二十二話
「輪廻の輪へ帰るがいい」
宿主を失った命を喰らおうとしていた瘴気を幸継が払い、辺りから邪気と、一人の命が消え去った。
「頼宗殿。助かった、礼を言う」
「身内の恥を刈り取りに来ただけじゃ。瘴気は俺らのせいではないから詫びも保証もせんがな」
「無責任な」
顔をしかめた影秋の一言を、頼宗はさらりと無視をする。だが幸継としてもここで九条に責任を求めるつもりはない。
「こちらとしても、九条と争うつもりはない。瘴気による不幸であったと頼宗殿が認めてくれるのなら、それでいい」
「ふん」
「その御仁はどうする?」
「連れ帰って弔う。……誰の仇であっても、俺たちにとっては長く共に戦ってきた戦友に違いはない」
「そうだな。それならよかった」
徒長の行いがどれ程意に添わぬものであったとしても、すべてを切り捨てるほど頼宗は冷酷ではない。
「頼宗殿。我らの思いは同じはずだ。私は九条と戦いたくない」
「俺の意思は変わらん。朝廷も幕府も信じておらんのでな。九条を従えたいのなら、貴様ら御柴が天下を取れ。そのときはいの一番に馳せ参じてやるわ」
すずなには天下統一を唱えた頼宗だが、自分たちが真に支配者となるには『格』が足りないのをよく分かっていた。幕府から官位をもぎ取ろうと、血筋が変わるわけではない。
しかし御柴にはそれがある。
「だが朝廷に権力を返すなどとほざき続けるなら、俺が――九条が天下を取る。覚えておけ」
言い放つと、干からびた徒長の骸を背負い、頼宗は山を下りていく。
「……幸継様」
「言うな、影秋」
頼宗の考え方をする者は、決して少なくない。信頼を失って久しい朝廷に今更権力を返したところで、素直に従える者は多くあるまい。
ましてそれを成したのが朝廷ではないと、皆が分かっているのなら。
「それでも陽之元を統べるのは朝廷――天皇家でなくてはならない。分かっているだろう」
「そうですね。だから天皇家の血を己の血族に入れてしまえばいい。幸継様のように」
「分かって言っているだろう? 私では神の血は残せない」
神の血が現れるのは、天皇家直系から数えて二等親まで。もし幸継が天皇家を護らずその血筋が絶えることになれば、人は瘴気を浄化する唯一の方法を失う。
「ええ、だから幕府を作って天皇家を護ればいい」
朝廷は事実上の飾りとして、皇家の血だけを護ってもらう。必要に応じて降下してもらえばそれで済む、と。
幸継がそうして生み出されたように。
「……頼宗殿は、天下を取ったらそうするだろうな」
「奴はやるでしょうね」
「だからこそ私は、人を血の道具にさせたくはないのだ」
父と母の間に愛はない。野心と義務で繋がっているだけだ。父はきちんと母を正妻として、皇女として遇してはいるが、己が血を繋ぐための道具として使われた母の心は、深いところで冷えたままだ。
天皇家は己の身を危険に晒したくないがために、長い間避けてきた手段を使った。既得権を守るために血族を一切外に出さなかった天皇家だが、今代は尊い血筋を護ることよりも、それによって生じる義務を放棄する方を選んだのだ。
あるいは、父が上手だったというべきか。
何にしても天皇家は御柴を剣として、盾として使うことを選び、父と母が受け入れた。だがその間に生まれた幸継は、受け入れたくないと思っている。
「私は天皇家を――朝廷を正す道を取る。主君を支え、必要とあれば諌めるのが武士の務めだ」
陽之元を統べるに相応しい存在へとなってほしい。それが幸継の願いだ。
「そのための時は私が作る。覇を唱え幕府を開く。天皇家に仕える、正しき姿でだ」
「無理だと思いますけどねえ。ま、俺は幸継様についていきます。お役目ですからね」
「では、未来よりも今やるべき務めを果たそう。瘴気溜を消しに行くぞ」
「了解です、殿」
――馬に乗ったのは、人生初だ。
幸継たちが急いで帰ったのは分かっていたから、後を追うすずなたちは一層急がなくてはならない。
はっきり言って、馬の上は恐かった。まず、視界が高い。さらに体が揺れる。足が地につかない状態は不安極まりない。力の限り理にしがみつき、目を閉じてひたすら耐えるだけの時間が続く。
「お疲れ様です、すずな。よく頑張りましたね」
「はぅい……」
そんな状態であったため、理から旅の終わりを告げられたとき、すずなは心の底から安堵した。
途中で村や町をいくつか通ったが、疲労で感動するどころではなかった。何も覚えていない。
だから顔を上げた目の前に、すっかり知らない山がそびえていたのを見て、何とも言えない気持ちになる。
「ここが、朝賀山」
「そうです。ご覧なさい」
理が指さす方向へと目をやったすずなは、ぞっと血の気が引くのを感じた。山の中腹あたりから、瘴気がどろどろと流れ落ちているのだ。
ここからでは見えないが、これまでの話からして瘴気の行き先は想像が付く。
「あの流れの先に、啓十の都があります」
「あんなにはっきりとした意図を持って動く瘴気、初めて見ました……」
「今回の核となった人間が、多量を動かすのに長けていたということですね。さあ、行きますよ」
「都へですね」
ここからでは黒い靄が固まって動いているようにしか見えないが、あれはきっとおびただしい数の邪妖の集団だ。怪我をした人は少なくあるまい。
己が役立つならばそこしかないと、すずなはそう言ったのだが。
「いいえ。そちらには幸継殿か炬が行っているでしょう。武の心得がない者が戦場にいても、足手まといになるだけです」
さらに後方で怪我人の手当てはできるが、それよりも重要なことがあるらしい。
「何をするんですか?」
「これは気脈を正しく視られる者にしかできないことなのです。山へ――元凶のもとへ行きますよ」
「瘴気溜を封じるのですか?」
「少し違います」
瘴気が流れゆく場所から離れ、違えた角度から山を登る。その途中で理がすずなにやるべきことの説明をしていく。
「実は、瘴気溜は消せるのです」
「え!?」
「幸継殿にはその力があります。しかし、それだけでは不充分なのです。そもそもなぜ、そこに瘴気溜ができてしまったのかから考える必要があります」
「なぜですか?」
知らないことは分からない。すずなは素直に尋ねた。
「現世の要石がずれて、妖が向こう側から干渉できるようになってしまっているからです。これではいくら祓おうとも同じこと。戸が開きっぱなしになっていると思ってください」
「それは、また……」
出入り自由だ。
妖たちは現世と紙一重の世界で生活しているというが、互いに干渉はできなくなっている。妖には残虐な気性を持つ者が多く、あまりの暴挙に怒った国生みの神が、世界を分けたのだという。
「国生みの神様の話は知っていましたけど、時折河童や妖獣を見かけるので、お伽話のようなものだと思っていました。違ったのですね」
「ええ。世界を分けたのは本当なんですよ。ですが人は、己で望んで戸を開いてしまう。困ったものです」
「欲が邪を呼び、邪が欲を昂らせる……」
悪循環だ。
「その要石を戻します」
「わたしに、できるのですか?」
「すずなになら、きっとできます」
後押しの言葉をもらってしまい、すずなは頬を染めた。無意識にどうしても頼ってしまうらしい。切り替えなくては。
「すみません、ここまで来て弱音なんて。必ずやり遂げます!」
理が言いたいことは分かった。要石を戻す技術を身に付ければ、世を平定せんとする幸継の、さらなる助けになれる。
ひたすら山を登りながら、ふとすずなは瘴気がひしめく山中にあって、清らかなものを感じた気がした。自然と意識がそちらへ惹きつけられる。
「幸継殿ですね。瘴気が山を下りないよう、踏み込んできたのでしょう」
「あちらに、幸継様が……」
これほど瘴気に囲まれても、幸継の持つ光は強い。だが――集中して探った今ならば分かってしまう。瘴気は途切れることなく溢れ続けている。
量は力だ。絶えぬ瘴気を相手にしていては、肉の器の方が持つまい。
どこから瘴気が溢れ出ているのかも、はっきり悟れる。もう理に案内で煩わせる必要がないほどに。
「呑み込みが早いですね」
「広範囲ではありますが、人体の気脈を視るのと何も変わりませんから」
「広くなればなるだけ、把握が難しくなるものですよ。うん、日々の研鑽と才の賜物ですね。師として実に喜ばしい」
「でしたら、お師様のおかげです」
誇らしげにうなずく理へ、こそばゆさを感じながらすずなも感謝を伝えた。
ややあって、すずなと理は瘴気溜に辿り着く。気脈が視える者が視れば、一目でそうと分かる状態だった。
すずなの目には、大地に穴が開いたように映っている。事実、そこに何も知らずに踏み込めば、妖の住む裏の世界へと落ちてしまう。
そこから溢れ出る瘴気は、出てきた先からそこらで枯れ落ちている葉っぱに纏わりつき、人型を形成して歩き出す。
邪妖たちはすずなたちの存在を無視した。核となっている人物がそれどころではないということだろう。
「どうやら核は幸継殿の方へ行っているようですね。接敵しているなら苦戦しているかもしれません。――さあ、すずな。瘴気を抑えましょう」
「はい」
何をすれば瘴気溜を塞げるかなど、説明されずとも、一目瞭然だ。
抉じ開けられた穴によって断ち切られた地脈が、びらびらと宙にそよいでいる。端の方なら繋げられそうだ。
絡めとられた糸を解き、結び、滑らかにする。それは正に、すずながいつもやっているのと同じこと。相手が人体か、大地の気脈かの違いだけだ。
地脈が正しく繋がる度に、穴は小さくなっていく。最後の一本を繋ぎ終え、労わるようにすずなが撫でると、どくりと朝賀山が大きく震えた。
瘴気に枯れた草木が、生命を吹き返そうとしている。山はまだ諦めていない。長き時をかけ、また少しずつ成長をして、きっと見事に枝を伸ばしてくれるだろう。
「私たちにできるのはここまでです。現れた瘴気を祓えるのは、神の力のみですからね」
「幸継様は大丈夫、ですよね……。きっと」
「質量で押されなくなればまず大丈夫でしょう。そのためにも――ほらすずな、穴が開いていますよ」
「ええ!?」
理に言われぎょっとして背後を振り返れば、先程閉じた穴が再び口を開こうとしている。
「現世に出ている瘴気が向こうを呼ぶので、こうなります。さあ、幸継殿が来るまで頑張りましょうね」
「はい……が、頑張ります……」
くらりと目眩を覚えつつ、すずなは果敢にも肯定の返事をした。




