九話
「はい、分かっております。わたしもお師様や炬様に『弟子』として一括りにされたら、きっと複雑ですから」
「……やはりそなたは理殿と炬殿なのだな」
「あ!」
ついさっき失敗したばかりなのに、またやってしまった。
焦った表情で口を押さえるすずなに、幸継は苦笑して首を横に振る。
「いや、当然だ。冗談、だよ」
「……ありがとうございます」
多分、少し傷付いたのは本当で、でも冗談にしてくれたのだ。
嫉妬から生じた気まずさを自ら刈り取るように、幸継は務めて何気ない様子で話を続ける。
「しかし弟子として一括りに、とは? ここにはそなたしかいないように見えるが、出掛けているのか?」
「いいえ。わたしの前に二人いたのですが、今は独り立ちをしています。きっといずこかで薬師として、人々の助けとなっておりましょう」
「そうなのか。それが理殿の見出した己の道なのだな。――そなたもいずれそうするのか?」
「わたしは半人前の身ですので、まだ何とも決めておりません。お師様のような薬師となるのが目標ではございますが」
「――?」
すずなの答えに幸継は眉を寄せた。訝るその表情に、つぅと背中に汗が伝う。
「理殿を目標として、しかし決めていないとはどういう意味だ? そもそも、そなたはなぜ薬師を志したのだ?」
大概の人間は聞き流す部分を、しかし幸継は見逃してくれなかった。これが人心を掌握する武将の技か、とすずなは内心で感嘆する。
理のようになりたいのなら、そのまま彼の後を追えばいいのだ。しかしすずなは自分の道を聞かれたときに、決めていないと答えた。
総合性の取れた適当な嘘を付けないのは、すずなが嘘をつくことへの呵責を抱いているからだ。
「……わたしは」
その答えを口にしたくない。けれど答えられないことこそが答えで、すずなは詰まる。
「――御柴殿」
「!」
絶妙の間で横合いから声がかけられた。水を差した理は、いつも通りの穏やかな雰囲気で二人に歩み寄ってくる。
その理へ、幸継は酷く驚いた顔をした。
「そろそろお戻りください。これ以上は傷に障りますから」
「あ、すみません。長々と話し込んでしまって」
理の表情に咎めるものはないが、『少しの息抜き』には大分長かったように思う。幸継との会話が快かったので、ついつい切り上げどきを見失ってしまっていた。
しかし最後の瞬間に限って言えば。
(助かった……と思ってしまった)
理のようになりたい気持ちに嘘はない。僅かでも彼の助けになれれれば、それは誇らしく感じるだろう。
しかしできないかもしれない自分をすずなは知っている。それを恐れているから、すずなは理の道を追うと断言できない。
自分で自分の弱さがもどかしい。けれど吹っ切れない。すずなは理ほど世を愛せていないのだ。
(わたしが、未熟だから)
今はまだ、その言葉に逃げていたい。
「楽しかったのでつい、私が話を切らなかったのだ。二人には面倒をかけてしまったな」
「面倒などとんでもない。わたしも、大変楽しい時間を過ごさせていただきました」
最後は少し気まずかったが、けれど実は、嬉しくもあった。
幸継はすずなの言葉の綻びに気が付いてくれたから。
気付かれない方が心情的には穏やかだが、気付くぐらいに真剣に聞いてくれていたのが嬉しかった。何とも天邪鬼だ。
「しかし、理殿。そなたは本当に薬師か? 気配の断ち方が完璧すぎる」
「これは異なことを。私にそんな悪趣味はありませんよ」
「だが……」
「周りが見えなくなるほど、すずなとの会話が弾みましたか?」
「!?」
微笑ましそうに指摘されて、幸継はぎょっと目を見開く。
「ま、まさか! 私がそこまで、そのような――」
かあと顔に血を上らせ、幸継はすずなへと僅かに首を巡らせる。今の自分の顔を見られたくはない、しかしすずなの反応が気になって仕方がない、という様子で。
「幸継様は、周りが疎かになることがないのですか? 素晴らしいです、羨ましい……。わたしは一つのことに意識が向くと、つい気が回らなくなってしまうのです」
大名家の当主ともなると違うのだな――と、すずなはごく単純に感動した。
「でも、そんな幸継様がうっかりされるほど楽しく感じてくださっていたのは、本当に嬉しいです」
「う……。あ、あぁ」
一点の曇りもないすずなの笑顔を前に、幸継はしどろもどろになりつつ、うなずく。
「さて。では戻りましょうか、御柴殿」
「あ、待ってください、お師様」
幸継がいて理がいる丁度いい状況に、すずなはぽんと手を打った。理に頼んでおくべきことがある。
「どうしましたか?」
「幸継様は、お名前で呼ばれることをお望みです」
すずなは幸継が認めた相手が自分一人だとは解釈しなかった。彼は身分に関係なく、一人一人を個人として扱ってくれているのだと。
間違ってはいない。しかし名を呼ぶことをすずなに求めた心情とは若干ずれている。
が、すずなはそうと気付かない。
「!!」
まさかそんな提案をされると思っていなかった幸継の方が、大いに焦る。そのせいですずなを特別に感じた己の感情を、一瞬で自覚させられる羽目になった。
「お家の名前ではなく、幸継様ご自身の――」
「ま、待て! すずな殿! それ以上はいい!!」
「おやおや」
必死の制止に首を傾げるすずなと、赤面する幸継と。
二人を交互に見やった理は、幸継へと声を掛けた。
「どうしましょうか?」
「好きにしてくれ……」
酷く疲れた様子で、投げやりな答えを返す。
「では、すずなの純真さがこれ以上貴方を苛まぬよう、私も幸継殿とお呼びしますね」
「……ああ」
がっくりと肩を落とした幸継は、休む場を求めて庵へ戻っていく。
「すずな、そちらが終わったら貴女も中へ。手伝ってもらいたいことがあるのです」
「はい、お師様!」
元気よく返事をして、すずなは再び薬草たちと向き合う。
――今日も平和だ。
何よりもそれが大切であることを、すずなは充分に知っていた。
その日の夕食は豪勢だった。狩りに出ていた炬が猪を仕留めた恩恵である。
「ありがたい。腹の底から力が湧いてくるようだ」
「一つの命が、汝れの命となったのだから、当然だ」
「そうだな」
「他所の命を糧とする傲慢を忘れるな。猪は汝れに食べられるために生きていたのではない。汝れは汝れが生きるために命を奪った。ならば、命を負う覚悟をせよ」
「……承知している」
炬の言葉は猪だけを指してのものではない。世の仕組みそのものを言っている。
「ならば、よい」
「まったく……。心身を癒している最中の怪我人に、わざわざ説法を語ることはないでしょう」
「命を食らっている瞬間にさえ隣の命に敬意を忘れるような外道であれば、命を継ぐ資格などなし」
いついかなる時であろうとも、それこそ炬は揺らがない。己の信念を裏切ることもしない。
炬の言い様はやや過激だが、膳を見つめた幸継は一つ深々とうなずいた。
「誰によって、何によって生活が維持されているか、私が直接見る機会は少ない。朝、目覚めて食事が用意されていることは当然ではないと、私は理解しているつもりで忘れていたのかもしれない。炬殿、感謝する」
「人の言を聞き、姿勢を正せるは美徳。その心構えのまま、精進せよ」
「心に留めておこう」
「ああもう、まったく。そこまで」
ぱん、と手を打ち、妙に堅苦しくなった空気を理が払拭する。
「何のために今日の食事を豪勢にしたか、忘れたのですか? 幸継殿の傷が塞がったお祝いですよ? 祝いの席で主役に説教とは、これいかに」
「む」
「いや、理殿。こうして命を繋いだ後だからこそ、初心に帰るのによき時だと思う」
生真面目な様子で幸継が言えば、理もそれ以上何も言えない。しかも本心で真剣だから尚更だ。
何事にも真剣に向き合う幸継の姿勢を、すずなは好ましく感じている。
幸継はすずなに肩書を見ないと言ったが、幸継も同じだ。どこの誰とも知れぬ三人の言葉の内容を、きちんと聞いてくれている。