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七話

「そう、でしょうか。そうであるならば、本当に美しいのはお師様と炬様です。わたしはお二人のようになりたいと志しているだけですから」

「ならばその心を身に宿したそなたも、もう美しいのだ」


 少なくとも幸継がそれを感じたのは、目の前の少女からだ。彼女が誰を師と仰いでそうしているかなど、関係ない。


「すずな殿。唐突で不躾であるのを承知で、そなたに頼みがある」

「どのようなことでしょうか」

「私と共に、啓十に来てくれないか。そなたの技とその心、御柴にとって尊き宝となってくれるだろう」

「――」


 すずなは驚いた様子で表情を固まらせた。


「……ええと、失礼ながら、啓十はそんなにも薬師が不足しているのですか?」


 幸継は知らないことだが、すずなは影秋からも勧誘されている。手が足りていないのかと考えるのも無理はない。


「不足はしていないが、余るほどもいない。それに有能な識者を招きたいと思うのは、誰しも同じだと思うが」

「わたしはまだ修行中の身です。すでに技を修めた方が充分いらっしゃる中で、わたしができることなどありませんし、してはならないとも思います。患者様は、わたしの練習台ではないのですから」


 すずなの言い分は正論だった。幸継とて、御柴に仕えてくれている薬師の皆に不満があるわけではない。

 それでもなぜか、すずなに共に来てほしかった。


 そこで『なぜか』で済ませるのは、幸継の性に合わない。彼女でなくてはならない、彼女を欲した理由を思索する。

 そして、気付いた。


(……ただ、私が嬉しかったからか)


 何ということはない。自分を想って、欲しい言葉をくれた人だから。それだけだ。

 そしてそれは、とても重要なことだった。


「私がそなたの心を必要としている、と言っても駄目だろうか」


 すずなが薬師として真摯であると知っての、少々卑怯な誘い方をしてみる。弱気を口にして義務感をくすぐってみた。

 しかしすずなからは、爽やかな笑顔を返されてしまう。


「ならば大丈夫です。御柴様はもう、とても強い瞳をしていらっしゃいます」

「……ははっ」


 駄目だった。安い情で己の力の振るい所を間違える人ではないらしい。


 降参の気持ちで幸継は笑う。確かに、わだかまっていたうつうつとした気持ちはもう吹っ切れている。どころか、今胸にあるのは清々しい爽快さと新たなやる気だ。


(そう、このような誠実な女性に搦め手など相応しくもなかったな)


 すずなは誠意で癒してくれた。その力が欲しいなら、幸継もすずなに対し誠実であるべきだった。


「其方は本当に、賢女だな」

「ありがとうございます」

「……だが、どうしても駄目だろうか? 救われた私だからこそ、そなたの力を欲してしまう」

「申し訳ございません」


 丁重に、しかし微塵の揺らぎもなくすずなは遠慮を口にする。その意志の硬さを覆す誘いが、幸継にはもう思いつかなかった。


「一つ、教えてはもらえないか。そなたは何のために薬師をしている?」


 材料を本人から引き出そうとは中々滑稽だが、すずなの周りの人物からは、彼女以上に情報が得られそうにない。こそこそ探るよりも、ここは腹を割るべきと判断した。


「おこがましい答えとなるかもしれませんが、本心をお答えいたします。――人を、救うために志してございます」


 一方のすずなは幸継の問いをさほど気に留めずにそう答える。

 薬師として、実に理想的な志であった。だが幸継は首を捻る。腑に落ちなかったのだ。


「ならばなぜこのような人里離れた地で薬師を営む? そなたの救いを待つ人は、町にこそ多くいよう」


 引き抜き材料としてというよりも、単純な疑問として投げかける。そして続くすずなの回答で打ちのめされた。


「町では、薬師は商売でございますから」

「!」


 すずなの口調は責めていない。ただ現実を語ったもの。

 それでも為政者である幸継に衝撃を与えるのに充分であった。


「三人で暮らしていくだけなら、山も川も、充分な恵みを与えてくれます。このような時世ですから、臨時の戦働きの口も絶えることがございません。まあ、わたしたちは税を払わぬ無法者ではありますので、御柴様が取り締まるおつもりでしたら別所に逃げますが」


 すずなたちの生活は、実に元始的なものだった。金銭を必要としない暮らしである。


 土地に住んだものには、その土地を支配する大名に税を納める義務が生じるが、すずなたちはそれを放棄していた。大名もここに三人ばかりの人間が住んでいるなど知りもすまい。


 義務は放棄しているが、その分権利――大名に護ってもらうことも求めていない。貴族や武士が民を護るなど始めから期待していないすずなからすれば、彼らはただ搾取していく野盗と同義である。そして存在を知られていない段階で名乗り出るほど、野盗を敬ってもいなかった。


 危うい無法者の暮らしだが、それを受け入れられてしまうぐらい、すずなは朝廷にも幕府にも個々の大名にも絶望している。

 だがそれは町の仕組みから外れたすずなたちだけの、勝手な思想でしかない。


「わたしたちは薬を売らなくても困りません。必要とされる方がいるなら、差し上げたいと思います。けれど、町で薬を売っている方にとって、技術は生活の糧です」


 町で暮らす人には、彼らのための平和を維持する仕組みがある。

 町は完全なる分業制。品物に価値を定め、金銭によってやり取りをする。その方が効率的だし、豊かさを求めるなら正しい。


 だからこそ、歪みも生じる。


 値の付いた品物を無償で配られたら、その品を扱っている者が困る。そして金銭がなければ品物を贖うことができない。


 嗜好品なら諦めるべきと納得できる。それはまだ己には不相応な品なのだと。

 けれど命に関わるものであれば、諦めろと突きつけるのはあまりに酷だ。

 行き届かない先にあるのは『死』のみ。そしてすずなが仮定の話をしているわけではないことぐらい、幸継も知っている。


「ここに足を運ばれるのは、町で薬師にかかれない方々です」


 大っぴらに宣伝しているわけではないが、どこからか噂を聞きつけた人々が、最後の希望と縋る思いでやって来るのだ。


「ご本人が来られない場合には、伺うこともございます」


 流れの薬師に救われたと聞いても、懐に余裕のある者はそんな怪しい話に飛びつかない。そのため経済活動に支障をきたさずやれている。


「……そうか」

「はい」


 今まで、そういうものだと思って来た。しかし幸継は今日初めて、当然の仕組みに疑問を持った。

 当然にしてはならないのだと、気付かされたと言うべきか。


「そなたには、目を覚まされてばかりだな」

「何かいたしましたでしょうか?」

「……いいや。何でもない」


 すずなには特別なことをした意識がない。彼女にとって、その考えこそが常識であるからだ。


「そういうことですので、申し訳ありませんがお断りいたします」

「そうだな。そなたを招くのは諦めよう。啓十も理想と呼ぶにはまだまだ程遠い地、ということか」


 すずなの言う通り、貧富の差は壁となる。どのような物事においても変わらない。


「一つ、明確な姿が見えたな。感謝する」

「未来に描く思いがあるのでしたら、今はしっかり養生してくださいね?」

「そうしよう」


 すっきりとした気持ちで、素直にうなずくことができた。


 ――これが自分の意思だと、はっきり自覚できる物事を得たのはいつ以来だろうか。


(戻ったら、皆とゆっくり話していこう)


 焦る必要はない。幸継は家臣団を信じていたし、きっと向こうも同じ。変化した立場と状況に合わせ、また改めて距離を作って行けばいい。


 それだけのことだったのだ。

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