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十話

 世の多くでは、言葉の中身よりも誰が言ったかの方が重視されるものだ。

 だからこそ、伝えた思いが素直に届く幸継には話し甲斐がある。炬は見込みのある人物しか相手をしないので間違いない。


「皆には本当に感謝している。ありがとう」

「いえいえ。人を助けるのは当然の人道ですから」

「救われた恩を返すのも、また人道だ。しかし困ったことに、私はそなたたちに何を以って報いればよいのか、皆目見当がつかない。望みのものはあるだろうか?」


 幸継はこの短い交流の中でも、三人が物欲に乏しいことを理解した。町の相場――つまりは自分の価値観による対価を押しつけるのではなく、相手を見たからこその質問である。

 幸継の心遣いこそが、すずなには嬉しい。理も炬も同じだろう。流れる空気が穏やかだ。


「それでは一つ、頼みがあります」

「どのようなことだ?」


 理が対価を求めたことに、幸継はむしろ嬉しそうな顔をした。謝礼を求めない想像をしていたのだろう。


 気持ちを形で表したい。しかし、押しつけるのは違う。


 口には出さなかったが、時折幸継が悩んでいたのをすずなは知っている。

 そして理が求める対価は、誰にでも同じ。


「もし貴方の前で誰かが困っていたら、どうか力になってあげてください」

「……そなた、菩薩か?」

「いえ、菩薩ではないですね」


 少し困ったように理は苦笑しつつ、きっぱりと否定する。さすがに菩薩ではないだろうが、現世に顕現した慈愛の権化だとはすずなも思っていた。


「しかし納得した。そなたたちから受けた恩を返すのに、それ以上に相応しい礼はあるまい。――承知した。この御柴幸継、生涯をかけて恩を忘れぬと誓おう」


 それは履行を約束した言葉だ。


(幸継様は有力大名。きっと多くの方をお助けになられる)


 そんな人が国司守であることを、嬉しく思う。

 一人でも二人でも、救われる人は多い方がいい。一人、二人が集まって『皆』になるのだから。


「……ふむ。なれば、汝れの道行きを祝し、我が一差し舞うとしよう」

「おや、珍しい」

「そやつの星に陰りが見えるのでな。しかし、輝星よ。汝れはこの混沌を鎮める要石と化けるやも知れぬ」

「それは頼もしい。では、私も一つ」


 すいと立ち上がった理に、すずなは顔を輝かせた。


「お二人の雅楽を拝見するのは久しぶりな気がします」

「そうかもしれませんね。日々の忙しさは心のゆとりを失くします。幸継殿のためと言いつつ、これはわたしたちにとっても幸いなのかもしれません」

「皆の気持ち、ありがたく受け取ろう。折角だ、私も参加してよいだろうか?」

「もちろんですとも」


 楽や詩は、武将にとってとても身近なものだ。言霊には力が宿るとされ、戦の前には主だった武将たちで連歌を詠む。楽も同じで、気運を引き寄せると言われている。

 そうして幸継が笛を、理が和琴を揃え――ふと、幸継がすずなを見た。


「すずな殿、そなたも参加してはくれないか?」

「え!?」


 理と炬の腕を知っていたすずなは、完全な観客として外から楽しみにしていた。そこにいきなりの幸継からの誘いで、びっくりする。


「そなたにもぜひ、加わってほしいのだ。駄目だろうか?」

「ええとあの、駄目と申しますか……」


 すずなが母の腹に置き忘れてきた才は、歌だけではない。楽器も同様だった。

 救いを求めて師を見ると、優しく微笑み返された。ではと後見人を見れば、こちらは渋い顔をしている。

 光明が――と、期待を持てたのは一瞬。


「常であればおこがましいと一蹴するところだが、汝れの心の形は悪くはない。すずなの音を聞くこと、特別に許そう」

「それは重畳」


 場の空気が、弾く感じにまとまっていく。しかも炬の言い方がすずなを持ち上げるものだったせいで、幸継からは期待さえ滲んでいた。


「ち、違うのです違うのです。わたしの弾く楽器の音は、歌以上で……!」

「すずな殿、楽は算術ではない。ありがたくも私の前途を祝ってくれる中に、そなたの音が欲しいのだ」

「……後悔なさいますよ」

「しない」

「……承知いたしました。では、幸継様の勇敢なる御心に応えましょう」


 ここで口だけで拒否するのでは、きっと幸継は信じてくれないと悟る。彼の前途を祝うことには心から賛成だから、すずなは覚悟を決めて参加を承諾した。


「ではすずな、こちらをどうぞ」

「お、お師様……!」


 言って理が回してきたのは、己が用意した和琴。理自身は代わりに鼓を引っ張り出してきた。


(な、なぜよりによって琴を!)


 主役を張れるその楽器をすずなが奏でればどうなるか、よくよく分かっているだろうに。鼓は鼓で曲を一撃で破壊する力を発揮するが、後遺症はそちらの方が軽い。


「分かりやすいかなと思いまして。安心しなさい。私がいます」

(一理ある!)


 鼓だけでは音感の問題にされてしまう恐れがある。二度、三度の悲劇を引き起こさないためには、こちらの方がよい。

 そして理がいるこの状況は、証明に適していると言える。


「それでは、いざ」


 すずなが構え、幸継も笛に口を付ける。嬉しそうに。

 ……罪悪感が増す。


「幸継様、一つだけ」

「何だ?」

「わたしの演奏を聞いて常人が意識を保っていた最長記録は、五秒です」

「は……?」

「参ります」


 トォン! と、理の指が鼓から澄んだ美しい音を引き出して、すずなが琴に爪をかけ――

 (ぬえ)が、鳴いた。



「――はッ」


 覚醒した幸継は、目を瞬いて辺りを見回す。


「大丈夫ですか、幸継様」

「すずな殿……」


 答えつつもまだふらつくのか、幸継は頭を軽く振った。


「すまない。私は今……」

「少しばかり気を失っていらっしゃいました」

「そうか、やはり。……裏の山には鵺がいるのか?」


 鵺というのは妖の名前だ。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎のものを持ち、鳴き声はトラツグミに似る。


「いないとも言い切れませんが、わたしは見たことはありません」

「しかし今、鳴き声が」


 目の前の琴が奏でた音だとは思っていないようだ。無理もない。本来、あんな陰気な音を出す楽器ではないのだから。

 すずなはためらいなく、真実を伝える。


「もう一度、鳴かせてみせましょうか」


 琴に手を置きそういえば、幸継は表情を凍らせた。


「まさか……」

「聞きますか?」

「……いや、やめておこう」

「それがよろしいと思います」


 健康な人だって卒倒するのだ。病み上がりの身なら尚更やめておいた方がいい。理が勧めてきたことなので、今回幸継にこれ以上の悪影響はなかったと思うが、二度目以降はまた不明である。


「何もやめることはあるまいに。我はもうずっと、汝れの音を堪能しておらぬ」


 すずなが琴を理に返すと、炬は心の底から不満気にそう言った。どこまですずなに甘いのか、炬は本気である。

 聞くのが喜んでくれる炬一人ならば問題ないが、生憎すずなに虫や動物たちへ拷問を加える趣味はない。炬に諦めてもらうのが妥当だ。


「周りに迷惑が掛かりますから」

「嘆かわしい」


 一番嘆かわしいのはすずなの腕前のはずだが、残念ながら炬の解釈は違う。


「何故、こうも芸事を介さぬ輩ばかりであるのか……。すずなの音は地上のものにあらず。天上に響くが如く、清き音よ」

「……炬様、もしわたしの音が芸術であるならば、言葉の意義が変わってしまいます」


 怪音波とか、そういう感じだ。

 炬は炬で己の感性を理解させることを諦めているのか、納得いかなさげではあるがそれ以上の主張はしなかった。誰にとっても幸せなことはないので、それが平和でいいだろう。


「……と、いう腕ですので、わたしは観客として参加させていただければと思います」


 この一言の説得力のための実演だ。甲斐あって、幸継は即座にうなずいてくれた。


「そ、そうだな。無理を言ってすまなかった」 

「ご存知なかったがゆえですから……。ですので、その、わたしは形にはできませんが、お師様や炬様と同じ思いではあります」


 幸継の道行きに幸を望んでいないとか、そんなことは断じてない。その意志の証明のためだったのだから、これを言わなくては意味がなかった。


 けれど、なぜだろう。当然の気持ちで、恥じる部分など欠片もないはずなのに、口にしている途中で妙に気恥しくなっていく。

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