『ジュリアス』となった子供5
ジュリアスは作中で一番出世した人でもあるかも。浮浪児→公爵子息なので。
アルベルティーナの裏庭へのお散歩は、大きくなっても変わらなかった。
少し悩み事があったり、疲れたりするとそこに行くのは知っていた。
だから、あまり不必要に踏み込まなかった。
たまには一人になりたいことだってあるだろう。幼いころから従順で、思春期になっても反抗期らしきものもない。
どこまでもあの魔王の願い通りで、理想通り。
ささやかな抵抗も、魔王の手の内で行われる児戯でしかない。
グレイルによって生かされているようで、グレイルの為に生きているようなアルベルティーナ。
あの日は、少しいつもより遅かったから迎えに行ったのだ。お気に入りのつばの広い帽子や日傘も出した様子がなく、そのままフラフラ出かけたのが分かった。
自覚が薄い分、あまり体の丈夫ではないアルベルティーナをずっと外に居させるのは不安だった。
予想通りの場所で、アルベルティーナはせっせと花冠を作っていた。
次は誰に贈るのだろうか。
最近はレイヴンがお気に入りだ。あの不愛想な少年を何故かアルベルティーナは気に入っている。
貴族の使用人というより、野生動物を思わせる雰囲気がある。人懐っこいとは言い難いのに、アルベルティーナは「猫のようで可愛い」と傍に置いている。
あれが眉一つ動かさず侵入者の首を掻っ切る類の人間だと知るジュリアスにしてみれば、あれはアルベルティーナの思う子猫ではなく、小さく擬態しただけの猛獣だ。
時々、アルベルティーナは変わり種に目を掛ける。
ジュリアスもその変わり種の一つだという自覚はあった。意地の悪い軽口が多い従僕など、アルベルティーナ以外なら手打ちにされていただろう。
少なくとも、以前のアルベルティーナなら即日頭と体が離れている程度の無礼はしている。
今のアルベルティーナは、そんなジュリアスに少し安心している気配すらする。
グレイルをはじめ、周囲が際限なく甘やかそうとする。そんな中、欲望のモンスターにならないために置いているのだろうか。
年端もいかない子供がそこまで考えていた?
判り易い癖に、読めない。アルベルティーナは秘密の多い少女だった。
その謎を一つ一つじっくり解き、その中身を暴くのはジュリアスにとって密やかな楽しみだった。
その過程で、彼女がとんでもなく画期的なアイディアを出すのはスパイスの様なものだ。
発想の出どころは、正直どうでもよい。
ただ、アルベルティーナの誰も知らない真実を独占したいという欲があった。
(……いた)
予想通り、シロツメクサの花畑――というには少し貧相な場所に彼女はいた。
木陰からも少し遠く、日差しの中にいる姿はスポットライトに照らされているようだった。
長い髪が風に揺れる。伏せられた目に、長い睫毛が影を作る。白く細い指先が、瑞々しい白い花を摘む。
一つ、一つ選び、柔らかく手折っていく。
まるで神聖な儀式のようだった。
外出用の帽子や日傘を忘れていると言い含める声を飲み込み、その光景に魅入った。
どこか懐かしく、それでいて初めて出会ったような光景。
あの閉ざされた狭い世界で、窓越しに見た――あの胸をチクリと刺すあの感情。それと同時に、これ以上気付くなと理性が悲鳴を上げる。
気づいたって、所詮ジュリアスは釣り合わない。
感情を、言葉を、痛みを飲み込んだ。
近いけれど、どこまで遠い人。
距離を履き違えるな。魔王の逆鱗に触れる。受け入れられるはずはないのだ。
万に一つ、受け入れられたとして、それは悲劇しか生まない。
だから、ジュリアスは『従僕ジュリアス・フラン』の仮面をかぶり続ける。
言い訳のように、持ってきた白い傘はアルベルティーナのお気に入りのものだ。軽くて丈夫な特別製の日傘は一流の素材が惜しみなく使われている。
特に、この繊細な白レースが気に入っている品だ。
これ一つで、ジュリアスの年収が吹き飛ぶ――そういうものを日用品に使う。そういう世界にいる人だ。
「アルベル様、何をなさっておいでですか」
声をかけるとアルベルティーナが振り向いた。大きく瞠目している。
ああでもないこうでもないと首を傾げながら花冠を編んでいた。ジュリアスに全く気付いていなかったのだろう。
分かっていてことを聞いたのは、言えない本音を紛らわすためだった。
座り込んでいるアルベルティーナに膝をつき、手を差し出す。
「ご令嬢が、日に当たりすぎるのはよろしくありません。室内か日陰に移動なさってください」
深窓の令嬢と言えるアルベルティーナの肌は白い。そして、皮膚も軟なものだ。
日焼けもそうだが、日に当たりすぎて体調を崩すのも心配だった。
アルベルティーナは弱々しい微苦笑を浮かべたが、ふと何か思いついたようにジュリアスを見つめた。
「お嬢様?」
おねだりとは違いそうだ。悪戯っ子のように緑の瞳を輝かせると、少し染まって緑になった指先がジュリアスに伸ばされた。
それはジュリアスの手を通り過ぎ、屈んでいつもより低い位置にある頭に向かっている。
パサリと小さな音と重み。頭の上に僅かな衝撃。
「似合ってるわ」
そう言ったアルベルティーナは、悪戯成功と言わんばかりに満足げだ。
先ほどまであった、彼女の手の中の花冠がない――つまりそういうことだろう。
押さえていた感情の蓋が、揺れる。ずれる。溢れる。
「……然様ですか」
目の前に広がる愛しい少女の笑みはどこまでも屈託がなく、純粋な好意を感じた。それは、ジュリアスの中にあるものとは違うもの。
惜しみなく注がれるそれはとても目映く、僅かにジュリアスの渇きを満たす。だが、それはすぐに消えて更なる欲を肥え太らせる呼び水となる。
危険だった。だから、目を逸らす。
勘違いするなと暴れる感情を戻そうと必死になる。酷く無様だが、それ以上に歓喜して気分が高揚していくのが分かる。
ひたひたと、感情が理性を凌駕する気配がする。すぐ後ろまで、もう来ていた。
本当に分かり易い、だけれど読めない。
そんなアルベルティーナを知りたかった。その本音。
弱みを握る為ではなく、青臭い男の独占欲だ。
失笑する。そんなものはとっくに、気付いていた。だから隠して、誤魔化して、無かったことにしようとしていた。
腹心で、兄貴分で、幼馴染で十分ではないか。そう、自分にひたすら言い聞かせていた。
手が届かない存在なのだから。
そう思っていたジュリアスの視界に入ったのは、伸ばされっぱなしの手に自分の手を重ねようとしているアルベルティーナだった。
感情を振り払うように、ジュリアスは咄嗟に手を引っ込めた。
そして、頭に乗せられた花冠を取る。これは、こんなものはジュリアスには貰う資格なんてない。
「……んで……っ」
――違う、本当はずっと欲しかった。
不相応な物であり、有ってはならないことだ。
――ずっと見ていた癖に。羨ましくて、ずっと指を銜えていた。
幼い頃の憧憬と寂しさが満たされてしまう。
――当たり前のように与えられるのが心地よいのだろう?
「なんで、なんで……! 貴女は!」
どこかで望んでいた。
知れば知るほど優しい女の子が、自分の後ろ暗い全てを受け入れてくれるのではないだろうか。
彼女に語った寝物語のように、幸せな結末があるのではないか。
「貴方でなければ! 貴女でさえなければ、俺は!」
老執事に手痛く躾られて矯正された、本当の自分の呼び方。
ラティッチェ公爵家の使用人として相応しくないと、真っ先といっていい程に直された口調。
ずっと隠してきたのに。お上品ぶって、澄ました顔で。
「貴女でさえなければ……愛さなかったのに! 愛さずに済んだのに!」
ジュリアスの仕事を当たり前のように褒め、認め、傍に置く。
惜しみなく注がれる柔らかな眼差しと、信頼にどれほどジュリアスが満たされたか知らないだろう。
怖がりで泣き虫な癖に、ジュリアスの抱っこで泣き止む女の子。
その時、真っ先に名前を呼ぶのは父親なのに、ふと気づいてジュリアスを見つけるとホッと体から力が抜ける。
真夜中に起こされて、恐怖と混乱で癇癪を起す。やっと収まっても、ずっと一緒に居て欲しいと握られる裾。その小さな力に、本当に安堵していたのはどっちかなんて知らないだろう。
成長すれば、おのずと身分差を知る。
意地の悪い人間や、ジュリアスを蹴落としたい使用人たちからジュリアスが貴族でないどころか、得体のしれない孤児だと聞かされたはずだ。
公爵家には行儀見習いの下級貴族が使用人になるのも珍しくない。
平民もいるが、それを含めてもジュリアスの生まれは最下層と言えるだろう。
どこかで、怯えていた。
いつ態度が変わるだろう。
いつジュリアスを要らないというだろう。
いつジュリアスを見限るだろう。
思いあがった感情を知られるのが、怖かった。
驚愕に目を見開くアルベルティーナが見えた。
ああ、すべてが終わったと硬く目を閉じる。
その澄んだ目に侮蔑と拒絶が浮かぶのが怖い。死よりも怖い。怖くて、怖くてたまらない。
ジュリアスの手には、花冠でなくなったシロツメクサの残骸があった。
「……ジュリアス」
アルベルティーナに呼ばれる声が、こんなにも恐ろしい日が来るなんて。
その声は頼りなく、途方に暮れた迷子のようだった。
「ごめんね、ジュリアス。苦労を掛けて」
優しい声が落ちる。謝罪する意味が分からず、のろのろと顔を上げた。
そこにいたのは、穏やかな微笑みの中に強い決意を秘めたアルベルティーナがいた。凛と前を見据え、背筋を伸ばしている。
そこにいたのは、うら若い乙女であり、立派な貴婦人だった。
もうジュリアスにあやされていた幼子ではないと突き付けられた気がした。
「貴方に、最初に言うわ」
芯の通った声は、覚悟を秘めている。
どくり、とジュリアスの鼓動が一段と強く鳴る。その胸騒ぎは、背筋から全身に広がる。
聞きたくないと思ってしまった。だが、避けられないと分かっていた。
予感であり、本能であり、必然だった。
「わたくしは、キシュタリアたちの卒業後には修道院に入ります」
それは、どんなことよりも明瞭な絶望をジュリアスに与えた。
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きっと次位でラスト……