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十三話

「……わたしに、できるでしょうか」


 人を救うことを前に雑念が混じる時点で、憧れる理の姿とはほど遠い。

 けれど幸継の言う通りにできるのなら、すずなは自分に薬師を名乗ることを許せるだろう。


「私は、そなたならばやり遂げると信じる」


 とくり、とすずなの胸が強く脈打つ。逸らされぬ瞳が訴えかけてくれる信頼に、体が芯から熱くなる心地がした。


「しかしもし、そなたが自分だけでは難しいと思っていて、しかしやりたい気持ちがあるのならば、私が力を貸そう」

「な――、なぜ、そこまで仰ってくださるのですか」

「好ましく思う女性(ひと)の心を晴らしたいと思うことの、何に不思議が?」


 当然だと言える幸継にとっては、不思議でも何でもないのだ。幸継の瞳を前に、すずなはすんなりと受け入れられた。


「そのように思っていただけているのですね」

「そうだとも。そなたのことを想っている。それだけの単純な気持ちだから、なぜと問われても困る」


 幸継が伝えた感情は、受け取ったすずなとの間に決定的な差異を生んでいるが、互いにそれと気付かない。


「すずな殿。この地は美しいな」

「? は、はい」


 不意にすずなから目を逸らし、幸継は周囲を――なだらかに続く傾斜を、透き通る空を見上げた。


「ここにあるのは穏やかな生命だけだ。あるべきものがあるべき場所にあるだけの、自然の姿」

「……はい」


 ここにいれば、現実に満ちるままならないことから離れていられる。せめて、遠い記憶となるまで、もうしばらく逃げていたい。


 そんな心の内を、すずなが自覚したのはいつからだったか。


 誤魔化しながら、見ない振りをしながらきたけれど、きっと心の奥底では申し訳なさが圧し掛かっていて、息苦しさも感じていた。


「だが都もまた、美しいものだぞ」


 その言葉には、はい、と言えなかった。


 すずなにとって都は自分の村を壊した相手が胸を張って住む場所で、血と炎の印象にしか繋がらない。

優しい営みは壊されるもの。壊す人が住んでいる場所。


「都は人が人を護るために、知恵と力を合わせて作り上げた結晶だ。そなたには人の壊す力ではなく、造る力も見てほしい。私が治める御柴の地を」

「幸継様の……」


 幸継は人に対して真摯であり、己を律し、感謝の心持つ、すずなにとって好ましい人物だった。


 得体の知れない暴乱龍の狼藉を引き摺り続けるのではなく、ここにいる幸継が統べる、別の都の姿を見れば、あるいは。

 炎や、血や、瓦礫と重ならないだろうか。


「そしてできれば、そなたにはずっと私の側に留まってほしい」


 幸継は言葉通りの意味をすずなに向けたが、受け取った側は『私の側』を『御柴』に置き換えた。


(つまり、都で薬師をしてはどうかということ?)


 それを現実的な提案だと考えられるほどに、すずなの心は幸継によって軟化していた。

 すずなが薬師を目指した始まりの思い――戦禍に遭った人々の助けになること。この庵にいるよりも、きっとずっと、近くなる。


 ――だが。


「……折角のお誘いですが、今のわたしには無理です」


 心の問題を横に置いておくとしても、未熟者であるのも事実なのである。道に進むのは一人前になってからでなくては。

 しかし幸継と話しているうちに、変化が起こった部分もある。


(今までわたしは未熟であることを言い訳にしていた。自覚もあったから、後ろめたさもあった……)


 まだ道を決める域ではないと、先送りにしてきた。


(でも幸継様の話を聞いて、わたしは未来の自分を描けた気がする)


 選択肢の一つとして。

 だがら、幸継にはそれを踏まえた返事をした。


「けれど一人前になったときのために、ぜひ、幸継様の治める都を拝見したく思います」

「そうか!」


 思いっきり落胆していた幸継だが、続くすずなの言葉に希望を見出して顔を輝かせる。


「いずれ共に啓十の地を歩こう。そなたに永住したいと思わせてみせるぞ!」

「それは楽しみです」


 気付けばすずなは微笑んでいた。

 社交辞令でも何でもなく、行ってみることを本当に楽しみにしている自分に驚きながら。


 少し先の明るい話をした、その夜。

 幸継の体調は急変した。




 陽がようやく顔をのぞかせたかどうかの時分に、すずなは炬と共に庵を出て、道なき道を歩いていた。それから時間も経ち、今太陽は頭の上で燦然と輝いている。


 山には慣れているすずなだが、それは普段から行き来している山ならばという話。現在歩いているのは人が通った形跡のない、自然のままの山。勝手が違う。自然、息が上がるのも早くなる。


「少し、休まぬか?」

「いいえ。大丈夫です」


 二刻ほど前から繰り返される、何度目となったか分からないやり取り。

 炬の視線を感じつつも、すずなの目は前方を向いたまま。足はすでに重いが、前に運ぶのを止めるつもりはない。


「幸継には理が付いている。心配はいらぬ」

「そうかもしれません」


 認めつつも、行動では聞き入れない。

 理は優れた薬師だが、医術にも限界はある。


 眉を下げて口を引き結び――炬は仕方なさそうにすずなの後を付いていく。数分もすればまた同じやり取りが発生するのは想像に難くない。


 幸継に絡み付いていた瘴気は、すでに粗方取り除いていた。傷口の方もほぼ完治の状態。


 順調であったすべてを崩したのは、やはり瘴気だった。僅かに残った己の痕跡を頼りに、幸継を襲った邪妖が再度瘴気を注ぎ込んだのだ。よほど幸継を殺したいらしい。

 瘴気が個人に拘るなどままあることではないから、油断していた。炬や理も邪妖本体がまだ存在していることに驚いた様子だった。


「まったく、邪妖を討ち漏らすとは。何と不甲斐ない」


 炬の台詞は影秋へ向けられたもの。しかしすずなには当時の影秋がどのように考えて行動したか、容易に想像できるのだ。


「幸継様の身を優先させたがゆえでしょう」


 襲ってきた相手の息の根を止めたかどうかを確認するよりも、幸継を救うことを選んだ。それだけだ。すずなとて影秋の立場ならばそうする。


 瘴気は妙に強かった。油断のならない幸継の身は理に任せ、すずなは瘴気の痕跡を追い、元凶を断つ役目を買って出た。


 急いで見付けて、封じなくては。

 焦るすずなの耳に、騒々しい葉擦れの音が響く。風や獣が起こす音ではない。人が掻き分けてくるような――


「すずな、下がれ」


 そしてすずなの前に炬が立ったことで、それがこちらを害する可能性があるものだと確定した。


(邪妖の気配はまだ少し遠い。一体なに――?)


 ややあって、緊張に身を硬くするすずなの鼻を刺激したのは。


(血臭!?)


 どくっ、と心臓が大きく脈打つ。直後、茂みから男が一人、おぼつかない足取りで現れた。


 相手はここに自分以外の見知らぬ人間がいることに驚いたようだった。無理もない。すずなも驚いた。

 そして血の臭いの元は、目の前の青年だ。袈裟懸けに大きな切り傷がある。衣服についた血もまだ乾いていない。つい先程負った怪我だろう。


 身に付けているのは肩衣(かたぎぬ)で、紋は対笹菱(ついささびし)。とはいえそれがどの家を示すのか、すずなは知らない。分かるのは青年の着ているものが幸継が身に付けていたのと同様、生地そのものから守護の呪力を感じるということ。おそらく相当位の高い武士だ。


「貴様ら、何者じゃ!」


 予想に違わぬ居丈高な物言い。誰何と共に抜き身のままだった刀の切っ先を向けられるが、その刃先は大きく震え、まともに構えてもいられない有様である。


「人に名を訊ねる前に、己が名乗るが礼儀であろう」

「っ……」


 こんな場所で出会った以上、どちらも互いから見て不審者だ。

礼儀を欠いた行いをした自覚があるらしく、青年は苦々しい顔をしたが、それ以上の文句は飲み込んだ。


「俺は九条頼宗。ここにとある男を追って来た。貴様らは何者じゃ」

「!」


 青年の名乗りに、すずなはひゅうと息を呑む。


 九条頼宗。左々田村の両親の、始まりの仇――

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