十五話
「では、お手伝いくださいませ」
目的が邪妖退治だったので、怪我をする可能性も考えていた。そのため丁度よく紫清膏の持ち合わせがある。
袂から取り出した紫清膏を、見分させるためも含めて従者にもよく見せた。
鮮やかな赤紫の発色に、頼宗と従者の二人は目を見張る。
「これは……! 城に保管されている秘薬と変わりない!」
「すずな、貴様これをどこで手に入れた!?」
「わたしが作りました。では、失礼します」
患部の僅か上に手を伸ばし、瘴気に触れる。頼宗の内気に絡み付こうとしていたものをするりと解き、引き剥がした。剥がした瘴気は鯉口を切った炬の刀へと吸い込まれていく。
「――?」
見えなくとも変化は感じる。体を蝕もうとしていた悪気が取り除かれれば、それだけで楽になるものだ。
しばし己の体に凝っていた不具合を確かめるように頼宗は集中していたが、綺麗に消え去っているのが分かると、感嘆の息をついた。
後は肉体に付いた傷だが、山を登ってきた手は清潔とは言い難い。布に塗布する形で、間接的に紫清膏を傷口に当てた。
「瘴気は除きました。処置が早かったので、九条様の気脈は歪んでおりません。ご安心を」
これ以降は気脈が視えない薬師でも正しい処方が施せる。
「あとは刀傷となりますので、できれば金瘡師の方に頼んだ方がよろしいでしょう。施術者に心当たりはございますか?」
「金瘡師なら、腕がいいのが揃っておる」
刀傷や銃創の手当てを専門にした役職を告げると、頼宗は自信と共にうなずいた。
「しかしもう少し貴様と話がしたい。今しばらく俺に付き合え」
「お断りいたします」
頼宗の言い方が傲慢だったため、すずなは迷いなくお断りができた。
「わたしを待っている患者様がおりますので」
「俺も貴様の患者であろう」
「九条様には頼りになる施術者がいらっしゃるそうではありませんか」
「金瘡師は、じゃ。俺の知る中で貴様ほど優れた薬師はおらぬ。――山を下りれば間もなく日も暮れよう。手当の礼に一晩の宿を持つ。ついでに経過を診るという取引でどうじゃ」
頼宗の言葉は正しかった。きっと山を下りて、同じ町で宿を取ることになるだろう。あまり金銭の持ち合わせがないのは事実。
「……炬様。いかがいたしましょう」
「汝れの好きにせよ」
たとえ夜道であろうとも、炬がいるなら怖れる必要はなかった。しかし無理をして負担を増やすのは気が咎める。ましてそれが、頼宗と同じ場所に居たくない、というすずなの個人感情から来ているとなれば。
幸継のことは気になるが、理が付いている。邪妖を討った以上、あとは回復を待つばかりで、焦る理由もない。
「……お引き受けいたします」
「そうか!」
見て分かるほど、頼宗は顔を輝かせた。その顔が自分に向けられたものだと思うと複雑だった。
山を下り、村に辿り着いたすずなたちは村長の家に部屋を借りた。この地は関東にも接しており、近畿と関東、両方に税を納めている狭間の村だ。
つまり、九条の名前も充分な力を持つ。
そしてすずなの故郷にも少しだけ、近い。
頼宗が言っていた通り、駆けつけた金瘡師の腕前は実に鮮やかだった。薬師との差が激しい。
「貴様が口を出さなかったということは、金瘡師の方は充分な腕であったようじゃな」
「はい。大変見事にございました。勉強をさせていただき、感謝いたします」
すずなの本分は薬師だが、患者の病状は選べない。これは無理ですとは言いたくなくて、積極的に他の分野も学んでいる。
それは理も同じだ。どこまで行っても、理はすずなの先を行く師匠である。
「戦ばかりしていれば、当然であろうな」
「そうじゃ。おかげで金瘡師と外科医だけは技術が抜きんでておるわ」
「なぜ薬師を育てないのです?」
金瘡師と外科医が優れているからと言って、薬が不要となるわけではあるまい。むしろ互いを補ってより幅広い治療ができるようになる。
「違う。育てている最中よ。九条は今でこそ関東受領じゃが、俺の親父の代は国州とも名ばかりの農民よ。薬師となれる才覚の持ち主を集められる人脈がない」
余程不本意なのか、頼宗の口調は大分苛立っていた。
「知識だけは掻き集めたが、それを使いこなせる人材がおらん。急務じゃな」
ここに至って、すずなは己の常識を完全に改めた。外ではおそらく、気脈が視られる薬師というだけでかなりの価値がある。関東を掌握している九条が探して見つからないぐらいだから相当だ。
常識を打ち砕かれた衝撃とは別に、頼宗の台詞の中にもう一つ聞きのがせない部分があった。
この、生まれながらに殿様だとでも言いそうな態度の青年が――
「農民?」
「おうよ。刀と鋤と鍬の習熟は同程度じゃ。釣りも得意じゃぞ。晩飯が一品増えるか米のみになるかの瀬戸際じゃからな」
すずなはあまり、武将の事情に詳しくない。だから九条の遍歴など知らなかった。あえて知りたくもなかった。
だからこそ、それならばなぜ――と、怒りが込み上げてくる。
「弱った朝廷も幕府も話にならん。だから俺が天下を取る。この陽之元を平らかにするのは、この俺よ!」
「そのためには、邪魔な村も町も焼き払いますか」
「!」
すずなが口元を歪めて放った一言に、頼宗は目を見開く。
「貴様、まさか、左々田村の出か」
「名前は覚えていらっしゃるのですね」
頼宗が即座に村の名を口にしたことに、すずなは少し驚いた。踏みつけにした者のことなど、とうに忘れていると思っていたから。
「あの、村は。俺は……」
なにかを言おうとして、しかし頼宗は続きを飲み込む。代わりに姿勢を正して正面からすずなを見据え、正気とは思えぬ言葉を放つ。
「すずなといったか。貴様に改めて請おう。俺の元へ来い」
「ご冗談でしょう」
攻め滅ぼした村の生き残り。恨みしか持っていないだろう相手を誘うとは、いったい何を考えているのか。
薬師としての価値を見出したとしても、相手が悪すぎだと普通は諦めるだろう。
「それよりは、悔悟の念の一つも聞きたいものですが」
聞いたからと言って何が変わるわけでもない。
だが人であれば慚愧に感じて当然であるはず。どうにもならないと分かっていても、大切な人たちへの手向けの言葉ぐらいは欲しかった。
しかしすずなの願いは、あっさりと打ち砕かれる。
「そのようなものはない。俺は何一つ、間違ったことなどしておらぬ」
「ッ!」
瞬間、すずなは手を振り上げていた。だが寸でのところで理性を取り戻し、拳を握って手を下ろす。
相手は怪我人だ。だが。
(こんな思いをしても、こんな相手を助けるべきなの?)
あれだけ沢山の命を奪っておきながら、悩みもせず間違っていないと言い切る、こんな人間を。
「殴らぬのか」
「……わたしは、薬師です。命を救う者です。傷付けはしない」
悔しかった。だがそれ以上に、すずなは頼宗と同じ場所に堕ちたくなかった。
(お師様)
でなければ、自分を教え、導いてくれた理を裏切ってしまう。それに。
(幸継様……)
すずなが薬師としての矜持を守ると信じてくれた幸継にも、合わせる顔がなくなってしまう。
幸継の顔を思い浮かべると、恨みに昂った心が少しずつ落ち着きを取り戻していく。迷いも薄れ、頼宗を傷付けてしまいたい衝動も納まってきた。
――幸継が信じた自分でありたい。
自覚はなかったが、すずなはそのことに誇りを感じ始めていたのだ。
「……そうか」
留まったすずなに対して、頼宗は短く呟く。それが妙に苦しそうな響きを持っていた気がしたが、すずなはあえて無視をした。
「もう、ご心配は不要かと。これにて下がらせていただきます」
「ああ」
頼宗はすずなを引き止めなかった。――代わりに。
「ゆっくり休め。……健やかにな」
それは別れの挨拶にも聞こえる。すずなにはもう頼宗と顔を合わせるつもりはなかったし、向こうも分かっての言葉かもしれない。
「……お大事に」
定型句を引っ張り出して、すずなは部屋を後にする。
翌朝、すずなは炬と共に早々に村を出た。だが、彼らが持っていた薬だけは心配だったので、紫清膏は置いてきてある。使っても、使わなくてもいい。そんな気持ちで。
(中途半端だわ)
分かっている。だがこれ以上はできない。
晴れない気持ちで庵に戻ったすずなだが、理だけではなく幸継までもが出迎えに現れたのにもの凄く驚いて――ほっとした。
そう、目的は達したのだ。これ以上の喜びなどない。
……薬師としてなら。
「お帰りなさい、炬、すずな。お疲れ様でした」
「炬殿、すずな殿、ありがとう。そなたたちにはどれ程感謝してもしきれぬ」
率直な感謝というものが、これほど嬉しいものなのだと、すずなは改めて実感した。自然、顔付きも柔らかくなっていく。
「問題ない」
「すぐ近くに邪妖がいては、いつ近隣の町や村に影響が出るか知れません。幸継様には、むしろ感謝しております」
雰囲気に誘われて、ちょっと辛めの冗談を口にしてみた。予想通り幸継は含まれる意図に気が付いて、僅かに表情を引きつらせる。
「気のせいか、餌食になったのが私でよかったと言われているように聞こえるのだが」
「気のせいです。幸継様お一人で済んで幸いだったとは思っておりますけれど」
その幸継も助かったのだから、よかったではないか。理のことを知っている影秋が側にいて、助かる公算の高い幸継だったからこそ、死人が出なかった。
「幸継様は、民に金糸雀になってほしいとは仰らないでしょう?」
「まあ、確かに。そう言われれば、私でよかったと言わざるを得ない」
複雑そうな顔をしながらも、幸継は認めた。
その表情と言葉にすずなは笑って――ぽろりと涙が零れ出た。
「!?」
男性陣三人がびしりと固まるが、すずなもそれどころではない。
(あ、れ?)
瞬きをするたびに、はらり、はらりと粒が落ちる。止まらない。
「す、すずな殿!?」
「幸、継様――……」
(あなたがいてくれて よかった)
民草の命を何とも思っていないような大名ばかりではない。
幸継が自分でよかったと言ってくれたことが、すずなにはとても嬉しかったのだ。