協定の裏側
ヴァサゴとヴェアゾは兄弟です。
ちなみにその間にもう一人いる。
マグ・メルド達から話を聞き出したミカエリスは、表情が険しくなる。
再三であるが、本当に懲りない女である。
またあの女かという思いで辟易とすると同時に、ここでもアルベルティーナの名誉を汚すような真似をするのかと憤慨せずにはいられない。
的外れな偽善と憐憫で接してくるレナリアの奇行は知っていたが、ここでもまた厄介の種をバラまいていた。
「つまり、お前たちはレナリアの口車に乗せられたということか」
「我々は人とは違う感覚を持っているからな、下手な嘘には騙されん。
その女は、少なくとも本気でサンディスの次代の王になる娘は非常に危険だと思って忠告してきたのだ。まあ、多少は含みを感じたのは否定しない。
かといって我々だけでは砦を落とすのは難しいところだ。そこであの女が敵対していたゴユランとの橋渡しをしてくれた」
そこでいくらかの物資と、互いを攻撃しないという協定を結んだという。
レナリアは、自分がサンディス王国の住人だということすら忘れたのか。他国の人間を手引きし、国土を荒らす手助けをするなど売国奴だと謗られてもおかしくない行為である。
「あの女は、アルベルティーナという王女が非常に差別主義で獣人や亜人たちを迫害すると言っていた。王族や高位貴族以外は人間扱いされないとも。
今のラウゼス陛下の威光が届いているうちはいいが、その王太女とやらが王位を継げば我々は排斥されるだけだと……」
ミカエリスは横へと首を振る。アルベルティーナは人見知りであるが、選民主義的ではない。
むしろ、身分や種族に対する偏見や差別は少ない方だと思う。
ジュリアスやアンナ、レイヴンといった重用していた使用人の傾向からして、非常に優秀で忠誠心があり、自分と相性の良い人間を好んでいる傾向がある。
アンナは下級貴族だったと聞くが、ジュリアスとレイヴンは平民以下の身分の出身だと察している。明言はしていなくとも、ふとした会話の隙間からそういった気配を感じるのだ。
上流階級の中には、使用人すらも貴族出身で拘る人間もいるし、アルベルティーナの立場であれば、願えば容易にそういったことも叶う。だが、アルベルティーナの重要視するものは、出自ではないのは確かだ。
「……彼女は非常に温厚だし、余程道理に悖らぬ限りは攻撃的にならない。恐らく、亜人や獣人も特別嫌ってはいない。言っておくが、彼女の側近は平民や異民族の出身だって少なからずいる」
「それはアンタが好い男で、貴族だからじゃないか?」
色眼鏡が付いているのではないか。
ヴァサゴはそう揶揄うように笑うが、溜息交じりのミカエリス。
「幼馴染としての好意は持たれているが、あいにくそれよりは踏み込めていない。
俺は幼いころ彼女のドレスに吐いたことがある。公爵閣下には殺されそうだったが、彼女には体調を労わられた」
実体験だ。人生最大の汚点の一つと言える失態だが、それでアルベルティーナの悪いイメージが少しでも薄れるなら、と暴露した。
未だに色々な意味で印象が強すぎる失敗だ。同時に、ミカエリスの想いの決定打になった事件でもある。
「ドレス!? アレだろ、ひらひらキラキラしたクッソ高い女の服だろう!? お袋でも親父がエプロンにゲロを吐いたら顔面が変わるくらいボッコボコにするぞ!?」
「安心しろ。私の妹も同じことをする」
もし、ジブリールならそうすると断言出来る。特にアルベルティーナから贈られたドレスを汚そうものなら怒り狂って拳を振り上げてくるだろう。
ジブリールは容赦なく、小さな拳に極大の身体強化を掛けた力で襲い掛かってくる。
ヴァサゴのボッコボコという表現がやけに力強かったし、恐らく彼の母親の怒りの腕っぷしは相当なものなのだろう。
お転婆なレディやマダムは結構世の中に多いようだ。
「当時の私は、落ちぶれた貧乏伯爵子息だ。そして、その頃の王太女殿下は王家との養子縁組前ではあったが、それでも国随一の勢力を持つ大貴族の愛娘。同じ貴族でも宝石と石ころ程立場が違う。
父の病状が思わしくない時、家督を乗っ取ろうとした叔父夫婦が来ていた。それを助けてくれたのはラティッチェ公爵閣下だ」
立場は雲泥の差だ。
自分は父親に好きにしろと渡された玩具などとありのままを口にしたら、アルベルティーナのイメージが悪くなりそうなので黙る。
アルベルティーナは急に現れたミカエリスたちにびっくりはしていたが、歓迎してくれた。
全てはグレイルの、そしてアルベルティーナの胸三寸で処遇が決まる状態だった。
「……恩人なんだな、そいつは済まなかった」
で、とにんまりと表情を変えたヴァサゴ。
捕虜になっているのに、実に楽しげである。その豪胆さは不謹慎さと紙一重である。
「どえらい別嬪さんとも聞いたが、そこんところも嘘か?」
「それは事実だ」
即答するミカエリス。そして、一度でもアルベルティーナの姿を見たことある人々は頷く。
実物を見たことがなくとも、絶世の美姫と名高いシスティーナやクリスティーナの顔を知るものは多い。特にシスティーナの肖像画は、こっそりと持っている親世代や祖父世代が多いし、騎士の憧れの姫君でもある。
ミカエリスは今まで生きてきて、アルベルティーナほど美しい女性は出会ったことがない。
恋の欲目を差し引いても、傾国の美貌の持ち主だ。
お陰で強引に言い寄る虫がつかないか心配で仕方がない。
「お前たちは、レナリアと連絡はとれるか?」
「無理だな。少し前までは手紙や一方的な連絡が来ていたが、レナリアとかいう女は俺たちを見下していやがる。
口では憐れんでいるが、俺たちを小汚い獣の集団としか見ていないだろう。ゴユランと同じ穴の狢だ。
善人ぶった胸糞悪い女だったが……」
ヴァサゴが言い淀む言葉を引き取って続けたのは、ミカエリスだった。
あっさりとミカエリスに投降したのも、追い詰められただけ今の状況もあるが、もともとレナリアに気がかりがあったのだろう。
「言葉に嘘は感じなかった?」
「そうだ。じゃなきゃ、こんな危ない橋を渡らない。サンディスにすら居場所がなくなったら、俺たちはまた奴隷狩りに遭うしかなくなる」
窮鼠だったヴァサゴたちは、蜂起したのだろう。
今ならば、混乱に乗じて住める場所が手に入るかもしれないと。
ヴァサゴが率いる者の大半は女子供、老人、怪我人といった弱者たち。一人で生き抜くのが難しい同胞を守るために、彼は剣を振るう覚悟をしたのだ。
だが、仇敵であるゴユランと手を組んでも、砦を落とすのは難しく焦っていたのだろう。
キシュタリアの攻撃により、何とか纏まっていた集団にひびが入った。
一人なら生きていけると踏んだ強者は行方をくらましたなか、ヴァサゴは残った。
「……そのお姫様は、俺らが生きていける場所を守ってくれるか?」
「優しい人だ。愛情深く、慎ましい幸福すら奪われた可哀想な人だ。お前たちの境遇に追い打ちをかけるようなことはしないだろう」
少なくとも、ミカエリスの知るアルベルティーナはそういう人だ。
家族を思う気持ちは人一倍強いし、弱者や目下の者に対する慈しみを持っている。
ヴァサゴたちの境遇を知れば、そこいらにいる貴族よりよほど親身になって考えてくれるだろう。
「だが、俺たちは無罪放免とはいかんだろう」
「全てを無くすことは不可能だ。だが、減刑や酌量の余地を与えることは可能だ――何せ、レナリアは稀代の悪女だ。
数多の王侯貴族を貶め謀った女に、今更罪状が一つ増えたところで変わるまい」
清廉潔白と思われやすいミカエリス。だが貴族社会でもまれ続けた伯爵でもある。清濁を併せのむし、時には少々オイタだってするのだ。
読んでいただきありがとうございました。
次回は久々にあの人登場。