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始まりの場所から

作者: たくの

とりあえず1本書ききってみようと頑張った作品です。

文章の書き方や流れに随分と悩んだ記憶があります。

分かりやすく楽しく読める作品を目指して書いてみました。

 春うらら、窓からの光が柔らかく降り注ぎ、1年の中で一番過ごしやすい季節を迎えている。私を含めこの境学園に入った新入生一同も入学式から1週間が過ぎると緊張も取れ、この学園でもやって行けそうだというちょっとした安心感が生まれてきている。

 まあ、まだ1週間しか経っていないので校舎内で道に迷ってしまうのは仕方がない。そしてそれに伴うハプニングが起こるのもまた仕方のない事であるが、

「……でもさ、これはどうかと思う訳よ」

 私は取りあえず目の前の光景につっこんでみる。学園七不思議とかそういう類のものが何処にでもあるというのは理解しているし、語る分には楽しくてよろしい。しかし、実際に自分が遭遇するというのは話が別である。

「鏡から手首はちょっとなー」

 そう、今私の目には大きな鏡があり、そこからは左右の手首がにょっきり生えていた。よく見ると右手に鉤裂き状の傷跡がある。

「あの、手首さん。楽しいですか?」

 試しに手首に話しかけてみる。

 ……手首は左右に揺れて楽しくない事を伝えてきた。

「そうですか、楽しくてやっている訳じゃないんですね。じゃあ、何しているんですか?」

 意志疎通出来るのにほっとして更に質問してみる。

 手首はちょっと考えるように止まり、自分の左手で右手を引っ張る仕草をした。

「もしかして引っ張ってくれないか、と言ってるんですか?」

 私の言葉に左右の手首が激しく縦に振られた。当たったようだ。

 さすがにそれは不味いのでは思い、視線を鏡の横に持って行くと、

『鏡の中から何も引っ張り出すべからず!』

 私の心を読んだような注意書きが書かれていた。これに従うべきか、従わざるべきか。

 往々にしてホラーでは主人公が好奇心に負け、物語の幕をここで開けてしまうものだが、如何せん私はただの女子高校生。不思議の国の扉を開けるには役不足。

「ごめんね手首さん。それじゃあお元気で」

 私は何も見なかったことにしてその場を後にした。


「学園七不思議? あったかしらこの学校」

 何とかたどり着いた教室で学園に入って仲良くなった結衣ちゃんに聞いてみる。長い黒髪に整った顔立ち、大和撫子を体現しているような和風美人である。

「透子ちゃん、誰に聞いたのそんな話」

 誰に、いいえ、体験してきました。とは言えずどう答えようと悩んでいると。

「あったじゃん不思議話。神隠し!」

 結衣ちゃんの横から多紀ちゃんが教えてくれる。

 多紀ちゃんはショートカットの元気系女子。小柄で明るい子。表情がくるくる変わるのが特徴の今時の女子高校生だ。

「神隠し?」

 私が体験してきた話とは違うが、こういう話は面白そうだ。

「私もね、近所の卒業生の人に聞いたんだけど、ちょうど1年前に入学したばっかりの生徒が行方不明になったんだって。この学校、何十年前かにもそういう事があったんだって」

 女の子の好奇心は凄いんです。結衣ちゃんと多紀ちゃんと私こと一条透子は何故かこそこそ声で盛り上がる。

「神隠しって、その人見つかってないって事だよね」

 結衣ちゃんが楽しそうに多紀ちゃんに聞く。

「らしいよ、当初家出とか言われてたらしいんだけど、そういうタイプの人じゃなかったみたいで、捜索願とかも出されたらしいよ」

 自分の通っている学校で行方不明者って珍しい事だよね。ご本人達には悪いけどちょっとテンション上がっちゃった。

「でね、特徴としてはその人の右手に鉤裂き状の傷があるんだって。この辺」

 多紀ちゃんが右手の親指から甲にかけて指を滑らせる。

 ……待てよ、どっかでそれ見たような気がする。

「その人どこ行っちゃったんだろうねー」

 結衣ちゃんと多紀ちゃんが楽しそうに話している。

 そういやさっき見た右手に同じ様な特徴がなかったっけ? 見なかったことにしたけど、助けといた方が良かったってこと?

 すこーし血の気が引いた気がした。


 その日の授業は全く内容が頭に入ってこず、あの右手が妙にリアルに浮かんできていた。

 引っ張り出すべきか出さないべきか、こういう時は焦って結論を出さずに一日寝かせてから決めよう。うん、良い考えだ。

 そもそも、あの場所がどこだったかすらも今となっては分からないし。

 下校時、校舎を隅から隅まで眺めたが、あの場所がどこだか全く思い出せない。手首さん、ごめん。


 家に帰ってもぼーっとしていると、13歳年上の姉、涼子が話しかけてきた。

「ちょっと透子、ピチピチの女子高校生が辛気くさい顔しないでよ」

 お姉さま、どうも新鮮な魚と女子高校生を同列にしてませんか?

「お姉ちゃん、うちの境学園に変な噂ってあった?」

 なんといってもうちの姉は同じ学園の卒業生。あの鏡の噂とか知っているかもしれない。13年前になるけど。

「ちょっとちょっと変なことってなに? 怪談とか?」

 姉のテンションが一気に上がった。私は頷きながら、姉の次の言葉を待つ。

「ああ、あったわよ。知らない子供が何処からともなくやってきて、いつの間にか家族として暮らしてたって話とか」

 意味不明。ただの怪談か。私が見た鏡から手首ちらり、とはちょっと違うようだ。

「そっかそういう話は聞いたことないわ」

 どうも収穫がなさそうなので、私はリビングから大人しく去り、自分の部屋に戻った。

 明日、もう一度あの場所に行ってみよう。

 でもなー、また手首さんいたら今度はどうしよう。


「おはよ」

 朝一番、登校途中出会った結衣ちゃんに挨拶する。

 昨日はあれからあまり眠れなかった。

 悩んでいてもしかたがない。分からなければ本人に聞けばいい。

 単純な結論に達してようやく眠れたのだ。

 学園内には早めに登校してきている生徒達が挨拶を交わし、ゆっくりと教室に向かっている。

 私も結衣ちゃんと一緒に教室に向かったが、荷物を置くとすぐに教室を飛び出した。場所は分からないが、昨日歩いた道を途中までたどってみようと思ったのだ。

 まず教室を出、トイレの前を通り、外を見るために屋根がない最上階の渡り廊下を渡ったのだ。

 教室のある棟と違い、渡り廊下を渡った先にある校舎は副教科の教室とクラブの部室等がある。

 何故こちらの校舎に入ったのかは覚えていないが、入ってから階段を降りたような気がしたので、降りてみる。

 そこには教室の扉が一つもない廊下が左右に広がっていた。

「あ、来れちゃったかも」

 その廊下を左に曲がり、突き当たりの壁を通り抜けた。

 何故かこの壁は通り抜ける事が出来るのを自分は知っていたのである。

 そして小さな小部屋の中には大きな鏡があった。しかし、自分の背よりも大きな鏡には手首はなかった。

「なんだ、見間違えだったんだ」

 思わずほっと胸をなで下ろす。ここまでの怪異だけでも大変な事の筈なのに、あの手首に比べれば大した問題には思えなかった。

「いけない、ホームルーム始まっちゃう。教室に帰らないと」

 慌てて踵を返し、うっすらと廊下が透ける壁を抜けようとした。

 だがやはり気になってしまい、もう一度確かめるために後ろを振り向いてしまった。

 ……そこには昨日と同じ手首が鏡から生えていた。

「昨日と同じ手首だ」

 右手には昨日と同じ鉤裂き傷。

 昨日一晩考えて出した結論だったが、いざ実行に移そうと思うと躊躇うものである。噛みつかれたらどうしよう。

 だがしかし、今日の安眠の為にもこの謎は解いておいた方がいい。

 とりあえず顔辺りまで引っ張り出して理由を聞いてみよう。

「手首さん、昨日の者ですが、ちょっとお話が伺いたいので、少しだけ引っ張っていいですか?」

 一応断りを入れてみる。

 私の言葉を聞いた手首はどうぞ、とばかりにピンと伸びた。

 私はゆっくりと右の手首を引いてみる。肘が出て肩が出てきた。右手を引っ張っているので、左手は引っ込み、体が横向きになっていく。徐々に右肩が出てきた。

「もう少しなんだけど、ゆっくり引っ張らないと」

 やがて耳が見え、顔の輪郭が見え、頭部が出てきた。

「ワリ、もうちょっと思いっきり引っ張ってくれないか?」

 出てきた顔は少年の顔をしていた。そういえば、引っ張っているこの少年の着ている服は、この学園の制服である。

「あのー、このまま引っ張り出したら噛みついたりしませんか?」

 私の言葉に少年はびっくりしたような顔をした。

「俺、どっちかってーと人間より牛とか豚とか鳥の肉の方が好きだわ」

 真面目な顔で少年は答えた。どっからどう見ても普通の人間のようなので、私は少年の体を思いっきり引っ張った。

 鏡の中から少年が転がり出てくる。

 暫く少年は突っ伏したまま動かなかった。やがて、

「やった、やっと帰って来れた。帰ってくるのに1年もかかった」

 ふるふる震えている。どうも喜んでいるようだ。

「あのー、私授業が始まっちゃうんで、帰りますね」

 後ずさって少年から離れようと壁の方を向いたところで足首を掴まれた。

「ちょっと待ってくれ、あれからこっちではどれくらい時間が経ってる? もしかして10年くらい経ってたり」

 私の足首を掴んだまま少年は上を向いた。私は立っている。少年は横になっている。その状態で顔を上げればどうなるか。

 私に踏まれるに決まっている。

「ひで、顔を踏むか、普通」

 うーうーと唸っている少年を私は冷めた目で見ていた。

 乙女のスカートの中は最高機密なのだ。

「痴漢として警察に引き渡されたくなかったら、以後気をつけるように」

 ちょっと睨みつけると少年はすみませんと素直に頭を下げた。

 素直でよろしい。

 それから少年と少し話をした。

 少年の名前は清水和真。1年前にこの学園に入学し、この鏡の間を見つけたらしい。不思議に思って鏡を触ろうとすると、手がすり抜けた。慌てて引っ込めようとしたが、鏡の向こうから誰かに引っ張られて帰れなくなったらしい。

「いやー、目が覚めたらどう見ても学園内じゃないしさ、慌てた慌てた。色々あったけど戻って来れて良かったよ」

 1年ぶりに帰ってきた清水君は嬉しそうに話した。

「あー、そっか貴方が1年前に起きた神隠しの正体か」

 私の言葉に清水君は固まった。

「え、俺そう言うことになってんの?」

 そりゃ1年も姿眩ましてりゃそうなります。

「だから、こっから出たら大騒ぎ」

 どういう風に説明したらいいのやら。

「この鏡の間は誰でも入れる訳じゃないから、言い訳考えないとなー」

 彼もその事が心配になったらしく、言い訳を考え出した。

 私としてもちゃんとした理由を考えないとホームルームに遅れた事を怒られる。

 かくして、2人でうんうん唸りながら知恵を絞り出す羽目になってしまったのだ。


「向こうの窓に人影が見えたから、行ってみたら男子が倒れてたってこと?」

 私の前には結衣ちゃんと多紀ちゃんの2人。ちょっと2人とも顔近いって。そしてその後ろには興味津々のクラスメイト達。

「そしてその男子は、一年前から今までの記憶がないって?」

 結衣ちゃんと多紀ちゃんが交互に質問してくる。私は取りあえず頷くしかない。

「らしいよ、さっきご両親が来て事情を聞いていたらそう言っていたから」

 そう、清水君と私は無い知恵を限界まで絞り尽くして考えた。この鏡の間は私と清水君にしか入れない様なので、清水君には皆が分かる場所で倒れていた事にしてもらった。そして、記憶は全く無いことにしようということで意見が一致した。第一誰に言っても鏡の向こうの世界など信じてくれないだろうから。

 まあ、仕上げは私が第一発見者となれば何とかなるという事になった。

「えー、じゃあやっぱり神隠し?」

 クラスの皆がざわめいていた。そうね、それ当たりだわ。

「あるわけ無いじゃん、そんな事」

 皆好きなように噂し始めた。

「透子ちゃんも大変だったね。第一発見者だから色々聞かれたんでしょ?」

 結衣ちゃんが心配そうに聞いてくる。ああ、友達っていいな。

「うん、でも私が分かる事って大したことないし」

 2人に心配かけないように笑って答える。

「私たちもあんまり1人で行動しない方がいいよね」

 多紀ちゃんが真剣な顔で清水君が倒れていた事になっている校舎を見る。

「そだね。気をつけようね」

 これでこの事件は終わったと思ったのに、数日後また蒸し返される事になるとはこの時の私は全く想像していなかった。そんなに続く話でもないでしょーに!


「編入生を紹介する。清水和真君だ」

 事件から数日後。やっと落ち着きを取り戻し始めていた教室に、またしても厄介事がやってきた。

「清水和真です。年齢的には皆より一年上だけど、神隠しやってたので、一年生からやり直しです。よろしく!」

 ウインクするんじゃない! しかも神隠しネタを自分で振ったよ。話していて思ったが、結構良い根性してるわ。

 教室内にざわめきよりも笑いが起こった。

「あのー、清水君に質問。一年もの間何処に行ってたの?」

 記憶喪失って言ってあるのに、まだ聞くか。

「宇宙かもしれない……宇宙人に何か埋め込まれているかも」

 真剣な顔で質問に答える清水君。

 教室は大爆笑の嵐。やるな、手首君。

「清水君って好きな人いますかぁー」

 今その質問関係なくない? しかし清水君はにっこり笑ってあろう事か、こっちを見た。

「一条さん。一目惚れかなー」

 照れながら頭を掻く清水君。教室内は一瞬にして静まりかえり、全員が私の方を見た。何故か先生まで見ている。

 えー、とかうそー、とか驚きの声やら何故か悲鳴まで聞こえてきた。何でだ!

「そうか、そう言うことなら、一条さん清水君の面倒をお願いします」

 そうして先生は私の横の机を指さした。いや、先生面倒見るとかじゃなくて、今面倒事が起こっているのですが。

 先生話分かるー、とか言いながら清水君が隣の席に座った。

「あ、一条さん、俺まだ今年の教科書揃ってないんだ、見せてくれる?」

 嬉しそうに机を寄せてくる清水君。響きわたる悲鳴。

「ちょっとどういうつもりよ。いきなりそういう展開になるのおかしくない?何企んでるのよ!」

 近寄ってきた清水君に小声で問いかける。絶対何か考えている顔だ。

「事情を知っている人の側の方が安心するし。暫く頼むよー」

 にこにこしながらとんでも無いことを言ってくる。乙女の心を何だと思っているんだコイツ。ムカつくので皆から見えないように足を蹴っ飛ばしてやる。

「いて、乱暴だなー。女の子はおしとやかな方がモテるよ」

 人の教科書勝手にぱらぱらめくりながら全く動じていない清水君が何だか憎らしい。

「もう一度鏡の向こうに帰りたいのかしら?」

 意地悪く言ってみると、清水君はうーんと考え出した。

「やっぱ遠慮しとく。こっちの世界の方がしっくりくるわ」

 一体向こうの世界がどんなものなのか、ちょっとだけ興味が沸いてしまった。


「取りあえず誤魔化せたけど、何て言うか、チョロいよね」

 鏡を前にして清水君と私は話をしていた。話が話だけに、教室で言うわけにもいかないので、この秘密の部屋というか怪しい部屋に来て話している。

「周りは信じてくれたんだ」

 呆れたように聞いてみると、Vサインが返ってきた。

「真剣に話したら誰も疑わねーの。人徳かな?」

 皆疑え、こいつめっちゃ怪しい人だよ。

「そういえば、この鏡の向こうってどうなってるの?」

 鏡に向かって変なポーズ取っている清水君に聞いてみる。

「どうって、違う世界がある」

 ちょっと考え込んでから清水君が答える。抽象的過ぎて分からない。

「宇宙人とかいるんだ?」

 教室での一件を思い出して質問してみると、清水君が大笑いする。

「いや、宇宙人はいないよ。一見普通の人間が住んでる。ただ、こちらの世界と常識が違う」

 いつの間にか清水君の顔は真剣になっていた。

「こちらの世界からあちらの世界に行くにも誰かが呼ばなきゃ行けない。つまり引っ張ってもらう訳だ。自力じゃこの狭間は越えられない」

 狭間……境界の意味だろうか。あれ? それじゃあ。

「清水君、君どうやって向こうに行ったの?」

 私の質問に清水君は渋い顔をした。

「興味本位で鏡に手を突っ込んだら、誰かに引かれたんだ。気が付いたら誰もいなかったから、悪戯だったんじゃないかな」

 あー、気持ち分かるわ。確かに鏡に手を突っ込めたらやってみたくなるもんねー。

「一条さんはこの鏡に近づいたらダメだよ。帰れなくなる」

 大丈夫、そんな不気味な物には頼まれても近づきません。

 そう思って鏡の方を見ると。

「……清水君、手が生えてるんだけど」

 そう、鏡の表面からはまたしても手首が生えている。しかし、今度は子供の手である。

「一条さん、下がって。向こうの者を呼んじゃダメだよ」

 小さな手首は何かを探すように宙を掴んでいる。その時手のひらがこちらから見えた。

「目が付いてる。手の平に!」

 そう、あろう事か、子供の手のひらには人間の目の様なものがついていた。その目がこちらをギロリと睨む。

「まずい、見つかった!」

 清水君が私の方に走ってくる。私も清水君に手を伸ばすが、鏡から木の枝のようなものが生えてきて私を掴んだ。

 そのまま鏡に引っ張り込まれる。清水君が掴んでくれているのだろうか、左手に感触があるのだが、鏡に引き込まれた途端に意識が薄れてきた。

 そのまま私は暗闇の中に入り込んでしまった。

 その中で必死に声を出す。

「誰か、助けて!」


 目が覚めると森の中だった。

 目の前には少女が1人立っている。

「ここは何処なの?」

 ぐるりと周りを見渡すと、後ろに大きな岩があり、真ん中に鏡がはめ込まれていた。よく見ると少女の後ろには鳥居が見えた。どうやら神域のようだ。

 神域に入れるという事はこの少女は悪いものではないのだろう。見たところ7、8歳位か。

「貴方は誰なの? 私を引っ張り込んだのは貴方?」

 じっと私を見ている少女に話しかけてみる。見たところ清水君の姿が無いので、鏡に入る直前に手を離したようだ。それならば今すぐあの鏡から手を出せば引っ張ってもらえるはず。

 少女はじっと私の方を見て……笑った。

「我は神である。そなたは贄である」

 少女の口からとは思えない、しわがれた声が聞こえた。

 そして、一瞬にして少女は私の目の前に移動した。え、いつ動いたっけ。

 少女が私に手をふれようと右手を伸ばしたその時、空が光った。

 少女は先ほどと同じように、突如として私の手の届かない位置に移動した。

「お前、『神寄せ』か。とんでもない神を呼んだな。喰われるぞ」

 そう言い置いて、少女の姿をした神を名乗る者はすっと姿を消した。

 空は更に雷鳴が轟いている。いや、むしろ酷くなってない?

 そして、

「あれ、何?」

 見上げた空に長くて銀色の蛇のような物体が雲間に見えた。

「『神寄せ』よ。我を呼ぶか」

 どう見ても龍だった。アニメとかでよく見るやつ。それが喋ってる。

「呼んでない、呼んでないからお帰り下さい」

 空を飛んでいる銀色の龍に聞こえるように出来るだけ声を張り上げた。あーそーなんだ、とか言って帰ってくれないだろうか。

 私の願いも空しく、銀色の龍はゆっくりと空から降りてくる。

 私が地上でわたわたしていると、龍は光の塊となり、私の前に降りてきた。光が引くと、そこには1人の青年が立っていた。が、人間でないのは人目で分かる。銀色の髪、赤い目。着ているものは着物に袴。

「『神寄せ』よ、名を名乗れ」

 龍は偉そうに名前を聞いてきた。なにこれ、でも結構イケメンだし。

「私の名前は、一条透子よ。あの鏡からやってきたの。貴方、帰る方法知ってる?」

 龍は鏡の方を向いて難しい顔をした。

「あれは呼ぶ者がいなければ使えない。我の名はシロガネなり」

 うーん、つまり今鏡の前には誰もいないこと? 清水君は何処に行ったの? それより、丁寧に名前を名乗ってくれたのには驚いたわ。もっと高ピーな奴かと思っていたのに。

「神は今名乗りを上げた!」

 いきなり周りから声が聞こえた。目の前のシロガネではない。

 周りがいきなり眩しく輝きだしたと思ったら、またしても意識が薄れていく。倒れそうになるところをシロガネに支えられた所までは覚えているが、それ以降はプッツリと意識が途切れた。


 気が付いたら畳にお布団敷いて寝てた。ゆっくり起きあがると襖の向こうには縁側が有り、その向こうは日本庭園だった。

 ここ何処だろう?

 外とは反対の方に目を向けると、先ほどの銀髪の龍がゴロリと寝ころんでこちらを見ていた。もちろん人型だ。

「……起きたか。よく寝ていたぞ」

 退屈そうに欠伸をしながらシロガネは起きあがった。

「ここは何処なの? 高そうな部屋だね」

 シロガネの後ろにはこれまた高そうな掛け軸が掛かっている。

「お前が気を失っている間にこの辺の一族につれて来られた。神を封じる事が出来る一族だ。お前を人質に取られては手も足も出ないしな」

 シロガネは説明しながら部屋にぐるりと張り巡らされている注連縄を指さした。

「シロガネって神様だったの?」

 閉じこめられた事よりそっちの方が驚いたわ。シロガネは何故か目の前でズッコけた。何だか人間っぽい動作するなー。

「おまっ、俺はどう見ても神だろ。ちょっとは敬え、祟るぞ!」

 畳をバシバシ叩いて訴えているが、人間にあっさり捕まって連れてこられるような神様って何か弱そう。

「神様だったらこっから軽く出られるんじゃない? 私はあの鏡の所に行かないと行けないのよ。何とかならない?」

 縁側に出て、そこから外に出ようとするが、何だか透明な壁が有るようで、そこから先には行けない。たぶんさっきの注連縄のせいだろう。

「その壁の様なものが結界だ。俺なら破れない事もないが、無傷ではいられないだろう。お前に危害が及ぶ場合があるからな、無理はできない」

 先ほどから私の事を心配してくれているようだが、どう言うことだろう?そういや気になることも一つあるし。

「あのー、私が呼んだような事を言ってたけど、あれってどういう事?」

 この世界で出会ったときに言われた言葉が引っかかっていた。

「そのままだ。お前が神である俺を呼んだ」

 ぶっきらぼうにシロガネが答える。あんまり答えになっていない。

「この世界では神を呼ぶことが出来る者を『神寄せ』と呼んでいるんですよ」

 突然縁側の方から男性の声が聞こえた。

 私はこっそりと縁側の方に向かい、襖に隠れながらそっと覗き見てみる。

 そこには黒髪の着物を着た青年が正座をしていた。かなりのイケメンだ。着物が似合いすぎる。

「私は『神寄せ』ではありませんので、むやみに神の前に姿を晒すことはできません。ここから失礼いたします」

 何か三つ指ついて礼をされた。あまりにも相手が丁寧なので、思わず私も正座なんかしてしまった。

「『神寄せ』って神様を呼ぶ人って事ですけど、呼んでどうするんですか?」

 やっとまともに答えてくれそうな人に会えたので、ここぞとばかりに聞いてみる。

「神を呼び、家に留めるのです。そうすると、その家は栄えます。高位な神ならばその幸運ははかりしれません」

 つまり向こうの世界で言うところの座敷童と同じなのだろうか。でも留めるというより閉じこめるだよね、これ。

 私が思わず注連縄を見ると青年は申し訳なさそうな顔をした。彼はどうも神様閉じ込める事に後ろめたさを感じているようだ。

「私の名は上代護と言います。護とお呼び下さい。何かご用が有りましたらいつでもお呼び下さい」

 上代護と名乗った青年は優雅に立ち上がり、そのまま廊下を奥に歩いていった。

「あの人はこの壁に阻まれないんだね」

 透明な壁に触ってみる。やっぱりこれ以上は行けそうにない。

「この結界を張った一族の者だからな。出入り自由だ」

 面白くなさそうにシロガネはまたゴロリと横になる。横着な神様だ。

「私は人間なんだけど、一緒に閉じ込められてるよね。何で?」

 どうにも外に出れそうにないので、横になっているシロガネの方にいってみる。

「お前は私と名を交わしたからな。それは人より神の側に近づいたことになる」

 うーん、それってもう人間じゃなくなっているんじゃ。

「何度も言うけど、ここから出たいんだけど。何かいい方法ないの?」

 眠そうにしているシロガネをガシガシ揺すってみるけれど、全く協力してくれそうにない。

「ここにいれば美味いもの食える、祭りになればチヤホヤされるぞ」

 やる気なさそうな神様だけど、こんなのが家を繁栄させることができるのか。こいつはもしかして神様の下っ端か!

「私はやっと高校生になって友達出来て楽しいの。中学では友達出来なかったから、高校ではいっぱい作ろうと思ったのに」

 やばい、思い出したら涙でそう。

「……友達がいなかったのか」

 シロガネがゆっくりと座り直して聞いてきた。

 私は何も言えず頷くしか出来なかった。

「まさかいじめとやらにあっていたのか」

 シロガネの言葉に体がビクつくのが分かった。そう、その単語がもの凄く恐ろしい。

「……友達が初めはいたの。でも、その友達がいつの間にか味方じゃ無くなっていて」

 そう、初めはとても仲が良く、休みの日には一緒に勉強したり遊んだり。ちょっと気が強くて明るいその友達が私の自慢だった。

「それがとってもしょーもない理由で無視されるようになっちゃって。クラスの皆も面白がって一緒に無視するようになったの」

 ただ同じ人を好きになっただけだった。その人が私の事を好きになってくれただけだった。その事が彼女のプライドに傷を付けてしまったようだ。

 その時の状況を泣きそうになりながらもシロガネに話した。

「その好きになった人物はどうしたんだ? 庇ってくれなかったのか?」

 私の言葉をシロガネは真剣に聞いてくれた。

「その人もさすがにクラス全員を敵には出来ないよね。さっさと見捨てられたよ」

 いつの間にか私の文句をいう人たちと笑っていた彼。それは仕方のない事だと分かっていても辛かった。

「それでどうなったんだ」

 シロガネの言葉に私は自嘲気味に微笑んだ。

「年の離れたお姉ちゃんが私にはいるんだけど、そんな所に大事な妹を置いとけるか! って学校に怒鳴り込んで来てね、私を転校させてくれたんだ。転校先ではいじめられはしなかったけど、目立たないようにこっそりと学校生活送ってたから、友達は出来なかったの」

 とうとう涙が溢れ出してくる。何て寂しい中学時代だったのだろう。何か別の方法はなかったのだろうか。

 昔を思い出し、心が折れそうになっていると、シロガネがそっと抱きしめてくれた。

「そうか、頑張ったな。そんだけ頑張れば次はきっと良いことがある」

 背中を優しく叩きながらシロガネが慰めてくれる。何かあやされているようでくすぐったい。

「そうかな、でも今こんな状況だし。学校に帰りたいよ」

 結衣ちゃんや多紀ちゃんの元に帰って、もっと沢山話がしたい。清水君だってきっと友達になれると思う。

「おい、聞いていたか。俺は透子を連れてここを出る」

 シロガネが襖の向こうに向かって宣言する。

「……簡単に出られても困ります。やっと『神寄せ』が我が家に戻ってきたというのに」

 先ほどの青年、上代護の声がする。

「取りあえず、お茶でもどうぞ」

 襖の向こうからお茶が差し出された。

「戻ってきたって? 昔はいたってこと?」

 お茶を受け取りながら、護に聞いてみる。

「はい、私の妹が『神寄せ』だったのですが、3歳の頃に行方不明になってしまって」

 護の言葉は実に寂しそうだ。きっと大事な妹だったのだろう。

「もしかしたら、神に喰われてしまったのかもしれません」

 は? 神様に食べられちゃうの? 私はシロガネの方を恐る恐る見た。

 あ、何か不機嫌そうな顔。

「そういう事もある。力も無いのに神を呼び出し、その怒りに触れれば喰われる。お前は力がある者だったから大丈夫だったが、『神寄せ』の中には呼び出した途端に喰われた者も何人もいる」

 いるんだ。てかシロガネは人間食べちゃうんだ。思わず引いた。

「俺は人間は喰ってないぞ。そもそも俺ほど高位な神は中々呼び出しには応じないんだ」

 シロガネは偉そうに胸を張る。

 つまり、シロガネは偉い神様なのか? いや、自己申告だから分からないぞ。色々考えてたら顔に出ていたのだろうか、シロガネの機嫌が更に悪くなる。

「俺のこと下っ端とか思っているだろう、俺は偉いんだぞ!」

 またしても畳をバシバシ叩いている。ちょっと信じられないんだけど。

「彼の神は確かに高位な神でいらっしゃいます。神は力が強くなればなるほど白に近い色彩を纏われます。彼の神は白銀の色彩をお持ちです。それから察するにかなり高位な神であらせられます」

 シロガネの言うことはあんまり信じられないけど、護の言うことは何故か信じられる。人徳だろうか。

「お前、あいつの言うことは信じたな! 俺の事は疑ったくせに」

 怒り狂ってゴロゴロと畳の上で暴れる姿を見ていると、これをどうやって高位な神様だと思えばいいのか分からなくなってくる。威厳を出してみてよ、威厳を。

「しかし、高位過ぎる神は逆に家にとって危険な存在でもあるのです。本当ならこのように高位な神を家に留めるのは良くないのですが」

 護が困ったように言う。

「良くないのに何で閉じ込めるの? 他の『神寄せ』が見つからないから?」

 やっと戻ってきた。つまり彼の妹が行方不明になってから今まで『神寄せ』が見つかっていないのだ。

「そうです、神が居なくなって久しい家は傾きかけています。いずれ消えてしまうかもしれません。そのため、危険な神であろうと留めようと必死なのです」

 何だか大変なお家事情のようだ。一度神により栄えた時代を知ってしまうと、普通の生活には戻れないのだろう。

「それでも俺はここを出るがな。しかし、結界を破る衝撃で透子が傷つくのは困る。そこの人間、何かいい方法はないか」

 偉そうにシロガネが護に尋ねる。

「そう申されましても、この結界を張ったのはかなりの術者。それを破るとなるとかなりの衝撃があります。生身の人間ではひとたまりも無いでしょう」

 護は困ったように答える。そんなにこの結界って強力なんだ。

「うーん、かくなる上は透子に俺の血を飲ませて神格化させるか」

 何だかとっても恐ろしい事をサラリと言っているよこの神様は。

「血は嫌よ。不味そうだし」

 吸血鬼じゃないんだから、絶対いやだわ。何が起こるか分からないし。

私の言葉にシロガネはまたしても怒り狂っている。俺の血は不味くないとかなんとか。

「少々お待ち下さい。思いつく物がありまして」

 そう言って護はまた屋敷の奥に戻っていく。

「ねえ、護って私たちを逃がそうとしてくれているのかな」

 シロガネと2人きりになったので、尋ねてみる。

「そのようだな。俺のような神の危険性をよく知っているようだ」

 気を取り直したシロガネが答える。

「神の気が強ければ強いほどその土地は栄えるというが、強力すぎる力はその場所の気自体を変えてしまう。逆に人には毒になる」

 まあ、俺の知ったことではないが、と言ってケラケラ笑っている。

 その時、屋敷の奥から叫び声が聞こえてきた。同時に人々のざわつきも。

「そら、もう影響の出ている者がいる。分不相応なものを手に入れるとああなるのだ」

 強力な神気が人の精神を乱すのだろうか。

 その時、廊下を渡ってくる足音が聞こえてきた。

「お待たせしました。持って参りました」

 護の声がして、襖の間からそっと何かが差し出された。私は慌てて襖の側に行きそれを受け取った。

「勾玉?」

 そう、それは教科書とかで見たことのある勾玉の首飾りだった。

「ちょっと貸せ」

 シロガネが横からそれを奪い取る。

 難しい顔をして一通り眺めた後、私に向かって放り投げてきた。

「ちょっと乱暴に扱わないでよね。ごめんね護、変な神様で」

 せっかく護が持ってきてくれたのにいきなりどうしたのだろう。

「そんな物があるとはな。良かろう、透子それをつけていろ。それなら衝撃を防ぐことも出来るだろう」

 シロガネがゆっくりと立ち上がる。

「護と言ったな、下がれ。今から結界を破る。そなたなど粉々になるぞ」

 シロガネの言葉を聞き、護の気配が遠ざかって行った。屋敷の奥に避難したのだろう。

「いいか、やるぞ」

 シロガネが縁側に移動してきて、外に向かって手をかざした。

 手のひらの辺りから虹色の光彩があふれ出る。結界とシロガネの力が押し合っているようだ。

「なかなか頑丈な結界だな。腕の一本はやるしかないか」

 その言葉に驚いた途端、今までの光とは比べものにならない閃光が辺りを焼き尽くす。

 必死に目を瞑って荒ぶる光から目を守った。


 急に周りが暗くなったように感じて目を開けた。

 辺りは暗くなったのではなく、先ほどの光が消えて元の光彩を取り戻していたのだ。

「シロガネ、大丈夫?」

 庭に向かって立っているシロガネに声をかけてみる。

「大したことはない。結界は解けた」

 振り返るシロガネの左手は消えていた。まさか本当に左手を犠牲にしたのだろうか。

「ああ、これか。ほっとけばまた生えてくる」

 は? 腕が生える? 神様ってそんなに凄いこと出来るの?

「植物みたいだね、神様って」

 しまった正直に言い過ぎた。

 しかし、私の言葉を聞いたシロガネは怒る様子もなく逆に呆れていた。

「当然だ。神は自然の物だからな。植物にも神が宿る事もある」

 そういや御神木とかよくあるよなー。そっかーそう考えたら納得できる。

「でも、痛くないの?」

 気になったので聞いてみる。

「痛覚か。あるにはあるが、人間とは少し違うな」

 そう言って遮る物の無くなった部屋から庭に降り立つ。隣の襖が少し焦げているのが目に入った。畳もささくれだってもう使えないだろう。

「随分静かに結界を破壊されましたね。ほぼ被害がありませんし」

 護がいつの間にか戻ってきて廊下の墨に控えていた。

「透子に何かあっては大変だからな。その神器が有るからといって油断はできん」

 私の首に掛かっている勾玉の首飾りを指さして言う。

「そうだ、これ返さないと」

 慌てて外し、護に首飾りを返そうとした。が、何故か受け取ろうとしない。

「それは妹がある神にいただいた物だそうです。もう妹は戻って来ませんので、どうかそれはお持ち下さい」

 そう言って私の靴を庭に置いてくれる。

「さあ、今の衝撃で皆気づくでしょう。早く行って下さい」

 護は寂しそうに笑いながら、促してくれる。ああ、良いお兄さんだったんだろうな。私も何だか名残惜しくなってくる。それと同時にたった1人の姉のことが思い出されて、帰りたくなってきた。辛いことも沢山ある世界だけど、やっぱり私のいる場所はあちらなのだ。

「有り難う。元気でね」

 庭で待つシロガネの方に急いで向かう。

「掴まれ。飛ぶぞ」

 そう言ってシロガネが私の腕を取った途端、風景が一変した。

 体がフワリと浮き上がり、空高く一瞬で飛翔した。

 下には豊かな自然がもの凄いスピードで流れていく。

「凄い、飛んだのって生まれて初めて!」

 大興奮で叫んでいると、

「初めてではないだろう」

 シロガネが寂しそうに言う。

 いや、多分初めてのはずなんだけど。……そのはずなんだけど、何故か私はこのもの凄い風圧を知っている。空からの景色も知っている。

 混乱している内に、私とシロガネは初めてこの世界に来た場所に戻ってきていた。古びた鳥居が見える。そして、あの鏡が見えた。

 シロガネはゆっくりと高度を下げ、その場所に降り立った。

「さて、ここまで来たはいいが、その鏡の向こうに誰かがいないと帰れないぞ」

 そうだ、引っ張ってくれる人がいないと向こうには帰れない。

「取りあえず、手を出してみるね」

 鏡の前に立ち恐る恐る手を入れてみる。シロガネが心配そうに見ていた。

 その時誰かが私の手首を掴んだ。そして、鏡の向こうから思いっきり引っ張られた。

 あ、シロガネにお別れ言う暇がなかった。そう思ったときには時すでに遅し、私の体は鏡を通り抜けていた。


 鏡を通り抜けて一番に見たのは何故か姉の顔だった。

「お姉ちゃん、何でここにいるの?」

 いるはずのない姉が私の手をしっかり握っていた。

「もう、それはこっちの台詞よ。何であっちの世界に行っているのよ」

 安心したように微笑む姉を見て、自然に涙がこみ上げてきた。帰ってきたんだ。しかし、周りを見ても清水君の姿はなかった。何処にいってしまったのだろう。

 そう思って鏡の方を振り向くと。

 ……いた。

 鏡から手首が生えており、その手首には鉤裂き状の傷があった。

「何で一緒にあっちの世界に行っているのよー。もう、世話の焼ける」

 私はためらいもなく、その手首を引っ張った。姉が制止の声を上げている事に気づいたのはその手を引っ張った後だった。

 何かとんでも無い物を引っ張ってしまったかと思ったのだが、出てきたのは私が思い描いていた人物だった。

「いやー、酷い目にあった。また帰ってこられないと思ったよ」

 清水君が頭を掻きながらほっとした表情で座り込んでいた。

「一緒にあっちの世界に行っちゃったのね。よく無事だったわね」

 清水君を立ち上がらせようと手を差し伸べたのだが、その手は姉によって阻まれた。

「ちょっと貴方。こっちの世界に紛れ込んで何しようとしているのかしら?」

 姉が清水君に向かって高圧的に質問した。

「あ、どちら様? 俺は一条さんのクラスメイトの清水と言います。まだ付き合ってませんがよろしくお願いします」

 おいおい清水君。何恐ろしい事言ってるの。誰が誰と付き合うの。

 色々一気に頭の中を思考が駆けめぐったが、姉は動じた様子もなく、清水君を睨みつけていた。

「あちらの神が、何でわざわざこちらの世界に来るのかしら?」

 青筋を立てた姉が清水君を指さして言う。

「え? 神? 違うよお姉ちゃん。その人人間」

 私の言葉に姉は困ったような顔をする。

「透子、貴女一体何を連れてきたの? 今すぐ返してらっしゃい」

 いや、お姉ちゃんそれ犬猫と違うから。一応人間だから。

 清水君、私の後ろに隠れるなー!

「俺はちり紙とかと違いますので。返品されても困りますぅ」

 情けない声を上げながら、ゆっくり姉から遠ざかる清水君。マジで情けない。

 後ずさる清水君に向かって姉がゆっくりと腕を上げた。

 途端に清水君が後ろに吹っ飛び姿がブレた。彼の輪郭が元に戻った時には先ほどの姿とは全然違う姿に変わっていた。

「……シロガネ?」

 そう、向こうの世界の神であるシロガネだ。

「うおっ、俺を吹っ飛ばすとか、化けモンか」

 うちの姉を化け物扱いしているが、あんたも十分それ級だ。

「さて、化けの皮剥がれたし、さっさとお帰り願おうかしら?」

 姉が凄い迫力でシロガネに近づく。シロガネは今度は逃げずに立ち向かう気だ。

「ちょっと待ってくれる? 何でシロガネが清水君の格好しているの? 肝心の清水君何処?」

 私の質問に姉とシロガネが固まった。

「まあ、この状況なら答えは一つしか無いわねー」

 姉がシロガネを睨みつける。

「あいつは1年前、向こうの世界で神に喰われた。そしてその神を俺が喰ったからあいつの記憶は俺が持っている」

 つまり、1年前の神隠しの時に本物の清水君は神様に食べられてしまって、あれ? じゃあ、私が引っ張り出した清水君って。

「初めに鏡から私が引っ張り出した時はシロガネだったの? 私、本物の清水君には一度も会ってないって事?」

 正解。シロガネが頷く。姉も頭を抱えている。

「そもそもあんた何者だ? 神である俺を吹っ飛ばすわ。神の事情は知っているわ」

 そう、さっきから色んな事が有りすぎて最大の疑問を忘れていた。

「もしかしてお姉ちゃんも神様だったりして」

 あはははー、って笑ってたら姉もシロガネもマジな顔してた。正解か! 私の姉は人間じゃないのか!

「バレちゃ仕方ないわね。そうよ、私はこっちの世界の神の1柱。こっちの世界にも神はわんさかいるからどっかで会うかもね」

 姉は開き直ってぶっちゃけた。

「そういうけどな、お前も結構特殊な人生だぞ」

 シロガネが私を指さして言う。あ、姉にはたかれた。

「私は普通の人間よ。神様じゃないから」

 私の言葉にシロガネがため息を吐いた。

「俺はお前が子供の頃に何度も会っている。……向こうの世界でな」

 向こうの世界? どうして? 私が向こうの世界に行ったのは今回が初めてのはずじゃ。

「一生言うつもりはなかったんだけどね。そうよ、貴女は向こうの世界の人間よ。13年前、私がそこから引っ張り出したの」

 姉は後ろの鏡を指さして言う。ちなみにこれ書いたの私ねー。と言って『鏡の中から何も引っ張り出すべからず!』の張り紙をバシバシ叩く。

「つまり、私ってお姉ちゃんと他人って訳? 私は一体誰なの?」

 何だか足下がぐらぐらしてきた。自分の信じていたものが崩れていくのは何て恐ろしいのだろう。

「それについては俺の方が詳しいわ。俺の喰った神が知っている」

 シロガネの説明によると、私は3歳の頃に神を呼び出したらしい。つまり『神寄せ』だったようだ。呼び出したのはそんなに高位な神ではなかったが、一族はその神を大事に祭ったらしい。しかし、私の『神寄せ』力はかなり強かったようで、その神ともう1柱の神を呼び寄せていたらしい。それがシロガネだった。


 シロガネは話し始めた。

 13年前のあの時……。

「お前、すでに神を呼び出しているじゃないか。さすがに2柱の神を同時に従えるのは無理だろう」

 座り込んだシロガネよりも更に小さな小さな女の子が精一杯腕を広げている。

「だっこ」

 人間の女の子に触れたこともないシロガネは今マックスに困っていた。

「お前にはすでに決まった神がいるだろうが。何故俺に抱っこをせがむかっ!」

 女の子は泣きそうな顔になり、だっこを連発する。勇気を振り絞ってシロガネは女の子を抱き上げた。

「そら、抱っこしてやったぞ。これでいいか?」

 顔をのぞき込んでみると、満面の笑顔だ。人間とはこんな表情の出来る生き物だったのだ。

「だっこ、たかーい」

 女の子は嬉しそうにシロガネに抱きついてくる。なんか柔らかくて小さくて可愛い。

「お前が他の神を従えていなかったら俺はお前に従うんだが。さすがに名乗りを上げるわけにもいかないしな」

 困っていると女の子に従っている神が現れた。自分より遙かに高位な神が自分を呼んだ『神寄せ』を抱っこしているのが気になるようだ。だが、力の差が有りすぎてそれ以上は近寄って来れない。さすがに気の毒に思って、シロガネは女の子を地面に下ろした。

「だっこぉー」

 女の子は駄々をこねるが、神の間にもルールがある。しかしこの歳でこの強力な力を持っているのも心配だ。そこで自分がいつも身につけている勾玉の首飾りを女の子にかけてやった。

「俺の神気が染み込んでいるから護符になるだろう」

 キラキラ光るその首飾りを、女の子はご機嫌に握りしめた。気に入ったみたいだ。

 名残惜しいが、シロガネはその場をゆっくりと離れた。遠くで女の子の声が聞こえる。


 数ヶ月が過ぎてシロガネはまた女の子を訪ねた。しかし訪ねた屋敷は大騒ぎになっており、肝心の女の子を見つけることが出来ない。

 騒いでいる人間どもの話を物陰から聞いてみると、

「神が喰われた! 『神寄せ』も連れていかれた!」

 どうやら女の子に付いていた神は別の神に喰われたらしい。

 たまに力の弱まった神が、他の神を喰って吸収する事があるらしい。

 女の子は無事なのだろうか。シロガネは神経を研ぎ澄まし、気配を探る。

 何故か自分と同じ気配が感じ取れた。数ヶ月前、女の子にやった首飾りを持っているようだ。これなら簡単にたどり着ける。

 一気に空中へ駆け上がり、見つけた気配に向かって加速した。


「やっかいな物を持っているな。これでは喰えない」

 小さな女の子を前に女の子をさらってきた神はじっとしていた。女の子の胸に光る首飾りが邪魔で手が出せない。

「いーや、帰る。おうち帰る」

 女の子は先ほどから泣きじゃくっていた。人間の子の鳴き声は五月蠅くて仕方がない。残念だが殺してしまおうと手を挙げた瞬間、空が盛大に鳴った。神鳴りである。高位な神が近づいているのだ。自分より強い神の来訪を知り、小さな女の子をさらってきた神は慌てて逃げていった。

「ここに居たか。無事なようだな」

 シロガネは女の子に手を伸ばした。それをみた女の子は嬉しそうに近寄ってきた。

「そら、抱っこしてやろう」

 抱き上げてやると嬉しそうに笑った。

「そら、とんで?」

 前回別れた時に、シロガネが飛去ったのを見ていたのだ。

 じーと見上げてくる視線に負けて、女の子を落とさないようにゆっくりと飛び上がった。

 暫く女の子を抱えて空中を飛んでいたが、地上に光る物を見つけた。気になって降りてみると一枚の大きな鏡だった。こんな物あったけっか。

「かがみ?」

 女の子が不思議そうな顔で近づいていく。そしておもむろに鏡に触れた。

「おてて入ったー」

 おかしな事を言うものだと思い、女の子の手を見てみると手首まで鏡に入り込んでいた。

「こら、危ないから手を抜くんだ」

 慌てて女の子を鏡から離すために触れようとしたその時、女の子の体が鏡に吸い込まれた。あっという間の出来事で、そこには引っ張られた際に外れてしまったのだろう勾玉の首飾りだけが残されていた。

 呆然としたシロガネは首飾りを拾おうと近づいたが、首飾りは突然浮き上がり、女の子の屋敷のあった方角へ飛んでいってしまった。

 その後何度も鏡に手を入れてみたが、鏡の向こうに行くことは出来なかった。


 女の子が消えてから、13年が過ぎていた。

 あれからずっとこの場所に留まっている。いつの間にか人間が鳥居を立て、ここを神域にしてしまった。いつの間に祭られているんだ、俺。

 今日も変化のない鏡を見張っていると、いきなり手首が現れた。

 女の子が帰って来たのかと思って見ていたら、どうも男の手首のようだ。途端に興味を失った。

 そうこうしている内に大した力のない神が、その手首をひっぱった。案の定、少年が転がり込んできて、あっさりその神に喰われた。どうやら少年は『神寄せ』だったようだ。下位の神を呼び寄せてしまったらしい。

 少年を喰った神はそのまま飛び立とうとしていた。その時シロガネは思いついたのだ、あの少年の記憶を手に入れれば、女の子の消えた世界の事が分かるかもしれない、更にもしかしたらあの少年は女の子の事を知っているかもしれない。

 シロガネはゆっくりその下位の神に近づき、その手を伸ばした。初めて神を喰らったのだ。

 少年の記憶はシロガネには随分不思議なものばかりだった。しかしその中にあの女の子の記憶らしきものはなかった。

 こうなったらこの少年の記憶を使って向こうの世界で探すしかない。そう思い立って、シロガネは少年の格好で毎日鏡の前に立ち手首を差し入れた。

 そして運命の日。1人の少女が自分を向こうの世界に導いてくれたのだ。

「それが私だった訳ね」

 やっとこっちの世界にやって来れた時に出会った少女。

「お前は俺の探していた『神寄せ』の子供だった。一目見てすぐに分かった」

 シロガネが嬉しそうに笑う。

 小さい頃誰かに抱っこしてもらって空を飛んだ記憶が微かにある。あれは親だと思っていたが、人間の親は空を飛べる訳がない。

「じゃあ、じゃあさ、シロガネは私に従ってくれるの?」

 それならこれからも一緒に居てくれることになる。

「当たり前だ。俺は名乗ったぞ。それが契約だ」

 私ったら、神様の友達が出来たのだ。皆には内緒だが、これは凄いね。

「ちょっと待ちなさいな。誰がこの世界に留まって良いと言ったの。さっさと向こうの世界に帰りなさい」

 姉がご機嫌斜めでシロガネに突っかかる。

「お前は透子に名乗りを上げていないな。だから透子は俺のものだ」

 怒り狂う姉を前にシロガネは澄まし顔だ。そりゃお姉ちゃんは神様だって事も言ってないんだから、名乗りも何もないよね。

「本当の名前じゃないと名乗りにはならないからと言って、妹を取られるのは我慢ならないわ! さっさと名乗っておけば良かった」

 私神様よ、とか姉が突然言い出しても多分信じれなかったと思うけど。

 まあ、何にせよ戻ってこられて良かった……何か忘れてないかしら。

「あー!!! じゃあ護って私のお兄ちゃんだったかも」

 思わず大声出しちゃった。あんなイケメンがお兄ちゃんなんて、ちょっともったいないことしたわ。

 私がもの凄く残念がっていると、神様達は隣でつめたーい目を向けてきた。


「透子ちゃん、大丈夫? 風邪治った?」

 結衣ちゃんと多紀ちゃんが登校してきた私に心配そうに聞く。

 あれから皆に見つからないように家に帰り、次の日に登校したのだ。

 姉が学校に電話してくれ、妹が風邪で気分が悪くなったので帰ってきた事を学校に伝えてくれた。そのお陰で大して不審がられなかった。

 まあ、清水君……の姿に化けたシロガネだけど、は私に付き添って家まで送ってくれた事になっている。

「透子ちゃん、言ってくれたら私が送っていったのに~」

 結衣ちゃんが寂しそうに言ってくれる。ごめんね嘘ついて。

「そんな、悪いわよ。清水君にもいいって言ったんだけど、心配して送ってくれたの」

 隣で清水君がうんうんと頷いている。

「もしかして、2人は付き合っている!」

 多紀ちゃんがとんでも無いことを言い出したが、

「違います!」

「そうかも!」

 私と清水君が同時に言葉を発した。言っている事は全く違うけど。

「あーんーたーわー」

 私が怒って捕まえようとすると、清水君はひょいっと避けて、暴力反対ー、とか言いながら逃げてった。

 その様子を見て私と結衣ちゃんと多紀ちゃん、それにクラスの皆も大笑いしている。

 まあ、色々あったけど、これからもこの世界で皆で楽しくやっていきたい。

 出来れば、これからはちょっとドキドキでワクワクなマトモな人生送れますように。知っている神様見てると誰に祈ればいいのか分からなくなってくるんだけどね。あははは。

読み終わった後にしばらくその世界観に浸れるような小説を書けるように頑張ります。

最後まで読んでくださった方、有難うございました。

これからもよろしくお願いします。

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