毒蛇と大熊の協定1
ある意味似た者同士と調停者。
養子縁組の話についてということでフォルトゥナ伯爵クリフトフから一度話し合いの席を設けたいと打診があった。
アルベルティーナの許可を得て、ヴァユの離宮で行うこととなった。
ちょうどクリフトフとジュリアスは、アルベルティーナの持ちかけていた事業もあり不自然ではない。ヴァユの離宮であれば警備もできている。王城の中でもかなり厳しい方だし、フォルトゥナの使用人や私兵が多くいる。部外者を排除しやすく情報漏洩の可能性もぐっと減る。
定刻となり彼らはやってきた。トレードマークのカイゼル髭をやや気まずげに撫でるクリフトフの後ろに、大柄の影がぬっと出てきた。
やはり出てきたな、とジュリアスは内心ほくそ笑む。
未だに恐怖心が残るのか、ジュリアスの腕に縋り付く力がほんのわずかに強くなる。
アルベルティーナがジュリアスに傍にいて欲しい時の幼い頃からの癖である。
妙齢の女性にしては幼い仕草だが、非常に庇護欲をそそる。
そして、アルベルティーナに必要とされているという実感が、ジュリアスの仄暗い優越感をくすぐる。
少し強張った顔でフォルトゥナ公爵を見るアルベルティーナ。それを見て、ただでさえ厳めしい顔を憮然とさせるフォルトゥナ公爵。それがさらにアルベルティーナを委縮させ、神経を逆なでさせるという悪循環。
「これはフォルトゥナ公爵。本日は国境沿いの紛争における軍議があったとお聞きしますが、何故こちらに?」
挨拶抜きでいきなり核心を突くジュリアス。
隙の無い笑みではあるが、この場に置いてジュリアスはもっとも立場が低い。
発言権も最も後になるはずであり、この場で口を開くのは得策ではない。だが、ジュリアスがそこまで強気に出られる理由は彼のすぐそばにあった。
アルベルティーナがぎこちなくフォルトゥナ公爵を睨んでいるからだ。
ジュリアスの言葉が皮切りになったのか、きゅっと顔を厳しくさせて顎を引いて顔を上げる。
今まで、顔を合わせるのも姿を見るのも怯えた印象が多かったこともあり、クリフトフはなんだか妙な感動を覚えた。
忌避といっていい程に顔を合わせたがらない孫娘。その彼女が自分からこんなにも長く視線を合わせてくることはガンダルフにとっても稀な出来事だ。見れば見るほど、今は亡き愛妻や愛娘の面影に視線が吸い寄せられているのがはた目にも良く分かった。
睨んでいるような眼光がかすかに潤んで見えるのは流石に気のせいか、とジュリアスは思い直した。
だが、この時点でジュリアスは自分の勝利を確信していた。
クリフトフと比べればわかりにくいが、この男も大概だ。
「フォルトゥナの末席に付きたいのだろう。
それならば、クリフトフより当主の私の養子となった方がよほど有利だ。
確かにクリフトフは次期公爵だが、まだ爵位は伯爵。伯爵より公爵のほうがよほど響きがいい。
あの頭の固い連中も、フォルトゥナ公爵家の名を持ってすれば黙るだろう」
「それはありがたいことです。新興貴族でありラティッチェ公爵家の使用人であった私を迎え入れていただけるとはなんという僥倖でしょう……恐悦至極でございます」
「ふん、白々しい。忌々しいが、お前の能力は買っている。
それくらい小賢しくないと困るからな……もし貴様が役立たずの男であり、アルベルティーナを裏切りでもしたら地獄の果てまで追いつめて縊り殺してくれる」
「その様な事を仰らないでください、フォルトゥナ公。私の心は姫君と共に、そして命は姫君の為にあります。裏切りなどしませんよ」
「口ではどうとでもいえよう――だが、貴様が我が孫の信頼を得ているのは事実だ。
貴様の働き次第では、私の持っている他の爵位を与えてやっていい。精々、しくじらんことだ」
優美だがどこか冷ややかに微笑むジュリアスに対し、丸太のような腕を組んで睥睨するフォルトゥナ公爵。
静かだが、空気が軋みを上げて粉々に割れてしまいそうな緊張感がある。
クリフトフの目にはそれぞれの背後に巨岩の様な羆が歯をむき出しにしている姿と、ほっそりとしながらも猛毒を持った蛇が鎌首をもたげてゆらゆらしている姿が想像できた。
どっちがどっちなんて御察しだ。
そんな中で口を開いたのはむすっとした表情を隠そうともしないアルベルティーナ。
「口喧嘩をしたいだけなら、後でお二人きりでなさってくださる? 養子縁組の話もそうですけれど、事業の話を進めたくありますの。
いがみ合うより、協力していただきたいですわ。判っておりまして?」
つんとしたアルベルティーナがお澄まししたように言う。
いつもより早口で刺々しいが、大熊と毒蛇の空気も凍える会話の前だと産毛のような柔らかさである。
アルベルティーナの言葉はもっともだ。この席にやってきたのは、協力関係を結ぶ気があるからである。
尤もな指摘にちょっと気まずそうにしたフォルトゥナ公爵とジュリアスは、そうっと互いに視線をずらしてすごすご引き下がる。
水と油と思った二人だが、案外似た者同士なのかもしれない。
いい加減にしてくれと訴えていたクリフトフの圧などものともしなかった二人が、アルベルティーナの一言でお利口になった。
その後、アルベルティーナに叱られたのがよほど堪えたのか妙にしおらしくシュンとした二人は大人しく養子縁組のサインをして、事業の話を進めていた。
クリフトフは思う。
もしグレイルが生きていたとしたらアルベルティーナにならば、ガンダルフとグレイルすら大人しくさせられるかもしれないと。
アルベルティーナが同じ席に居れば優雅な茶会すらできる日もあったかもしれない。
システィーナやクリスティーナが望んでいた、もう叶わぬ和解である。
アルベルティーナはそんな二人を見て優雅に紅茶を啜っている。
(変わったな)
なにがと言われれば分からない。
でも、養子縁組と病院事業の話を持ち出した辺りからアルベルティーナは変わった。
ずっと、地に足を付けようとも付けられずにふらふらとしている印象だった。
つま先が下りるのが薄氷の上か、はたまた針の筵かが分からない状態でもあったから仕方がないかもしれない。
童話の『弱いお姫様』を絵に描いたようだった姪が、個の人間のように存在感を持っている。今までになかった覇気のようなものを感じるのだ。
クリフトフは忘れていた。
アルベルティーナは『あの』グレイルの娘だ。
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