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十二話

 すずなが住んでいたのは農村だった。土地は肥沃で作物が安定して採れたので、比較的長閑で平和であり、穏やかな毎日を繰り返す村。


 けれど乱世では、そんな平穏は泡沫のごとくに脆い。


 土地を治める大名同士の戦が始まって――食糧庫の一角であった村は、真っ先に焼き討ちと略奪に遭った。


 自分の身に降りかかったことが、理解できなかった。


 昔は民兵として駆り出されでもしない限り、民への手出しは恥ずべきこととして、武士の誰もが避けたものだ。しかし幕府が弱体化したのち、各地で起こる戦は様変わりした。これまで不文律で守られてきた矜持が、実に取って代わられたのだ。


 結果、士気を挫くための非道な行いが平然とまかり通ることになる。

人の世の乱れと共に、妖の類も活発になっていた。今では妖に唆されて戦を起こす者までいるという。


「人が乱れるから妖が活気づくのか、妖が活発だから人心が乱れるのか……。おそらく、どちらも影響し合うのだろう」

「……そう、なのでしょうか」


 どちらにしろ、すずなの村を焼いたのは人間だ。暴乱龍――九条頼宗の命で実行されたのだという。そこは今、御柴と九条がせめぎ合う前線となっている。


「幸継様は、まだ戦われるのですか?」

「ああ。陽之元を統一し、天皇陛下に平らかに治めていただくまで、私の戦は終わらない。この乱世を鎮めるには、それしかないと思っている」

「……」


 そうしなくてはならない、という幸継の主張には、すずなもうなずくことができる。

 統制されなくなった途端に、大名たちは欲望のまま乱世を開いた。どこか一つ、強者が力尽くで纏めることも必要なのだと、陽之元中の人間が理解している。


「幸継様の仰ることは、正しいのだと思います。……けれど、何と虚しいことでしょうか」


 人には心があって、言葉があって、理性もあるのに。己の望みばかりを優先して、他者を顧みない。


「誰だって傷付けば痛いのに。なぜ己が傷付くことは厭うのに、人も同じだからと留まれないのでしょう」

「私は人に余裕がないからだと考えている。……だからといって、許されることではないが」

「余裕がない、ですか。確かに、そうです」


 幸継の考えにすずなは同意した。自分のことで精一杯だった幼きあの日、すずなは周囲がどうであったか覚えてさえいないのだ。

 同じように傷付き、助けを求める人がきっといた。けれどその声はすずなの耳に届かなかった。それどころか、苦しんで動けない誰かを踏みつけにしなかったかどうかすら、自信がない。


 ――分からない。自分が生きるのに、助かるのに必死だった。


「だからこそ踏み止まれる限りは、私はそう在りたい。私にとって、それが美しい姿だからだ」

「美しい、ですか?」

「そうだ。どうやっても己とは一生付き合っていくしかないのだから、誇れる己でいたいと思っている。自身の行いを振り返ったとき、恥ずかしい思いをしなくていいようにだ」


 耳に痛い話だ。


「恥ずかしい自分ばかりが増えていっては、そのうち自分を見ることさえできなくなる。そうして目を逸らせば、当然、自分が見えない。己を見失うのだ」

「……怖ろしいことですね」


 答えながらも、ふと思う。


(今のわたしは、正にそうではないのかしら……)


 見たくない己を避けて、どこに立っているかも確認せず、理想だけを目指して歩いている。


「目を逸らし続けていたら、人から見える自分がすべてになってしまう。人が答える己が己になるのだ。だがそこに満足する答えなどない。己が認められる己の姿は、己の中にしか存在しないのだから」

「実感がこもっておられますね?」


 すずなの迷いとは方向が変わったが、なるほどと感じさせる説得力はあった。半ば確信して訊ねたすずなに、幸継は肩を竦める。


「体験談だからな。家臣団は皆、父上に心を寄せているという話をしただろう?」

「はい」

「皆が望む、父上のような男になろうと馬鹿なことをしていた時期があったのだ。どれ程真似ようと父上ではないのだから、そんなことで皆の心を掴めるはずもないというのにな」


 苦笑いをするが、そこにあるのは過去への懐かしさだけだ。辛かったはずの迷いは、彼にとってすでに経験。

 幸継の表情からそれを推し量ったすずなはほっとする。


「幸い、父上がすぐに叱ってくださったが」

「大切に想われていらっしゃるのですね」

「ああ。感謝している。私は幸せ者だ。だから、私の幸せを形作ってくれる皆を護りたい。そのために私は天下を平らげる。――すずな殿、そなたはどうだ?」

「――」


 先日、理によって遮られた問いを、幸継は再び口にする。

 その答えを出すことがすずなにとって必要なのだと、確信した強さを持って。


「何を成すために薬師を目指した?」


 目指した以上、どれだけおぼろげであろうとも、必ず心に描いた形がある。


「そなたは理殿になりたいのか?」


 理を目指すのはいい。しかし理の生き方だからというだけの理由で人生をなぞるのは愚かだと、先程幸継は己の身を例えにそう伝えてきた。

 少し困って――すずなは曖昧に笑った。


「幸継様は、本当にわたしを認めてくださっているのですね」


 これまでも御しやすいと踏んでか、理を誘って断られた者の中には、すずなを代わりにしようとする者は少なくなかった。しかし理に倣って彼の意思を口にすれば、全員が疑わずに信じて帰って行ってくれたのに。


「無論だ。私はそなたに助けられたのだから」

「いえ、それはお師様のお力の割合の方が大きいです」

「私の焦りを取り除いてくれたのはそなただ」


 そう言われると、否定はできない。幸継の心情を聞いたのはすずな一人だ。


「誤解なきよう申し上げますと、わたしはお師様の考えに共感しています。いかにお師様が優れた方でも、一人では行き届かないこともあると思うのです。お力になりたいのは嘘ではありません」


 それでいいではないか、と思う自分がいる。このまま何も見ないで、理に任せて、間違いなく人を救う彼に従っていさえすれば、それで。


 ――けれどその形は、すずなが薬師を目指した理由の実現ではない。


 心が違うと叫ぶのも、確か。


「わたしが自分の思いに忠実になるならば、戦場へ行くべきなのでしょう。……ですが」


 何よりすずな本人が、自分のことを信じていなかった。

 血の臭いに反応してしまう状態で、戦場に行ってきちんと薬師の本分を果たせるのか。

 いや、それだけではない。すずなが最も恐れているのは――


(わたしは患者を選んでしまうかもしれない)


 自分と同じ状況にある人には、きっと向き合える。だが元凶というべき武士はどうだ? 己の生活の全てを壊した者たちを、自分と同じように全てを失った人の前で助けられるのか。それが正しいと、誰に対しても嘘をつかずに、心から胸を張って言えるだろうか。


 もし、それができなければ。


「戦場に行けば、わたしは薬師の資格を失うかもしれません」


 幸継の言葉を借りるならば、憧れた理の教えに反した醜い己を、すずなは許せないだろう予感があった。


「ですから、お師様のようになれれば、いつかは」


 どちらにしろ今のすずなにその実力がないのは事実だ。心が強くなるまで、今はただ、美しい理の背を追っていたい。


 すずなの境遇から、彼女の恐れを見抜いたのだろう。幸継は喉に嚥下の動きをさせてから、意を決したように口を開く。


「そなたは私を助けてくれた。私は御柴の当主だ。そなたの厭う戦場を開く武士だと、治療をする前から知っていただろう」

「お師様が救うと決めた方ですから。弟子のわたしに否はありません」

「……ああ、そうか。成程……」


 何に得心が言ったのか、幸継は痛ましげに目を伏せた。

 その瞬間の幸継に理と似たものを感じ、どうにも落ち着かない心地になる。


「ただ、わたしの正直な気持ちを申し上げますと、幸継様を襲ったのが邪妖であったことに安堵しておりました」


 もし人同士の争いであったなら、どのような心境となったか。すずな自身にも想像ができなかった。

 幸継と話ができたとき、彼が無理をしたとき心からきちんと向き合って、薬師として怒れたとき、大丈夫なのではとささやかに自信を付けたりもした。


(でも、実際にやってみて駄目だったらどうしたらいい? やってしまったら、わたしはきっともう薬師を名乗れない。そんな自分が薬師を名乗るなんて嫌)

「恐れているのなら大丈夫だと、私は思うが」

「なぜです? 恐れているのですよ?」


 迷いを吹っ切れていないせいで生じるそれを、他人である幸継がなぜ断言できるのか。

 幸継の声音は他人事だからと簡単に放ったものとは思えなくて、彼の考えを知りたくなった。

 すずなを見据えた幸継は、はっきりと言い切る。


「それはそなたが何度も考えた証だからだ」

「――……」

「正しくないと分かっていても振り切れぬ弱さが、人にはある。だがそなたはその弱さを見つめる強さを持っている」


 迷えていることが強いのだと、そう言われた。


「たとえ見捨てたくて堪らぬ者を前にして、どのような心境にあったとしても、そなたはそなたが信じる薬師の姿を貫くだろう。苦しくとも、辛くとも、夜、憤りに泣き伏そうともだ」

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