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五話

「さて。それでは失礼」


 一応断りつつ、ためらいのない早さで理は幸継の上衣を肌蹴させる。本人が無茶をしたから、具合が心配だったのだろう。


「!? いや、待っ」


 焦って声を上げた幸継が目を向けたのは、すずなへだ。礼儀を叩き込まれて育った高貴な家の男子として、女性への配慮を考えるのは自然だったろう。


 しかし当のすずなは昨夜見るどころか触れてもいるし、そもそも治療に必要な過程において、肌を見ることにも問題を感じない。


 平然と見守っていたすずなは、幸継の視線の意味を解さなかった。不思議そうに首を傾げる始末である。もちろん目線を外しもしない。

 いっそ幸継の方が赤面し、絶句する。


「どうしましたか? 何か不都合でも?」


 患者のうろたえように、理は一旦手を止めて訊ねた。


「いや、どうもこうも女性が……ッ。このようなもの、女性に見せるべきものでは……」


 傷も裸身も、両方とも。

 幸継の感性は間違っていない。だがここでは通じなかった。


「ああ、問題はありません。すずなは薬師です。慣れていますから」


 幸継が危惧をした両方ともだ。


「――っ」


 すずなは幸継にもはっきりとそう名乗っている。

 理解はしても、感情は追いつかない。言葉を失い硬直した幸継に構わず、理は経過を確認する。


「特に悪化を招いたということもなさそうですね。しかし治りかけとすら言えない状態ですから、無茶をしないように。すずな、環耆建中湯(かんぎけんちゅうとう)の用意をお願いします」

「はい」


 環耆建中湯は一層弱った者に処方する滋養強壮薬だ。トウキ、ケイヒ、ショウチョウ、タイソウ、シャクヤク、カンロウ、オウギから成る。食間に服用する薬なので、今から煎じれば丁度いいだろう。


 外傷は紫清膏にて化膿を防ぎ、肉の再生を促進させる。疲弊した表裏を双方から癒し、治療を進めてこそ健康に近付けるのだ。


 理自身は調理場へ行き、下ごしらえを済ませていた幸継用の粥を作る。

 己の体の状態を理解したか、それとも未だ衝撃から立ち直れていないのか――幸継はとても大人しかった。




 食事を終え薬湯を飲み、一段落着いたとき、頃合いを見計らった影秋が幸継へと声を掛ける。


「では幸継様。俺は一度啓十に戻ります。大殿も大奥様も心配なさっているでしょうから、御身の無事をお伝えしなくては」

「……そうだな。宜しく頼む」


 うなずいた幸継はばつが悪そうだ。武士としてあまり誇れる状態ではないからだろう。


「お知らせしたらそのまま戻ってきます。俺が戻るまで、決して無茶をされないよう。よろしいですね?」

「分かった。無茶はしない」


 意外にもあっさり幸継は承知した。

 しかして起きてすぐに身を起こし、傷口も塞がっていない状態で大丈夫とのたまった人物である。正直、信用おけない。

 すずなの懸念は当たっているらしく、影秋の表情は険しい。


「ご自分の立場を分かっていますね?」

「もちろんだ」

「……信じます」


 口調からして全幅の、とはいきそうにないが、影秋からすればそうするしかない。


「理様、すずな殿。幸継様のこと、よろしくお願いします」

「確かに請け負いました」


 了承した理に倣い、すずなも黙って頭を下げる。

 影秋を見送った後で、一度幸継に貸している客室へと戻った。すずなたちにも日々の営みがあるので、幸継につきっきり、というわけにはいかない。そのための釘をさしておくのだ。


「御柴殿。私たちはしばし席を外しますので、ゆっくり静養なさってください。何かあれば、声を上げていただければ届く範囲に炬がいますので」

「承知した」


 物わかりのいい様子に、いっそ不安を感じるのはなぜだろうか。


 すずなと理は同じ感想を抱きつつ、部屋を後にした。他人に囲まれ続けるのも心労となるから、一人にするべきではあるのだが――心配だ。

 炬が気を配ってくれるなら大丈夫だろうと信じて、すずなは仕事に取りかかることにした。


 幸継についていたため、今朝はまだ薬草園の世話をしていない。いつもよりも幾分忙しなく、すずなはやるべき行程をこなしていく。

 雑草や害虫を駆除しながら、育てている植物の様子を見る。間もなく芍薬の花が咲く頃だ。観賞用としても人気の高い美しい花だが、薬効にも優れ、様々な薬に用いられる。薬として使うのは根の部分だ。


 断面が白く、やや甘みを感じるものが良品とされる。理が育てたものと遜色なく育てられるようになったのは、つい最近だ。


「よし」


 では次は植林の方を確認して来よう――と、すずなが立ち上がったときだった。

 立て付けの悪い入口の戸を音もなく開く人物がいた。幸継である。


「あ」


 幸継がすずなたちの生活習慣を把握しているはずもない。しばし部屋で様子を窺い、だれが訪ねてくることもなかったので、脱走を実行したのだろう。


 炬は気付いたはずだが、必ずすずなと鉢合うので黙って見逃したか。炬が力尽くで止めるよりは、すずなの方が穏便である。


「……何を、していらっしゃるのです?」


 口調こそ丁寧なものを崩さなかったが、すずなは責める気持ちが含まれるのを隠せなかった。幸継にも自覚があるのだろう。目が泳いでいる。


「無茶はしないと、利羽様ともお約束なさったではありませんか」


 昨日会ったばかりのすずなたちだけならまだしも、心から案じた従者の気持ちまで蔑ろにするとはなんということか。はっきり言って腹立たしい。


「そうだ。無茶はしないと言ったのだ。無茶でないから問題ない」

「御柴様は充分無茶をなさっています。お戻りください」


 土に汚れた格好であるが、そんなことも言っていられない。すずなは幸継の手を取り、強く引いた。

 ……が、動いてくれない。


「御柴様」

「私は早急に戻らなくてはならない。そなたたちのおかげで私は命を繋いだ。であれば、次にやるべきことをしなくては」

「怪我人がすべきことは、療養だけです」


 きっぱりとすずなは言い切った。

 幸継が焦っているのは分かるし、その理由も想像だけならできる。それでもすずなの意見は変わらない。


「私は、御柴の当主だ」

「その前にただの怪我人です」

「戻らねば家中が」

「御身の無事は利羽様がお伝えに行ってくださっています。それとも、何としてでも戻らねば危うきことがあるのですか?」

「そのようなことはない! 家臣たちは有能だし、父上も健在だ!」


 家の内部が危ういなどと、根も葉もない風評でも――こんな人里離れた辺鄙な所にでも流れては困る、と思ったのだろう。幸継の否定は強かった。

 もっともすずなからすれば、幸継の口から正にその台詞を言わせたかっただけだ。


「では、ゆっくり養生なさいませ」


 出来ない理由はないだろうと、笑顔と共に言う。だがそれでも幸継はごねた。


「待て。それとは話が違う」

(ああ、もう!)


 理屈で話しても無駄だと、すずなは悟る。なのですぅっ、と息を吸って――


「いい加減にしてください!」

「!?」


 叱り付けた。

 そして思った通り、幸継はぎょっとして黙った。身分も何もない小娘から怒鳴られるなんて想定していないだろうから無理もない。


 幸継は分かっているのだ。けれど焦りに勝てず、待つ選択を選べない。けれども最善は休むことなのだ。だから、すずなはぴしゃりと叱りつけた。


「そんな体で旅などしたら、死にます。お家に帰ることなく野垂れ死にます。それとも貴方様は死にたいのですか!」

「し、死ぬわけにはいかない」

「ならば! やることは一つです! こうしてふらふら出歩いて体に負担をかけていることそのものが、はっきり言ってもの凄く無駄で愚かです! 治りたいなら治す努力もしてください!」

「……」


 すずなの勢いに押されてか、幸継は身を引いて絶句した。

 そしてややあって、何とか、という様子で言葉を絞り出す。


「す、すまない」

「分かっていただけましたか?」

「分かってはいる、のだ」

「貴方様がご無事で戻られない以上の裏切りなどないでしょう。真にお家を思うなら、取るべき正しい行動を取ってください」


 幸継がやろうとしていることは、身内を信じていない者の行動だと指摘する。


「……そう、だな。今のは家臣たちへ信を置かぬ振る舞いだった……」

「部屋に戻りましょう。気持ちの落ち着く薬湯を淹れますので」


 声を柔らかくしたすずなに、幸継は大人しくこくり、とうなずいた。


「頼む」

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