労わりの手
そして更に沼るジュリアス。
「だ、だいじょうぶなの!? ジュリアス? 怪我はなくて?」
無駄に手を上下に動かしながら、あわあわとしているわたくしに、髪を手早く直したジュリアスは「ええ、問題なく」とさらりと言った。
睨みつけるアンナもなんのそので、わたくしがいるベッドに腰かけた。
こちらを覗き込むとそろそろと、どこか慎重に手を伸ばしてくる。確認するようにわたくしの両頬を挟み、穴が開きそうなほど見つめてきた。
その表情は、いつもの飄々としたものでも淡々としたものでもない。
迷子の子供の様な、叱られた子供の様な頼りないものだ。眼鏡の奥の瞳の紫水晶のような瞳が動揺に揺れている。
何かあったのかしら、ジュリアス。いつも冷静沈着なジュリアスの精神を、これほど揺らすようなことなんて何かしら?
勇気づけるように、ジュリアスの手に自分の手を重ねる。
「大丈夫よ、ジュリアス」
何があったというのだろう。
でも、ジュリアスを虐めるような輩がいたら、わたくしがとっちめてやるんだから!
「わたくしがいるわ」
手に頬を寄せ、目を伏せる。ほんの少し、ジュリアスの体が揺れたのを、その手の平越しに感じる。
だから、気づかなった。
その時のジュリアスがどんな表情をしていたか、その時の彼がどんな決意をしたのかなんて知らなかったのです。
奇しくもわたくしは、揺れていたジュリアスの背を押す形となったのです。
頬に触れていた手がゆっくり肩から背中にいって、わたくしを抱きしめる。髪や首筋に、顔を寄せる気配を感じる。
今のわたくし、髪の毛ボサボサだしネグリジェとケープを掛けただけという、今更ながらにお客様をお招きする状態でないことに気付く。
ですが今更ですわ……。
しかも、相手は元使用人のジュリアス。
幼いころから、わたくしの泣きべそやドジっぷりをよーくご存知のはず。寝起きや病み上がりの姿だって、見たことあるもの。
わたくしは諦めて身を委ねます。
――この時アンナはずっと、ジュリアスの背中にアイスピックを突き立てそうな顔をして立っていた。露骨な殺気を浴びせられながらも、ジュリアスは動かなかった。
ジュリアスは、アルベルティーナの目の前では軽傷くらいは負わせても、流血沙汰の重傷や致死レベルのことは起こさないと経験上理解していたからだ。
凶器を振りかざしても、ジュリアスなら避けやがるという確信がある。
珍しくジュリアスが甘えている? のかな? 前世と今を併せれば、わたくしの方が精神年齢は上のはず!
いえ、前世はなんとなく大人? アラサーくらいだとは思いますが! 殆どもやっとうろ覚えでしかないのですわ……。
あれがあったらいいな、と前世のモノをぽろっと思い出しはするのですが……人間関係とか、住所とか、そういったものがスッカスカなのです。なのに喪女だったのはしっかり覚えている! 我が記憶力ながら、理不尽ですわね。
ですが、この時ばかりは大人の余裕というモノを! 見せてやるのですわ!
その時脳裏に過ったのは、数々のわたくしの情けない記憶総集編。
自分の家や庭で迷子になる、人見知りですぐ隠れる、何もない場所でコケる、ストレスですぐに倒れる、etc……上げたらきりのない、わたくしの情けない姿の数々。
大人の余裕、あるのかしら?
ですが、わたくしを今まで支えてくれたジュリアスに報いたい気持ちはあります。
いくら要領が良く、優秀なジュリアスとはいえいきなり公爵子息として引き立てられれば大変でしょう。それと並行し、わたくしの公私関わる事業を頼んでいるのです。
わたくしが社交性ゼロで、貴族の友人などドミトリアス家くらいしかない。
そちらは主に商品の素材や広告とお願いしている形ですが、それ以外のことは全部ジュリアス任せです。
いつも余裕綽々な素振りしか見せない彼だって、疲れたり思いつめたりしてもおかしくない。だって、人間だもの。
元気になれと、願いを込めて背中を撫でる。
最初だけ、一瞬びくっとしたけど大人しく撫でさせてくれた。
あわよくば、そのサラサラの黒髪も……と願望が疼く。
わたくしの髪は、同じ黒髪でも波打っている。根元はそうでもないけれど、毛先に行くにつれて天然パーマが掛かる感じだ。
ジュリアス、普段きっちりと整えているから判りにくいけど直毛よね、多分。
もぞ、とわたくしが身じろぎするとぱっと体を離すジュリアス。いつものそつのない笑顔が、その繊細な美貌に乗っている。
あ、これもう切り替わっていますわ……むむっ。
「これは失礼いたしました。アルベル様」
ちがーう! スキンシップが嫌なのではなくー! わたくしはジュリアスを甘やかしたいのです!
逃げられないように、とっさに腕を掴んだ。
予想外の反応だったのか、ジュリアスは立ち上がろうとも振り払おうともしない。
まだいっちゃダメ、と睨みつけるがジュリアスには伝わらなかった。ちょっとびっくりした顔をして、でも居心地悪そう視線を一瞬揺らし、立ち上がりかけた腰を下ろした。
やりましたわー! わたくしの勝ちです! とどまらせることに成功しました!
ただ――ジュリアスは細身だがわたしくしより力はずっとあるし、意外と背が高い。一番高いミカエリスは百八十センチ以上あるのは確定。だって、お父様は百八十センチ以上あって、それより僅かに高いもの! ジュリアス百八十あるかないか際どいところ……だと思いますわ。
キシュタリアは確か百七十センチ半ば。でもまた伸びているかもしれない……! 十七歳の男の子だもの! もう男の子って年齢じゃない? キシュタリアは可愛い義弟なので男の子なのですわ!
ラティお義母様は女性でも百七十近い、割と高身長。それを考えるとキシュタリアも百八十を超える可能性は濃厚……?
キシュタリアの実父がろくでなしということは知っていますが、一度も実物は見たことないのです。
ちなみにわたくしは百六十に満たない……幼馴染男性トリオに囲まれると、完全にすっぽり隠れます。同じ視点に居てくれるのはジブリールのみ。
ああ、やはりジブリールが可愛いのは世界の真理なのです。
立っちゃダメと視線で圧をかけ続けていると、ジュリアスはわたくしを覗き込むように顔を近づける。
「何がお望みですか、我が姫君?」
ひめぎみ……ヴァンに姫とか呼ばれると虫唾が走りましたが、ジュリアスに呼ばれると「お嬢様はダメなんだっけ」というちょっとした違和感が漂う。
目の前にある紫水晶の瞳は、先ほどとは違い悪戯っぽく艶めいている。
うーん、顔が良い……今更ながらに顔が良い。
ちょっとは元気出たかしら? ダメ押しにもういっちょですわ!
「ジュリアスは頑張っているわ。それはすごいことだし、立派な事なのよ」
よしよしと頭を撫でると、ジュリアスは目を真ん丸に見開いた。
そしてしばらく固まる。フリーズしている。
あれ? はずした? なんかわたくし間違ったかしら?
でも頭よしよしは止めない! 思った通りのサラサラストレート! くーっ、羨ましいですわ。
折角ジュリアスを褒めるチャンスです! ジュリアスは時々猫の様にするりと逃げてしまうので、やれるときにやらねば。
だってクリフトフ伯父様も、フォルトゥナ公爵も労うタイプではなさそう。ジュリアスって超有能で何でもできて当たり前って思われそうなタイプだと思うの。
ジュリアス自身が弱点や傷を見せたがらないっていうのもあるけど。
じゃあ誰がジュリアスを労わるの? わたくしでしょう!
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