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三話

「炬様。数ならぬこの身を……。いえ、数ならぬからこそ案じてくださったその御心、大変ありがたく存じます」

「……うむ」


 炬がした心配は、決して的外れではないのだ。朝廷も幕府も力を失い、大名たちの手綱を取る者がいない。国司としてよく務めてくれる者の土地に住めればいいが、悪辣な有力大名を抑える手立てがどこにもないのが現状だ。


 そんな世であるから、覇を唱え、自らが太平の世を築かんとする者が後を絶たない。その様相は泥沼としか表現できまい。


 御柴が統制を取り戻した啓十周辺は平穏な方だが、では完全に安全かといえば、そうでもない。

 そうでなくとも、戦渦に巻き込まれれば容易くすべてが奪われる。

 十の子どもには、何もできなかった。痛くて苦しくて、自分を哀れんでただただ泣いた。


 ――だからこそ。


「ですがわたしは、薬師を志す者。起こるとも限らない可能性のために、助けを求める方の手を離すような人間にはなりたくありません。――いいえ、掴める人間になりたいのです。お師様の、炬様のように」

「ぬ、ぅ……っ」


 瞳を合わせて真摯に伝えたすずなに、炬はぐっと眉を寄せた。煩悶している。

 認めたくない。しかしすずなの意思を蔑ろにしたくない。そんな葛藤の末、炬はその憤懣をすべて影秋へと向けた。


「よいか、利羽影秋」

「はっ」

「すずなは我が守護せし玉なる娘。不埒な真似は勿論、傷一つ付けることあらば、汝れと御柴の一族郎党、穏やかに暮らせる日を永久に失うと覚悟せよ」

「心得ましてございます」


 炬の怒気と殺気は、器用にも影秋一人に向かってのみ放たれている。隣のすずなには表情と言葉の威嚇以上には感じ取れない。徹底した、人間離れした指向能力である。


 それでも見ているだけで炬の威圧感は伝わってくるので、自分のためにやられていることだけに、すずなはややうろたえて影秋を庇う。


「か、炬様。そこまで強く言われずとも」

「いえ、大丈夫ですよ。理性的に威圧しているだけなので心配ありません。影秋も分かっていますから」


 純粋なる警告。ただし、度を越した。


「さて。そろそろよい時間ですね。我々は夕食としましょう。御柴殿が目覚めたとき、胃に入れられるものを用意しておいた方がよいでしょうし……。すずな、御柴殿をお願いしますね」

「はい、お師様」


 立ち上がった理に、影秋はきょとんとしてすずなと理を交互に見る。


「こ、理様が調理なされるのですか? 手ずから?」

「はい。ええと……。まあ、炬に求めるのは無謀ですし」

「捌くのと焼くのと炒めるのと煮るなら、何とかなる」

「炬の料理は命をいただいている実感が出るので、たまにはいいのですがね」


 つまりは、大雑把。苦笑した理に影秋の戸惑いは一層強くなった。


「いえ、炬様ではなく」

「……影秋。人には向き不向きがあります」


 深く触れるなと、やんわりと止められる。

 すずなは赤くなって顔を俯けた。

 調理そのものがどうしようもないわけではないのだ。手先の器用さ、正確さには職業柄自信がある。


 ――ただ、圧倒的に才覚が乏しいだけで。


 薬の調合がごとく、分量まできっちり決まっていればそれ通り作れるのだが、僅かでも変わると駄目だ。なぜか奇怪な味わいに仕上がる。


 不思議だ。薬の調合ならば相手の状態に合わせて成分調整をしても上手くいくのに、なぜ料理には活かされないのか。


 謎ではあるが、この年になれば客観的に、事実として受け入れるしかなかった。

 とはいえ諦めてもいない。問題がどこにあるのか、いずれ究明してみせると秘かに闘志を燃やしている。


 そんな訳なので、普段すずなは理に書いてもらった調理法に忠実な料理しか作らない。よって『幸継が起きたときに食べられるものを作る』など、不可能である。大惨事を引き起こす可能性が高い。


「多少風味が独特なだけであろうに、大袈裟な。すずなの心を食すがよい。あれ程美味なる料理など、地上にも天上にも存在せぬ」

「か、炬様。大丈夫です、分かっていますから」


 炬はとにかく、すずなに甘い。失敗しても褒めてくれるし、成功すれば大絶賛だ。

 子どもの頃は単純に嬉しかったが、己の実力を冷静に見られるようになってからは、恥ずかしさが先立つ。


「我は真実しか言わぬ。汝れの手で作り出されたもの、汝れの心が宿りしものには、(ふつく)に価値があるのだ」


 炬はすずなを否定しない。彼に甘えきってしまっても、きっと許してもらえる予感がある。


「汝れが汝れであることこそが、大切なのだ」

「炬、そこまで」


 ぱん、と手を打ち、溜め息をついた理から制止がかかる。


「すずなが貴方を頼るのならばよいでしょう。しかし意図的に成長を妨げるのは見逃せませんよ」

「そのような悪辣な意図はない」


 不愉快そうに眉を寄せる炬に、理はもう一度、深く息をついた。


「そうなのでしょうね……。まったく、どうしたものか」


 頭痛を和らげるように眉間を揉み解してから、理は顔を上げ、有無を言わせず言い切った。


「とりあえず今は私を手伝ってください。すずな、幸継殿をお願いしますね」

「はい」

「待て、理。なぜ我が」

「すずなのためです」

「……」


 短く断言した理に、炬は黙った。


「炬、貴方は武人を育てるのに優れていても、薬師を育てたことはないでしょう。貴方は、貴方の傲慢のためにすずなの意思を殺すつもりですか?」

「否」

「では、私と共に来てください」

「……(うけが)おう」


 不満そうではあったが、炬は理の言を受け入れた。出ていく前に影秋を一睨みするのは忘れなかったが。


 二人が出て行って――ようやく影秋は肩から力を抜き、大きな息を吐きながら姿勢を崩した。そうすると畏まっていたときの固さはなりを潜め、むしろ太々しい印象になる。

 こちらが影秋の素なのだろう。どれだけ緊張していたかが察せられる。


「大丈夫ですか?」


 体自体に異変がなくても、精神から体調を崩してもおかしくない張り詰めようだった。


「お気遣いどうも。覚悟してきたから問題ない。ところで、君は? 理様の弟子かな」

「はい。すずなと申します」

「そうか。理様が弟子にしたなら間違いない。一人前になったら御柴に来ないか? ぜひ幸継様の力になってほしい」

「えっ」


 いきなりの勧誘にすずなは驚く。


「その、わたしは平民です」

「心配ない、俺もそうだよ。というか、こんな時代に生まれで地位や権限を決める政策を取ってたら国が滅びる。有能な人材を見つけて、育てて、登用してこそ、優れた君主だ」

「そう、なのですか……」


 意外な答えだった。すずなが幼少期を暮らしていた国では、血筋による制限が厳格に定められていたので。


「大体、朝廷や幕府が力を失ったのがなぜだと思ってる? 長く平和と利権に溺れて、上の連中が馬鹿になったからさ。それでもなんとか国が国の体裁を保ってるのは、理不尽に耐えて下が頑張ってるからだ。割合を出せば有能な人間は下にこそ多い。間違いない」


 影秋の言い分は辛辣だ。そして度胸がよすぎる。普通は考えたとしても口にすまい。


「関東の暴嵐竜を見ろ。あいつは国州(くにしゅう)からの成り上がりだ。貴族の血は当然、武士の血だって怪しいものさ。それでも奴は国を治める大名だ。この間幕府から関東受領(かんとうずりょう)をもぎ取ったから、もう名ばかりでもない」

「――っ」


 暴嵐竜。

 思いがけずいきなり出てきた二つ名に、構えていなかったのも相まって、すずなは大きく動揺する。

 近畿の関を東に抜けた地を支配する九条(くじょう)家。その嫡男、九条頼宗(よりむね)の二つ名だ。

 すずなの故郷を焼いた相手。町一つを根絶やしにした、容赦のない暴君。


「……どうした。大丈夫か?」


 あまりに激しい反応を見せたすずなに、影秋は気遣わしげに声をかけた。


「は、い」


 自身の状態を把握する前に、すずなは反射的にそう答える。まったく大丈夫でないことなど、はたから見ていても明らかだ。


「悪い。嫌な話をしたんだな。もしかしてどこかで」

「珍しいことではありませんから」


 戦火に焼かれ、それまでのすべてを失った。けれど本当に、珍しいことではないのだ。自身の命があるだけ幸いだとすら言える。

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