厨二乙(笑)とか言わせてください
「“幽遠より吹き荒ぶ紫紺の風よ、澱む水面に遥かなる”……“遥かなる彼のものの”……“彼のものの、俤を”…………っやっぱり無理いいい、こんなの言えないいいいい!」
うがああっと頭を抱えて蹲ると、隣に立つローブを着た美しいエルフはやれやれと肩を竦めた。私の耳はおそらく真っ赤になっているだろう。重厚感溢れる見た目のくせに文庫本程度の重さしかない常盤色の本を片手で閉じる。投げ捨てたくなったけれど、ここで投げたら土がつくか池ポチャだ。この本は魔法の発動に必要な杖みたいなものだから、大事にしなくてはいけない。
すっきりと、しかし優美に結い上げられた髪を崩せないために、しかたなく本を膝の上に抱えて無防備な右手を地面に叩きつけた。小石が擦れ、小さな傷の痛みがかえって気を紛らわせてくれる。
そんな私を止める手がある。前述のエルフの白く細い手ではなく、日常的に剣を握る硬い手だ。真っ赤な髪に凛々しい顔、詰襟の騎士服に身を包んだ彼が労しげに微笑んだ。優しさに涙腺が緩む。申し訳なさで胸がいっぱいだった。
しかし、だって、耐えられないことはある。
無理なものは無理なのだ、どうしても、これだけは。
「いったい何がそんなに問題なんだ、お前の魔力なら詠唱さえすれば間違いなく発動するのに」
「その詠唱が問題なんですってばあ!」
「読むだけじゃないか。」
エルフのジークフリートが、薄く色付く唇を開き、アルトの声をゆったり紡ぐ。
「“幽遠より吹き荒ぶ紫紺の風よ、澱む水面に遥かなる彼のものの俤を映し、我が――”」
「うわあああああ! やめてやめて聞きたくないいいいい!」
がっしり耳を塞いで首を振る。聞きたくもないし言いたくもない、そんな、
――厨二まっしぐらな台詞なんて!!!
左眼が疼く?
貴様には見えないのか??
風が騒がしい???
選ばれし者????
ハイハイ厨二乙、包帯か皮手袋の下にはフクザツな紋章があって眼帯に隠された瞳は紅色、伝説に残る偉大な王家の唯一の生き残りでその身には封じられし強大なチカラ、興奮すると第二の人格が現れて制御不能なんですよねわかります。
そんな(笑)自分が選ばれし者だとか(笑)
自意識過剰すぎませんか(笑)(笑)
真www顔wwwwwでwwwwww
と、大っぴらに笑っていられたのも今は昔。
誰が考えるだろうか、まさか、自分がそんな『設定』を体現するだなんて。
視線を落とすと、黒い皮手袋に覆われた己の左手。その下には魔術書にでも載っていそうなペンタクル(光る)が浮かび上がっていることを知っている。紅く染まった左眼はじりじり鈍痛を訴える。体内に蠢く熱は魔力だし、集中して探ると、身体の奥で何処か余所余所しい冷えた魔力が眠っている。現実である。
現実に、私は今や立派な『選ばれし者』なのだった。
さて、ことの始まりはほんの一週間前になる。
終業式を終えて友人と遊び、意気揚々と帰宅した私、柊 美以が見たのは、荒れ果てた居間と得体の知れない黒い生き物。そしてその獣のような生き物の前脚に踏みつけられぐったりした母と、何処から出したか長剣を構え傷ついた父。ここからはダイジェストでお送りしよう。
逃げろと言われるも足が竦む私! 襲い掛かる化け物! 体内から湧き上がり暴走する熱!
気付いた時には化け物は斃れ、悲痛そうな顔で父は言った――「目覚めてしまったか」。
そうして連れてこられた異世界! 実は私は異世界生まれ、滅んだ王国の生き残り姫で、体内に封じられた幻獣が魔力と共に目覚めてしまい、元の世界で特訓をせねば暴発してしまうと言われたのだったたたー。
生き残りと言うからにはつまり両親は赤の他人、王家に仕える忠臣夫婦だったという。それでも父さんは父さんだし母さんは母さんなので、寂しく思えど受け入れた。食事も我が家はほとんど洋食で、毎年誕生日には記念写真用にとガッツリしたドレスを着させられていたので、中世風文化にもそこまで抵抗はない。小さいころからなぜか覚えさせられていた、両親曰く『ヒマラヤ山脈に住む少数部族の言語』が実はこの世界のものだったので、読み書き会話にも心配はなかった。
エルフや獣人、爬虫類系の人々も多いけれど、両親は幼いころから「万が一もとの世界に戻ることがあったら」と考えてそういった亜人の出てくるファンタジー映画を何本も見せてきたし、恐怖心が芽生える前に慣らされ、さらにキャンプでアウトドアも学んだ。万が一、というのは、十六までに魔力が目覚めなければ一生使えず、その魔力もほかの魔力に接しないと目覚めないものだから、らしい。私は秋生まれなので、期限まではあと半年もなかった。
両親の長い積み重ねのおかげで、私は異世界に順応しているほうだと思う。けれど。
はあ、と溜息を吐いて、気を取り直し常盤色を再度開いた。綴られているのは先ほどとは違う文言。
できるだけ何も考えないように、自分は朗読機械だ、目に映る文字をそのまま口にする読み上げロボットなのだ、と言い聞かせる。左手に熱が集まる。この紋章は封印の証で、私の魔力につられて眠っている幻獣を目覚めさせないようにしているらしい。頭を空っぽにする。肺に空気を取り込む。唇を開く。
「“深淵に住まう我等が気高き同朋よ 我等が剣よ
漆黒の夜陰より這いずり出でよ
蹉跌に満ちた我等を 其の猛き腕で“……、そ、其の、猛き、腕で……かいな…………」
だめだもうむり。
「うわああああ何このあんまり意味のない遠回しな言い方! 頑張った、私すごく頑張った! なんでこんなかっこつけた熟語使いまくるの!? というかコレちょっとした治癒魔法じゃないの!? 私のこの、血も流れてないかすり傷を治すようなさあ! なんで剣!? なんで禍々しい人が登場するの!?」
「治癒は闇の精霊神が其の御力で穢れを断ち切るものだからだ。闇の精霊神を禍々しいだのと、失礼な。」
「禍々しいじゃんよおおお這いずり出てきてるじゃんんんん」
うがあっと喚くと、美形エルフこと大魔導師ジークフリートはやれやれと首を振った。この、魔法と魔術と魔導を「おんなじだけどその場の雰囲気と好みで使い分けようね(はあと)」みたいな風潮も気に食わないんだよ私は! なんて関係ないことまで嫌になる。
真っ赤な髪の騎士、彼はジュードと言うのだが、彼は相変わらず苦笑い。ジークフリートは私の魔術監督 兼 もしも封じられし幻獣が動き出したら対処する要因。ジュードは私の護衛 兼 たまに魔術の実験台になる被害者である。どちらも芸能人でもトップクラスの美形である。
しかし美形とか正直どうでもいい。問題は私の羞恥心だ。
魔力をきちんとコントロールできるようにならないと、幻獣()の力が引きずられやすく、目覚めやすくなり、そうなったら危険らしい。世界と私が。
だからちゃんとやらないと、とはわかっている。いまいち実感はないけど、真剣にならなきゃいけない場面だ。でもつらい。
今までずっと、「厨二(笑)」「選ばれし者(笑)」「遠回しな呪文詠唱(笑)(笑)」と思って生きてきたのだ。そういう創作の登場人物はそういった背景があるから気にならなかったけれど、自分がまさにそうだと思ってなりきってる人を「痛い(笑)」と思ってきたのだ。小六病にも厨二病にも罹患せず、金ぴかドラゴンやスタッズや鎖を求めず、麻薬の種類を検索することもなかった。天使の名前も悪魔の種類も、十二使徒の名前だってほとんど知らない。
無縁のフィクションだから受け入れられたものが、いったいどうして自分の身に降りかかるなどと思えるだろう?
自慢じゃないが、私は絶対に何が何でも死んでもクラス演劇の裏方を死守したタイプである。小学生のころからできるだけ端役になりたかった。年に一度の誕生日写真撮影が羞恥心の限界で、目立つのとか注目されるのとか、ほんとうに苦手なのだ。
私の感性に基づくと、この世界で呪文詠唱が何らおかしくないとわかっていても、死ぬほど恥ずかしくて悶えたくなる。
せめて、「詠唱」じゃなく「呪文」だったら……! 横文字の、単語組み合わせ呪文であれば耐えられた!
バーニングで始まる呪文でも良い! 肩こり腰痛に効く!
羞恥心と義務感、情けなさがそれぞれ肩に圧し掛かり、ウッウッと顔を覆うしかない。
詠唱を止めると、紋章の燃えるような熱も左眼の疼きも泡沫のように消失し――熟語も比喩ももうイヤだ!
こういうの好きな人も、気にならず受け入れられるひともきっと日本に数百単位でいるはずだ。それなのになんでよりによって私なのか。申し訳ないけど慣れるまでにあと十年かかりそうである。幻獣よ眠っていてくれ。
だってさあ、灯りをともすだけに“昏き世界を”なんてワード要るかな!? 香ばしすぎない!? “昏き世界を照らす一握の希望を我が手に”だよ!?
かすり傷に“深淵に住まう我等が気高き同朋よ”も意味わからなさ閾値越えしてるけど!
こういうのはさあ、とやけになって、右手の放っておいていい擦り傷を睨んだ。ささくれの方がまだ痛い。こういうのはさあ。息を吸って、魔道書は閉じたまま。
「“ヒール”」
とか言っておけば、
「な、治った……!?」
「なんてことだ! そんな短い詠唱で!?」
「魔道書を開かないまま魔法を発動させるなんて、聞いたこともありません!」
「いったい君はなにをしたんだ!?」
なにをしたのだ、と言われても。
元の通り、手荒れのひとつもない甘えた手を呆然と見下ろす。
どうやら、秘められし我が大いなるチカラは、世界に革命を齎しかねない未知の可能性さえ内包していたようである。
もー、こんなのヤダ!!!
肩こり腰痛に効く呪文に心当たりがある人は握手しましょう。