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四話

「炬様に拾われ、お師様に出会えました。わたしは、恵まれています」


 上を見ればきりがないが、下を見てもやはり同じだ。そしてすずなの『今』は間違いなく恵まれている。


「そうか」

「はい」


 傷付いた心は今でも疼く。克服できる日など来ないだろう。だってもう、何も取り戻せない。

 構えていないときに血の気配を感じると、体が、心が怯えて凍り付く。

 それでも囚われ続けていれは、炬や理に心配をかけてしまう。


(わたしは、大丈夫)


 こんなにも温かい場所にいられるのだから。

 互いに話を続ける空気ではなくなって、部屋に沈黙が落ちる。――と。


「う……ッ」


 しばし落ち着いていた幸継が、苦悶の声を上げる。はっとしてすずなと影秋の視線が幸継へと集まった。

 すずなはそっと幸継の手を取り、空いた右手で彼の経穴を探る。そうして点から点へと線を繋いでなぞり、邪気の穢れによって淀む体内の気を清流へと戻して行った。


「大丈夫です、頑張って」


 幸継の意識はここにはない。未だ夢の中で己を癒している最中だ。けれど、心は届く。それをすずなは知っていた。

 だから快癒を願う想いを込めた言霊で、幸継へと訴える。


(それにしてもこの瘴気、ずいぶんとしつこい。意図的に絡み付いているかのよう)


 瘴気は発生すると手当たり次第に害をなす攻撃性を持つが、それだけでは何かを狙ったりする方向性は持たない。しかし幸継に絡む瘴気には、はっきりとした悪意を感じる。


(傷も刀傷だった。瘴気に憑かれた人に襲われたのかしら。だとしたらずいぶんと恨まれてしまったのね)


 瘴気は欲望と相性が良く、しばしば瘴気に憑かれた人間が凶行を起こす。そして瘴気も人間の狂気に影響され、指向性を獲得するのだ。


(ああもう、埒が明かない)


 引き剥がしてもすぐ戻ってきて、封じる時間もない。


「失礼いたします」


 すずなは一言断ってから、幸継の衣を肌蹴させた。そして直に肌に触れる。正面の影秋がなぜかぎょっとした顔をした。


 貴人に対して相応しくない行いがあったのかもしれないが、それは後でいい。自分の行動の正当性を確信していたすずなにとって、些細なことだ。今は何より幸継の体が先決である。

 はるかに干渉しやすくなった経穴から、幸継の気を整えていく。


 大きく歪んでしまったものは、正しい形に戻すときに苦痛を生じさせる。気脈も同じだ。変化を急激にしないよう、少しずつ元の形に戻す必要がある。


(まずはここまで)


 元凶の一つである瘴気を祓い切れないとはどうにももどかしい話だが、心身の負担を軽くするには、それが一番よいのだ。

 引き剥がした瘴気は纏めて水晶の中に封じる。親指の爪ほどの、小さな物だ。


 瘴気は追い払うこと、封じることはできても、人の手で消すことはできない。瘴気を消せるのは神の力のみだ。

 この水晶は神木に預けて浄化してもらうことになる。


 すずなは一連の処置を終え、幸継の着衣を整える。そのときには、幸継の呼吸は穏やかなものへと変わっていた。


「気脈の扱いに長けているようだな」

「基礎の修練を疎かにして極められるものなど、ございませんから」


 人体に限らず、生きとし生けるものに必ず存在する生命の流れを指して、気脈と呼ぶ。人が不調をきたすときは、この気脈が乱れているのだ。それはその人自身だけの問題ではない。ときには外気とのずれで変調をきたしたりもする。


 薬の知識と気功の技。この二つは薬師にとって必須の技術だ。

 すずなにとっては。


「いや、基礎というか、気脈を見れることから才能だし……。あんたは名医になりそうだな」

「? 気脈が視れなくては、処方もおぼつかないではありませんか」

「普通の人間は問診や症状で(あかし)を把握する」


 治療方針を立てるために、薬師はまず『証』を捉える。証とは『病人が現している自他覚症状のすべてを整理、統括して得られる診断』のことである。


 しかしそれを肉体に現れているだけの症状で把握するのは、とても難解だと言わざるを得ない。頭痛一つとっても、原因は様々だからだ。


 熟練の薬師ならばできるかもしれない。肉体だけの話であれば。


 しかしそこに瘴気が絡めばどうか。視えなくては根本から誤診を及ぼす可能性が高くなる。

 だからすずなからすれば、薬師が気脈を視られないなど思いもよらないことだった。

 薬師と呼ばれる者の技を理でしか見たことのないすずなは、それが普通だと信じているのだ。


「……ご冗談ですよね?」

「事実だよ」


 断言されても、気脈を視ずに診断など、すずなには信じられない。

 けれど嘘だと決めつけるのは失礼である。

 困ったすずなは、問答をすり替え避けることにした。


「いずれにしても、名医と呼ぶに相応しいのはお師様のような方だと思います。もちろん、わたしもお師様に近付けるよう努力は怠らぬつもりではありますが」


 まるですべてを知っているかのような、適切な処置。彼のようになりたいと目指しているが、道ははるかかなた。背中さえ見えないほどに遠い。

 そんな状態であるから、すずなは影秋の言葉にまったく現実味を感じなかった。


「今はまだ、とても目標とも言えません。夢と語るので精一杯です」


 もし一生の間に理の技をきちんと身に付けられたら、町の名医を訪ね歩いて新しい知識を得るのもいいだろう。けれど第一段階に足をかけてもいない。外のことなど気にして何となろう。

 すずなの言葉を聞きながら、影秋は唖然とした表情で固まっていた。




 翌朝。夜間の看病を担当していた理と代わり、すずなが幸継の側について半刻ほど経った頃。寝汗を手巾で拭いている最中に、幸継の瞼が大きく震えた。

 すずなを護るためにのみこの場にいる炬を除き、場に期待と緊張が過る。


「う……?」


 反応を受けて腕を引き、すずなは幸継の意識が覚醒するのを待つ。

 ややあって幸継は目を開き、二、三度瞬きをして――ぼんやりとしたまま天井を見上げた。


「幸継様」

「影秋……?」


 己の名前を呼んだ従者のことは、すぐに認識できたらしい。声を出したことで本格的に目が覚めたが、瞳に力が戻る。


「私は! うぐっ」

「まだ起きてはいけません」


 飛び起きようとして果たせなかった幸継の体を支え、すずなは再び床へと戻す。


「そなた、は……?」

「薬師を営んでおります、すずなと申します」

「薬師……そうか」


 ゆっくりと瞬きをしてから、幸継はうなずく。


「そなたの声と手、覚えがある。息も継げぬ熱の中、そなたの手と声が縁だった」


 幸継に言われて、すずなは恥じた。

 きっと深夜、理が診ていたときも同様だっただろう。しかしそれに覚えがないということは、理は幸継に苦しい思いをさせなかったのだ。だから、覚えがない。


(本当に、まだまだ……)


 名医などと、とんでもない。


「あれほど優しい手を、私は知らない。命を繋いでくれたことも合わせ、そなたには感謝してもしきれない。礼を言う」

「貴方様の命を護る一助となりましたなら、嬉しく思います。師を呼んでまいりますので、少々お待ちください」


 休んだばかりで申し訳ないが、幸継が目覚めたことを理に伝えなくては。

 立ち上がったすずなは、真っ直ぐ理の元へ向かった。


「お師様、失礼します。御柴様がお目覚めになられました」

「そうですか、それはよかった。少し待っていてください」


 部屋の中で衣擦れの音がして、すぐに戸は開く。寝巻の上に一枚上着を羽織っただけの姿で、理は幸継の寝室へ向かう。

 すずなと理が戻ったとき、幸継は影秋の手を借りて、半身を起こした状態でいた。


「ああ、まだ起きてはいけませんよ。……というか、よく起きられましたね」


 感心した様子で言ってから、理は幸継に横になるよう介助しようとする。


「私は、もう大丈夫だ」

「いえ、まったく駄目です」


 聞く耳持たずにきっぱりと断言。理が正しいことをすずなも疑わない。おそらく幸継自身も分かっている。

 丁寧ではあるが強引に、幸継の体を布団へと戻す。呆気なく転がされた自分に幸継は驚き、呆然としたようだった。


「炬、貴方も見ていないで止めてあげてください」

「我が手を出すよりは、無茶をさせた方がよいと考えたが」

「……それもそうですね。失言でした」


 基本、炬は手加減が下手である。この庵ですずなと共に暮らし始めた当初、あらゆるものを一度は壊した。二度はやらないのだが、二度目のない人の体を押さえてもらうのは確かに不安だ。

 炬がすずなに触れられるのは、慎重に慎重を重ねた、気の遠くなる挑戦の果てに得た成果である。

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