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邪馬台国東遷  作者: シロヒダ・ケイ
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帰国

第五章 帰国


 帯方郡に着いた。文官、武官が迎える中、トシが挨拶をすると、筋骨隆々の武人が、トシの前に進み出た。

「私はあなたとヤマタイ国に同行するよう申し付かった梯儁(ていしゅん)です。」と名乗った。どうやらヤマタイ国に一緒に向かう魏の正使が、この人らしい。

てっきり帯方郡の外交担当文官の誰かが、同行すると思っていただけに、このキンコツ氏には驚きとともに威圧を感じてしまう。

帯方郡太守は劉夏から弓遵(きゅうじゅん)に変わっていた。弓遵との会見の席で魏の鴻臚の役人から帯方郡への引継ぎ行われる。

これで魏の担当官は洛陽に戻り、ヤマタイ国には洛陽にてトシが倭語を教えた帯方郡所属の通訳と梯儁が、共に旅する事になった。

 歓迎の宴で梯儁は隣の席に座った。「貴殿のお荷物に武具が多数ありましたが、あなたは武官なのですか?」

「いえ、あれはヤマタイ国の友人、武人なのですが・・その者への土産として持ち帰るものです。」

「そうですか、貴殿の体つきには似合わないと思いました。ハハハ。」

「ハイ」と苦笑する。

「魏の武具と貴国の武具では何か違いがありますか?」

「それは勿論。魏の武具には感心させられます。倭国では防護の素材は皮革製が多く、金属製は普及しておりません。短甲状の札甲に加え、魚鱗甲の甲冑は動き易くて優れものですね。」

武具を勝手に持ち帰るのに対してクレームをつけられのでは?と危惧し「友人や倭国の軍人に帰国の武具を紹介し、その素晴らしさを宣伝する為、持ち帰るのです。」とも付け加えた。

「それは良かった。是非倭国の軍隊にも取り入れて下さい。」

梯儁はむしろ、褒められて喜んでいる様子なのでホッとする。

 梯儁は酒を注ぎながら「馬はどうです。軍馬ですよ。貴国の馬はこちらの馬と違っていますかな?」と質問してきた。

「ヤマタイ国に馬はいません。こちらで物資運搬や伝令を早く伝える為に使役されているのを見て、便利な動物がいるものだと思っていたところです。」

「そうでしたか。なら、いっそ馬も持ち帰られてはいかがです?」クレームどころか、けしかけられたので、一層、安心感が拡がった。

試しに「馬というと一頭幾ら位するものなのですか?」と聞くと「平均で一頭に二千文、良馬なら五千から二十万文するのまでピンキリで大きな差があります。」「そんなに高い馬も・・。平均的な馬なら買えそうですけど・・」と口が滑ってしまった。

「ハハハ、買う気になりましたかな。丁度、明日、市場でセリ市があるんですよ。行ってみましょう。」買う気はなかったのに・・今更、断るわけにもいかず「じゃあ見るだけでも」と承諾してしまった。


 馬市はごったがえしていて、梯儁が下見に行くと言って人ごみに消えた時、馬三頭を連れた馬商人がトシの前に歩み出た。

クセのある顔の男。「私をヤマタイ国に連れていって下さいよ。」ニヤリと声を掛けてきた。

「お前、一体どうしてここに居るのだ?」

「お約束してたでしょう。卑弥呼様がクレオパトラかどうか確かめたいって。周到に準備して、ここで待っていましたよ。」と平然と答える。

洛陽を出立する際には顔を見せてなかったので、もう気にもしていなかったが、その男、孫が現れたのだ。


 二人が話しているのを見つけて梯儁が近付いて来た。

孫が梯儁に「お客様に、この三頭をお買い上げ戴きました。」

「幾らだ?」

「馬具付、三頭で合計一万銭。お安くしております。へへへ」

梯儁は馬を撫でながら「ほう。これは良い馬だ。安いじゃないか。これが手にはいれば、セリ市には参加しなくてもよさそうだな。」

「ただ、この方が馬の飼い方がわからないというので、私が馬丁として雇われることになりました。何でも倭国から来られたとの事で、私も倭国とやらに行ってみたくなりましてね・・」

「あっ、そうか。馬の世話をする者が必要だな。・・うーん。本来ならこの地の人間をむやみに他国に行かせる訳にはいかんが、トシ殿の頼みとあればよしとするか。」梯儁は、、寛容にその件を承諾した。


「そんな事よりこの馬に早速、乗ってみよう。トシ殿。乗馬練習しますぞ。」

 梯儁は近くの空き地で馬の乗り方を教えてくれた。お尻は痛いが、何とかユックリなら乗りこなす事が出来そうだ。小走りに走ると乗馬の面白さがより理解できる。

「これは使えそうだ。ケンは目を輝かせるだろう・・」

梯儁は「騎馬で戦うには両刃の剣より片刃の剣が軽くて使いやすい、こうして佩刀(はいとう)するのだ」と上級編を教えようとするが、馬から振り落されないよう、しがみ付くのが精一杯、刀を操る事など考えられなかった。

それでもこれはビジネスになるとは思った。

馬を増やせば、倭国でも高く売れそうだ。塩ジィに相談してみるか・・。馬はオス一頭、子を孕んだメスが二頭である。

 

 さて、いよいよ倭国に帰還の時、帯方郡を出立する時がきた。海宴の港から三隻の軍船に乗り、狗邪韓国を目指してイザ、出航。

 狗邪韓国で一大率の船を先導役に加え、元来た海路を対馬(つしま)国、()()国、末盧(まつろ)国と立ち寄りながら航海する。

狗邪韓国で先輩に会えるかと楽しみにしていたが、先輩は既に本国に戻されていて久しいとの話だった。


 梯儁はそれぞれの国の長官から接待を受けたが食事や宴については、あまり関心がないらしく、適当なところで切り上げるのを常としていた。

一方、どこの国でも閲兵させてくれるように要望を出し、兵の持つ弓や剣、防具、兵の動きや隊列の組み方を熱心に見て廻った。

この人は倭国の軍事力、軍備の内容を知ろうとしている。その事は武人ゆえの関心の持ち方だろうが、いかにも熱心過ぎる。何か目的でもあるのだろうか?・・トシは少し不安を感じてもいた。


 思い切って訊ねる事にした。「梯儁殿は、我が国の軍備に関心がおありのようですが・・」「ああ、私が使者に選ばれたのは貴国の軍事力を視察する目的があるからだ。」こともなげに告げる梯儁。

目的が軍事力の偵察とは穏やかではない。

まさか魏がすぐに倭国を支配下に置こうと考えているとは思えなかったが、先輩が以前語った事があるように、魏の韓半島経営に於いて、支配力を高めるとすれば、まず馬韓、辰韓、弁韓、韓半島南部を固めれば次のターゲットは倭国になる。・・そういうシナリオがあるのだろうか?・・しかし、そんな下心があるなら正面切って軍事力視察を目的などとは言わないはずだ。

 梯儁は続けた。「しかし、これまで見たところでは軍隊と呼べるものを持った国はなかった。人口が少ないせいかな?」

「報告では邪馬台国七万戸、奴国二万戸とある。このクラスに行かないと軍隊らしきものはないのかな?」と独り言のように呟いた。

 「これまで倭国は、韓半島勢力から侵攻を受けた事はないのかな?」軍兵が少ない理由を考えているようだ。

「その事は聞いたことが有りません。もともとヤマタイ国の倭人は弁韓からこの地に渡ってきた者が、それまで住んでいた原倭人と融和して定住したものとも言われています。韓半島南部の部族とは顔も言葉も似ていますし、貿易も盛んです。お互い、海を渡って戦争を仕掛ける事はこれからも考え難いと言われています」

「ただ、国内で争いはあるだろうに?」

「卑弥呼様が女王になる前は頻繁に戦乱があったと聞いています。しかし、卑弥呼様が共立されて後は、()()国との諍いは別として、グループ内の国家間で目立った揉め事はなくなりました。かれこれ四十年近くになりますかね・・」

「ほう。そんなに戦乱が無いとは、平和な国なのだな。それで治安維持の兵力しか必要ない訳だな。各国の長官達の国防意識が弱いのもうなずけるというものだ。」と納得した表情を見せた。


 翌日、天候も晴れ。

末盧国王も加わって一行は伊都国に向かった。チクシとハイキングした思い出の伽耶山が大きく近づき、火山(ひやま)から狼煙が上った。我々が接近している事を一大率に知らせているのだろう。いよいよ帰還となるのだ。

それはチクシ、ケン達と再会出来ると言う事。帰還後にどんな人生が待ち受けているか判らないが、ともかく話したい。チクシと同じ空気が吸えるのだと思うと胸が高鳴り、この懐かしい大地、自然の風景に感謝したくなる。

そして、難升米が約束してくれたように、それなりのポストにつく事が出来れば、一人前の男と認めてもらえるのではないか。あの、難しそうな巫女頭、チクシのおばあ様にも・・キット。


  船団は大型船が入れる水深の、引津湾の沖合に停泊した。そこで一大率が用意した小舟に乗り換え、加布里湾から一大率へ。黒山の人だかりの港に上陸した。

「遠路はるばる、ご苦労でござった。歓迎申し上げる。」

一大率長官がにこやかに第一声をあげた。その、傍には伊都国王、奴国王などそうそうたるメンバーが並んでいる。

警備兵の中にケンの顔が見えた。一段と逞しくなっている。周囲には魏使を一目見んと一般の民衆が大勢、取り巻いていた。

なつかしい塩ジィ、そして玉造の大将の姿も確認出来る。

一行は一大率の迎賓館に向かった。道には警備兵の後ろに学園の学生達が整列して歓迎していたが、その中にチクシの顔が見えないのが残念だ。というより、何かイヤな予感がする。後でケンに話を聞かなければ・・と思う。


梯儁が挨拶を行い、長官はヤマタイ連合国の国王、高官達を紹介する。が、肝心の伊支馬殿が居ない。

話を聞くと、ヤマタイ本国から長官伊支(いし)()将軍難()()()がこちらに向かっているが、到着まで三―四日掛かると思うので、その間は迎賓館に於いて、魏使一行の旅の疲れを癒されるようにと伝令が来たとの事。早速、その旨を梯儁に伝達した。魏皇帝の下賜品の引き渡しの儀式は、その二人が到着してからになるからだ。

しかし、梯儁は例によって一大率兵士の閲兵を望み、奴国王にも閲兵の為の奴国訪問を申し入れていた。

一大率では兵士のうち百名程が隊列を組み、梯儁や高官達の前で、閲兵に臨んだ。これまでの閲兵では憮然とした表情を崩さなかった梯儁の頬が緩んだ。「ほう。あの者の小隊の動きはイイぞ。キビキビした分列行進だ。」

あの者とはケンの事を指して出た言葉だった。その後、ケンは武術の型を披露するが、その所作もカンペキと梯儁は褒めた。

「あの小隊長は私の親友でケンといいます。武具の土産を渡すつもりと言った奴です。」

「貴殿と知り合いなのか。それは良い。一度会って話したい。明日、奴国から戻ったら、その機会を作ってくれ。」との惚れ込みようだ。

一大率長官は歓迎の宴の準備が整っておりますのでと、梯儁が伊都国にとどまるよう引き留めにかかったが、梯儁は構わず奴国王と共に奴国に向かった。奴国には外交部のソシアオ氏が同行する事になり、トシには久し振りに自由時間を与えられる。


トシは持ち帰った書籍や土産の品々を整理、チェックをした後、長官室に向かった。洛陽の市場で買った青銅の酒器セットをもって、改めて帰国の挨拶を行い、その席で梯儁のケンと面会したいとの要望を伝え、その許可を取った。

続いて所属の書記官室外交部に顔を出し、手土産品を配った。ただ、悲しい知らせも知る事になった。

自分の席の前に連絡の竹簡が置いてあったが、それは故郷の祖母が亡くなったとの悲報だった。トシの帰国を楽しみにしていたが、叶わず、数か月前に病死したという。思わず涙がこぼれ落ちた。


翌朝。休暇を与えられたトシはケンの部屋を訪れた。ケンも長官から休暇を取るよう指示を受けて待機していた。目が合うなり抱き合ってお互いの健勝ぶりを喜び合う。

「でかしたな。一発当てて帰ってきたじゃないか。」

「お前も何時の間に小隊長に昇進して凄いじゃないか。梯儁殿が褒めておった。今日、会いたいと言われているのは知ってるな?」

「おう。光栄な事だ。お蔭で休暇を取らしてもらった。」

トシは一刻も早く聞きたいと思っている事を訊ねた。

「ところで皆はどうしている?」皆という言葉を使ったが、実はチクシの事。ケンもそれを承知していた。

「チクシはあれから音信不通なのだ。」チクシは思った事は必ず実行する。ここで研究すると言ってたのだから、一大率に戻っているのが当然なのに・・と再び不吉な思いにかられた。

「音信不通?学園には戻っていないのか?」

「そうだ。お前とキジと連れ立って邪馬台国に帰省したっきり。噂もない。ヤマタイ出身の新入生の巫女に、探りを入れてもチクシという名前さえ知らない者ばかりで、まるで手掛かりがない。」と顔を曇らせる。

チクシの身に何が起こり、どうしているのかと身を案じるが、情報がまるで無いのでは考えも進まない。


先輩に関しても、狗邪韓国から帰国しヤママタイ本部に戻ったそうだが、その後の情報が何も入って来ないという。

他の昔話が一段落し、トシは持ってきた土産の鉄製の甲冑を差し出した。

「おう、これは。」

革の鎧しか見た事の無いケンは驚いた。早速身に着け「思ったより重くないな。札状の鉄片を綴って出来ている。腕や腰部はもっと小さい鉄片で動き易い、これはスゴイ。」と感動していた。

「もっと凄いものがあるぞ。馬だ。」昨日、面会に来た塩ジィとムナカタことムナジィに訳を話して、馬と孫を預かってもらっている。

「ああ。船に乗っていた、おとなしそうな動物、あれが馬か。あんなものが戦場を駆け回るのか?」

「そうだ。徐先生が趙雲の活躍を話した場面があっただろ。単騎またがり敵陣に切り込んで劉備の息子を救い出した、あの馬だよ。」

「乗りたいなあ。」

「乗ってみないか。塩ジィに預かってもらっている。俺が指導してやるから。」

「それは是非頼みたい。」俺がケンに偉そうに指導出来るとは、貴重な体験になりそうだ。


二人は塩ジィ達の元を訪れた。

一大率にほど近い集落の広場に馬は繋がれていた。馬の世話をしている孫と一緒に、馬に鞍を乗せ、トシが自慢げに馬に跨って広場を一周する。と、ケンの目が輝きだした。

「乗りたい。」

孫がケンに手本を見せながら馬の扱い方を手ほどきすると、即、馬に跨った。

ケンはまたたく間に上達し、トシの技量をアッと言う間に追い抜いた。そればかりか、教えてもいないのに馬上で剣を振り回し始めた。既に気分は趙雲といったところだ。

自慢が出来なくなったトシは仕方なく塩ジィに話しかける。

「馬って、面白いですよ。戦場を駆け回るだけじゃなく、大きな荷物も運べるし、走らせれば一大率から伊都国王の屋敷まで、ものの十分足らずで行く事が出来ますからね。」

「おお、そうか。そうだな。」

ケンの動きに、満足気に頷いていた塩ジィの耳元で囁いた。

「儲かりますよ・・」途端に塩ジィの顔が真剣になる。

「メスの方は子供が宿っています。頭数を増やして高く売れば、きつい仕事の塩の加工賃よりはるかに儲かる事、請け合いです。」

馬の飼育は草やワラを食べさせるだけ。乗馬のしつけが出来れば、高値で売る事が出来ますよと説明する。

その間にも集落の人々が一人、二人と見物に集まり、今では人だかりができている。・・それを眺めていた塩ジィは「売れるな、コイツは。」と大声を出した。

「この年で塩の仕事はキツイ。そろそろ人に譲るとするか。これからは広い野原で馬ジィ・・になるか。」と転職を決めたようだ。


馬が疲れてきた様なので、水を飲ませて一息入れていると、一大率兵士と魏の兵士の集団がやって来た。

何か咎められるのかと心配していると、集団の中から梯儁が現れた。奴国から戻り、我々がこの広場に居る事を聞きつけたらしい。

「乗馬をしてるそうじゃないか。」

「ハイ。ケンに教えているところです。」

「「ほう。見てみたいのう。」

ケンが再び馬に乗り、先程の手綱さばきで馬を走らせた。いや、先程より確実に上手くなっている。

「うん。ビューティフル。」拍手喝采した梯儁は馬から降りたケンの手を取りニコニコ顔で褒めたたえた。

「今から飲んで語り合おう。何処かいい店を知らんか?」

塩ジィが行きつけの店を借り切る事が出来るというので、皆で市場の方に向かう事にした。


塩ジィの行きつけの店は汚いが、魚が美味い居酒屋である。市場のはずれにあるが、そこに多くの兵士にガードされながら一団がやって来たので、周りがちょっとした騒ぎになった。

兵士達が警護する中、梯儁、トシ、ケン、塩ジィが店に入った。

酔うほどに、これまで各地で受けた接待の時には見せなかった、梯儁の豪快な笑いが店内に響く。

「出来ればケン殿を魏に持ち帰りたい。良いミヤゲになるのだが・・」同じ武人としてウマが合うのか、ケンも満更でもなさそうに付き合っている。

「ところでお前、どんな武人になりたいのだ?」

ケンは調味料の魚醤(ぎょしょう)を墨にして卓に「(ちょう)(うん)」と書いた。が、直ぐにシマッタという顔をした。中国の武将名が書かれた事に梯儁は目を丸くする。

「いやあ、失敗、失敗。趙雲は魏の敵将でしたね。ハハハ」頭を掻きながらケンが詫びると「なんの、なんの。我が国の武将の名前が出てきたので驚いただけだ。趙雲を知っているとはな・・これはまいった。」と応じた。

「自分に欲を持たない真っ直ぐなところが好きで・・」

「趙雲は良いよ。というより我が国の太祖、曹操(そうそう)様も自分の支配下に持ちたいと願った武将の一人だ。関羽と並んでな。実を言えばワシも憧れている。ハハハ」梯儁はますます上機嫌になり杯を進め、ケンにも酒を勧めた。

「今日の奴国での閲兵は如何でしたか?」ケンが話題を転じると、途端に梯儁の顔が曇り「話にならん。」と吐き捨てるように言った。

「「戸数二万戸の大国と聞いていたので閲兵する兵士の数は千人、悪くとも五百人と思っていたが、せいぜい二百人足らず。隊列も不揃いで、あれでは烏合の衆、訓練されとらんな。」

「魏ではどのくらいの兵士がいるのですか?」

「魏では戸数百万戸、老人・子供を除くと一戸当たり四人と勘定して約四百万人の人口になる。そのうち一割四十万人が兵士、ちなみに官吏は十万人くらいかな。」

「それでは奴国の規模では兵士八千人、官吏二千人という計算になりますね。」

「そんなに兵士が多くては俸給や食糧の手当が大変ではありませんか?」

勿論、全員が兵役だけに専従している訳ではない。屯田兵(とんでんへい)として俸給の足らない分、食料を自給している者も多数いる。先ほどの兵士の数は有事の場合に動員出来る数だ。」

「そういう仕組みになっているんだ。」


倭国は平和で、民も従順だから治安を維持するだけの兵力で良いというのは判るが、イザ何かあった時の対応を考えると脆い危うさを感じる・・と梯儁は感想を述べた。中国で無防備という事は滅びる事を意味するそうだ。

世界(すたん)標準(だーど)は人口の一割が兵士と言う事か。」トシはその事が良いのか悪いのか判断に迷いながら、倭国と他国との違いに思いを寄せた。

ところが、梯儁はもっと兵士の割合が多い国があると言う。高句麗は戸数三万戸の小国ながら最大動員出来る兵士の数は二万人を大幅に上回ると推定していた

土地が荒れているせいで、逆に他国の領土に侵入して略奪するのを常としている。周辺国を属国扱いして、物資を吸い上げる事で成り立っている国だからと言うのだ。当然、それを可能にするには兵力拡充と訓練強化を欠かす事はない・・厄介な国だと説明した。

「高句麗は公孫討伐時に魏の味方として援軍を派遣したと聞いてましたが?」

「初めから奴等の魂胆は判っていたが、公孫滅亡後、少しずつその本性を表しはじめている。楽浪郡の領内に出没して荒らしまわったり、属国化している沃沮(よくそ)に加え、その南にある(わい)にもチョッカイを出し始めている。」と云う。

「濊と言えばその南は辰韓になりますね。」

「ああ。奴等の一番の狙いは遼東地域だろうが、次に狙うのは濊から南下した韓半島南部の弁辰方面になるだろう。高句麗以外にも馬韓の中に高句麗系の部族が勢力を伸ばしたり、公孫の生き残りが息づいているとの話がある。帯方郡としてもそうした動きに注意を払わねばならないので、韓半島経営も楽ではないのだ。洛陽の連中はわかっとらんがな・・」

弁辰地域にまで高句麗の手が伸びるとなると倭国にも脅威になる。鉄の供給原は弁辰にあるからだ。

「辰韓の連中も黙って見ている訳にはいかない。対策を講じてくるだろうから高句麗の思い通りには行かないと思う。しかし、国というものはそこまで考えて危機管理をしなければならない。そう、それを倭国には言いたいのだ。これまで会ったこの国のリーダー達には危機意識が欠けている。」

梯儁の言う事にも一理ある。倭国は他民族と海を隔てている事で、対外リスクに関する感度が低いのは事実なのだ。


梯儁は目をつむって考えていたが、いきなり目を見開いて喋りだした。

「このヤマタイ国には変革が必要だ。どうだ、君達、若い力でこの国を変えてみないか?」

「どういう事です?」

「ヤマタイ連合国を突出した軍事力を持つ国に変貌させる事だ。」梯儁が話始めたのはこういう事だった。

倭国にはヤマタイ連合国以外にも多数の国がある。それらの国の軍事力はヤマタイ連合国のレベルより更に低い筈。ヤマタイの主要国である奴国でさえ烏合の衆なのだから、突出した軍事力さえ持てば、それらをまとめて大きな統一倭国にするのは容易に実現出来る。魏の後ろ盾を利用すれば更に簡単に可能に出来る筈だ。成し遂げて対外リスクに備える国とせよ。

現状、平和な国である事は良いが、その平和を長く安定して守れる国にする事が肝要ではないか・・

この話・・どこかで聞いたことがある。そうだ、キクチヒコ先輩と一緒だ。トシはそう思った。

「ま、この話は魏の国益を考えて言った事だがな。」

倭国が韓半島の背後にあって、不穏な動きの国に目を光らせてくれれば魏の韓半島経営にもプラスになる。それが目的なのだ。今回の使いでは倭国の軍事力を調べ、将来の軍事協力の可能性を探る為に自分が選任されたのだと打ち明けた。

いずれ魏は高句麗討伐を行わざるを得なくなるだろう。その時までには倭国がバックアップ出来る力を備えて欲しいという訳だった。・・文官ではなく武官の梯儁が魏の使者に選ばれた理由がハッキリした。

「ところで船の修理・点検をしたいのだが、ここにはそうした職人がいるかな?」本題が終って、実務的な話題になった。

「船の事でしたら、この塩ジィが詳しいです。」

「早速、手配しましょう。魏の軍船の構造にも興味ありますんで・・」


翌日。ついにヤマタイ本部の長官伊支馬と難升米の一行が一大率前の港に到着した。当然、トシも一行を迎える。

難升米の顔を見て、洛陽での会話を思い出していた。

ヤマタイ国に帰国して、次の仕事は難升米様の配下で、それなりのポストで働く事になるだろう。であればチクシの事は心配だが(再び会いまみえる事が出来れば)トシの願望成就にプラスとなるだろう・・お世話になります・・との思いで「お久し振りです」と挨拶すると難升米も「俺に任せておけ」と言わんばかりに胸を叩いてニヤリと笑みを返した。


伊支馬と難升米、一大率長官が部屋に一同に会した。その席にトシも呼ばれる。無事に魏使を連れて帰国したねぎらいの言葉を掛けられたのだ。

トシは良いタイミングと思い「お耳に入れておいた方が良い情報が有ります。」と切り出した。

「なんだ。話してみろ。」一大率長官が怪訝そうに答えた。

トシは梯儁が武官でありながら魏使に選ばれ、道中、閲兵を欠かさず行った事、目的は倭国の軍事力を調べ、軍事協力の可能性を探る為である事、その背景には帯方郡が苦慮している韓半島情勢がある事を事務的に報告した。

「まさか」長官は歴代の公孫の使者が物見遊山で滞在しただけなのに、魏という大国がそんな事を考えているのは信じられない様子だった。

「そのような話が実際に持ち出されるか判りませんが、念の為、お伝えしたまでです。」と言い添えると「そうか。わかった。下がって良い。」伊支馬と難升米はとうに判っている事のようにアッサリ答えるのみ。

或いは難升米が昨年、帰国する際に、帯方郡で打診があった事なのかも知れない。


一大率の大広間に包装が解かれたばかりの、魏使持参の明帝の下賜品が並べられた。

倭国の人々が見た事もないような美しい光沢の絹布。金ムクの塊が放つまばゆい輝き。威厳のある刀剣。青光りする真珠に鮮やかな赤の鉛丹。それらが息をのむ色彩美を誇っているのに加え、キラキラと光を反射させる銅鏡百枚の存在感に圧倒されぬ者はいない。

贅沢品を有り余るほど所有している伊都国王でさえ口を半開きに眺めるばかり。参列した他の国王、長官連中も、その目は吸い寄せられるように、それらの品々に向けられていた。

梯儁が正装に着替え、いつもとは調子が違う甲高い声で詔書を読み上げる。とりわけ「親魏倭王」という言葉は大広間に響いた。

卑弥呼を代理して、これらを受領する使者は伊支馬である。中国式の正装をした伊支馬は、進み出てうやうやしく金印、紫綬を押し戴いた。

目録に従い下賜品の確認を終えた後、答礼の上表文を読み上げ、感謝の気持ちを表して、梯儁に手渡した。この堂々とした立ち振る舞い。伊支馬にしか出来ない芸当のように思えた。


セレモニーが終り、懇親の宴が始まるまでの間、伊支馬、難升米、梯儁の首脳会談が行われる事になった。通訳としてトシも同席する。

梯儁は帯方郡太守からの提案を伝え始めた。果たして内容は、韓半島情勢を説明の後、郡とヤマタイ国間で軍事協力関係を構築できないかというものだった。

双方に有事が生じた場合、相互に間接的に相手をバックアップする。例えば高句麗と帯方郡が対峙する事になった場合、ヤマタイ国は狗邪韓国に部隊を出し韓半島南部の親高句麗勢力を牽制する。

逆にヤマタイ国が周辺民族や他の倭国勢力に脅威を受けた場合、魏が公式に認める倭国王はヤマタイ国王のみ、との立場から後ろ盾の役割を果たすとした。

伊支馬は「戦場への部隊派遣など直接的な軍事行動までは必要無いのですな?」と釘をさした。

「将来はともかく、現状では間接的な協力に限定して関係を築き始めるのが妥当でしょう。・・それに・・」口ごもった梯儁に伊支馬が身構えた。

「こういう指摘には不快感を持たれるでしょうが、貴国の軍事力は我々が想定していたレベルと比べてはるかに劣る水準にあります。ハッキリ言って共に戦場で戦うなど思いもよりません。」ヤマタイの軍事を担当する難升米の顔が歪んだ。

難升米にしても今回の朝貢の旅を通じて魏の軍事体制と倭国のそれとでは大きな差異がある事は判っている筈だが、面と向かって指摘されるのは愉快な事ではない。


「帯方郡としてはヤマタイ国に軍事力強化を要望したいと考えます。少なくとも韓半島の国々や諸部族に、倭国の存在が抑止力として映るまでにはなってもらいたい。」

梯儁は言葉を続けた。「それは貴国が国を守り、弁辰の鉄の権益を守り、或いは、今後ヤマタイ国が名実共に倭国全体の覇者になる上でも大事な事と存じますが・・」

覇者という言葉に伊支馬と難升米の目がキラリと反応した。帯方郡とヤマタイ国の合意は成立したようにトシには感じられた。


「もう一点、申し上げたき事項がござる。」

「ほう、お聞きしましょう。」伊支馬が答えた。

「魏はヤマタイ国の内政に干渉するものではないが、ここにおられる都市(とし)()()殿の処遇の件でお聞きする必要があります。」トシが言い難そうにしているのを伊支馬が咎め、梯儁の言葉通りに訳すよう命令を下した。

「先帝は難升米殿を卒善中郎将、都市牛利殿には率善校尉の官位を与えられた。都市牛利殿には倭国にてもそれなりの処遇をしていただける筈でしょうな。私はその事を本国に報告しなければなりません。」

「トシについては私の配下として・・」難升米が慌てて口を挟もうとしたが梯儁は無視して伊支馬に向かって喋り始めた。

「提案でござる。都市牛利殿を、小さな国でも良いので長官に任命していただけないですかな。欲を言えばその補佐役として軍を束ねる地位に一大率の伍長、ケン殿を推薦いたす。・・本人を目の前にしてなんですが、お二人共に経験少ない若輩者ではあります。しかし、能力ある者を抜擢して力を試す事はヤマタイ国の将来を大きくする事につながりますぞ。魏に於いても太祖曹操殿は実力ある者を抜擢して中華の雄になられた。ヤマタイ国が現状維持のみを考えず、倭国全体を統一する気概があるなら、今の体制を変革する必要があります。」伊支馬は腕組みしながら何やら思案している。

「正直に言いましょう。貴国のリーダー達は国防の意識も低く現状に甘んじておられる。ヤマタイ国は潜在力のある国と思うからこそ申し上げるのです。若者を使って変革の先鞭とされれば、その成果は全体に及び、繁栄の道を歩まれる事につながりますぞ。現状を変え強い国を作る為、試験的に軍事特区を設けられる事をお勧め致します。いかがかな・・」


トシは伊支馬が難色を示すと思っていた。「面白いご意見、提案を頂戴しました。」伊支馬が口を開いた。

やんわり受け止めて、さてどう切り返すのか?と思いきや「只今のご提案、しかと承りました。ただ、私の一存では即答できかねます。幸い、ここにはヤマタイ国の主要メンバーが揃っております。合議に掛けた上、ご返答させて頂く事でよろしいかな。合議で決まったとあれば、卑弥呼様からも事後承認いただけますからな。」と前向きな発言をした。

梯儁は「おお、検討いただけますか。こちらの提案を、お受けいただけるなら帯方郡としてもご支援を惜しみません。」

帰りの船は三隻も不要として一隻を寄贈する事や弁辰の鉄の配分比率につきヤマタイ国に有利になるよう力を貸すと申し出た。

増加分の鉄をもって武器を作り、魏の軍船に習った船を倭国に作らせ、倭国海軍を強化する事で、万が一の時の駐留軍派遣に備えよとの含みがあるのだろう。


首脳会談は終わったが、伊支馬はトシに残るよう命じた。「二人で話したい事があるのだ。」と人事面談が始まる。

「お前はいつぞやキクチヒコの従者として来た二人のうちの一人だな。」

「覚えていただき光栄に存じます。もう一人の従者が先に話題に上ったケンという者です。」

「そうか、不思議な縁があるものだな。ところで朝貢団派遣の際、突然、卑弥呼様がお前を名指しで通訳にするよう指示されたのを知っているか?」

「エッ。卑弥呼様が?私を?」トシはきつねにつままれたようにキョトンとした。「人選に口出しされるなど、かつてなかった事。驚いた。何処でお前の名前を知られたか不思議だが・・」

「私にも皆目見当がつきません。」

「まあ、良い。無事に勤めあげて魏との友好を築いて来たのだからな。卑弥呼様の直観が、またアタリと出たのだ。ハハハ」


「キクチヒコ先輩が本部に戻られたとの事ですが、どうされているのですか?」

「あいつは今、狗奴国に居る。」これもビックリする話だ。

「兄たちが相次いで亡くなりキクチヒコが後継王子候補になったのだ。狗奴国からの急な要請で戻す事が決まった。狗奴国の船が狗邪韓国に迎えに行ってそのまま帰国したので顔は見てないが連絡の書簡が時々届く。」

「元気にされているんでしょうか?」

「ああ。いよいよ狗奴国の柱に育ちつつあるらしい。」

「それは良かったです。」


「キクチヒコの事は改めて話すとして、まずお前の事だ。覚悟はよいか?」本題に入った。

「梯儁殿の話の事ですか?長官など畏れ多い事です。私には能力も自信も御座いません。」途端に伊支馬が恐い形相になる。

「「尻込みしてどうする。何としても任務を果たすとの気概がなければ、この先やって行く事は出来ないぞ。」

「はい。」

辞退する事は許されない雰囲気だった。

「お前に行ってもらうのはオカの国だ。」オカの国とは聞いた事がない。学園仲間にもその国の出身者はいなかった。

「小さい国だ。オンガ川の河口に半農半漁の集落がある。川が氾濫する事が多く、穀物がやられる難しい土地柄だ。今年の氾濫は特に凄く、とうとう救済を求める代わりに属国になると申し出てきた。」

「私に治水事業をせよと?」

「現地が求めているのは治水と農業再生、それもやらねばならぬ。洛陽で学んだのを生かす事だ。が、お前を長官にする目的の第一は、その国を軍事特区にする事。梯儁殿が提案したものを実現させるのだ。」

「オカの国から海を渡れば北や東に多数の倭種の国がある。将来、ヤマタイが東方に勢力を拡大するには、かっこうの出発点となろう。あの難しい国が豊かになったと評判をとれば海の先の倭種の国でヤマタイ連合の傘下に入りたいと希望する国も出てこよう。オカの国を豊かに、強くするのがお前の役目だ。」

難しい国を豊かに?そんな事が出来るだろうか?

「サポートはヤマタイ本国がする。属国は献上品を収める義務があるが、それは不要。そのことで確保できるであろう財源と、鉄供給の特別枠で軍を編成し、軍備を進める事だ。一大率にも便宜を図るよう指示しておく。」

トシがなお困惑した表情をしている事で再び伊支馬のカミナリが落ちた。

「必ず成し遂げるのだ。失敗は許されん。でなければキクチヒコとの計画が・・」力が入ったのか、ゴホゴホと咳き込む。

「大丈夫ですか?」

「いや。大したことはない。それより・・」と伊支馬の話が続いた。


伊支馬は倭国統一のチャンス到来とみていた。先年、キクチヒコの話に反対してはいたものの、元々は倭国統一の夢を抱いていた伊支馬。

魏がこちらを利用しようと提案してきた事を、逆に利用して倭国統一への機運を高める事を考えていた。魏の要請を受ける形で軍事力を強化し、東方に勢力拡大する為の橋頭(きょうとう)()を作る。それが達成出来たところでヤマタイと狗奴国を合体させ、同時に連合国体制を中央集権に再編するというのだ。

「邪馬台国内部には狗奴国に対する拒否反応が強いように思えますが?・・」難升米が狗奴国憎し・・の言動を繰り返していたのを思い浮かべた。

「そうだな。一筋縄にはいかんが、それを可能にする打ち手が必要だ。」

まずはキクチヒコとヤマタイの有力者の娘との結婚を整えるつもりだという。既に半年前に卑弥呼の孫娘との縁談を進めようとしたが、性急に事を運ようとして破談になった。

「あの娘には悪い事をしたな。」と顔をしかめた。今回はキクチヒコが実権を握るタイミングで、ゆっくり確実に実現させるつもり・・と打ち明けた。

「加えて、お前が今回の任務に成功するのも前提条件になる。ヤマタイ内でお前の発言力が高まる事が重要だ。」伊支馬がトシを睨みつけた。

キクチヒコに近いトシの存在感が大きくなれば、狗奴国との合体がスムーズに行くとの計算だ。

合体後の人事でキクチヒコを東征大将軍に据えるつもりなのだとの構想も口にした。トシが東方進出の足掛かりを作って置かねば、これらの計画全てが水泡に帰すことにもなりかねない。自分の役割は重大なのだ。

トシは自分が伊支馬の考える布石の一つなのだと理解した。そのシナリオで自分は主役としての長官ではない。先輩の露払いで長官に就任するだけなのだ。あくまで自分は脇役なのだと考えると不思議にプレッシャーが消え、楽な気分になった。

伊支馬はトシが不安に思う行政実務を補佐する為、ベテランで腹心の部下も付けてくれると約束してくれた。こうなれば、やるしかないだろう。

「もし、私が長官に指名されれば、ハラをくくって拝命致します。期待に添うべく頑張ります。」と宣言した。伊支馬、笑みを浮かべて頷く。


ヤマタイ国有力者会議が開催された。伊支馬が帯方郡からの軍事協力協定の提案について、韓半島の政治・軍事情勢を交えて説明する。

弁辰の鉄の供給が不安定化する事は鉄の交易を通じて潤い、繁栄を得ているヤマタイ連合として見過ごす事は出来ない。従って、この提案を受け入れ、有事の際には狗邪韓国へ出兵・駐留する事も視野に、今後、軍備増強に努める必要がある事を訴えた。

となれば各国に負担が掛かる事になる・・と一同の顔に陰りが走ったが、伊支馬はその中核になるのは、最も鉄の恩恵を受けている一大率及び邪馬台国である事を告げ、各国の負担増は限定的になるとの見通しを伝えた。となれば、特に異議が出る事も無い。

次の議題は魏が正使難升米、副使トシの処遇について問うてきた事である。難升米は以前からヤマタイ本国の将軍職にあり特に問題はないが、トシについては経験面、出自の面から、高い位を授ける事には異論が出そうだった。

かといって、魏帝から率善校尉の官位を与えられた者に、それなりの処遇をしなければ魏のメンツを潰す事につながる。


伊支馬は単刀直入に「私はオカの国の長官に推挙したいと思うが、皆の意見を聞きたい。」と述べた。

「オカの国?」「長官?」それぞれの言葉にざわめきが起こる。

「若輩の者が異例の長官に就任するのはいかがなものか?ましてやその者は、此処に居る有力者の子弟でも無い。こうした前例は、後に問題を起こしかねない。もっと差しさわりのない役職があるのではないかと思うが・・」伊都国王が口火を切った

「ごもっともな意見です。私とて前例のない人事は気に染まない。」

伊支馬は「しかし」と付け加えた。「オカの国がどんな国かご存知ですかな?」

今年の長雨で耕作地が全滅、万策尽きた状態。救済を求めてヤマタイ国への傘下入りを申し出てきた国である事に触れた。「申し出を仲介した隣国、不弥国の多模(たも)殿にお話しを聞こうか。」

多模が説明する。「オンガ川の中流域にあるのが我が不弥国、オカの国は河口にある小さな国です。オンガはとんでもない暴れ川で、毎年氾濫を繰り返しています。オカには平野はあるが、水が渦巻くので水巻ともいわれる地域で、農耕には適しません。災害時には難民が、我が国含め周辺国に入り込むので困っておったのですが、今回はいよいよ堪らず首長が手を上げてきた。不弥国の傘下に入りたいと言って来たのだが、うちのような小国には救済する力はないので本国に相談したような次第です。ヤマタイ本国がこの話を受けてくれれば流入する難民対策に苦労せずに済むのですが・・」

何だ、そんな国かと皆の関心が薄れたところで伊支馬が口を開いた。「確かに難しい土地のようだ。だからこそ、敢えてトシを長官に据えるのです。出来ればここを軍事特区にして魏の求める軍事力強化の拠点にもさせたい。小国といえど長官の地位であれば梯儁殿も堂々と報告出来よう。」

但し、と付け加えた。「再建が不調に終われば、当然、責任を取って左遷せざるを得ない事になります。国を豊かに出来ず、軍事力強化も上手く行かないとあれば、後に左遷を魏に知られたとしても、問題は生じませんからなあ。まあ、上手くやれば評価せざるを得ませんがね。ハハハ・・」

「そういう事ならやらせてみるのも構わぬと言えるかな。」伊都国王が納得した表情になり会議終了と思われた時、奴国の兕馬觚(じばこ)が手を挙げた。

「やはり、悪しき前例は禍根を残すと思うが・・」すかさず伊支馬が返答した。

「そう言われるなら兕馬觚殿の息子殿を長官に抜擢してオカの国の再建をお願いできますかな?受けてくれる人材探しに困っておったところです。上手くやられれば息子殿はヤマタイ連合国で破格の出世が約束されますぞ。」

「それは・・」と口ごもったが腹に据えかねる所があったらしく「元々は、難升米殿が勝手に副使にしたのがおかしいのではないか?」と話を変えてきた。難升米と兕馬觚、昔からソリが合わないのだ。急に自分にクレームを付けられて、難升米は憤然となる。


「そう言われるのなら何の病気だったか知らないが、ムリしてでも息子殿を朝貢団に参加させれば良かったのだ。こちらは、成り行き上やむを得ず、外交上の特例で副使に任命せざるを得なかったのだ。オタクには迷惑を掛けたと詫びてもらう事はあっても文句を言われる筋合いは無い。」息子の話を持ち出されて、兕馬觚も沈黙するしかなかった。

「まあ、まあ」伊支馬がとりなした。

「そろそろ会議をまとめましょう。それでは皆の方、魏の提案をヤマタイ連合国として了承する事で良いですな。今一つ。人事面では難升米殿を大将軍、トシをオカの国の長官にすると梯儁殿に報告する事に異議ありませんな。」皆が拍手して了承の意を表した。

「魏の意向に沿った対応をしておれば次回、243年予定の朝貢時にも、それなりの処遇が期待出来るでしょう。誰が選ばれますかな・・ハハハ」

首長の中には次回の朝貢団の人選を巡り、伊支馬にこっそり志願を打診する者が多くいたのだった。難升米が「洛陽でイイ思いをした」と吹聴してまわったせいなのかもしれない。

「それではお待ちかね。魏使を囲んでの宴を始めましょう。」と伊支馬が締めくくった。 



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