クローゼットの秘密
アルベルは貢ぎ癖がある。
ただし、そのデザインや発想を莫大な財に変えるジュリアスがいるので、全く困らない。
ヴァユの離宮に顔を出せば、ベラを始めとするフォルトゥナ家からの使用人たちが既に湯殿の準備をし、衣装を複数パターンで用意をしてくれていた。
既に伝令が走っていたようだ。
手早くシャワーで髪を洗ったジュリアスは、用意された衣装に少し目を見張った。
「……覚えのない服がいくつかあるのだが」
「殿下からの贈り物ですよ。すべてローズ商会の最高級品ですから、縫製も素材もデザインも一流のお召し物でございます」
ジュリアスは「いつの間に」と思ったが元々誰かに贈り物をするのが好きな人だ。
大方、事業の手助けをしてくれているとか――ただのあたりまえのことに対して感謝をして、それを形にしたのだろう。
全体的にタイトなデザインのジャケットにトラウザーズ。繊細の艶のある光沢は間違いなく一級品の絹である。襟袖の部分に刺繍が施されているが、それはフォルトゥナの家紋にもあしらわれている獅子であった。ボタンは大きな黒真珠を割り周囲を白金でできた月桂樹の細工で囲んでおり、恐ろしく粋と技巧が凝らされている。
クラバットは上品なシルバーグレー。光加減で表情を変えるこの滑らかなで繊細な輝きは銀糸ではない。白金綿の糸で透かしの刺繍が施されていると分かった。留め具にはカメオで見事な鳥があしらわれていた。華やかさを添える金の土台にはアメジストの粒があしらわれている。
(大粒の真珠……しかも白じゃなくて黒? 全く一体こんなもの何処で……いや、アルベル様が個人所有している裸石にあったな)
アルベルティーナは既にクリスティーナの宝石類を始めとした財産を受け継いでいる。
グレイルは一つとしてラティーヌに譲らなかった。しかし、不備のないように宝飾品は用意していたし、アルベルティーナがドレスを始めとした女性用の品を幅広く手掛けているため全く問題にならなかった。
最新のドレス、最新のジュエリー、最新の靴に扇子に帽子――そう。ローズブランドの広告塔をしているラティーヌは、毎回ローズ商会の目玉商品を纏うに精一杯だった。捌ききれないほどに合った。これに、ラティッチェの歴代夫人の装飾品が加わったらカオスだっただろう。
ちなみに、サンディスで真珠や珊瑚といった海産である宝石は高い。淡水パールもなくはないが、近隣国を含む大陸規模で見ても産地は海辺が多かった。
サンディスは内陸国である。鉱脈には恵まれており、鉱山などで発見できる宝石の類はそこそこあったが、輸入に頼ることが多いこの二つは特に高価だった。
(稀少色の真珠。しかもこんな大粒を割って……)
ふと、幼い頃にアルベルティーナがジブリールに大粒のガーネットをジブリールに贈ろうとしていたのを思い出した。
真紅ではなくローズピンクのガーネット。濁りもなく、寧ろその透き通った輝きは極上のロゼワインを思わせる気品と鮮やかさだった。
それをポンと「似合いそうだから」とジブリールにあげようとしてしまうあたり、アルベルティーナの世間知らずさと物欲の低さを窺わせた。
あの頃のジブリールは、従姉妹たちにアクセサリーもドレスも取られてしまったこともあって、積極的に貢いでいくスタイルだった。それを見ていたミカエリスが止めようとして、アルベルティーナが不貞腐れていたものだ。
だが、何が何でも貢ぎたかったアルベルティーナは斜め方向に努力をした。
(しかし、高いものがダメだからって、安いアクセサリーを作ろうとするか?)
アルベルティーナの発案の屑宝石の再利用したジュエリーや、カラーガラスのアクセサリーは、今もローズ商会で高い人気を誇っている。
宝石より加工しやすいため縫い留めて絢爛なビーズ刺繍のドレスを作る貴族から、宝石には手は出せないがローズブランドに憧れる庶民まで幅広い。
あの頃から既に、発想が公爵令嬢ではなかった。
そもそも、使用人如きがお嬢様のスケッチブックを奪って、強引に製品化させる約束をさせたら懲罰ものだ。アルベルティーナのお気に入りだということを差し引いても、強引な取引だったと我ながらに思うジュリアス。
アルベルティーナの斬新なデザインや画期的なアイディアに目が眩み、幾度となくゴリ押した。
目の前に未曾有の発見が転がっていて、埋没させたいと思うほどジュリアスは愚鈍でも無欲でもなかった。
(よくもまぁ、首の皮が繋がっていたものだ)
結局は、アルベルティーナがニコニコと笑って水に流したからだろう。
アルベルティーナは成果を上げるたびに、ジュリアスをよく褒めていた。基本、身内に甘くて鷹揚な人なのだ。
ジュリアスは従僕であった。使用人という立場上、アルベルティーナはジュリアスをキシュタリアやミカエリスたちほど気前の良いプレゼントは出来ない。天下のラティッチェ公爵家のお嬢様の施しは、使用人には度が過ぎるのだ。あのくす玉のアミュレットだって、原価が(箱入りお嬢様基準で)安いからポンと平等に与えたようなものだろう。
もしくは、アルベルティーナは自分に縛り付けることに、後ろめたさを覚えていたのかもしれない――彼女は、ジュリアスの有能さを高く評価していたから。
ジュリアスは、小さく嘆息をする。
(だからって、こんなこそこそ仕立てなくてもいいものを)
公爵子息である今なら「使用人だから」と、受け取るのを辞退することなどしない。
ジュリアスは従僕であったころ、慇懃無礼なところはあったが、明確に線引きをしていた。
ほぼ毎日御仕着せを纏ってお嬢様かお坊ちゃまの世話をしていたジュリアス。
上等な礼服を貰っても袖を通す機会は少ないだろうし、箪笥の肥やしになるだろう。
爵位を取った後も、ラティッチェの使用人として動くことの方が断然多かった。
キシュタリアは違った。アルベルティーナに貢がれ――贈られた衣装でクローゼットの中にぎっちり詰めても詰まり切らず、一部屋潰す勢いで衣装を持っていても、お茶会や夜会とTPOに合わせて上手く着まわしていた。
次期公爵として社交界へ繰り出すことも多かったので、寧ろ重宝していただろう。
ラティーヌがマダム向けなら、若い男性の流行の発信源役となっているキシュタリア。広告塔の恐ろしいところは、新衣装で社交場に出ると、衣装や髪形をドッペルゲンガー並みに似せてくる連中が一瞬にして湧くのだ。
思い出して、妙な寒気を感じてしまう。
じっくりと湯舟に入る余裕はなかったので少し冷えたのかもしれない。
タオルで髪を拭っていたジュリアスはふと気づく。
(……これは、俺もそうなるのか?)
キシュタリアの衣装は、男性用だが華やかで可愛らしいデザインも多く取り入れていた。
彼の持っている甘い美貌もあり、かなり女性受けしていた。そのせいか、若い燕を欲しがるマダムからのお誘いをよく受けているのを目撃したものだ。本人は一途な性分なので、瞳の奥が笑っていない社交の笑みで躱していた。
同性には軟弱そうだと揶揄されることもあったが、中身は魔公子である。優雅に相手をベッコベコになるまで叩きのめしていた。
新しい風というものは、古い体質に嫌われるのは良くあることだ。
ジュリアスのために用意された衣装は、キシュタリアが纏う華やかで甘いデザインとも違うし、格調と伝統で凝り固まった古典的な礼服とも違う。
今までにない細めのシルエットが洗練された機能美を、刺繍一つ、ボタン一つに拘りが贅を凝らした粋を感じさせる。
これをスラリとした長身のジュリアスが纏ったら、さぞ見栄えがするだろうと予想できた。
正直、端にある無難な服を着るという選択肢もあった。
だが、悲しいかなジュリアスは自分の欲望に忠実な人間である。
アルベルティーナが仕立てて用意してくれた服を着たいという願望が視線を固定させていた。その手が、紫紺の衣装を放さなかった。
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