ジュリアスの憂慮3
ジュリアスは結構ゲスイ。だがそれがいいと思っています。
ジュリアスも殺気に満ちたアンナに襲われるのには慣れている。
それにアンナよりはるかに恐ろしい存在を知っている。この程度でいちいち慄いていたら魔王閣下の娘であるアルベルティーナに懸想などできない。
多少驚きはするが、立て直すのも早いジュリアス。しれっとした様子で説明を始める。
「キシュタリア様とミカエリス様が遠征しているなか、邪魔者がいないとヴァンが来る可能性がありますからね。
私が露骨に隣に居れば、嫉妬交じりのやっかみが全て私に向くでしょう。表立ってアルベル様に近づけない分、余計にね」
ヴァンとオーエンはフォルトゥナ公爵家に睨まれ、謹慎と接見禁止が言い渡されている。
はっきり言って墓穴を掘り進めているし、アルベルティーナがヴァンを王配に(嫌々)推したとしても素行が悪すぎて却下されるだろう。周りを黙らせるような勢力や莫大な資産があればまだいいが、落ちぶれた侯爵家ではあるはずもない。
やることなすことアルベルティーナにおんぶにだっこで世話をしてもらうつもりだろう。
(アルベルティーナ様はまだ意向を伝えていないだろうな。正直、悪評も絶えず落ちぶれた今ならタイミング的に良い)
もとより大した家ではなかったが、腐っても侯爵家だ。
今も十分だが、まだ喪が明けるまでの時間があることを考えれば入念に叩き潰しておくべきだ。
弱っているところを畳に掛ける競合相手は多いだろう。ジュリアスの手を汚すことなく潰し合わせればいい。
燻っている連中の矛先を向けさせるのは容易いだろう。
今まで傲慢な口先だけの態度が鼻についていたところも多いはずだ。
特に爵位は同格の侯爵や、一つ下の伯爵の家にはかなり強気にあたっていた。
(少し……あと一押し煽っておくべきか。恐らく、奴らの縋れるのはアルベル様のみ。
最終的には脅すようにして金銭的、もしくは重要なポストを寄越せと騒いでくるだろう)
ならば、最後の縋った藁を毒に浸しておくべきだ。
(……気乗りはしないが、アルベル様にも一枚かませるか。人を陥れるなんてしたことのない方だが、普段は大らかなのに時折妙に頑固なところがある。
知らぬところで手を汚されるくらいなら、俺が泥まみれになった方がましだ。
それにアルベル様が何も知らないで巻き込まれたら、また心労が増すのは避けられない。
俺の影がちらついたらマクシミリアン侯爵家はともかくその裏に誰かがいたら待ったをかける可能性がある)
アルベルティーナは汚れ役も辞さない覚悟だろうが、ジュリアスはそれを望まない。
もし倒れても転んでも、泥もつかず痛くもない場所で転んで欲しい。
もう十分傷ついた。欲しくもない荷物ばかり押し付けられてしまったのが哀れだった。
自分の手で拒否することも捨てることもかなわず、強引に縛り付けられた荷である。
不憫で、哀れで、愛おしかった。
泣いても歯を食いしばって前を向く気高さが悲しかった。
ジュリアスは凶手の真似事をしてでも、アルベルティーナを守る覚悟があった。
戦闘スタイルはもともとそちら側だ。ジュリアスの戦い方はサポートもできるが、本来の戦い方は暗殺者に近い。騎士のように真っ向から戦うより、相手の癖や隙をついて仕留めるのが得意だった。
護衛としての技術を叩きこまれたとき戦い方より殺し方を教わった。
もともと、汚れ役をするために付けられた従僕という立場。
都合が悪くなれば、使えなくなれば汚泥に沈む日陰の存在。それを日向に手を引いてくれたのはアルベルティーナだった。
やろうと思えば、今晩にでもヴァンやオーエンの寝酒に毒薬を垂らすこともできる。
マクシミリアン家は使用人の給金もろくに払われておらず、やる気がない。警備も杜撰だ。
だが、これは最終手段だ。
奴らの罪を明るみに出して協力者をあぶりださなくてはならない。
ラティッチェ公爵家から盗み出すにしても、国葬されたグレイルの遺品を盗むにしてもマクシミリアン侯爵家のみで成すのは不可能。
トカゲの尾だけ掴んでも意味がない。本体を引きずり出さねばならない。
マクシミリアン侯爵家では前哨戦にすらならないのだから。
まとめて地獄に叩きこんでやる。
思考がどっぷりと暗く沈みかけた時、くんと何かが引っ張られた。
「……お嬢様ぁ……」
アンナが何とも悲劇的な声を上げた。
余程嫌だったのか、呼び方がお嬢様に戻っている。
視線を巡らせればすやすやと眠りこけた姫君はジュリアスの上着を掴んでいた。
例の小悪魔めいた癖が発動していた。
「おやおや」
「なんでこんな性悪の服なんて掴んでいるんですか……」
「待て、待て、アンナ。なんでそんなデカい裁ち鋏がでてくる? 上着を切るならともかく、なんで俺を狙う」
「死ねばいいのに……なんでこんな男がお嬢様と。ああ、でもここで殺したらお嬢様に返り血が……」
ぶつぶつと不穏な発言をするアンナはジュリアスとアルベルティーナが親しくなるのが嫌らしい。昔からそうである。
知ってはいたが最近は飛びぬけに殺意が高い。忠義に厚過ぎてヤンデレメイドになっている。
ジュリアスもアンナの忠心は知っている。この侍女はアルベルティーナの為なら心中も殺人も辞さない。
ある意味泥沼劇場が開幕しそうになっていた時、劈くような悲鳴が上がった。
「ぴぎゃああああああ!」
「「……この声は」」
謀らずしもアンナとジュリアスの声が被る。互いに一瞬嫌な顔となった。
「……チャッピーですわね。どうしたのかしら?」
ドングリトカゲの絶叫にぱちりと目を開いたアルベルティーナは、こしこしと軽く目をこすって頭を上げた。緩慢な動きで周囲を見渡す。アンナはさっと構えていた鋏を隠した。
ジュリアスにかかっていた暖かく柔らかい重みが消える。
とてとてと少し不安定な足取りで「どうしたの、チャッピー?」と声の方向へと歩いていく。まだ頭は半分寝ているのだろう。動きが全体的にゆらゆらしている。その間も「ぴゃあああああっぴゃ……ぴゃぎゃっ」と悲鳴は続行中である。
結論から言えば、チャッピーは湯船でおぼれていた。
アンナが柑橘とハーブの甘い香りのする入浴剤を入れて用意をしていたので、その匂いに釣られて覗き込んでいたようだ。しかし、浴槽に足を滑らせてそのまま落下。
人間サイズの浴槽の深さは小型犬とどっこいとのチャッピーには深すぎた。足がついても、深い場所の水面は顔よりはるか上なのだ。しかも浴槽の壁はよく掃除が行き届いており、ツルツルしていた。
しかも、あっぷあっぷと溺れて浮いては沈むチャッピーを面白がってハニーが桶で頭を叩いていた。
あの悲鳴は命乞いでもあったのだ。
その後、色々な意味ですっかり邪魔をされたジュリアスは無言でチャッピーを踏みつけ、アルベルティーナに叱られることとなり話し合いをするどころでなくなった。
ちなみにヴァユの離宮でチャッピーの悲鳴が響き渡るのは珍しくないことだ。
大抵がおやつ窃盗やぬいぐるみカミカミ容疑によるアンナからの懲罰、ハニーによる意地悪に号泣、もしくは持ち前のドジっぷりを発揮してどこからか転がり落ちたりぶつかったりしたことによるものなのでスルーされている。
大抵がアルベルティーナに優しく宥められてぴやぴやぐずりながら甘えて泣き止む。
その後ジュリアスがフォルトゥナ一族ともに連泊すると、予想通りの展開が待っていた。
急接近する二人に危機感を抱いたのかマクシミリアン侯爵家からのいちゃもんと金銭請求だ。
しかもジュリアスがいたときにその手紙が着いたものだから、まるっと読まれた。
余りに予想通りの展開にジュリアスは鼻で笑った。
それは酷くシニカルで加虐的な笑みで、次にアルベルティーナへ振り返った時はすぐになくなっていた。
だが、確実にジュリアスの怒りのポイントをぶち抜いたのは言うまでもない。
読んでいただきありがとうございました。