対する処遇を求めに行っていたらしい。
わあ、お父様ったら学園の情報なんてどこから…ジュリアス? レイヴン? キシュタリア? ともかくレナリア嬢はその時点で詰んでいるとしか言いようがない。
早急に首を物理的に飛ばしてもおかしくない事態だったそうだが、私が同行しているときは控えたお父様。そしたら、レナリア嬢はキシュタリアに袖にされた理由を、一緒にいた私のせいだとルーカス殿下に訴えた。その結果、ルーカス殿下は無駄な行動力を発揮して、碌に下調べもせずに私を帰り道の馬車から引きずり出した。そしてしかるべき場所で糾弾して、晒し者にして留飲を下げるつもりだったのだろう。
でもね? なんで狙ったのかな? 本当に。
かなり立派な馬車に乗っていたし、ガッツリ騎士までついている馬車なのに。
上級貴族の中でも至高といえる公爵家出身の、祖母に王姉をもつ令嬢。しかも父親は娘を超溺愛しているヤベーほど有能でヤベーほど娘以外興味ない。
救いようがないわ。ろくでもねーな、殿下。
サンディス王家は一度目の失敗でも、十分お父様に怖い思いをさせられたらしい。二度目はもっと怖い思いさせられるんじゃない?
……アルベルちゃん、しーらない!
まあそれはともかく、やらかしにやらかしを重ね続けていた殿下たちが、今更お父様にがっつり絞められても皆さんプギャーっと笑っているだけらしい。
王様すら死なない程度で五体満足で廃人になってないならええで、って感じらしい。
ヒキニートは知らなかったけど学園に入って以来。真実の愛とやらに目覚めた王子の横暴ぶりは目に余り再三注意をしていたらしい。王様もかなり手を焼いていて、宰相や大臣たちも頭を抱えていたみたい。
王位継承権を巡って多少バチバチに争うならともかく、女性絡みで問題を起こしまくることはアウトだったみたい。
現在の国王陛下も先王や先々王が女性にだらしなくて苦労した口ですものね。
そりゃ、大事に育てていたはずの次代の王様がそんなじゃご愁傷様です。
あ、うちの国の王子じゃん。もしやサンディス王国お先真っ暗? ゲームだとエンディングでヒロインとともに華々しく結婚パレードでお披露目してたけど……。
いやですわー! そんなの困りますわー! 私のようなヒキニートならともかく、国の代表といえる人間がそれでどーしますの!?
ううう……まさか悪役不在の間にそんな事態になっているなんて…
ぶっちゃけあの金髪王子派ざまあみさらせとオホホホと高笑いしたいですが。
お父様はお誕生日に休暇をもぎ取るため、現在精力的にお仕事へと打ち込んでいるらしいです。
ついでにそのお仕事に王子様とその派閥をしばくのも入っているとのことです。
娘も頑張って美味しいケーキを作れるよう努力しますわ!
このまえミートソースとホワイトソースも解禁しましたから、ケチャップから派生したトマトソースもあわせいろいろできますわ! グラタン、ラザニア、ピザ、パスタのソースとしてもいいですわねー……
わたくし、包丁に触れるどころか竈などの温度が高い場所にすら近づけさせてもらえません。がんばってシェフたちにおねだりしましょう。そうしましょう!
アンナの目を盗んで、こっそりと裏庭に来た。
そこは日当たりが良く、いつもシロツメクサが咲いている。
冬でも夏でもずっと――一番は春先だが、年がら年中咲いているのだ。
もともと雑草よりの強い品種だけど、いつもここは花冠が作り放題なほどいっぱいある。
そのうちの一つをぷつりととって、それにまたシロツメクサを括り付けて編み出す。
薔薇のような華やかさも、百合のような気品も、水仙のような清廉さもない。
素朴で何の変哲もない愛らしさが好きだった。
そういえば、以前ここでレイヴンのために花冠を作ろうとした。その時、レイヴンではなくジュリアスにあげてしまった。先にジュリアスに見つかってしまったから。少し違うけど、二人とも黒髪だから似合いそうだと。
レイヴンはあの日から見ない。お父様のいう『再教育』の最中なのだろう。また、会えるかしら。会えるといいな。会いたいな。
もう一人の弟のように可愛く思っていた。無表情なのに、きょとんとするときの顔が年相応の幼さが見えるのが好きだった。
結局、彼には花冠をあげられなかった。
いつもありがとうってあげてたら、どんな顔をするのか見たかったの。
もしかしたら、笑ってくれるかなー、なんて期待して。
そんな日は来なかったけど。
ここで、初めてジュリアスに告白をされた。告白というより、懺悔を聞いているようだった。
ジュリアス・フランは物心ついたときからアルベルティーナの従僕だった。
あのときはすぐに断ってしまったけど、あの最後まで縋るようなまなざしを忘れられない。ましてや、相手があのジュリアスだ。
しかし
何故に惚れた。いつも散々ポンコツ扱いしているのに、なんでこの見てくれと家柄と血筋だけの、親からもらっただけのフルコンボ地雷女に惚れた。
ジュリアスはもっと行動派で頭の回転がすこぶるよさそうな人がいいと思う。
しかし、ジュリアスも美形だから相手も並ぶくらい綺麗な相手を求めそう。
美形といえば、キシュタリアも美形だ。
もとは分家筋とはいえその確約された公爵子息としての立場を疑うものなんていない。ましてや、幼いころから引き取られてしっかり教育されている。どこへ出しても恥ずかしくない令息だ。
学園で少し居ただけでも絶えず秋波が来ていた。キシュタリアを熱心に見つめるご令嬢は決して少なくなかった。
もっと素敵な女性をより取り見取りなのになぜ、どこをどう間違えたのかは知らないが私のことを好きっぽい。解せない。
ミカエリスは好きっぽい。
多分確定。
前の二人よりはっきり好意を伝えてくる。時折、かなり大胆に接近してくる。
普段は生真面目で勤勉で、華やか外見なのに女性に潔癖なくらい遊んでいる気配がない。悪く言うと、かなり堅物。
わたくしの情報源なんて、使用人たちと出入りの限られた商人くらい。それでもミカエリスを貶す言葉は聞いたことがない。世の女性を魅了してやまない美貌の騎士であり伯爵と名高いが、何でもずっと思いを寄せている方がいるそうで……
武勲では色々と輝かしい逸話が絶えないし、秋波もいっぱいうけているはずなのに本当にどうしてこんなヒキニートを選んだのよ……
ちょっと心臓に悪い人です。ヒキニートの心臓に優しくない人です。
前世の私ならあっという間にのぼせ上って、結婚だろうが駆け落ちだろうが喜んでしちゃいそうな顔面力と内面力を持っている。
でも頷けないのよ。
好き嫌いといえば、間違いなく好きよ。
三人とも大好き。私の狭い世界で、数少ない大切な人たち。
私は誰の手だったら取れたのかな?
私と一緒に破滅させるかもしれないと知っていて、手を取れる?
ああああああああ!!!
もう! ぐるぐるいっつも同じこと悩んでる! 意味なーい!
決めましたわ!
「こうなったら自立しますわ! 今からでも平民となって、仕事を得て自活しますわ!」
高い地位にいるから、落ちるのが怖いのです!
幸い、私は以前――前世は平民でした。労働はお友達の先進国のくせして労働環境が先進国の中でもド底辺な日本でした! 知ってる? 日本の労働環境って戦後に制定されてから大きな改変がないんだって! 四半世紀…下手したら半世紀以上? うわあい、糞ブラック政府イエーイ! ブラック企業いっぱーい…私も何度残業代踏み倒されたことか…周りに合わせ過ぎの日本人。
……まあ、サンディス王国には関係ないことですわ。もうあっちでは死人ですし、私。
もし
私がラティッチェ公爵家の令嬢じゃなくても、まだ好きでいてくださる方がいたら……
ただのアルベルティーナを好いてくださるというのなら、その人の手を取ろう。
それはあの三人の誰でもないかもしれない。
だれも見向きもしなくなる可能性だってある。
お父様でさえ、私に失望するかもしれない。
いいえ、失望して見離してもらえなければ私は、平民になれない。
よーし、決めましたわ! 平民になりますわー! いっそのこと他国へ行けばいいのです!
そうすれば死亡フラグたちに会わなくて済みますわー!
………お父様たちにも会えなくなってしまいますわね。
それは悲しいけれど、運が良ければ遠くから見られるかもしれない。
「修道院の次は平民ですか」
冷たい声が下りた。
「お嬢様、貴女が下々の町に一人で降りたら即刻騙されるか人さらいに遭い、汚らわしい男どもの欲に体を暴かれますよ」
さく、とよく磨かれた上等な革靴がシロツメクサを踏む。それでも比較的繁っていないところを歩いてきた。
腕を組んで呆れた表情。自棄に輝くメガネがとても高圧的に感じる。それでも厳しく美貌を歪めて私を見ている。
「それとも――先に俺に暴かれたいですか? 一人分となる代わりに、かなり濃密となりますが」
「……ジュリアス?」
あれ? 学園でキシュタリアの従僕をしているのでは? と思って首を傾げたら「定期報告です」とまたもや思考を読まれた。エスパーですか?
「貴女はまた余計なことを考えていたようですので、忠告です」
「や、やってみないと分からないわ!」
「無理ですよ」
「なぜそう決めつけますの?!」
「奇跡的に貴女の懇願に折れた公爵様がお許しになっても、それ以上に在り得ないですが万が一、億に一にも見離そうとも、私は必ず貴女を見つけ出します。
どうなっていようが構いません。恋人がいようが、夫がいようが奪います。たとえ、娼婦や奴隷に堕ちていていたらむしろ好都合ですね。金でことが済みますから。
一番は誰かのものになる前に捕まえることですが
ようは貴女を囲う相手が変わるだけです。
まあ、私は公爵程の財力も人脈もありません――ですので、手段を選べないのですよ」
んん? なんか怪しい方向に話が行っているような??
いつの間にか呆れ顔から、妖しい笑みに変貌していた。胡散臭いですわーっ! 何を考えていますの? 家名も財力もない私など捕まえて何になりますの?
……今まで散々パシリにしていたお礼参りですの!? サンドバッグですのー!?
真っ青になった私がぶるぶる震えていると、ジュリアスは一瞬半眼になって――気を取り直したようにそれは蠱惑的な艶笑を浮かべる。
「私がいないと満足できない体にして差し上げますよ」
「えー、いやですわ。それって完全にダメ人間じゃないの! 私は自立したいのですわ!」
「……このポンコツ、本当に危機感の薄い」
「聞こえてましてよ!」
「いえ、貴女が残念なことは重々承知していましたが、本当に厄介な」
「ポンコツっていいましたわよね!?」
痛いところを! 今に見ていなさい! 脱ポンコツしてやりますわーっ!
わたくしは自活できるオトナの女になるのです!
「本当、なんで俺はこんなのに絆されたんだ……」
「へ?」
「誘拐される前は殺したくなるほど鼻持ちならない糞餓鬼だったのに」
「なにぶつぶついってますの? お腹痛いの?」
「お嬢様と違いお育ちがゴミ溜めなので、泥水啜っても痛くなりませんよ」
「だとしてもお腹に悪いわ。それに美味しくないでしょう?」
「そこは『下民が気安く口を開くな』とでも出てくればいいものを」
「だめよ、ジュリアス! お口が悪くってよ? ……まさかそう言われたいの? わたくしそういう趣味はないの。ごめんなさい…」
めっ、と人指し指を立ててジュリアスにいうと、彼は一瞬鼻白んだような、怯んだような、照れたような複雑な百面相を浮かべる。
ジュリアスだって普段から私が平民の言葉? 教育に悪い言葉? とにかくご令嬢が使うに相応しくないことをいうと注意するのに。
そもそもジュリアスが平民でも貴族でもスラム出身でも異国出身でも、私は彼を差別する気はない。
大事な幼馴染兼従僕なのよ! そんなに心の狭い人間に見えたのなら、失礼しちゃうわ。そもそも私より身分の高い人のほうが少ないのだから、いちいち見下して扱き下ろしていたら切りがないじゃない。何が楽しいの。…本当に何が楽しかったのかしら、元祖アルベルは。
しかし、そんな私を見ていたジュリアスが思案顔。なんか嫌な予感。
「言ってみてください」
「え?」
「言ってみてください」
「え……えーっ、げ、げみんがきやすくくちをひらかないでください?」
「敬語はぬいて、もっと流暢に! もっと強気で! はっきりと!」
えええ、なんでそんなに熱血指導!? スパルタなの!?
私が困惑してジュリアスを見るが、ジュリアスは「もう一度」と言い放つ。ふえええええ! なんでー!?
「げ、下民がきやしゅくくちゅをひらかないで!」
「噛まない! あざとい! これ以上俺に敵を増やすな!」
訳が分からないです! ぴぇえええ!
舌をちょっと噛んでいたいのですが、ジュリアスはなんだか顔を赤くして、ちょっと怒っている? なんで? へたくそだから? なんで私が失敗するとジュリアスの敵が増えるの?
「下民が気安く口を開かないでーっ」
「もっと公爵みたいに人でなしっぽく、冷笑浮かべて! 相手を威圧して殺す勢いで! むしろ目線だけで始末する!」
「下民が気安く口を開かないで!」
「お遊戯じゃないんですよ! もっと気位が高く、寧ろ傲慢に! 色気を醸し出しつつ! はい、もう一度! 公爵です! アルベル様以外に接するときのグレイル様をイメージして、妖艶に笑んで!」
お、お父様? お父様ですか? 私は古い記憶からアルベルティーナの、あの嫣然とした笑みと、お父様が時折私以外に見せるあの悠然として張り詰めた空気を思い出す。
引きつらない様に笑みを象り、すべてを魅了しつつ見下すようなあの『悪役令嬢アルベルティーナ』を演じる。
「……下民が気安く口を開かないで」
「このジュリアス、ここ10年ぶりくらいアルベル様に公爵の血を感じました。大変結構。よくできました」
ほう、と感心したように僅かにジュリアスが息を吐く。
ご、合格ですか? ジュリアスの満足するラインに達しましたか?
このよく分からない演技指導はこれで終わりますか?
満足げなジュリアスに、漸く安堵のため息が漏れる。本当になんだったのかしら。
「や、やりましたわ…っ、ですが、お、お顔がプルプルしますわ…っ」
「たった5秒ですか。もたなすぎです」
「も、もっと頑張りますわ! わたくし、やればできるこのはずです!」
もう半泣きですけれど! すっかり心が挫けかけている私を察したのか、苦笑したジュリアスが私の頭を撫でて、手に持っていた花冠をするりと取っていった。
「ではやればできるこのお嬢様。良い子ですから、そろそろお部屋に戻りましょうね。
お茶の時間ですよ」
「あら、そんな時間だったかしら?」
「戻りましょうね」
差し出された手を握り、そのまま捕まえるように腕を取る。
…この前は手を握る前に、すり抜けてしまったもの。
ジュリアスのお茶は、あの学園ぶりである。楽しみだ。ジュリアスのお茶は本当に美味しいから大好きなのだ。
いなくなって気づくジュリアスクオリティの数々。アンナのお茶も美味しいのだけれど、やはりジュリアスは群を抜いているのだ。
「はぁい。ジュリアスのお茶は美味しいから楽しみですわ!」
「……お嬢様、貴女に平民は無理です。どうしてもというなら、子爵籍くらいでしたらご用意します。それで我慢してください」