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216(日刊連作小説No.001)  作者: BATCH
第1章「カウンセリング」
4/8

第2話:#月曜日クライエント 氏名【明智宗太朗 様】

  −− 底なし沼 −−


 開ける気のない瞼、整え方を知らない髪、ヨレヨレのTシャツ。綺麗な目。底のすり減ったサンダル、バラバラに伸びた爪、使い古したメッセンジャーバッグ。しなやかな指。覇気のない背筋、落ち着かない足元、合わせることが不可能な目線。助けを求めている口元。

 自分をどうにかしよう、なんて気持ちが一切ないみたいだ。絶望すら感じる。

 一応、アンケートには協力してくれるみたいだ。

 #氏名【明智宗太朗 様】 21歳 B型

 昨日の月曜日クライエント、明智ひなたの弟。正式には義弟だ、血のつながりはない。『明智ひなた』という名前には語呂に多少違和感があったが……。そうか、『宗太朗』は元々『明智』の下で考えて命名されているからな。ひなたは違う姓だったんだ。

 そうだとすると、世の中の結婚した女性はずいぶんと違和感を感じない、少ないな。それは運命と言うべきなのか、それともしっかり相手を選んでのことなのか。

 #職業【無職  】

 こういった場所ではよく『家事手伝い』が使われる。無職と言いたくないからだ。そういった『建前』に反応すらしない?まだ若いし、そこまでは考えないかな。とにかくウソは付いていない。

 #家族構成【父 母 姉  】

 自分のことは書かず。居場所なんか……ない?やっぱりこの子は事件を起こすぐらいの要注意人物なんだろうか。しかし暗い。顔も整っているしオーラもある。明るく笑顔でいるだけで人が寄ってきそうな人相なのに。運命とは悲惨だな。運命?果た、それが運命というものなんだけど。

 #自分自身についてなんでも書いて下さい。【       】

 無し。そうだよ、書けないよな。いや、あれもこれもベラベラと書かれたら逆に違和感だ。ここはそのままでいい。


 さて、どうしたものだろう。人生に悲観しているから暗い、と言う人は確かにたくさん来るし、人それぞれの人間性はおおいに歓迎するのだ。しかし、彼には『生きている空気』を全く感じない。悲観や不安なんかでは言い表せない雰囲気だ。例えるなら……絶望、いや、『不要』だ。彼は自分の人生や存在を不要としてしまっているようだ。

 まずは話を聞かないと。憶測だけではどうしようもないし、それだけで話を決めるのはとても危険で乱暴だ。彼の話を聞いてみないと、昨日のひなたの過去が理解できない。


  −− 理由≠言い訳 −−


 ここは……どこだ? いつまで遡ったんだろう。計画通り2002年なんだろうか?

 未来の私が言っていた2008年にはまだ結びつかず、私達はひなたの思うままにタイムシフトを実行した。とにかく場所と時間を確認しなければ。何かが手遅れになってからでは失敗で済まされない。宗太朗の姉だ、きっと何かがあるはず。

 

 どうやらどこかの繁華街らしい。商店街というよりはお洒落なショップや飾り付けがされた街路樹が見える。とにかく……寒いな。ジャンプする場所によってこちらの服装も都合よく変わってくれるから助かるけれど、いきなり夏から冬に飛ぶと心が折れそうになる。

 街の巨大看板が見える。かなりの都会だ。我々の住んでいる唯舞町ではありえない景色だ。看板には

『Go to 21st! ミレニアムバーゲン開催中!』

 と書いてある。そうか、ということは2000年の冬? 現実世界の14年前のことのようだ。想定していた年代と違うがなぜだろう。

 そんなことを考えているとそこに、手をつないだ親子が目の前を歩いて行く。あれは……ひなただ! 小学校中学年ほどの女の子だが、上がっている口角と大きな目には見覚えがある。未来のひなたのデカ目メイクが必要ないとも思わされる整った顔だ。

 母親らしき人物と手をつなぎ楽しそうに歩いているひなたが見える。ひとまず隠れて二人を監視してみることにしよう。


 それにしても、母親は浮かない顔だな。ひなたはあんなに嬉しそうなのに。こんな華やかな街をショッピングしているのだからもっと楽しそうにしていてもいいのではないだろうか。20世紀最後の歳はミレニアムイヤーと言われ、ずいぶんと街が賑やかに、そしてとにかく浮かれていたのを覚えている。もちろんどんな時だって人には悩みもあるだろうし、不幸で悲惨な人も存在はするけれど、今見ている状況ではどう考えてもひなたはあんなにうれしそうだ。母親との幸せな時間だというのがわかるし、ましてやお腹が空いて辛いなんていうようにも見えない。母親にとってどんなに辛いことがあるときでも、子供があんなに楽しそうならもう少し作り笑顔でもするものではないだろうか。

 ふたりは角を曲がった。見失わないようにしよう。


 オープンテラスのあるカフェの前で親子は立ち止まる。母親はコートの袖を軽く引き上げ手首を返し時間を確認する。ずいぶんとお洒落な時計だな。細いアンティークブレスレットをモチーフにしたような腕時計だ。都会の母親は子どもと出かけるときでも、そういったところに気遣いを欠かさないものなんだろうな。

 この寒空の下、テラス席に座った。すぐに店員が気づきメニューを運んでくる。特にメニューを見て選ばず、適当に子供の分まで注文を終えているようだ。明らかに母親は楽しそうにカフェでティータイムではない。

 少ししてコーヒーが運ばれてくる。ひなたにはこちらから見る限りココアか何かだろう、コーヒーカップよりは少し大きいサイズのマグカップが来た。やはり、ココアのいい香りが漂う。

 そこにちょうどスーツにビジネスコート姿の男性が現れた。たとえるならばスラっとして『いい男』だ。無愛想に席につく。すぐにひなたの頭をなで、またすぐに手を引っ込めた。それに対し母親は他人行儀に軽く頭を下げ、バッグから封筒を取り出し、そっと男性の前に差し出した。男性はすぐに封筒を開け中身を引き出す。


 薄い紙に緑色のクッキリとした罫線が見える。離婚届だ。


 彼はひなたの父親のようだ。別居でもしていたのだろうか、わざわざこんな寒いところで待ち合わせて、無感情で事務的に書類を渡す。完全に関係は終わりを迎えているようだ。それでも、母親のあの暗い顔はこのためだったに違いない。離婚してしまう自分の人生に悲観していたのだろうか、それとも旦那に会うのが嫌だったのだろうか。同性ではあるけれど、女性の気持ちはわかりづらい。

 男性は目の前でサインをし押印する。こんなときにタイミング悪く店員がメニューを持ってきたが、男性は無愛想に手でいらないと追い払った。

 すぐに紙を折り直し、雑に封筒を開け紙を入れ戻す。初めて見る風景だ、なんて寂しいものなんだろう。幼子ではないひなたに紙の意味が判ってしまうんじゃないかと私が浮足立った。

 母親が封筒を受け取るとバッグに戻し、両者ともすぐに立ち上がる。驚いたひなたは手に持っていたマグカップをテーブルに落としてしまい、前面に広がったココアがテーブルからポタポタと滴り落ちる。

 「パパはもうー!!」とひなたが笑顔いっぱいに父親を叱りつける。10才になるひなたはこの頃でもとても無邪気な性格なようだ。父は少し悲しそうな顔をして、頭をなでながら顔を近づけ呟いた。

「ママの言うことちゃんと聞くんだぞ? パパはまたしばらくお仕事で会えないから。またな」

 ワケのわかっていないひなたは「なんでー、なんでー」とおどけたように質問で攻めたが、父親はけして答えることはない。母親に向かって「じゃあな」と冷たく伝えると、足早にその場を離れていった。

 事実上、離婚が成立した瞬間だった。こんなものかと思った。

 同時に店員が布巾とバケツとモップを持って現れる。店員がココアを拭きながらひなたがヤケドしていないか確認していると、母親は申し訳無さそうにしつつもいきり立ったようにお金をテーブルに置いて、お釣りも受け取らずひなたの手を掴んで店を出た。これから一人でひなたを育てていかなけれないけないという決心と覚悟もあるだろう。店員に対して気遣いなどしている心境ではないはずだ。人生は難しい。


 またしばらく彼女達を追う。繁華街の路地を足早に進むとコインパーキングが見えた。1時間800円という金額を見てハッキリしたのは、ここはおそらく東京都心だろうということ。物の価値はむずかしいなと思う。

 そうこうしているうちに、気づくとふたりは一台の大型ワンボックスカーに乗り込もうとしている。


 中には運転席に男性と後部座席に小さい男の子が……宗太朗?


  −− 本当は −−


 昨日のひなたのタイムシフトで見た過去はまだ今でも理解しがたい。ひなたの両親が離婚した直後、宗太朗親子に会いに行くという出来事。人生色々あるのはわかる。すべての事象にそれぞれの理由があり、正しいことだけでは生きていけないのも分かる。しかし、ただならぬ雰囲気を感じて改めて思うのは、今回の事件、宗太朗一人のことせいではないのでは、と思う。そして未来の私も言っていたが、今月のクライエントには2008年8月という共通項があることを忘れてはいけない。

 そういえば、あんなに天真爛漫なひなたが、ワンボックスカーに乗り込んだ時に下を向いておとなしくなっていた。むしろ元気なのは宗太朗の様に見えた。今目の前にいる人間からでは考えられない。

 話を色々聞こうと思ったがやめておいた。大事な質問だけして、エイルには頑張ってフィーリングを完成させてもらおう。

「あなたが今、強く思う過去はいつ? もし会えるなら誰に会い、何をしたい?」

 すぐには答えてはくれなかったが、1〜2分まつと重い口調でしっかりと伝えてくれた。

「お姉ちゃんとお母さんと……一緒に住み始めた日」

「何がしたい?」テンポよく聞き返す。

「別に……何もしたくない」

 意味がわからなかった。強く思う日はハッキリしているのに何もしたくないなんて。続けて引き出すためために間髪入れずに聴き続けた。

「何もしたくないの?」

 すると、少しの間をあけ、宗太朗はそっと答えた。

「何もしなくていい、4人で……なくてもいい、お父さんとあのままでいい」

  

 ――気づくとタイムシフトしていた。いつの間にジャンプしたのだろう。助手のエイルはまだなにも言っていなかった。だからトリガーはまだ発動していなかったはずなんだ。エイルが感情移入しすぎてトリガーを暴走でもさせたのだろうか? いままでにこんなことは起こらなかったので混乱した。

 しかも混乱した理由はもうひとつある。問題はこっちだ。

 昨日の明智ひなたのタイムシフトの続きなのだ。車を見送って終わったあの続きなのだ。しかも、私はどこにいるのだ。いつもは現実世界となにも変わらない、その世界に存在する形だった。街を歩き、人と会話をし、クライエントとも接触出来る。しかし今回は違う。まるで映画やドラマなどの映像を見ているかのように視点がいくつもある。車の正面、後部座席、上方から見下ろす視界があれば車の後ろを付いて行っている。しかも見たい角度を私の意志で自由に変えられるのだ。まるで私が中に浮いているかのようだ。わけが分からない。

 私の混乱が収まらない中、車内ではそんなこと関係なく『新しい家族』の団らんが始まっている。母親は先ほどと違い穏やかで微笑んでいる。隣で運転しているのはおそらく宗太朗の父親だろう。セカンドシートに新しい姉弟になるであろう二人が座っている。男の子は確かに宗太朗だ。綺麗な目に面影がある。

 宗太朗から始まる会話が聞こえてきた。

「ひなたちゃん元気だった―?」

 ひなたを気に書けるように宗太朗は話しかけた。

「うん、げんきだよ」

 明らかにそうではない雰囲気で言葉を返した。車に乗るまではあんなに無邪気だったひなたはどこへ行ったのだろう。

 そこに母親が割って入ってきた。

「宗太朗くんこんにちは! 会いたかったのよ? 元気にしてた? ねぇ、ひなちゃん」

 ひなたの元気が無いのを気遣ってなのか、母親が街を歩いていた時とはぜんぜん違う艷やかな声で話す。そんな母親をニードルの先端なような無感情で尖った瞳で見つめるひなた。

 私は気付いた。今までの母親と違う。おそらく、まだ母親が父親と仲良かった時とも雰囲気が違うだろうし、二人で過ごしていた生活時も、母親はこんなんじゃない、ひなたの目はそういう目だ。なんて冷め切った目なんだろう。

 そしてこう思う。これは私の勝手な推測だが、母親は母親で大変だったんだろう。この変化も『自分たち』を守る術かもしれないな、と思ってしまった。


 宗太朗は無邪気に話し続ける。

「ひなたちゃんはハンバーグとおすし、どっちがすきー?」

「ぼくはねー、やっぱりハンバーグかな―! 今日はひなたちゃんたちとみんなでごはんたべにいくんだってー!」

「ひなたちゃんはー? どっちがたべたいー? やっぱりハンバーグでしょー?」

「ひなたちゃん! たのしみだねー!」


「――うん」


 ひなたにしたら精一杯の返事だったと思う。無邪気さは時として邪悪な武器になる。宗太朗には何も罪がない。ひなたもそれを理解しているから黙れとは言わない。大好きだった母親の為に、ひなたは子供ながらに虚しさを押し殺していた。


 しかし、無邪気そうに振舞っている宗太朗にも感じていることがある。

『ひなたのママにあうと……パパに話かけても聞こえてないみたい』


 なんでだろう、子供たちの感情が、親たちの想いが、手に取るようにわかる。まるで心を読んでいるような気持ちになる。心が痛い。


 大切な人に出会う。子供を育てる。幸せな生活を維持する。大切な人と離れる。恋を大切にする。自分を大切にする。新たな大切な人と共に生きる。

 それは人間として、大人として生きていくためにはどれも欠かせない。簡単には人生まわらない。

 男、女、父親、母親。色々な立場が存在し、どれも肯定すべき『立場』だ。

 しかし、すべてを得るには何かを傷つけてしまうこともある。時として、一番大事に思っていた我が子ですら、大人の新たな恋愛においてはハンデになりかねない。やろうと思えば上手くもやれる。みんなが幸せにもなれる。ただ、自分と何かの距離感を把握できている人と出来ていない人とでは、誰の為の幸せで、誰の為に幸せになりたいか、バランスを見失ってしまうものではないだろうか。


 タイムシフトから戻った私は泣いていた。

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