朝貢団
― 第三章 朝貢団 ―
書記官室では前回、朝貢団通訳を担当したソシアオの隣に席を与えられた。新任の分際で、大それた仕事を与えられるなど生意気千万、と手ぐすねを引いて待ち受けていたソシアオだが、イジメがいのない相手を見て気持ちが変わった。顔は真っ青。手の震えを隠すように引きつった笑顔で挨拶するトシは、自分の息子とたいして変わらない年齢なのだ。同情を禁じ得ない。
「どうして私が指名を受けたか見当がつかないんです。私と似た名前の方がいらっしゃるのではないですか?その人と取り違えされたとしか・・」震え声のトシに、ソシアオが肩を叩いた。
「命令を受けたからにはやるっきゃない。なあに俺が何とかこなせるよう仕込んでやる。厳しくするがついてこいよ。」と激励してくれた。
前回の朝貢外交を記録した竹簡の束を書庫から取り出し、トシの前にドンと置いた。
「これを読み込んで朝貢の事務の流れを頭に叩き込む。後は前例を踏襲して逸脱する事なきよう手配するだけだ。」
なおも緊張解けぬ新任書記官に、慰めるよう言い聞かせる。
「心配するな。朝貢は相手を敬う気持ちを伝えることだ。公孫配下の帯方郡太守と、直接の担当窓口者への個人的贈り物さえうまくやればスムーズに行く。それほど難しい奴らじゃない。俗人だし、そもそも倭国に対してあまり関心を持っていない連中なのだ。ま、それだけ軽く見られているとも言えるがな。」
このソシアオ氏にはトシは随分助けられた。
面倒見がいい。トシが下戸と知ると「それでは外交団の一員にはなれん。相手の好意に応えて飲むのも仕事」としきりに市場の飲み屋に誘う。
たまに支払は「教え賃」とトシが受け持つ事になるのが困ったことだが、それ以上にトシをサポートしていてくれる。通訳がそんなに飲まされる事はなかろうが、お蔭で少しは酒に強くなった気がする。
ともかく、やるっきゃない。そう思って、朝貢準備作業を進めた。ソシアオ氏の几帳面な記録は大いに役に立つ。前回の公孫氏への朝貢団が用意した品々、贈り物は前例通りのモノを同じ業者で手配。同様に渡海に必要な資材や食料も各地の業者に連絡して寄港の折に調達しなければならない。立ち寄り先の各国長官への手土産も用意した。
朝貢する生口は中国系難民だった。
ヤマタイ連合各国の海岸線に流れ着く難破船の漂流者が主で、彼等は一大率難民施設に集められ、時がくるまで伊都国農園などで働いてもらっている。
基本的には全員を引き渡すのが後漢時代からの難民返還協定で決まっているが、技術者や知識人の中で倭国での生活を望む者は徐先生のように講師や技術指導員として中国には内密でその対象からはずす事もある。
そうした生口との面接は生きた中国語を学ぶいい機会だった。
出身地や氏名、経歴などを聞き取り帯方郡に名簿を提出する。同じ中国でも出身地により言葉の発音が異なり、時間を取られるのだが広くて深い中国を知る事が出来た。
中国語といえば、お世話になったのが、勿論、徐先生である。
長官の口利きでマンツーマンの特訓が出来た。中国式儀礼のイロハも教わって後々助けられる事になる。
最初は役目の重さに押し潰されて落ち込んだトシも、プラス思考が出来るようになっている。そもそも夢は通訳だったのだ。大チャンスが早くも転がり込んできただけ。喜ぶべきことなのだ。
四月中旬、準備が進む最中にも韓半島からの伝令が来て遼東情勢を知らせてきた。トシも役目柄、その情報に接することが出来た。その情報とは次のようなものだ。
魏の将軍は司馬懿。司馬懿は四万を超える軍勢を率いて国境に向かっている。迎え撃つ公孫側も、先に母丘倹討伐軍を打ち破ったヒーロー卑衍を大将軍に二‐三万の兵で遼隧に向かっている・・との事である。
先生が長官室で見通しを述べた事が起きていた。
やはり司馬懿が登場してきたのだ。先生の先読みが当たれば魏の勝利となり帯方郡は魏の支配下に変わる。今回の朝貢準備はどうなるのか、また、朝貢団が巻き込まれる可能性はどうなるのだろう。
トシは今日も徐先生の部屋を訪れていた。情勢分析で意見を聞くためである。
「公孫は何処にいる?」
「襄平です。遼隧にて迎え撃つのは卑衍将軍だそうです。」
「ウム。司馬懿の大軍に対して母丘倹と同じ戦い方を採ると言うのだな。それでは勝負はハッキリしている。魏が勝つ。」
「ただ、公孫軍も昨年の勝利で戦意は高揚しているとの事。司馬懿とはいえ、そう簡単に打ち取れないのでは?」
「すぐに勝負が着くとは言うてないぞ。戦いは長引く可能性が高い。」
「えっ。」
「ワザと苦戦をするフリをするかもしれない。公孫淵から見ると大軍を相手に膠着状態に持ち込み自軍が善戦してる・・と自惚れさせるように。しかし、呉から見れば膠着状態ながら、実は周到に時間を掛けて公孫を追い込んでいるかもしれないと思わせるように演出することだ。」
「何の為に演出を?背後の呉が心配ならば一気にカタつけて呉のつけ込むスキをなくすのが良いのでは?」
「呉には心を配らねばいけないが、前にも言ったように公孫とは互いに利用し合うだけの関係だ。戦いで明らかに魏が劣勢の時しか、呉が、本気で仕掛けてくる事はあるまい。」
「では公孫の為にフリを・・」
「そうだ。公孫に勝てるかも知れないと夢を持たせることだ。勝てると思う者は逃げないからな。逃げることが出来ない自縛のオリを用意する事。完全に仕留める方法は夢を見させて自縛のオリに閉じ込める事。本拠地襄平にな。」
「逃がすことはそんなにマズイんですか?」
「中国はこれまで匈奴等北方騎馬民族との戦いでイヤというほど苦汁を嘗めている。遠征する大軍が地理に不案内なまま敵国の奥深くに引きずり込まれれば、ゲリラ攻撃を受けると不利だ。気候が変化したり兵糧に問題が起これば、例え勝っていたとしても撤退を余儀なくされる。司馬懿ならそこまで想定するだろう。」
それが戦争の駆け引きというものか。しかし、一番気になる事への解答は出ていない。
「となると、六月に予定されてる朝貢の時には、勝負はいかがなっておりましょうか?」
「長引くとなれば予想するのは困難だな。その時、帯方郡がどちらの手中にあるのか・・」
結局、肝心なことは判らないのだ。
「もし仮に、魏が帯方郡を支配下に入れてる場合、我が国の朝貢内容はこれまでより充実したものにすべきでしょうか。」これまでの公孫氏への朝貢品では、魏という大国向けでは貧相過ぎるように思われたのだ。
「魏のものなっていると断定できる情報がそれまでに手に入るかな?朝貢品を前例から変更するのは用心した方が良い。公孫だと異例の朝貢を怪しむことになる。どちらに転んでもいいよう、今まで通りでも構わんのじゃないか。」
それが無難だし、仕事を増やす事もない。前回通りの準備で進める事にした。
五月中旬、邪馬台国から正使、難升米が到着した。軍を統括する将軍職にある大夫の一人である。
朝貢準備も大詰めになった。本来なら正・副の使いが揃い、本部にて卑弥呼の書簡を託された後に一緒に到着すべきなのだが、副使が体調を崩し一大率で直接合流したいと連絡があったそうだ。
そうなら副使、奴国のズバコ殿は早めに一大率に来て難升米様を迎えるべきなのだが未だ姿を見せていない。快方に向かっているので出航までには必ず合流しますと奴国から使いが来ただけだ。
「ただでさえ海難リスクのある朝貢だ。今回は戦乱に巻き込まれるとのウワサが広まっている。本来は俺たちが通訳として同行すべきところだ。だが今回は何故だか選ばれたのがお前。戦乱リスクを見越して人選されたと言う者もいてな。何と言っていいか・・」
ソシアオ氏がすまなそうに神妙に話しかけてきた。
「いいえ、ソシアオさんにはいろいろ面倒みてもらって助かりました。お蔭で無事出航出来そうです。有難う御座いました。」
「それはそうと」とソシアオは声をひそめて耳打ちした。
「あのな、副使は来ないぜ。仮病とのウワサだ。以前から、ハクが着くと自ら売り込んで副使になったくせに。臆病風に吹かれたんだ。」
「ホントですか?」
「「まあ、公孫相手なら正使だけでも問題なかろうが、副使の分の仕事がお前に加わる。大変だろうがシッカリやれ。」
副使のドタキャンは大変な出来事だ。だが、もう一つの問題も起きた。予定していた持衰が突然体調を崩し、とても航海に同行出来ないと言い出したのだ。
持衰とは朝貢団に随伴する祈祷師で航海の安全や大夫の無事を祈願するのが任務。無事に朝貢団が帰還出来れば多くの財物を与えられるが、海難事故や大夫が病気で倒れるような事態が発生すれば責任をとらされて殺される。随行中は航海の安全を祈る事だけを強いられ、肉食、色事も禁止。もっとも衣服を洗う事も出来ないので身体からは臭気プンプン、近寄る女性もいない道理だ。
しかし、持衰随行はこれまで欠かされた事がない重要行事の一つ。出来ないでは朝貢準備の責任者であるトシの落ち度になる。トシは思い余って塩ジィに相談した。
塩ジィは心当たりが一人いると言う。呼んで面接するとこれがとんでもない酔っ払いで泥酔状態で現れた。
「お、俺に、な、何か、よ、用事・・・」オイオイ、これじゃ持衰の任務は全うできそうもない御仁だ・・。
塩ジィの船長仲間で名はムナカタ。今は引退しているが、その昔は朝貢船団を指揮した事も何度となくとのベテランとの事だった。
塩ジィと同じく腕や足を折る事故で引退してからは身を持ち崩し、呑んだくれているが腕は確か。「あいつの天候を見る目は俺を上回る」と太鼓判を押していたが・・。
「今回も難升米殿が行かれるんだ。お前、前回の朝貢時には船長として可愛がってもらった恩があるだろ?」塩ジィも同席してムナカタの説得に当たる。ところがその酔っ払い
「も、もう、ふ、船には乗らないと決めたんだ。そ、それに俺は、き、祈祷のキの字も知らないし・・」断固断る姿勢を見せた。
「そんなのは適当に呪文みたいに口をモゴモゴさせてりゃいいんだ。なあ、兄弟、俺の息子と思って、この子の仕事を助けてやってくれ・・」
「む、息子?」酔っ払いが虚ろな目線をトシに移した。途端にビックリした表情になって考え込んだ。玉造の大将と同じ反応だった。
「兄弟に息子を守れと言われりゃ断れんな。その代わり塩ジィ、俺に酒を奢ってくれ。今日はトコトン付き合ってもらうからな。酒は当分、口にできねえ事になるからな・・」
持衰を引き受けてもらえる事にはなったが、果たして大丈夫だろうか?この人
出航前日、トシは徐先生に挨拶する。
「何でも経験、人生に肥やしを与えるつもりで行って来い。お前の中国語もだいぶサマにはなってきたが一緒に渡航する難民たち相手に仕上げするのだぞ。元気でな。」と激励してくれた。
「それから・・」と一巻の竹簡を取り出した。「ムダな荷物になろうが・・万一、帯方郡が魏の支配下なら洛陽に行くことも考えられぬ事ではない。その時は洛陽にいる友人にこれを渡してくれ。」
そこには・・自分は海難事故にて漂流の末、倭国に流れ着いた。今回の外交団と共に帰国するつもりでいたが病を患い余命幾ばくもない。心残りは郷里の母の事。宜しく伝えてくれ。この書簡を託す者は倭国での教え子である。以下に記す書物をこの者に持たせてやってくれまいか。倭国の為になろう。また、この者にお前の近況を話してやってくれ。墓の中で話を聞くのを楽しみにしている。・・・とある。
「これは?」
「帰国できるのにしないのは、国外逃亡の罪になるのでな。用心の為、したためた文章さ。」と種明かしをした。
了解したトシは洛陽の友人の住所を記した布にくるんで、懐に入れた。
「先生の御母堂はどちらにお住まいですか?」
「徐州だ。洛陽とはかなり離れておる。」ふと徐福の事を思い出した。
「突然ですが、邪馬台国には海から渡来した賢人の伝説があるのですが徐福という名前をご存知ですか?」先生は思わず身を乗り出した。
「徐福が倭国に来たのか?」
「イヤ、伝説ですから・・。」
「子孫がいる訳ではないのか。」
「伝説では邪馬台国に滞在した後、何処かに旅立ったそうです。いろんな説があると言う事で中国研究会に居るキジが詳しいです。遠く東にあるクマノに居たというウワサもありますが・・」先生が関心を持っている様子なので塩ジィの話も付け加えた。
「それは面白い。実は徐市、またの名を徐福は、私の先祖と言われているのだ。」
驚いた。徐という名前は珍しくないと思って気にも留めていなかったが、同じ徐でもご先祖サマとは。
いつも沈着冷静な先生が興奮気味の表情を見せている。初めて見るニンマリ顔で「早速、キジに聞いてみよう。」と呟いた。
別れ際にもう一言あった「忠告しておく。洛陽の友人は偏屈で有名だ。会う機会があったら気負う態度を示すでないぞ。仮面を被った人間が大嫌いなのだ。おもねる、足元を見る、ヒトを陥れる、下心を持った奴には白目を剥いてピシャリと門を閉ざす。お前なら心配ないだろうが自然体で接する事だ。蘇門山で仙人と会ったと豪語する奴だ。面白い話が聞けるかもしれん。ハハハ」
まあ、洛陽に行く事はあるまいが、万が一の時には是非とも会う機会を作りたいもの・・と思った。
出発当日。晴天に恵まれ朝貢団は船出の儀式を迎えていた。案の定、副使が姿を見せることはなかった。
快方に向かうやに見えた病状が、ぶり返して急激に悪化、任務に耐えられず断腸の思いで辞退させていただく・・と言われても今更、他を人選する時間はない。
持衰のムナカタは意外にしゃんとしてやって来た。服装はヨレヨレの祈祷師風の装束だが先日の酔っ払いの表情とは打って変わって神妙な面持ちでたたずんでいる。
隣の難升米が「おい、お前・・」と声を掛けようとするが、全く気付く気配もなく御幣を手にしてなにやらお祓いを始めていた。傍らにはやけに大きい祭器を入れる道具箱を置いて・・。
小舟に分乗し、引き津湾に停泊中の二隻の大船に向かうのだ。
儀式に参加した一大率長官、伊都国王、ミクモ姫の見送りを受ける。勿論、塩ジィ、ケン、キジの仲間達も手を振って見送ってくれていた。
乗船に先立ち塩ジィはお守り袋を渡してくれた。中には葉っぱが一枚。
「これはナギの木の葉じゃ。我等、海人族の神木でな。魔除けの意味がある。ナギのゲン担ぎで海が凪ぐというわけじゃ。ハハハ」と笑顔で手を握った。
それにしてもトシにとって一番大事で会いたい人の顔がいない。チクシの帰還が遅れていて、おまけに何の連絡も来ないのだ。会えたなら、通訳として赴く自分に、どんな言葉をかけてくれただろう・・・と、それが唯一の心残りだった。
持衰のムナカタが乗り込み、道具箱から瓢箪を取り出した。この中にに入れた灰を海上にまき散らすのだ。ワタツミの神に安全祈願する儀式が終り、船が動き始めた。
祭りのあった高祖山が遠のき、チクシと登った伽耶山に近づく。山は新緑がモコモコと盛り上がって、船出を飾り立てているかのようだ。
その伽耶山を身近に見て旋回、引き津湾で大船に乗り換え、陸づたいの航路を末盧国へ進むのだ。
あの伽耶山が遠のいていく。狼煙台のある火山も・・。そう言えば火山・・ムナカタがしたように山頂に向かい礼拝をする。
と、山頂で焚かれている炎が一瞬、瑠璃色に輝いた。
吉兆である。塩ジィの話が思い出された。瑠璃色の炎を見て、礼拝した者は絶対、難破する事はない・・と。
外交団団長、正使難升米は浮かない顔をしているが、トシは吹っ切れている。初の韓半島への旅を楽しむ気分だった。副使がいない分、気を使うことが減ると前向きに考える事にした。
どこまでも青い海を見つめるうち、難升米の表情も和らいできたようだ。海人族出身者にとって、美しい海の景色は、なによりの気付け薬になるのだろう。副使もいない手持無沙汰からトシに話しかけてくる。
「のうトシ。お前も俺も貧乏クジの渡航仲間だ。腹くくって旅を楽しもう。生きてある限りな・・ハハハ」
普通では隣に座って話すことなど有り得ない大夫の難升米様。なぜか身近な存在に感じられる。
「はっ。難升米様とこうやってお話出来る事。楽しみにさせて戴きます。」と恐縮する。「ハハ。楽しみが冥途の土産にならんといいがな。ま、俺は年が年。何があろうと運命で済ますこともできるが、お前は若いのう。幾つだ。」
「はっ。十七になります。」
「若い、若い。驚いた。して彼女はいるのか?」
「はっ。想っている女性はおります。向うがどう思っているかは判りませんが。」
「そうか、ならば生きて戻らねばのう。」
「勿論、生きて戻ります。楽しんで、学んで倭国に帰りたいと存じます。」
「そうじゃ、それで良い。」案外、付き合いやすい人物なのかもしれない。
難升米様は楽しもうと言った後は、その言葉通りの行状を続けた。
夜は必ずドンチャン騒ぎ。潮待ちで停泊する港町でも盛り上がって酒浸りの毎日となった。
「俺は有明の海人族。魚にはちょっとウルサイぞ。生きの良いのを持ってこい。」と注文つける日々が続き、末盧国、一支国、対馬国にたどりつく。
難升米は前回も公孫氏への朝貢団の正使を務めている。酒を飲んでの友好外交は必須だと経験談を聞かせる。
帯方郡で飲まされる中国の酒は、倭国のものより数倍強いという。「外交の為の修行と思ってお前も呑め」ソシアオ氏と同じことを言われ、飲む事を強いられる。吐いては呑み、呑んでは吐くのを繰り返す。
「お前もようやく半人前になった。お役目はつらいもの。つらい修行を乗り越えようぞ。」と叱咤激励が続いた。
持衰のムナカタが祈祷師として先導役の船に乗船してくれたのはアタリだった。
一支国から対馬国に向かう時、ベタ凪の海でありながら神のお告げで出航はまかりならんと言い張った。
同じ海の男の正使、難升米ですら「出航すべきだろう。」とむくれたが、数時間もせぬうちに急に白波が立ち、みるみる暴雨風になった。・・台風である。
難升米はあらためてムナカタを見直したように感謝し「まあ、いいじゃないか。内密にしてやるから」と酒席にさそったが、ムナカタが頑としてこれを断った。やる時はやる人なのだ。
五月下旬。いよいよ大陸の一部、韓半島、狗邪韓国に上陸した。会えると期待していた先輩は鉄の買付で、あいにく出払っていた。長官から半島情勢のレクチャーを受ける。
「梁山の製鉄所に駐在する公孫関係者によりますと、遼東で川を挟み、睨み合っていた魏軍と公孫軍が小競り合いを始めたそうです。魏は川を渡って攻め込む為、川の中央、北、南と突破口を探しているようですが、卑衍将軍率いる公孫の守りは堅く魏軍を寄せ付けていません。南側を攻める回数が多いとの事ですから狙いは南ですかな。」
「南側とは帯方郡に近い方じゃな。」
「そうなります。しかし突破口を見つけられず、睨み合いが続くようだと、間もなく雨期。昨年の母丘倹と同じく川が氾濫して魏軍は立ち往生になるでしょう。しかも今回は呉が動き出すとも伝えられています。そうなれば魏軍は挟み撃ちにあって予断を許さぬ厳しい事態に追い込まれます。」
「公孫は今のところシッカリ守っているのだな。」
「従いまして、難升米様が心配される帯方郡の事ですが、朝貢時には依然として公孫の支配下にあると推察されます。」
「ナルホド。しかし、この度は名将司馬懿が率いているとの事。今、聞いた話は司馬懿らしい戦いではないのう。」と難升米が思いめぐらすように呟いた。
トシは思わず「魏軍がわざと苦戦していると言う事はありませんか?」と口をはさむ。通訳風情が何を言い出すと長官の眉間にしわが寄った。
「それはない。魏軍は遠征軍。攻略が遅れれば不利になる立場だ。自ら不利を招くことは有りえんな。」と強く遮る。
「そうか、それではこれは不要かな。」
難升米は二つの書簡を取り出し、一つを投げ出した。「こちらは公孫の燕王向け、それは魏の皇帝向けの挨拶文だ。」
「さすが難升米様。どちらでも良いように抜かりはありませんな。ハハハ」後はいつもの宴会が始まる。
さて、話は遼東での両軍の睨み合いの場面に移る。
その頃、遼隧では。
魏軍と公孫軍の睨み合いと探り合い。その膠着に決別して魏軍が動いた。夥しい旗指物を林立させ、南部に向け行進して行く。
公孫軍は南に狙いを絞った魏軍が本格的に攻めてくると踏んで精鋭部隊を南部に集中させた。南進に先立ち、魏軍が海側からも軍船を多数南下させているとの情報が公孫軍にもたらされていたからだ。
公孫側の動きを確認した司馬懿はニンマリ。動きを始める前に軍勢を二つに分けていた。一つはいかにも大軍・・を装った見せかけの軍隊。情報工作員がさとられないよう南進や海軍南下の噂を流していたのだった。
残る本隊を速やかに北に移動、予め用意させていた川船で遼水を渡河した。南と見せかけて北から相手の領内に入る事に成功したのだ。
うまくいったからには川岸に陣取る公孫軍の残りと決戦・・そう部下がはやる中、司馬懿は方向違いの襄平への進軍を命令した。
ビックリしたのは将軍卑衍。軍団の殆どを決戦地遼隧に集結させているのに手薄の本拠地を狙われてはたまらない。
南に向かわせた精鋭を呼び戻してからでは間に合わないので残る軍勢で魏軍を阻止すべく行く手を遮った。
しかし、深い塹壕と川を味方に、堅い守りで立ち向かうこれまでの戦いとはまるで勝手が違う野戦である。
あわてて出て来る公孫軍は魏軍の敵ではなかった。三度戦い三度敗北。
ようやく南部から引き揚げてきた精鋭軍と合流して本拠地襄平に逃げ込むのが精一杯となった。かくて司馬懿は襄平を取り巻き、公孫が対抗策として採りうる策の「下策」に追い込む事が出来たのである。
これで公孫淵は万事休す、と思われたが雨が味方した。この時期の長雨が平地にいる魏軍の陣営を水浸しにしたのである。包囲網もぬかるみに寸断された。
一方、帯方郡は魏の別動隊がこれを急襲。先に遼隧を突破された公孫軍の士気は低く、呆気なく魏の手中に落ちた。太守には劉夏が任命されていた。
難升米朝貢団は、まだその事を知らぬまま狗邪韓国を出発する。警護の兵も増え、船員もこの海域に詳しい現地の者に替わった。兵士が増えたのは倭寇対策の為。
「この辺には浦上八国の倭寇が出没するのです。用心して遠回りしましょう。」また、沿岸部には多数の隠れた岩礁帯があり大船では座礁の危険性があると現地の船長が説明する。
難升米が「同じ倭族の海人族に狙われるとは情けないのう」と呟いた。先輩が言っていた浦上八国の話を思い出す。難升米様も何か感じる事があるらしい。
そうこうするうち南に大きい島影が見える。あれは・・と首を傾げていると「州胡といって広いイミで倭族になる海人族が住んでいるという。風俗は南方の倭人、貝輪をもたらす海人族に似ているらしい。」と説明を受けた。州胡とは現在の済州島である。
倭人、倭種、同じ倭でも様々な国や民族があるものだ。倭国統一と、一口に言っても何処までがその範囲なのだろうと思ってしまう。
帯方郡が近付いた。最後の寄港地、海宴の港に着く。ここで船は停泊し修理しながら我々外交使節団の帰りを待つのだ。港には中国の軍船や周辺の馬韓の船など、多種多様な船が行きかっている。伊都の港とは比べものにならない規模の港だった。
朝貢団は港町にある馴染みの宿泊所に泊まった。前回も難升米が利用している。
「これは難升米様。お久し振りで。お元気そうでなによりです。長い航海、ご苦労様でした。」店の主人が挨拶に来た。
「また帯方郡にまいるのだ。公孫の太守は同じ人かな?」主人は怪訝な顔になる。
「難升米様も時代遅れだねえ。今の帯方郡太守様は魏の劉夏殿です。劉というからには漢王室の血筋かねえ。」
「エッ。帯方郡がもう魏のものか。公孫は滅亡したのか?」
「滅びてまではいねえ。が、淵は本拠地に籠城中で司馬懿の軍が取り囲んでいる。だから帯方郡の公孫の連中は何も出来ず逃げ帰った。」
「そうだったか。情報が遅いな。」
「遅すぎですよ。てっきり魏の太守様にお祝いに来られたと思ってました。」
「もう誰か来てるのか?」
「ああ。各地のオエライさんが祝辞を述べに来てますよ。馬韓の首長が多いですけどね。」「そうか。」
「引き出物が貰えるてんでホンモノ、ニセモノがゾロゾロ。難升米様も早く行かなきゃ引き出物が無くなって手ぶらで帰国することになりますよ。ハハハ」と軽口叩いて店の奥に引っ込んでいった。
「何と。予想外の展開になっているのだな。」難升米は顔を曇らせた。その日ばかりはドンチャン騒ぎはおあずけ、トシ相手に善後策の相談とあいなる。
公孫なら経験もあり勝手知ったる外交窓口だが、異なる魏にはどう対応すべきか?この悩ましい問題を考えねばならない。
「こっちが必要になった。」と書簡を取り出し、今度は公孫向けを投げ捨てた。
また、もう一つの木簡をトシの前に差し出す。原本は封泥済みのため、予め写本を作らせていたと言う。これを読んで朝貢の段取りを共に考えろと言う訳だ。
そこには念願かなって魏皇帝に朝貢出来る事を慶び、今後のよしみを通じる事を願う内容が記されていた。
「太守との会見でも同様な事を申し上げなされれば宜しいかと。」
「持ってきた朝貢品、あれは皇帝への献上品としては貧弱すぎないか?」
「そう思いましたが、公孫だったのなら前例のない品物では奇異に受け取られます。魏への朝貢になりましたが、それは取り急ぎの朝貢と言う事で勘弁してもらいましょう。
相手の反応を見て必要があれば、近い将来に皇帝献上品にふさわしい物を用意すると。今回は間に合わなかったと弁明されればどうでしょう。」
「そうか、そうだな。他に打ち手があるわけでもない。」
「なんとかなりますよ。」
「それにしても狗邪韓国の情報はアテにならん。」とブツブツ文句を言った後「しかし、これで戦局は見えた。我々も戦乱に巻き込まれず生きて倭国の地に帰れそうだ。」と元気を取り戻した。
「シマッタ。美味い酒を飲み損ねた。店の主人に分けて貰ってこい。」といつもの難升米様が甦った。中国酒と酒の肴を調達すると、うまそうに酒を啜り、トシに囁く。
「お前が頼りだ。俺がヘンな事言っても中国語で修正するのが通訳の役目だぞ。」と注いでくれた。
「お前、若いのに意外とシッカリしてるではないか。長官意見に疑問を呈するなどいい度胸だ。ハハハ。お前の見立ての方が正解だったし・・・」
あれは先生の受け売りなのだが・・。
「初対面の時はキレ者風でもなく牛のように鈍くさい奴だと不安に思ったが意外と使えるな。牛はああ見えて賢い動物というからな。ハハハ」褒められているのか微妙だが好意は感じられる。
「無事に戻れば、この俺が引き上げてやる。引退間際かもしれんが、まーだ、それくらいの力は持っているからな。ハハハ」難升米様が付き合いやすい人物で良かった。
朝貢団は陸路六十キロの道のりを帯方郡に向かった。途中一泊して翌日に備え、当日の昼過ぎに町に入る。そこで休憩し中国風の礼服に着替えた。いよいよ郡の入口だ。緊張が高まる。
門前にて太守への会見を申し込むと、まず担当官に面会するよう言われた。ところが物事にはスンナリいかない時がある
担当官は見下した態度で「太守がお会いなさる事は無いと思うが、受付だけはワシが行っても良い。」と高飛車に出たのだ。難升米様も相手の顔付を見て、不測の事態を感じ取ったようだ。
「この地には魏をたぶらかそうとする輩が多い。最初は信じて対応していたがエセ王族、エセ首長ばかりやって来る。この地域にはいくらの国があると言うのか見当もつかない。お前達もその類だろうが、間違いなく国を代表して謁見を願い出ているのなら、確たる証拠を見せよ」と迫る。そこまで言うかとトシはカチンときたが、難升米にその通り訳すわけにはいかない。
トシはチクシから貰った刀子に手を触れ、チクシの顔を思い浮かべた。怪しい雲行きの局面打開を図る為にチクシを召喚したのだ。
チクシは美人投票でナンバーワンの女。俺はそのチクシと一夜を共にした(共にしただけだが)ほどの男だ。ここで気後れしてはチクシに合わせる顔が無い。と、気合を充填する。思いっきり腹に力を込め、目を見開いて、これまで発した事のない大声を出した。
「控えている者達をご覧あれ。」後列にいる生口を指差した。
「漢代からの協定に基づき貴国の難民を連れて朝貢に来ているのだ。公孫の外交資料が残っているならそれを見て確認戴きたい。我々は誇りを持って遠路はるばる朝貢に来た者である。失礼な態度は遠慮いただきたい。」
このコトバが何をもたらすか判らないが、とりあえず言うべき事は言った。担当官は顔を紅潮させ「そこまで言うなら取次するが、虚偽がわかればタダじゃ済まんぞ。」半ば脅すような捨てゼリフを吐いて奥に引っ込んだ。
トシは我に返って、難升米様にこの顛末を説明した。難升米は腕組みしながら目をつむっている。
時が過ぎ外交部の責任者を名乗る者が現れた。今度は丁寧な言葉使いだった。
「先程は失礼致した。韓半島から訪問する者に食わせ者が多くて困っている為、担当官が無礼を申し上げた。ここに謝罪するゆえ、私に免じて水に流してもらいたい。」深々と頭を下げる。
「太守は是非に会いたいと申しておられる。面会時間まで客室で過ごしてもらいたい」と二人を案内した。
待機の間、トシは改めて自分が出過ぎた対応をした事を詫びた。考えてみると明らかに通訳の分をわきまえぬものだったからである。
「まあよい。こうして太守と面会が叶うのだ。それにしても、ここには、すばしっこい連中がウヨウヨしているってことだな。ハハハ」と言われて緊張が少し解きほぐされた。
太守の劉夏は知的で紳士的な人物だった。帯方郡を任される時、父の引退で代わりに太守の地位を受けたのだが、それまで側にあって父を補佐していたので新任の気負いはない。
難升米の渡した卑弥呼の親書を押し頂いて、次に受け取った朝貢目録に目を通す。「遠隔の地よりお越し頂き、謝意を申し上げる。」と深々とこうべを垂れた。
難升米はこれを受けて「とんでも御座いません。魏がこの地に戻られた事、倭国にとりましても、この上ない喜びとお祝い申し上げます。韓半島が安定し、平和になる事は倭国の国益にも適うもの。今後とも幾久しい貴国の繁栄を願う次第です。」
ナシメの挨拶が無難に終わり、ホッとした。
その時、劉夏が「倭国からの使者とあれば、今後私共が洛陽へとご案内させていただく事になります。しかし、ご案内のように、今は未だ遼東の情勢が片付いておりませぬゆえ、しばらく帯方郡にて滞在いただくことで宜しいかな。」と言い出した。これにはビックリ。
驚いた難升米は「洛陽など滅相も御座いません。公孫の時にはこちらで代理受領していただいております。皇帝には太守様より宜しくお伝えいただければと存じます。今回は十分な準備もせず、取り急ぎまかり越した次第。恐縮するばかりで御座います。」と、打ち合わせ通り返答する。
「そうはいきません。漢代より倭国からの使者は都にてお迎えするのがしきたり。品物云々より、遠方から直ちに参られた事がなによりの喜び。帝もそう思われることでしょう。」劉夏は漢代の記録を知って発言しているのだ。
「しかし、皆様を安全にお送り出来るか確認する必要が御座います。先ず、我が国の大将軍司馬懿殿に伺いを立てねばなりません。返答次第ではやむを得ずこちらで代理受領と言う事もありましょう。その節には非礼をお詫びしなければなりませんな。」もはや否を返すわけにはいきそうもない
難升米は謁見を終えて、フーッとため息をついた。「何か妙な成り行きになったぞ。お役御免で帰国できると思ったのに・・次のステージがあるとは面倒な。」とブツブツ。
「昔、そう云えば何処かの国が中国の都に行った事があると聞いた気がする。あれは奴国か伊都国、どちらだったかのう。」と言ったかと思うと、また別の事を考えている様子である。
「司馬懿が安全確保に自信がないから我等を帰国させようと言うかな?」ブツブツ。
自信家の司馬懿がそう言うとは思えない。
しかし、万が一、司馬懿が負けないとしても昨年のように遠征を続けられずに撤退することになったら?
この帯方郡は孤立する事になる。まだ勝敗は決していないのだ。従ってここに滞在する事は戦乱に巻き込まれる可能性も残っている。
「ここで、おさらば、と行きたかったのになあ。」難升米が、再び、ため息を着いた
その頃、魏の朝廷では公孫討伐軍の撤退を主張する廷臣達が多くいた。長雨で襄平攻略が長期化するのを憂慮していた彼等は、終わりの見えぬ遠征が戦費支出を増やすだけでなく呉や蜀に侵攻のスキを与え、都・洛陽を、引いては自分達の身を危険にさらすという思いがあった。宮殿の造営工事が減らされたと言っても、なお続いているのも原因だろう。
「撤退命令を下すべきです」との上奏に対して、曹叡はまたしても強引に判断を下す事になる。
「き、却下!」大声で皆を黙らせた。
「司馬懿なら危険にさらされても千変万化に対応して切り抜ける。か、必ず淵を捕まえてくる。」
一方、戦場の現場でも襄平包囲作戦に異議を唱える者が出始める。陣を移動したい、攻城戦に踏み切りましょう・・と、はやる者が多数いたが、司馬懿はこれを許さない。指示を破る者は軍律違反で斬り捨てた。
しかし、朝廷で撤退論が沸騰し上奏が行われたとの情報には、武将達にも動揺が広がった。そこで司馬懿も、動揺を抑える為に戦略を打ち明けた。
「相手は、人数は多いが、住民や訓練の足らぬ少年兵を加えてのもの。人数分、食料不足になっているハズだ。一方、我が軍の包囲網も完全ではない。ヘタに攻城戦になれば折角追い込んだ敵が包囲の弱点をついて逃げ出すことになる。こっちが長雨に悩み撤退寸前であると思わせて、油断させ、相手の自滅を待て。雨が上がって包囲網が完成するまで待つのだ。」
さらに、相手の物見に、わざと兵士の士気が落ちているよう見せつける。加えてスパイを使って、朝廷での撤退論の沸騰の様子をリークさせた。これらは、一面、事実でもあるので、公孫淵側に望みを繋がせ、期待を膨らませる結果をもたらした。
そんな折、司馬懿の陣中に帯方郡からの伝令がやって来た。「倭国の使者が朝貢に来た。漢代の事例にならい洛陽に送るべきか、戦時につき太守が代理で受領し使者を帰すべきか判断いただきたい・・」との内容である。
「ほう、倭国が来たか。」司馬懿の頭に漢の歴史書のページが繰られる。その国は漢の皇帝が金印を授けた国。倭国の使者が洛陽に行けば、公孫討伐の成果をアピール、周辺国が早くも魏の勝利を祝福している・・としてPR出来る。と計算が成り立つ。
「即刻、都へ護送せよ。呉の動きに気を付けて時間が掛かっても確実に連れていくのだ。ワシからも、帝宛てに添え状を書こう。」
難升米とトシは客室で竹簡を作成していた。帰国すれば朝貢団の行程や外交内容をヤマタイ本部に提出しなければならない。
難升米がその外交成果を誇大に表現するように注文して、修正に苦労していた折、「難升米殿は居られるか。」と声がする。
部屋に入って来たのは太守、劉夏だった。「御用があれば、こちらから参上致しますのに。」
「今、良い知らせがあった。一刻も早く報告しなければと思ってな。」
「何で御座いましょう。」
「司馬懿殿から洛陽へ護送せよとの仰せがあった。自ら帝に口添えされるそうだ。公孫討伐に自信を持たれているのであるな。」戦乱に巻き込まれず、早々に帰国する・・との難升米の思惑は、やはり期待通りにいかなかったようだ。
「洛陽にて皇帝にまみえる事。この上ない光栄と存じます。」と答えるしかない。
劉夏は「私からも洛陽に報告致さねばなりません。正使は難升米殿、そちらのトシ殿が副使でしたな。」
トシは慌てた。「私は通訳に過ぎません。副使は旅立ちの前に体調を崩して共にくる事が出来ませんでした。何か不都合がありましょうか。」
「フム。皇帝が直接謁見されるのに正使一人では恰好つきませんな。どうでしょう難升米殿。この方を副使としては。朝廷にいる連中は何かと肩書きにこだわります。」
「それは。」無理な申し出・・とトシが言い掛けるが、劉夏は構わず、トシの側に近づいてくる。
「トシ殿が持たれている刀子は立派なものですなあ。これ程のものは中国でも高い身分の者しか持てません。」
「はあ?」
「これほどの逸品をお持ちとは、貴国でも高貴なお方の子弟でしょう。見るからに若いトシ殿が、こうして重要な任務に就いておられる。それなりの方とお見受け致す。」
「チョットお待ちください。」
躊躇するトシの側で太い声がした。「判りました。劉夏殿の提案をお受けしましょう。私の責任にてこの者を副使と致します。」
オイオイ。そんな事、勝手に決めて良いのか?
「お名前はトシだけでござるか?」劉夏の質問のイミが判らない。
「何か字のようなものは御座らぬか?」当時の中国では字をもつのが当たり前。諸葛亮の字が孔明、司馬懿の字は仲達という具合だ。
「難升米殿から見てトシ殿はどのような人物に見えますかな。」
「こいつは何時も牛のようにおっとりしてますが、ここぞとの時には利発な面がのぞきますなあ。」と笑って答える。
「そうですか。でしたら、この様な名前にされてはどうです。正使、大夫の難升米殿。副使、都市牛利殿。」
難升米がトシを小突きながら「結構な名前を戴き、有難う御座います」とトシに代わってお礼を述べた。
劉夏が立ち去った後、トシは難升米に尋ねた。「大丈夫でしょうか。勝手に副使を名乗っては問題が生じませんか?」
「そりゃあ問題だ。だがワシはヤマタイの外交全権を任されている身。やむを得ない場合には、正式了承を待たずに決定できる権限を持つ。」と胸を張った。
「だがな。あくまで副使代理だ。お前を引き上げてやるとは約束したが、副使に見合う地位や俸給にはならんぞ。」当たり前である。副使は国の要人身分。
「それはもう。新任の木端役人で御座います。国に帰れば元の身分で結構です。」
「ナンダ。欲のない奴だな。そういう所は処世する上でマイナスだ。欲張りは論外だが、控えめな欲なら持たんとイカンぞ。」
「有難う御座います。それではチョッピリ期待させていただきます。宜しく願います。」
帰国後の将来に光が差してきた。チクシの祖母との対面、その様子から、身分差が気になっていたが、堂々とチクシを娶るとの申し入れが、出来るかもしれない。
直ぐに出立・・との話だったが、洛陽行の準備にはある程度、時間を要した。六月末に帯方郡を出る。劉夏は護衛の兵の他に、案内役の文官をつけてくれた。港町、海宴に戻り、倭国の船には、来春に迎えに来るよう指示を出して帰還させる事にした。
これまで航海の安全を担当してくれたムナカタにお礼をした。「よくお酒を我慢されましたね。感心いたしました。」と言うとニヤリと笑って祭器の道具箱をチラッと見せた。
そこにはお神酒を入れた壺がズラリ。殆どカラになっていたが「チビチビとはやってたんだ。早く帰って存分に飲みたいよ。」と笑った。
「これは酒代です。」トシは特別手当をはずんだ。
トシと難升米は中国軍船に乗り、本土を目指す。
遼東半島に沿った航路から山東半島の付け根、黄河近くの港に上陸、陸行で再び船が動ける地点まで移動する。黄河の河口は、洛東江と同じく湿地帯で、船が直接海から河に出入りできない為だった。黄河を遡上しながらの旅が続く。
呉の侵攻が噂される中での旅は、慎重に時間を掛けてのものとなる。事実、魏の領内に呉が出没し、略奪を繰り返しているとの情報がもたらされていた。
早く帰りたいと願っていた難升米もいつの間にか腹をくくったようで、カタコトの日常会話を覚えようとトシに教えを乞うてくる。
さすがヤマタイの重鎮と呼ばれる人物。トシの教えた「これさえあれば話せる基礎会話100」をマスターして周囲の中国人にも話かけるまでになった。
難升米のお世話から解放されたトシは付き添っている文官に中国史や風土の話を聞く。途中、川が分岐していたので、支流の川の名を問うと、人工的に作った運河という。「向うの遥か彼方にまで、人工の運河が通っておりまする。」これが人の手でつくった川?壮大な治水工事に驚くことしきりだった。
七月に入り襄平は大詰めを迎えていた。
長雨が上がり、公孫包囲網は万全になった。司馬懿が動く。
土を盛りやぐらを立てて、襄平の城に、矢を雨あられと浴びせる。城攻めの投石器が城壁の公孫兵を打ち倒す。地下を掘って敵陣に達する潜入ルートを作るなど、など。
公孫淵は、手も足もでない状態で、一方的な攻撃に耐えるしかない。イジメにあった亀の如く、首を引っ込めたままで籠城するしかなかった。魏軍撤退のウワサは何だったのか。・・と歯ぎしりするのみだった。
八月。食料も尽きた。淵や取り巻きの高官は、軍馬を殺し解体して飢える事はなかったが、一般兵士や民は悲惨である。
土壁を崩し補強材として埋め込まれているワラを食すのはマシな方で、飢えや病気で亡くなった人間の死肉を口にするに至っては、さながら地獄絵図の様相である。士気は地に落ち、戦うどころではない。密かに投降する将軍達も目立ち始めた。
強気一辺倒だった淵も、もはやこれまでと思ったのだろう。
相国(首相)と御史大夫(司法長官)を降伏の使者とし「包囲を解いてもらえば自ら手を縛り謝罪します。」と申し出た。
司馬懿は許さない。謝罪して臣従するとはイタズラ小僧が二度としませんと言うのと同じ。とぼけた言い方だと、即刻二人を斬り捨てた「ボケ老人が汝の言葉を誤って伝えたので斬り捨てた。今度はボケてない若者を寄こせ。」と伝えた。
そこで、淵は側近を使者として「息子を人質に出すので包囲を解いてくれ。」と申し出た。
ボケてない若者とは、淵自身のイミ。自ら降伏せよと伝えたつもりが人質云々との回答。「勘違いの好きな主人に伝えよ。戦いとは攻撃か防御。それが出来ねば、逃亡だ。それも出来ぬなら、降伏か討死しかない。この度、降伏の機会すら捨てたからには討死を覚悟したと見なす。」
公孫淵は震え上がった。これまで呉も魏も恭順の意を示せば許してくれた。なのに、司馬懿は、なんと猛獣のように襲い掛かるではないか。
「逃げるしかない。」
息子の公孫脩と共に数百騎を引き連れ包囲網を突破した。しかしこれを魏は待っていた。行く先々に待ち受ける魏軍を避けながら落ち延びようとするも、遼水のほとりで追いつかれ最後を遂げた。クビは洛陽に送られた。
襄平に入城した司馬懿は逆らった公孫勢力を容赦しなかった。淵が任命した百官、役人、武官はもちろん、十五才以上の男子七千名を皆殺しする。
死体を埋める場所もなく山積みして土を被せ塚となした。「京観」とネーミングして見せしめのシンボルとしたのである。
かくして公孫は滅び、難升米もトシも戦乱に巻き込まれる事態は避けられた。
難升米一行は、旅の途中の宿で、その話を聞いた。ホッと安心。
トシは、宿の隣部屋で、魏軍の高官が話していたのを漏れ聞く事になった。。
「それでな。洛陽にいる淵の兄、公孫晃だが、処刑されたそうだ。」
「晃と言えば洛陽で官位をもらい、魏のために働いていたではないか。」
「そうだ。弟の淵が叔父の恭から権力を奪った折、晃は淵を討伐させてくれと皇帝に申し出たが結局ウヤムヤになってしまった。淵が既に国内を掌握していたから、魏も深入りしたくなかったのだ。」
「だったら晃に罪はないのでは?」
「帝は助けても良いと考えていたが臣下が皆、反対した。法律では謀反人の身内は同罪だからな。」
「うーん。そうなるかな。」
「殺され方が可哀そうだ。鉄釘や金属屑を飲まされたというからな。」
「ひぇー。怖い。酷い。」
「生かせば晃にそれなりの処遇をせねばならん。戦費や論功行賞の原資を得るには、公孫の領地全てを、魏のものにする必要がある。」
「しかし、公孫恭は復権したと聞いているぞ。」恭は淵の父公孫康の弟で先の太守である。
「恭はいいんだ。名目だけのお飾り太守。領地はいずれ魏のものになる。」
「なぜだ?」
「知らないのか?恭はインポテンツなんだ。生かしていてもお家断絶だ。晃だってインポだったら、死なずに済んだかも。」
トシはゲンナリしながら公孫滅亡の話を聞いていた。徐先生から聞く魏・呉・蜀の戦いはヒーロー物語だった。しかし、生で聞く中国の戦争の実態は、それと違って陰惨そのものだ。孔子の教え、徳や仁、和・・といった言葉から想像していた世界とは何か違う。
倭国でも国と国の争いで死者は出る。トシが生まれる前には大乱があったと聞いている。しかし、一回の戦いで千名も死者がでるのは稀な事。
しかも戦いの優劣が決まればそこで戦いは終結する。相手の降伏を受け入れるのが当たり前で、戦が終って一般兵士を殺す事は皆無だ。
大陸に於ける国と国の争いは凄まじい。
こんな完膚無きまでに相手を打ちのめし、息の根を止めるようなやり方で大軍が倭国を襲ったら?
魏が倭国を狙うとは当面考えられないが、先輩が危惧した高句麗や馬韓、辰韓でそんな勢力が生まれたら、今の倭国の軍事体制ではひとたまりもないかも知れない。
公孫滅亡の話を難升米と話した。
「我が国も軍事力強化が必要でしょうかね。」
「そうだのう。そろそろ倭国統一を考える時がきたかのう。」おおおっ、難升米様も倭国統一の必要性を感じていたというのか?
「それではヤマタイと狗奴国が連合して東方の勢力に呼びかけ、倭国統一を果たすべきでしょうか?」
「バカを申すな。狗奴国と連携するなど。お前、倭国統一を何と心得ている。倭国の九州はヤマタイ連合に狗奴国の支配領域を加えたものなのだぞ。」
中国では国の中核になる地域を九州と呼んでいる。他の地域は夷と称される未開の後進地域なのだった。その意味で倭国の中核を形成する地域、即ち九州は、ヤマタイ連合国と狗奴国の支配地域を指すものなのだった。
「ヤマタイ連合をヤマタイ統一国家に仕上げるのだ。そして、憎っくき狗奴国を殲滅する。さすれば倭国の九州を制覇したことになる。それが倭国統一だ。その余勢を駆って、夷の東方に進出すれば、もっと広いイミでの倭国統一国家が出来上がるのだ。」
エエッ。伊支馬殿とキクチヒコが、将来を見据えてヤマタイ・狗奴国連合を画策してるかもしれないのに?
難升米様の考え方は、少し違っているようだ。国論を一つにして纏めるのは容易ではない。キクチヒコの戦略の前途には、反対論が、根強く立ちはだかる事になるかもしれない・・。