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003.「馬鹿だねって言って」

作者: 砂糖菓子

003.「馬鹿だねって言って」


 3学期、高校生活最後の席替えであの人の隣になった。たぶん今年の幸運は全部ここで使い切ったんだと思う。授業中にこっそりと横顔を伺う、なんてことはタイミングを見計らわないと難しい。気兼ねなく見ることができるのはあの人の骨ばった左手くらいで、そればかりをチラチラと見ていた。

 休み時間に入るとあの人の周りには人が集まってくる。昨日のテレビの話や発売されたばかりの漫画の感想を話し合う男の子たち。私はそんなあの人の声だけを聞きながら、席に座って読書をしているふりをした。せめて声の届く距離にいたくて、机から離れることができなかった。

 あの人はよく「馬鹿だね〜」と口にした。それはバラエティでおかしな発言をした芸人に向けたものだったり、引退した野球部の後輩たちを評するものであったり、小テストで珍回答を連発する友達をからかうためのものだったりした。普通なら、言われたほうは嫌な気持ちになるかもしれない。けれどあの人の声音が、その絶妙なトーンが、場を一気に盛り上げるのだ。

 あの人にとって、私はかろうじて名前と顔が一致する程度のクラスメイトという存在だろう。校則で決められた通りの制服、肩までの真っ黒な髪、地味な顔立ち。友達と控えめな音量で談笑し、放課後はそそくさと帰路につく。授業中に目立つわけでもなく、球技大会での活躍も期待できない。あの人の視界に入るなんてこと、あり得ない。

 ただ私のほうは、あの人をよく知っている。2年生の夏までは野球部の部長を務めていて、部活には一生懸命だったけれど勉強は少し苦手。特に数学の授業の後はいつまでも眉間のシワが取れない。英語は好きなようで、教師に当てられるとハキハキと答える。たまに間違っても、「やっべ」と一言言えばクラス中が笑いに包まれる。そのときばかりは、私もあの人をまっすぐに見ることが許される。

 でも話しかけることはできない。あの人に話しかけられる女子は、クラスでも目立っている子たちだけだ。そもそも私とあの人に共通の話題なんてない。野球のことは全くわからないし、あの人だって私が読んでいる小説の話なんてされても困るだろう。

 隣の席になっても、あの人との距離は縮まらなかった。当然だ、話しかけることも話しかけられることもなかったのだから。一度だけ消しゴムを貸したことはあったけれど、それ以外はあの人の左手に時折視線を注ぎ、友達としゃべる声を横から聞いていただけだった。それでも授業中、特別なことをしなくてもあの人の隣にいられるのは、それだけで幸せなことだった。

 もしも願いが一つだけ叶うのならば、あの人から「馬鹿だね〜」って言ってほしかった。私が家で起きた些細な失敗を披露し、あの人が「馬鹿だね〜」と笑う。そんなひとときが手に入れば、私はこの先ずっとずっとその思い出をよすがに生きていけるだろう。

 教室の後ろの黒板には、卒業式までのカウントダウンが書かれている。すなわち、私があの人の隣の席に座っていられる最後の日までのカウントダウンだ。1日1日、数字は減っていく。

 もしも放課後にこっそり数字を書き換えたら、3学期が始まるあの日にタイムスリップできたりしないだろうか。そんなことを考えて誰にも見られないようにチョークを握ることもある。数字が変わっていることに数日間は誰も気が付かないかもしれない。けれどすぐに発言力のある女子が犯人探しを始めるかもしれない。そんなリスクを負うことは何よりも恐ろしくて、私の手のひらは今日もチョークの粉で汚れるだけなのだ。



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