二十三話
根気を著しく消費するすずなの戦いが終わったのは、半刻ほどしてからだった。とはいえ、数分の後には瘴気が一気に薄くなったので、始めよりは格段に楽になったが。
ここの瘴気を特に呼び起こしていた核が消えたのだと、説明されずとも分かった。
幸継は幸継で元凶を探し出す目を持っているのか、真っ直ぐこちらまで辿り着けたようだ。側についているのは影秋一人。炬の姿がない。
すずなと理がこの場にいることに驚きつつ、しかしすずなの目が誰を探しているかに気付き、幸継はまずそちらの答えをくれた。
「炬殿は都にいる。護ってくれると言ってくれたので、任せさせてもらった」
「そうでしたか」
別行動をしているだけだと分かって、すずなはほっとする。
「しかしそなたはなぜここに?」
「幸継様を追って参りました。しかし幸継様。諸々のお話の前に、この地の浄化をお願いします」
「そ、そうだったな。影秋、瘴気溜はどうだ」
「塞がってますよー。儲けた。仕事が一つ減りました。理様とすずな殿が処理してくださったんですね」
派手に呪力を振るって疲れ気味だった影秋は、実に嬉しげにそう言った。苦笑しつつの理が訂正を入れる。
「私は何もしていませんよ。手を施したのはすずなだけです」
「それは頼もしい! さすが、理様の弟子ですね」
すずなが気脈を視て、扱えることを知っている影秋は疑うことなく納得する。
役目のある幸継は話に加わる余裕がなく、せっせと辺りの浄化を進めていく。
「よし、終わった。すずな殿、聞きたいことが――」
「ずいぶん急ぎましたね、幸継様」
軽く息さえ切らしつつ輪に戻ってきた幸継を、影秋はからかう笑いを堪えた声で迎えた。
「大丈夫だ。手は抜いていない」
「むしろ大盤振る舞いでしたね」
急ぐあまり、過剰な神気を使って浄化しつくしたらしい。すずなの目にも辺りの瘴気が綺麗に消え去っているのが視える。
「悪影響を及ぼすものではないから、問題ないだろう。それよりすずな殿、答えが聞きたい。なぜそなたたちがここにいる?」
「幸継様を追って参りました」
「なぜだ?」
幸継の声に期待が滲んでいるのがすずなにも分かった。そしてそのことにすずなもまた喜びを感じている。
「幸継様がいらっしゃらなくなったと分かった瞬間、後悔いたしました。理屈を論じておきながら、己が口にした言葉にまったく納得できていなかったのです」
「それは……すまないことをした。私の恋心を一方的に書き残していくのは、あまり美しい行いとは思えなかったのだ」
「わたしのためにしてくださったのですね」
あの正しく形式に則った手紙は、すずなに気持ちを押しつけまいとしてそうなったらしい。
想われてこその形だったのに、繋がりを断たれたようで悲しいなど、悪い方向へ考え過ぎだった。
「不安にさせたか?」
「はい……。って、幸継様?」
なったか、ではなくさせたか、という、その言い方。
「……わたしの気持ちが分かっていたような仰りようですね?」
「そなたが私に好意を寄せてくれた自信ならあった。薬師としてしか生きていなかったそなたが、私の前で女性の顔をしたときから」
異性としての好意に目覚めなければ、すずなが患者を意識するはずがない。
すずなはまだ戸惑っている段階だったというのに、幸継には筒抜けだったということだ。
「っ……」
己の幼さはいい加減これでもかと思い知らされてきたが、ここでまたはっきり示されれば、恥ずかしくて堪らない。
「だが、認めてくれたということでよいな?」
「思い知りました」
完敗だ。
「改めて請おう。私と共に、啓十に来てくれるか?」
「はい」
庵で幸継を待つ生活に耐えられる気はしない。当主として忙しいだろう幸継に、わざわざ足を運ばせるのも違うと思う。
ただし一つ、譲れないことがある。
「そうか! では――」
「薬師として、御柴にお仕えしたく存じます」
「な、何?」
勢い込んだ幸継の台詞を途中で遮り、すずなはきっぱりと言い切った。唖然とした幸継の顔に、何だか初めて勝ったような気分になる。
「はっきり申し上げて、わたしが幸継様の妻になるのは難しいと思います」
「押し通すぐらいの気持ちはある」
「それは駄目です」
幸継ならそうしてくれるだろうと思った。でも、駄目だ。それでは家臣の心が離れてしまう。
「ですから、わたしは御柴を支える薬師となります。皆に認められる働きをしてみせます。御柴から離れられるぐらいなら、幸継様の妻に納めようと言われるぐらいのです」
「私が褒賞となるほどの働きか」
「はい。そしてそれは、わたしの夢にも近いと思うのです」
薬師の技で御柴を支え、一刻も早く乱世を終わらせる。乱世によって傷付いた人々を救う。
平穏こそが、すずなの夢だ。
(託せる方などいなかった。信じてもいなかった。だからずっと、ふわふわと浮いていた)
今は違う。己が信じた未来が見える。
「幸継様、貴方様を愛しています。そして、当主としての幸継様を信じています」
「――……っ」
わしゃり、と幸継は髪を掻く。酷く迷った沈黙の末に、しぶしぶといった様子でうなずいた。
「才と忠のある者は、重用される。そなたの働きに必ず報いよう。いいか、必ずだ」
「恩賞は働きの分だけにしてくださいね」
擦り傷を治して正妻にされても困る。
「くっ。わ、分かっているとも」
似たようなことを目論んでいたのか、幸継は唸ってから誤魔化した。
「では、ともあれ啓十へ戻りましょう。理様もどうぞ、御身を休めて行ってください」
「そうさせてもらいましょう」
理は休んで――きっと、庵へ戻る。
己が選んだ道とはいえ、理と炬と離れるのだけは、やはり寂しく感じた。




