赤い悪魔 書籍化記念SSその3
たじたじミカエリスと、パワフルジブリール。
時系列的にはセイラによる劇物事件以降、学園入学前くらい。
ドミトリアス伯爵邸の庭で、一人の少年が木剣を振っていた。
鮮やかな赤い髪に、同じように鮮やかな紅玉の様な瞳。彼の名はミカエリス・フォン・ドミトリアス――ドミトリアス伯爵家の若き当主である。
日課の鍛錬を終えたミカエリスは、メイドからタオルを受け取ると屋敷に戻っていった。
軽く汗もかいたし、湯あみまではいかずとも軽く拭き取って着替えたいところだ。
シャツが肌に張り付く感覚は、余り気持ちの良い物ではない。
「ミカエリス坊ちゃま、小包が届いております」
近づいてきた老メイド――ばあやがしもぶくれの顔をにこにことほころばせながら近づいてくる。
爵位継承をしたし、多感な思春期であることもあって坊ちゃまと言われたくはない。しかし、この老婦人にとって生まれた時から面倒を見ているミカエリスは一生『坊ちゃま』なのだろう。
未だに、父のガイアスですらガイアス坊ちゃまと呼ばれている。
「小包?」
ミカエリスは誕生日でもないし、特に祝われるようなことはない。
最近になって隆盛してきた伯爵家に近づきたい人間の下心だろうか。
困窮していた時は、落ち目だ凋落だのと周囲から人が去っていったことはまだしっかりと記憶に残っている。
それについていちいち目くじらを立てるつもりはないが、あちらが近づいてくるならばこちらだってだってそれなりに見定めさせてもらうつもりだ。
今更になって近づいてきた甘い汁を啜ろうなんていう魂胆は見え透いている。
手の平がクルックル回りまくる人間は信用できない。
そんなミカエリスの猜疑と不愉快さの入り混じる表情を読み取ったのか、ばあやはコロコロと笑う。
「そんな顔をなさらないでください、ラティッチェの姫君様からですよ」
「アルベルから?」
自分でも声が浮ついたのが分かり、思わず口を押える。
ばあやだけでなく、メイドたちすら視線も生温く微笑まし気にしている。
はっきりいって、ミカエリスの長年の片思いは周囲に筒抜けである。両親には「随分と高嶺の花に惚れたものだ」とあっけにとられていたが、一目本人を見ると唸っていた。
ドミトリアス領の、保養所が完成した時に挨拶をしたのだが二人そろって目を丸くしていた。
彼女の従僕曰く「外見攻撃力最強」の美貌は、幼いころから際立っていた。
その反面、性格はおっとりと優しい。稚さと愛らしさがちょっとしたときに見え隠れする。非常に庇護欲をそそる人で、彼女の従僕がいわく「あざとさの塊」だそうだ。
しかし、アルベルティーナの父親の溺愛ぶりはすさまじく、未だに婚約者はいない。
かつて、王太子を付けると王家からの打診を受けたがそれすら跳ね除けたという。
「なんであんなゴミをアルベルに付けなければならない。しかも第一王子の方は虚栄心の塊の王妃が義母になるんだぞ? しかもオークのような義妹までついてくる。絶対、あの二人は私の天使をいびるに違いない」
これは、ラティッチェ公爵がいつぞや言っていたぼやきだ。
ちなみに、その打診はいまだに時折来るという。
既に第一王子のルーカスにはアルマンダイン公爵令嬢のビビアンが、第二王子のレオルドにはフリングス公爵令嬢のキャスリンがそれぞれ婚約者に付いている。
恐らく、互いに譲らずと言った微妙な差しかないのでラティッチェにも粉を掛けているのだろう。
アルマンダイン、フリングスの二家はフォルトゥナ、ラティッチェと共にサンディスでも特に力を持つ四大公爵家だ。
だが、この中で一番力を持つのはラティッチェだ。
広大な領地、莫大な財産、巨大な商会、そして各方面に絶大な発言権を持つ現当主のグレイル。
アルベルティーナは王妃になってみたいと言ってしまえばいつでもなれる。
アルベルティーナのお願いを叶えることを至上の喜びとしているグレイルのことだ。微笑を浮かべて今の王妃たちを蹴落として、アルベルティーナの椅子を用意させるだろう。
夫はアルベルティーナが望んだ人間が座るだけだ。
ラウゼス国王はそれほど王座に固執していないので、グレイルの説得に応じるだろう。
色々と余計な考えまで飛んだが、はっとしたミカエリスは小包を受け取ると部屋に戻った。
テーブルの上に真っ先に小包を置き、すぐに開けたいところだがぐっと抑える。
そわそわする中できちんと着替えて体を拭いて、特に手は念入りに拭いた。アルベルティーナからの贈り物が、汚れてしまったら大変だ。
使用人に手伝わせるのも面倒で、さっさと自分で身づくろいをした。
包みを開くと、箱が出てきた。そして、リボンが掛けられていて、メッセージカードが挟まれている。
はやる気持ちを抑え、指でそっとカードを引き抜く。手を洗っておいて正解だった。
『親愛なる ミカエリスへ
貴方が以前、とても欲しがっていたものを見つけましたの。
わたくしも見てみたけれど、さっぱりね。こういうのは、ちゃんと役立てる人の目に触れさせるべきだと思いましたわ。
ミカエリスの役に立つとよいのですけれど、余り無茶はなさらないでくださいましね?
アルベルティーナ・フォン・ラティッチェ』
短いと思ったが、直接中身の内容を書いていないがあたりアルベルティーナのちょっとした悪戯心を感じた。
箱を開くと、いつも遣り取りしている赤薔薇の封蝋の押された品の良い封筒があった。
その下に、真っ白な封筒と不釣り合いなやや黄ばんだような古びた紙が見える。これが贈り物なのだろうかと持ち上げた。
「これは、古武術の……!」
大陸の各地に伝わる古武術の指南書だ。
この存在を知ったのはミカエリスの家が没落しかけた時である。当時、兄妹でラティッチェに預けられていた。
いつだったか、みなでラティッチェの書庫に読書をする本を探しに行った。ミカエリスは少年らしく英雄譚や冒険記が好きだった。
だが、ラティッチェで読んでいい蔵書はアルベルティーナ好みに誂てあるので、ミカエリスの好む類はすぐに読みつくしてしまった。それを見たアルベルティーナは、ミカエリスが好むものも入れる様に手配してくれたのだ。
使用人たちの動きは早く、手持ちの本を読み切る前に本棚がいくつか埋まるほどに、ミカエリスの読みたかったジャンルの本が増えた。
剣術教本や、槍術・弓術のものまで幅広く増やしてくれた。武器の成り立ちといった、変化球の物も入っており、行くたびに楽しみになるほどだった。
アルベルティーナは「わたくしも読みますもの」と特に気にした様子もなく――だが、少し陰惨な内容があるモノはそっとアンナやジュリアスに避けられていた。
色々読んでいくうちに、古武術の指南書のことを知り、読んでみたいとこぼしたことがあった。
他愛のない会話の内容を覚えていてくれたことに、無性に喜びを感じるミカエリス。
何とも言えない面映ゆさと歓喜に埋め尽くされ、なかなか表紙をめくることさえできない。
真贋は疑いようがなかった。
あの家の人間が、アルベルティーナに相応しくないものは触れさせないだろう。
その時、背後に気配を感じてバッと振り返るミカエリス。
すると、振り向いたすぐそばに、鼻と鼻がくっつく距離にジブリールがいた。逆光を背負っているせいで表情は見えないが、明らかに極致に振り切った顔をしているのは分かってしまった。
「お兄様、なにそれ? お姉様からのプレゼント? 私にはなかったのに、お兄様だけなんてズルいわ」
そう言いつつ、ミカエリスの頸動脈を締め落としにかかっている。
ミカエリスより細い腕が、首に回ってギシギシに締まりつつある。
こんなに嬉しくないバッグハグがあるだろうか。
「いつもは私の方がプレゼントいっぱいなのに……!」
ジブリールを溺愛するアルベルティーナは、可愛い妹分への貢ぎ癖がある。
高いものは貰えないと言ったら、ガラスで疑似ジュエリーを作り出すほどの根性すら出して貢いでくるのだ。
普段はぽやーっとしているのに、時々とんでもないところで頑張りを見せてくる。
「どーして今日はお兄様だけ!!!」
癇癪が大爆発している。ジブリールはアルベルティーナが大好きなので、他の誰かを可愛いがり優先していると猛烈に嫉妬するのだ。
それが原因でキシュタリアともバチバチ争っていることが多い。
今回は、その嫉妬が全力でミカエリスに集中砲火であった。だが、流石にミカエリスもこれは妹に譲れず吠える。
「たまにはいいだろう!」
「私も見る! 読む! 覚える!」
「淑女教育に武術は要らない!」
「だが奪う!!」
そういうが早いかジブリールはミカエリスの首をロックしたまま反り返って、そのままぶん投げようとしてきた。
しかし、体格も体重もミカエリスの方がずっと上だ。ミカエリスは同年代と比べても体格がいい方だが、ジブリールは女の子の上に華奢で小柄な方だ。リーチやウェイトの優位性を使って、踏みとどまるミカエリス。
「お前は散々貰っているだろう!?」
今回ばかりはミカエリスも譲らない。
可愛い妹からのおねだり――というには強烈過ぎて強奪行為に必死に抵抗する。
だが、凄まじい猛攻を繰り出してくるので、なかなか振り切れない。
「ふぬーーーー!」
全く手加減なしに襲い掛かってくるので、ジブリールに手荒な真似ができないミカエリスは徐々に押されていく。
このままではヘッドロックがキマって意識が落ちるのも、時間の問題だった。
それでも取られまいと指南書を片手で抱え込み、片手でジブリールを引きはがそうとするミカエリス。
もしもラティッチェの姉弟がこの光景を見たなら、アルベルティーナは目を丸くし、キシュタリアが自分の義姉妹がアルベルティーナであることに深く感謝する光景だ。
一番筋力のあるミカエリスすら圧倒するゴリ押し。魔法では一層抵抗は難しく、奪われるのは明白だった。
その時、ノックが響いた。
「失礼します、坊ちゃま。こちらにお嬢様はいらっしゃいますか?」
「うぐ……い、いるが」
「そうですか。お嬢様宛にラティッチェの姫様からお手紙と小包が届いております。お部屋に置いておきますので――ひぃ!?」
言い終わる前に爆ぜるようにドアが開いたものだから、廊下にいた従僕が驚きに仰け反った。
淑女らしからぬ足音を立てて、ジブリールが走り去っていく。
そのあっという間に小さくなる後姿を眺めながら、その逞しさと変わり身の早さにやや呆然とするミカエリス。
(うちの妹は何でいちいちあんなに強烈なんだ?)
貴族子女が気位が高くツンとしているのは珍しいことではない。
だが、ジブリールは根本的に次元が違う気がする。年々そのパワフルさに磨きがかかる。社交場においては文句のつけどころのないレディとして振舞っているので、何も言えないのだがいかんせん辛い時がある。
ミカエリスどころか、両親の窘めも耳を素通りする。
ジブリールが言うことを聞きそうなのはラティッチェの魔王か天使くらいである。
だが魔王は天使に迷惑が掛からなければ無関心だし、天使は基本ジブリール全肯定botのようなところがある。
(………昔は大人しかったのにな)
幼い頃はミカエリスの後ろをちょろちょろ歩きながら、そっと周りを窺って空気の様になっているタイプだった。
家族の前であればはしゃぐことはあったが、それほど明るい方でなかった気がする。
だが、ラティッチェ公爵邸でアルベルティーナに溺れる程の称賛と肯定の言葉の嵐を受けたジブリールは、気づいたらああなっていた。
元気のいいことは、いいことだ。
だが、兄を締め落としてまでプレゼントを奪おうとするのはダメだ。
注意しに行ったら、ちょうどプレゼントを開いていたジブリールは「分かりましたわ」と頷いたのでほっと一安心する。
上機嫌だったからか、割と素直である。
「わたくしばかりがお兄様の物を使ってはダメね。出来るものはシェアしましょう!」
「それは違う」
ニコォッとハイプレッシャー過ぎる笑みをたたえたジブリール。
その手には、ジブリールには良く似合いそうなヘッドドレスが数点あった。太めのベルトに繊細なレースとフリルがたっぷり入った帽子に近いものから、ワンポイントにコサージュが付いたシンプルなもの、ほっそりとしたカチューシャにビジューで花を模ったものまで様々だ。
いろんなドレスにカスタムできるように、コサージュや一部の装飾は着脱可能になっているようだ。パーツだけのも転がっている。
「鍛錬の時、髪が邪魔だと言っていたではありませんか! この乗馬にも使えるヘッドドレスなら、そうそうずれはしませんは!」
ガッツリと大きなリボンが付いている。
「汚したら悪いから結構だ」
「オホホホ! 遠慮なさらず、お兄様!!!」
結局、言い負かされたのはミカエリスの方だった。
後日、ジブリールのパワフル列伝をどうにか更新させないようにするにはどうしたらいいかという、切実な相談の手紙がキシュタリアに届いた。
「うわぁ、僕の妹がジブリールじゃなくてよかった」
「これはまた強烈ですね」
キシュタリアは読み終わった手紙を、ジュリアスにも渡す。さっと目を通したジュリアスも、あんまりな内容に僅かに顔を引きつらせている。
脳裏をよぎるのはあの愛らしくも強かな令嬢である。その背後に悪魔の翼と尻尾が見える気がする。
「アルベルの前ではだいぶ猫被ってるけど、本当にキツイというか、強烈な性格しているからな……」
「アルベル様が絡むと特に増しますよね」
そして、アルベルティーナが自分から関わろうなんてする人間なんて一握りにも程がある。
キシュタリアもジュリアスも、その一握りにいる自覚はあった。
少し場所が変われば、ミカエリスの位置に来るのは自分たちの可能性は大いにあるのだ。
「まあいいや。返事書くか」
「おや、何かいい案でも?」
「いや、ご愁傷様かお悔やみ申し上げます的な?」
完全に敵前逃亡で、思考を放棄している。
翌月、赤い悪魔が兄をドナドナしながら「お姉様に会いに来ましたの!」とラティッチェ公爵家を襲撃しに来ることを、二人はまだ知らない。
読んでいただきありがとうございました!
これでも二人は仲がいいのです。やんちゃな妹と寡黙な兄。
ジブリールが男だったら、三人を差し置いてアルベルをかっさらう未来が見える。
一番アクセルの緩急が激しいジブリール。戦い方は魔王公爵仕込みなので、実践向け。