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第8話 嫌いになれない

 DISPELLERS(仮)の Ⅱ


 8.第8話 嫌いになれない



 旅館への帰路、車内の彪冴に電話がかかってきた。


 「チッ、親父からだよ。

  稲北の野郎がブツクサ言ってきたらしい」

 「どんな用件でしたの?

  貴方の素行が不良だからお仕事をキャンセルしたいとか」

 「ちげぇよ、素行関係ねぇし。

  あいつら、年が明けたらすぐにでも知事に林地開発許可とかいうのの申請を出して、役場の方と話し合いを始める

  予定にしてるから、年内には大凡で構わないんで中間報告をしてくれってさ。

  明日が仕事納めなんだとよ」

 「なるほど、政治家への根回しは概ね順調に進んでいるという事ね。

  困りましたわね。

  明日は再び守東院家に赴かねばなりませんし、占い師の正体を暴いて山林とどういう繋がりがあるのか解明しようと

  思ってましたのに・・・」

 「じゃあ、こっちも順調に進んでますって言っとくか。

  電話一本で済ましたろ」

 「そんな適当な回答では納得しないでしょうね、貴方とは違うんだから。

  仕方ありませんわ、旅館に戻ったらその足で報告に向かいましょう。

  寿はお疲れでしょうから、運転は定芳に代わっていただきますわ」

 「今日か!?、それじゃ晩飯が遅くなっちまうじゃねぇかよ。

  腹減ってんのになぁ、ちくしょう」

 「貴方のお仕事でしょ、つべこべ言うんじゃありませんわ」

 二人の遣り取りを聞いていた曄が澪菜に質問した。

 「あたし達も行くの?」

 「いいえ、わたくしと彪冴で行きますわ。

  貴女達は旅館で待っていてちょうだい」



 ☆



 旅館に到着し、部屋に入って一休みした後、澪菜は彪冴を伴って稲北不動産へ向けて出かけて行った。

 男性陣の部屋で一人残った明月は、初めのうちはゴロゴロ寝転がってテレビを見たりして、遅らせた夕食までの時間を

 潰そうと考えていた。

 だが、どうしても一つ気になる事があって、考えれば考える程落ち着いていられなくなり、どうせ暇なんだからと外へ

 出てみる事にした。

 ロビーへ下りたところで、そこにある自動販売機で缶コーヒーを買っていた曄に呼び止められた。

 「明月、どうしたの?」

 「いや、部屋は俺一人なもんで暇で」

 「あたしもよ」

 「なんで、薺は?」

 「薺はもう、部屋に着いたらそのままゴロンでグーグーよ」

 「ブッキーさんは?」

 「ブッキーはお土産買うって街へ出てったわ。

  なにげに元気よね、あの人」

 「ずっと一人で運転してたのにな、往復で6時間」

 「あなたも飲む?、コーヒー」

 「苦いのは要らん、ココアがいい」

 「プッ、あなた甘党?、お子ちゃま?」

 「うるさい、健康志向なんだ」

 「で、あきちゅき君はどこ行く気なのかな?」

 「あのな・・・」

 「どこ行くの?」

 「・・ちっとばかり気になる事があって・・」

 「気になる事?」

 「今日行った不動産屋に来たっていう妖怪と、あの山はなんで関係あんのかなって思ってね」

 「占い師に化けてたっていう奴の事ね。

  山を処分しろって言ったって事は、あの山と関係あるのは間違いないもんね」

 「棲み心地は悪くねーはずなんだよな・・・、なんで売るかな」

 「不動産屋が手を着けずに放ったらかしにしてたからでしょ、でも所有者が替わったらそうはいかなくなるわね。

  その事分かってないんじゃない?

  どうせ、ずっと山ん中で籠もってたんだから、人間社会の事なんか知らないのかもよ」

 「そうでもないだろ、あの山が人間の持ち物だって知ってたんだからな。

  もしかしたら、その占い師って奴も誰か人と繋がってるのかも知んねーぜ」

 「まさか、今からあの山に行く気?」

 「山には行かねー、森の方」

 「もう真っ暗だよ、外。

  今からなんて無茶よ、危険過ぎるわ」

 「別に、大丈夫だろ」

 「一昨日会ったっていう猫の妖怪を探す気ね」

 「まあ」

 「その妖怪が何か知ってると思う?」

 「知らん」

 「澪菜の許可は取ってんの?」

 「いいや、とっとと出かけちまったからな」

 「じゃあ、ちょっと待ってて、あたしも支度してくるから」

 「あん?、一緒に行く気か?」

 「当たり前でしょ、一人で行かせられますか」

 「そっちの方が心配だ、俺は」

 「あなたね、あたしより自分の心配しなさい。

  ホントにもう、放っといたら勝手な事ばっかりするんだから。

  薺の方がまだましね」

 「あれと一緒にすんな」

 「一緒じゃないわ、あの子の方がちゃんと自分で出来る事と出来ない事を判断するもの」

 「俺だってやってるわ」

 「あなたの場合、その判断が正しいかどうか分かんないのよ。

  いい?、あたしが戻るまで勝手に行っちゃ駄目よ」

 そう言い聞かせて、曄は小走りで部屋へ戻って行った。

 (あーやれやれ、めんどくせ

  言い出したら聞かねーからな、あの人は)

 曄がこうしたお姉さん風を吹かせるのは明月に対してだけで、他の人にはまず見せる事はない。

 それだけ気にかけているという事なのだろう。

 先日、澪菜を前にあれだけ大見得を切って全幅の信頼を示してみせた同じ人とは思えない。



 ☆



 ちょうど、仕事を終えた社会人が家路を急ぐ時間に差しかかっていた。

 温泉街の付近はそれなりに車通りや人通りもあるが、街を離れるとすぐに閑散として物寂しくなる。

 陽はとうに暮れ、気温は氷点を目指してじわじわと下げ、暖房の入った家の窓の明かりがより一層暖かそうに見える。

 明月は、その明かりを恨めしそうに眺めながら、暗い夜道を山林に向かって曄と共に歩き出した。

 「うー寒っ」

 「寒いの嫌い?」

 「大っ嫌いだ」

 「だったら帰ればいいのに、わざわざ危険な所に行く事ないわ」

 「出来りゃ俺もそうしたいんだが、どうにも気になっちまって・・、じっとしててもつまんねーし」

 「澪菜に言わないでホントに大丈夫なの?、絶対後でグチグチ言うわよ。

  この前だって、あなたが森の中で一人だって知って本気で心配してたんだから。

  あたしが明月だから大丈夫って言ったのに、ちょっとムッとしてたわね」

 「俺ってそんなに信用ねーのかな」

 「信用っていうより、あなたがなんにも話さないからよ。

  普段からあんまり話をしないから、なに考えてんのか分かんなくて余計に心配になっちゃうのよ」

 「話せったって、なに話せばいいんだか」

 「なんでもいいのよ、今日こんな事があったよーとか、あのお店は美味しいよーとか」

 「なんか・・、そういうの自慢話みたいで性に合わねーな。

  美味い店なんて知らねーし、大体あんただってそんな話した事ねーだろ」

 「あ、あたしの事はどうでもいいのよ。

  今はあなたの話してんだから」

 「美味い店っつったって、味覚は人それぞれなんだぞ。

  味噌とか塩とか味によっても好き嫌いがあるし。

  ラーメンの嫌いな奴にあのラーメン屋は美味いって言ったって意味ねーだろ」

 「屁理屈言わない。

  いいのよそれで。

  そうやって話をしていれば、相手の人の好き嫌いが分かるじゃない」

 「そんなもんか・・?」

 「分かった、あなた気を遣い過ぎなのよ。

  こんな話したら相手が気を悪くしないかなーとか考えてんでしょ」

 「そりゃまあ・・・、でもあんたも同じだろ」

 「あたしは・・、いちいち説明すんのが面倒なだけよ。

  澪菜みたいに口が達者なのもどうかと思うし、あたしのキャラじゃないわ」

 (確かに、そりゃそうだ)

 「女の人ってさ、なんであんなにベラベラしゃべるんかな」

 「誰?、澪菜の事?」

 「澪菜さんだけじゃねーよ、ブッキーさんとか菊花さんもだし、クラスの女子なんかみんなそうだ。

  女同士だと誰かが止めなきゃ延々としゃべり続けるだろ、ありゃどーなってんだ。

  ほんで、次から次に話の内容が変わるのな。

  どんだけ話題豊富なんだよって。

  日頃からネタ帳持ち歩いてんじゃねーかって思っちまう」

 「へぇー、あなたでもクラスの女子がどんな話してんのか気になるのね」

 「気にしてねーよ。

  ただ、昼飯の時とかやたらうるせーし、聞こえてくんのはどーしょーもねーくだらねー事ばっかりだし」

 「ネタ帳はないけど、いつも身の回りであった事とか誰かに話したいなぁって思うもんなのよ。

  あなたは思わないの?」

 「いや、別に」

 「だから澪菜に心配されんのよ。

  それが嫌ならもっと話さなきゃ、色々とね」

 「そんなもんすかねー」

 「でも、彪冴さんは全然気にしてないふうだったわね。

  男同士ってそんなものなの?」

 「そう言われりゃそうなんかな・・・、気にした事ねーけど」

 「そういえば、彪冴さんって澪菜の事が好きなの?」

 「らしい」

 「ふぅーん、そうなんだ。

  なんか、そんな気はしてたんだけどね。

  でもあれ、絶対尻に敷かれるわよ、澪菜が人の言う事聞く訳ないもん」

 (あんたもな)

 「なんで、澪菜さんは彪冴さんを組に入れなかったんだろうな。

  能力者で同い年で幼馴染みなら、俺等より真っ先に考えそうなもんだろ。

  やっぱあの性格に難ありか」

 「それ、聞いたわよ、澪菜に。

  性格云々は別にして、レベルが違い過ぎるんですってよ、能力的に。

  そういう意味では妹さんの方がずっとレベルが上だから、あの子が中学を卒業したら考える予定にしてたんだけど、

  今は戦力的に不足してないから、今後どうなるかは分からないって言ってたわよ」

 (ほー、そんな事考えてたんか)

 確か、彪冴の妹・錦はかなり剣道の腕が立つと、兄が子供相手に自慢していた事があった。

 澪菜もその事を知っていて、もし先に曄と出会っていなかったら、錦を組に入れる腹積もりでいたのかも知れない。


 明月にとってはただの愚痴に終始した会話だったが、その相手をした曄は存外楽しそうだった。

 恐らく、曄はもっと沢山話したかったに違いない。

 お互いに腹を割って話せる相手が殆どいないせいもあるし、二人きりになれる時間も限られている。



 目指す森までは、一本道なので迷う事はない。

 代わりに、近所に民家はなく、道路には外燈も殆どない。

 曄が用意してくれた懐中電灯がなかったら、森まで辿り着くのも覚束なく、況やその中へは一歩たりとも入れなかった

 だろう。

 森へ足を踏み入れてわずか数歩、2m足らずで携帯は圏外を示す。

 そこはまさに暗闇、深淵、この世とは一線を画した異境、魔の世界と呼ぶに相応しい暗黒が支配している。

 おまけに凄まじく寒い。

 無数の木々に囲まれているおかげで、冷たい北風に直接吹きつけられる事はないものの、反面、昼間の太陽光があまり

 当たらないせいで地面が蓄熱効果を発揮しない為、足元から強烈な寒気に襲われる。

 明月の体感では、今すぐにでも雪が降り出しそうな程に気温が低下していると感じた。

 「くそ寒い、ここは日本か」

 「南極だとでも言いたいの?」

 「いや北極だ、ここにペンギンはいねー」

 「ペンギンどころかなんにも見えないわよ、気配もないし」

 枯れ木、枯れ枝、落ち葉、倒木、石、岩・・・、行く手を遮る障害物が予想以上に険しかった。

 昼と夜とでは視界状況が著しく異なるせいで遠近感が掴み辛く、ただでさえ悪い足元が更に行く手を阻む。

 これは、明月にとっても想定外だった。

 歩くだけでも困難なのに、このまま森の奧へ進むのはかなり難しい。

 一度迷ったら二度と戻れなくなるのは確実で、おまけにこの寒さの中では自殺行為にも等しいと思われた。

 (あの猫の方から出てきてくんねーかな)



 ☆



 どのくらい奧に入っただろうか。

 ただ時間だけが経過し、その割りにはそんなに深入りはしていないだろうと思われる。

 当然、目的の猫妖怪と出会った場所にはまだまだ程遠い位置にいる。

 それでも、これ以上は本当に危険だと判断して引き返そうかと考え始めた時、近くに薄い妖気を感じた。

 「なにかいるわね」

 曄もその妖気を察し、すぐに持参した竹光を構えて用心する。

 明月が、その前で手を開いて彼女を制した。

 「これは・・、この妖気はあん時の猫だ。

  危険はないよ」

 そして、暗闇に向かって落ち着いて声をかけてみた。

 「おい、猫だろ、いるんなら出てこい」

 すぐに反応があった。

 カサカサと枯れ草を踏む軽い音がして、妖気が動くのがはっきりと分かった。

 “また来たの”

 聞き覚えのある声がする。

 明月は、諦めかけていた探し物を発見して、内心ホッとした。

 このまま、なんの成果もなしに帰ったのでは、色気も味気もないただ歩いただけの寒中デートだ。

 それこそ、澪菜に激しく叱責されるだけになってしまう。

 黒猫が何を知っているのかは不明だが、なにかしらの情報を持ち帰る事が出来れば、そのお怒りも鎮められよう。


 ところが、目の前に現れたのは黒猫ではない、茶色の動物だった。

 「あれ?」

 (キ、キツネ?)

 懐中電灯の照らす明かりの中にいるのは、先の尖った大きい耳、フサフサの長い尻尾・・・。

 どう見てもキツネ、しかも、まだ大人になりきっていないと思われる小型のキツネの姿だった。

 「キツネじゃないの、猫じゃないわよ」

 曄は不思議がって文句を言うが、一番驚いているのは明月の方だ。

 姿はキツネなのに、妖気はあの時の黒猫と全く同じなのだ。

 (どーいうこった?)

 もしかして、キツネが猫を食った?

 戸惑いつつ確認する。

 「おめえ、猫じゃねーのか?」

 それを聞いたキツネは、照明の前からフッと姿を消してしまった。

 と思ったら、そのすぐ横の木の陰から一人の女性が現れた。

 (前にもあったな、これ)

 「あたしだよん」

 現れたのは、前回と同じ顔をしたあの時の女だった。

 髪の色が茶色に変わっているが・・・。

 「お前・・、キツネ」

 「そうだよん」

 「あん時の猫だろ?」

 「そうだよん」

 「どっちが正しい」

 「こっち」

 つまり、どうやら、本当は狐の妖怪だったという事らしい。

 「じゃあ、なんであん時は猫だったんだよ」

 「さーなんでかな?

  たぶん、ネコの方が人に警戒されないんじゃないかなぁ」

 「俺をからかってたのか」

 「そうとも言う」

 狐女はニコッと無邪気な笑顔を見せた。

 (くそー、妖怪に遊ばれた)


 明月は、別にからかわれた事に腹を立てるつもりはなかった。

 ただ、ここでそれを黙認してしまうと、このままからかわれ続ける事になりはしないかと考えた。

 この狐女はそういうのが好きみたいだし、自分がその対象であり続けるのは好ましくない。

 「てめー、いい度胸してんなコラ。

  俺の事危険だって言ってたくせに」

 「まあまあ、細かい事は気にしない。

  ところでその女はなに?、妾?、通い妻?」

 狐女は、明月の横にいる初見の曄に興味を示した。

 明月に危険はないと言われても持ち続けていた曄の警戒心が、その気を通じて狐女に伝搬したのだろうか。

 「な、なんですって!、誰が妾だこのアホギツネ!」

 「この女怖い!

  あんたよりよっぽど危険だよ」

 「まあまあ落ち着け。

  この人は心配ない、お前に危害は加えない」

 「えー?、でもすんごい目で睨んでるよ」

 「あんたが怒らせてんでしょ!」

 澪菜の式神の場合もそうだったが、曄は妖怪と相性が悪いらしい。

 これも殄魔師の血筋のせいなのだろうか。

 ただし、曄と狐女の両者の間は、そんなに刺々しい険悪な空気に包まれている感じではない。

 狐女は面白半分でからかっているだけのようにも見えるし、実は曄はその殺気さえ出さなければ、案外と思っている程

 相性は悪くはないのかも知れない。

 なにしろ、凶暴で名を馳せるあの鎌鼬を手懐けてしまうくらいなのだから。

 そういえば、澪菜も初めて曄と会った時、曄の事を明月の愛人と愚弄した経緯が思い起こされる。

 同性の目には、曄はそんな風に映ってしまうのだろうか。

 それとも、いつも明月が曄をそんな目で見ているから、そのせいなのだろうか。


 曄は、怪訝そうな顔つきで狐女を見ながら明月に質問した。

 「ねえ明月、ホントにこいつなの?

  全然情報源っぽくないんだけど」

 その言葉に、狐女は思わぬ反応を見せた。

 「へえー、あんたアキツキっていうんだ・・」

 明月の名を知って、なぜか嬉しそうに笑った、かのような表情を見せた気がした。

 「で、なにしに来たの?」

 「お前に聞きたい事があって来た」

 「なぁんだそうなの、あたしゃ敷女と逢い引きに来たのかと思ったよ」

 「敷女言うな!」

 (もっと言え)

 「聞くだけ無駄なんじゃないの?

  こんなバカ狐じゃ、どうせたいした事知らないわよ、きっと」

 「あ、人の事バカって言ったな!

  バカって言う方がバカなんだぞ、バーカバカバカ」

 小学生並みの低レベルな反応に、曄は口喧嘩すらする気が失せた。

 「自分で言ってりゃ世話ないわ、バカ丸出し」

 一方の狐女も、減らず口は叩くが関心は曄よりも明月の方に向けられる。

 「また言った。

  もういいや、バカは放っとこ。

  で、なにが聞きたいの?、アキツキ」

 「この森に棲んでる妖怪の事なんだが・・」

 「物の怪の事?

  あんまり知らないよ、あたしはここじゃ新参者だから」

 「新参者って、何年住んでんだよ」

 「えーっとえーっと・・・、分かんない」

 明月は、両手を使って指を折りながら難儀する狐女を見て、これに期待するのは間違いだと悟った。

 人間と妖怪とでは時間の感覚が違う。

 寿命がそもそも違うのだから、自分が過ごしてきた歳月を人間のそれに置き換える作業には、人の時間感覚を知る事と

 共に相応の計算能力が必要だ。

 この狐女にそれがこなせるとは思えない。

 質問を替えた。

 「ここにゃどんだけ物の怪が棲んでんだ?」

 「分かんないよ。

  けっこう広いからうじゃうじゃって感じはしないけど、そこそこいるとは思うよ」

 「その中に鳥の物の怪はいるか?」

 「鳥?、いるんじゃないかな」

 「どんな奴だ?」

 「分かんない、飛ぶ気配は感じるけど会った事ないから」

 「じゃあ、これは知らないか?」

 ポケットから、守東院冬梨の部屋で預かった青い石を取り出して狐女に見せた。

 「うわ、なにこれ?

  邪気だね、弱いけど」

 「この邪気に覚えはないか?」

 「んー、ない」

 「この石に見覚えはないか?」

 「こんなの、この森にはないよ。

  見た事ないもん」

 「じゃあ、ここには坊さんみたいな格好したじじいの物の怪はいるか?」

 「主様の事?」

 なんと、この山の主と呼ばれる妖怪は、坊主風の姿をしているという。

 守東院家を訪れた占い師が、この山の主だったという可能性が出てきた。

 これはとんでもない情報だ。

 大スクープをゲットした。

 まさか、一番の大物の名前がここで出てくるとは思わなかった。

 だがしかし、それが正しいとすると、主は自分が長年住み慣れた山を自ら率先して売れと脅しまでかけた事になる。

 これは、人間の感覚ではどうにも不自然さが残る。

 妖怪ならではの事情でもあるのだろうか。

 「その主様は、最近この山を離れたりした事はあるか?」

 「主様は山から出ないよ。

  だって主様だよ、いっつも必ず山にいるよ」

 「気配は感じねーぞ」

 「ここじゃ無理だよ。

  でも、山に行けば分かるんだ」

 「それは確かなんだな?」

 「うん。

  でも、会いに行っても会えないと思うよ。

  主様が人間の前に出るなんて、滅多にっていうか殆どないらしいから。

  あたしの知ってる限りじゃ一度もない」

 「そうかぁ・・・、やっぱ違うか」

 どうやら、ひきこもりの主様が犯人ではなさそうだ。

 あくまで狐女の言う事で、どこまで信じていいのかは分からないが、信じないつもりだったら初めからこんなに寒い

 思いをしてまでわざわざ来ない。

 糠喜びだった。

 やはり、ここへ来たのは無駄骨だったのだろうか。


 期待外れに残念そうな顔をする明月を見かねて、曄は、澪菜と共に聞いた話を持ち出してみた。

 「そういえば、昨日聞いたおばあさんの昔話で、ここには人食い鬼婆が住んでたって言ってたわね」

 (ほぉー、そんな昔話があったのか)

 「どんな話だ?」

 曄が話して聞かせると、狐女がそれに追随した。

 「それならあたしも聞いた事あるよ。

  人を食う物の怪が悪さばっかりするもんで、怒った主様に山を追い出されたんだって。

  あたしがここへ来る前の話だけどね」

 「鬼婆か・・、あんま関係なさそうだな」

 「あ、思い出した。

  でもその話には坊主みたいな物の怪爺も出てくるよ」

 「なぬ?」

 「この奧にボロボロになった祠があってね、前はそこに物の怪爺が棲んでたんだって。

  まだ人の出入りがあった頃はね。

  でね、お供え物とかを食べて生きてたらしいんだけど、婆が人を襲ってたから段々お参りに来る人が減っちゃって、

  そうなるとお供え物も減っちゃうから今度は人を襲って食べるんだよ。

  すると、婆は獲物を横取りされて怒っちゃう。

  爺と婆が獲物を取り合うようになると益々人が来なくなって、人が来なくなるとどんどん森が荒れるようになって、

  結局こんなになって主様が怒っちゃったって訳」

 「誰に聞いた話だ」

 「主様」

 「じゃあ、主様は人が森に入るのをそんなに嫌がってねーって事なんだな」

 「主様はうるさいのが嫌いだから、静かにしてくれれば別に構わないって言ってたかな」


 この話には、曄が林塚ヌイから聞いた昔話の内容と符合する点が幾つかある。

 狐女の言葉を信じるならば、この山林の主と呼ばれる妖怪は、ここに人が立ち入る事を頑なに拒んでいる訳ではなく、

 むしろ、人間が節度を持って接する限りに於いては、ある程度その介入を容認しているものとも捉えられるのだ。

 人の手が入る事によって、森の環境を適度に風通しの良い状態で持続させる事が出来ると考えているのかも知れない。

 とすれば、人間を食す類の妖怪が幅を利かせるのは意に添わないはずで、強制的に追放したというのも納得出来る。

 狐女が語る人食い婆が昔話に出てきた鬼婆と同一かどうか、正確には不明だがその確率は高い。


 「ばばあが追い出されたって事は、そのじじいも追い出されたのか?」

 「たぶん、あたし見た事ないもん」

 「そいつは坊主の格好してたんだな?」

 「そう聞いたよ」

 「そうか・・・。

  しかし、追い出されちまったらどこ行ったんだろな、そいつら。

  行く当てもねーだろうに」

 「なんか、すぐ近くの山だって聞いたよ。

  そこはよく人が登る山だから、そこじゃないかって誰かが言ってた」

 「他に、ここには人の格好してたり人に化ける物の怪はいるか?」

 「いると思うけど、そんなにいっぱいはいないと思うよ。

  だって、ここにいたって人来ないし、化かしたり襲ったりも出来ないもん。

  ここはつまらんって言ってた奴もいたし」

 狐女は非常に興味深い話をした。

 人間の目から見れば、この山林のような人の手のかかっていない自然のままの場所は、妖怪にとっては棲み心地がいい

 はずだと思っていたのが、全ての妖怪がそう考えているとは限らないのだ。

 妖怪の中にも、深山で静かに暮らすのを好むものもいれば、人里近くで人と関わりながら暮らすのを好むものもいる。

 「なるほどな・・・。

  とりあえず、澪菜さんに報告出来るネタは出来たな」

 明月はほっと一安心した。

 それに曄が釘を刺す。

 「でも、あの家に現れたのと同じ奴かどうかは分かんないわよ」

 「そりゃそうだ、けど山林と坊主風な妖怪の接点の可能性は見つけられた。

  手ぶらで帰るよりはなんぼかましだぞ」

 「まあ、確かに・・・」

 曄としても、このまま何の土産もなく帰ったのでは、待ち受けているのは澪菜のお仕置きだけなのは考えるまでもない

 事なので、たとえどんなに不確実な手がかりでも、あるに越した事がないのは否定し難い。

 一方の狐女は、明月にとって有益な情報を提供出来たと知って、嬉しくなって更に話題を切り出すのだが・・。

 「ねえねえ、じゃあさ、じゃあさ、クマの肉食べた事ある?

  あたしも一度しか食べた事ないけど、あれ美味しいんだよー」

 「よし、帰るぞ、撤収」

 「え?、帰っちゃうの?」

 たちどころに、狐女の顔から笑みが消えた。

 「当たりめーだ、寒くてかなわん。

  このままここにいたら死んじまう」

 「だったら、あたしの寝床来る?

  暖かいよ」

 その言葉を聞くやいなや、急に気色立った曄が竹光を構えて臨戦態勢を取り、いきなり狐女を威嚇した。

 「とうとう本性出したわね、この女狐!

  そうやってあたし達を誘い込んで襲って食い殺す気でしょ!」

 「はあ?

  あんたなんか誘ってないし、襲わないよ」

 突然の曄の殺気に驚きたじろぎつつも、狐女は自分は無害だとアピールする。

 「どうだかね、妖怪は口が上手いから信じろって言われても無理よ」

 「あたしは、明月の役に立ちたいと思っただけだよ。

  騙すなんてしないし」

 「なにが役に立ちたいよ、あんた等が誰かの為にとか考える訳ないわ。

  自分さえ良ければいいとしか考えないくせに。

  妖怪は自分勝手なのよ、平気で人を傷つけ殺すからね!」

 「違うもん!、あたしは違うもん」

 「違わない!、あんただって妖怪でしょ!

  腹の中は別の事考えてるに決まってるわ。

  明月、こんな口車に乗っちゃ駄目よ、絶対」

 曄はいつになく強い口調で捲し立てた。

 その意見は、一般的には正しいものと考えられなくもない。

 だが、この狐女については当てはまるだろうか。

 邪気もないどころか敵意すら感じさせず、ましてや誤解を解く為に一生懸命にない頭を絞って説明しようと苦悩する

 健気な表情を見ていると、とても曄の言うようなあくどい性格には思えない。


 「ちくしょー・・・。

  これだから・・・、だから人は嫌いなんだ」

 狐女は、拳を握り締めてその場に立ち尽くし、悔しそうに唇を噛み締めポロポロと涙を流し泣き出し始めた。

 その様子を、次なる反撃への布石とみて警戒する曄。

 対して明月は、その涙を見て確信した。

 (やっぱりな)

 「お前、人に飼われてたな」

 「明月、こんな狐の言う事なんか絶対信じちゃ駄目よ。

  狐はなにするか分かんないんだから、こんなの演技に決まってるわ」

 「狐狐って言うな。

  あたしにだってチヨロズって名があるんだ!」

 曄の言葉に泣きながら反論した狐女。

 名前があるという事は、誰か人に付けてもらったという事になる。

 妖怪は本来、他の動植物と同様に名前など持たない。

 動物でも、ライオンやキリンなど種族毎に名前があるのは、それぞれを識別出来るように人間が便宜的に付けているに

 過ぎず、本人達は、自分以外を敵か味方か、毒か否かくらいでしか判別しない。

 ましてや、個体名をもっているとなると、確実にそれだけ人との深い関わりを物語っている。

 明月の読みは当たっていた。

 「千万ちよろずか・・。

  人に飼われてたお前がなんでここにいる。

  理由があんだろ?」

 それは、いつもながらの抑揚のない無愛想な言葉だったが、その時の明月は狐女の千万には全く別に映っていた。



 ☆



 あたしは、今じゃどこかも分からない山で、お母さんと一緒に暮らしてたんだ。

 もっと、ずっと子供の頃。

 お母さんはいつも優しかったし、食べ物は美味しかったし、あの頃が一番楽しかったな。

 なんの悩みもない、苦しみもない、ただ楽しい毎日。

 ずっと、お母さんが側にいてくれたから。


 でも、あの日は忘れない・・。

 山の木の葉が赤や黄色になってて、すごく綺麗な日だった。

 その日、あたしはお母さんと一緒に食べ物を探して山の中を歩いてた。

 何も変わらない、いつもと同じ楽しい日だった。

 それが、“パン”という乾いた音と共に全てが終わった。

 その音が遠くで響き渡ったと思ったら、次の瞬間、突然お母さんがバタンと倒れたんだ。

 何が起こったのか、あたしには分からなかったけど、急いでお母さんの側に走って行った。

 お母さんは口から血を吐いてて、体から血が流れてた。

 息をしてなかった。

 あたしはパニックになって、泣き叫びながら何度もお母さんの体を揺すって呼び続けた。

 でも、お母さんが動く事はなかった。

 そこへ、いきなり草むらから黒い大きい物が飛び出してきて、あたしの脚に物凄い激痛が走った。

 あたしは体ごと持ち上げられ、左右にブンブン大きく振り回された後、ビュンって投げ飛ばされてガンって激しく木に

 ぶつけられた。

 黒い大きい生き物はイヌだった。

 イヌは再びあたしの脚にガブって噛みついて、同じ事を繰り返した。

 牙が体に食い込んで、体中の骨がバキバキに砕けると思うくらいに痛かった。

 噛まれた痛みと木に打ちつけられた衝撃で、あたしは頭が眩んで立ち上がれなかった。


 このまま続けられたら死んじゃうと思った時、ガサガサ草を掻き分けて一人の人間が現れた。

 人間は、倒れたお母さんにゆっくり近寄って尻尾を掴んで持ち上げると、自分の肩に掛けてイヌに向かって言った。

 “子供は邪魔んなるから放っとけ”

 そう言うと、お母さんを担いだまま草むらの中に歩いて去って行き、イヌもそれを追いかけて消えて行った。

 その時、人間は手に長い筒みたいなのを持っていて、そこから変な臭いがしてたんだ。

 お母さんが倒れた時、体からしていたのと同じ臭い。

 人間は猟師だった。

 猟銃でお母さんを撃ったから、火薬の臭いがしてたんだ。

 あたしは、手足を動かす度に激しい痛みの走る体を引き摺って、その後を追った。

 体中がミシミシ軋むように痛かった。

 でも、お母さんの側にいたかったし、離れたくなかった。

 あたしも殺されるかも知れないって思ったけど、お母さんのいない生活なんて考えられなかったから、それでもいい。

 怖くもなかった。

 一人で生きるよりずっとましだ。

 猟師もイヌもとっくに姿は見えなくなっちゃってたけど、あたしは死に物狂いでお母さんの匂いだけを頼りに追った、

 追いかけ続けた。

 ずっと意識が朦朧としてた。

 どのくらい歩いたのか、何時間かも何里かも分からない。

 どんどん気が遠くなった。

 いつの間にか、あたしは気を失ってしまった。


 気が付いた時、あたしは暖かいフカフカな藁の上で寝ていた。

 あたしは、知らない間に麓の人里の近くまで来ていたらしくって、草むらで倒れて死にかけてたのを誰か人に助けられ

 たんだ。

 その人がアキさんだったの。

 アキさんはとってもとっても優しかった。

 あたしの為に納屋に寝床を作ってくれて、回復して歩けるようになるまでずっと面倒見てくれた。

 お母さんを殺した猟師と同じ人間なのに。

 初めはあたしも警戒したけど、それでもアキさんは、あたしに噛み付かれても爪で引っ掻かれても怒らずに、ニコニコ

 笑いながら食べ物をくれたし、薬を塗って傷の手当てをしてくれたんだ。

 人間は恐ろしいってお母さんに教わってたけど、こんな親切な人もいるんだって初めて知った。

 それから段々アキさんに慣れていった。


 アキさんにはキンゾウっていう旦那さんとヨシロウっていう息子がいて、3人で畑仕事して暮らしてた。

 3人とも優しかったよ。

 あたしをとっても可愛がってくれた。

 アキさんは、あたしに千万って名前をつけてくれた。

 キンゾウは、寒い夜はあたしを囲炉裏の側へ連れてって、そこで寝るのを許してくれた。

 ヨシロウは、あたしが歩けるようになると、一緒に家の近所の畑に連れてって遊ばせてくれた。

 この3人のおかげで、あたしはお母さんを失った辛く悲しい傷を癒やす事が出来たんだ。

 そして、あたしはそこで暮らすようになった。

 新しい家族が出来たんだ。

 すごく嬉しかったし、楽しかった。

 時々、家の近所を歩いてると、村の童子っ子にキツネキツネってからかわれて、石をぶつけられたり棒で叩かれて追い

 かけ回されたりもしたけど、必ず家族の誰かが助けてくれるんだ。

 絶対見放したりしない。

 だから、あたしも恩返ししたくて、畑で見張り番やってネズミ捕ったりイノシシ追っ払ったりすると、すんごい褒めて

 くれるんだ。

 ご褒美に団子くれて、それがすっごく美味しいの。

 あたしは、いっつもこれがずっと続いてくれればいいなって思ってたよ。

 でも、なぜだかそうはならなかった。


 どのくらい経ったのかな、ある日、家に手紙っていうのが届いて、それから何日かして、キンゾウとヨシロウは揃って

 どこかへ出かけて行っちゃった。

 そして、それっきり帰ってこなかった。

 アキさんとあたしは、ずっと二人が帰ってくるのを待ってたのに。

 帰ってきたのはまた手紙。

 後で知ったけど、死亡告知書っていう戦で死んだ報告の手紙だったんだって。

 死んじゃったんだね、二人とも。

 その夜、アキさんはギューッとあたしを抱きしめたまま、一晩中泣いてたよ、ずーっと。

 すごく可哀相で、あたしも悲しくって辛かった。

 アキさんはなんにも悪い事してないのに、なんでこんな悲しい目に遭わなきゃならないんだろうって思ったよ。

 どうやって慰めたらいいのか分かんなくて、思いつかなくて、だから、あたしもただ一緒に泣いてた。

 心臓をチョキチョキされるくらい痛かったよ。


 その後は、あたしとアキさんの二人で暮らしてた。

 大きな笑い声が聞こえなくなってちょっと寂しくなったけど、大変な事や困る事も色々あったけど、二人の絆は今まで

 よりもずっと強く結びついてった。

 ずっと一緒にいたよ。

 細々だったけど、平和に、穏やかに暮らしてたんだよ。

 あの男達が来るまではね。

 いつだったか、一人の知らない男が家に来て、アキさんと話してた。

 なんてったっけな・・、詳しく憶えてないけど、遺族年金受給者向け・・・の生活支援措置とかなんとかだったかで、

 国有地の松林に投資して、そこで採れるマツタケを売って配当?とか言ってたかな。

 でもその為には担保が必要で・・・。

 結果だけ言うと、アキさんはその男に騙されて土地の権利書を取り上げられて、住む所がなくなっちゃったんだ。

 そしたら、別の男達が頻繁に家に来るようになって、出てけ出てけってしつこく何度も言われて、しまいにはガンガン

 殴る蹴る三昧で、あたしもボコボコに蹴られて・・・。

 それも一度や二度じゃない。

 来る度にやられるんだ、毎回、毎回。

 限界を感じたアキさんとあたしは家を出た。

 家を追い出されたあたし達は、けど行く所なんかない。

 近所の人には迷惑はかけられないし、その近所の人も土地を売って出て行く人が多くて寂しくなってたし。

 でね、村外れの山の麓にあった誰もいない小さい神社に身を寄せたんだけど、すぐにアキさんが病気になって動けなく

 なっちゃったんだ。

 アキさんは、社の隅っこで小さく丸まってブルブル震えてた。

 蒼褪めて、息も荒くて、ただ震えてた。

 布団もないし、囲炉裏もない。

 このままじゃ死んじゃう。

 あたしもボロボロに疲れてたけど、一生懸命山で木の実や食べ物探して持ってったり、凍えないように葉っぱを集めて

 寝てるアキさんに掛けてあげたりしたけど・・・、アキさんは死んじゃった。

 アキさんはね・・、死に際にあたしにお礼言ったんだよ。

 一緒にいてくれてありがとうってね。

 千万がいてくれたから、ちっとも寂しくなかったよ、ちっとも辛くなかったよ、楽しかったよって・・・。


 あたしは・・、無性に悔しかった。

 悲しかった。

 悲しくて悲しくて、ワンワン泣いた。

 あたしはアキさんの側を離れなかった。

 絶対離れないって思った。

 そして怨んだよ、あの男達を。

 あいつ等さえいなきゃ、こんな事にはならなかったんだ。

 呪い殺してやろうと思った、やりたいと願った。

 そう思いながら、段々冷たくなるアキさんの横で、あたしも死んだんだ。



 ☆



 「死んだ?

  あんた生きてるじゃない」

 「死んだんだよ、たぶん。

  あの時、アキさんの横で寝てる時、あたしは疲れ果てて体も動かせなくなってたし、気がどんどん遠くなってって、

  ああ、あたしもここで死ぬんだなって思った。

  でもアキさんと一緒にいられるからそれでいいやって思った」

 「じゃあ、死んだあんたがなんでここにいるのよ」

 「分かんない。

  気付いたらここにいたの」

 「なにそれ、ちっとも説明になってない。

  大体、あんたいつの話してんのよ、さっぱり分かんないわ」

 曄は、素っ気なく突き放すような言い方をする。

 しかし、その心中は穏やかではない。

 人間に翻弄され、人生を狂わされ続けて挙げ句に妖怪になった動物の話など、今の今まで聞いた事がなかったからだ。

 昔話などではあるのかも知れないが、その本人を目の前にして直に聞くのは初めてだ。

 決して饒舌ではないながらも、精一杯に話した千万に対して、その哀れな生涯に意図せず同情の気持ちが芽生えるのは

 無理からぬとしても、妖怪に対してこんな感情を持つ事になろうとは予想すらしていなかった。

 まだ実家にいた頃、聖護院家が茨屋の本家として君臨していた頃に、天敵として本能に刻み込まれるまで教え込まれた

 妖怪の姿とは全く相容れない、痛ましき悲惨な事情を過去に持つ妖怪がここにいる。

 そんな千万を見ているうちに、もしかしたら、以前の自分達のような偏見に凝り固まった人間が、結果的に千万のよう

 な妖怪を作り出してしまっていたのかも知れない、という事に気付かされた。


 「たぶん、そんなに昔の話じゃないんだろうぜ。

  死亡告知だか戦死公報だかっていうのが届くのは、太平洋戦争の時だったかと思うぞ。

  ガキん時、ウチの寺によく来てた近所のばあさんがそんな事言ってた気がする」

 明月の言う通り、千万の話は昭和の時代の話だ。

 その時代を知る人ならば、召集令状、戦後復興、地価高騰、などという単語がすぐに思い浮かぶはずだ。

 アキさんというその女性は、その時代の負の側面に翻弄され続けた、名も無き被害者の一人だったのだろう。

 恐らく、この千万が妖怪化したのは、愛するもの全てを奪い去った人間に対する強い怨みの感情のせいだ。

 だが、それだけで妖怪になどなるものだろうか。

 人間に虐げられて、無惨に殺される動物は今でも無数にいる。

 動物が妖怪化する過程には不明な点が幾つもあるが、それは千万に聞いても分かるまい。

 妖怪化した千万は、無意識のうちに彷徨ってここへ辿り着いたものと考えられる。

 明月は、千万に話の続きを尋ねた。

 「ここへ来て、それからどうなった」

 「主様に会ったよ。

  主様が助けてくれたんだ。

  あたしがどこで倒れてたのか、なんでここにいるのか教えてくれなかったけど、目が覚めた時には体の傷や疲れが

  全部なくなってた。

  んで、他に行く所がないんだったらここにいていいよって言ってくれた」

 「人に化ける方法も主様に教わったのか?」

 「ううん、狸。

  やな奴だったけど、化けるのだけは上手かった。

  あたしが来たばっかりの頃は、すんごい偉そうに威張ってて、いたずらとか一杯やな事されたんだよ。

  でも知らない間にどこかに行っちゃったみたいで、今はどこにいるかも分かんないな」


 人間への復讐心によって妖怪化したのなら、その本懐は成就したのかという疑問も当然のように浮上する。

 曄がそれを聞いた。

 「で、母親を撃ち殺した猟師は見つけたの?

  敵を討ちたかったんじゃないの?」

 「最初はあたしもそうしたいと思ってたよ。

  でも、アキさんに助けられて、一緒に暮らしてるうちに考えが変わったんだ。

  お母さんが死んじゃったのは凄く悲しかったけど、でもそれがあったからアキさん達に出会えたんだって。

  アキさんがそう教えてくれた。

  お母さんが巡り合わせてくれたんだよって。

  だから、今は猟師は怨んでない」

 「じゃあ、そのアキさんとあんたを死なせた男達には?」

 「あれから会ってない」

 「怨んでんでしょ?」

 「もちろん、あいつ等だけは絶対許さない。

  見つけたら必ず思い知らせてやる。

  アキさんの無念を晴らすんだ」

 「無念を晴らしたいのはアキさんのじゃなくてあんたのでしょ」

 「・・・あ、そうかも」

 「そうかもじゃないわよ、人間を怨んで妖怪になったくせに」

 「それはそうだけど・・・、でも・・・、人間みんなじゃないよ。

  あたしは、人を嫌いになれないよ。

  物凄く悪い人もいるけど、でもやっぱりアキさんと同じ人間なんだ」

 これが千万の本心だ。


 千万は人が好き。

 この森に不動産業者が測量に訪れた時も、更にそれを邪魔する為に子供達が来た時も、千万は人恋しくて会いたくて、

 ただそれだけの理由で、その近くまで接近して様子を窺っていたのだ。

 最初に明月と接触した時も、今こうして再会出来ているのも、偶然などではない。

 彼女はどんな思いで、どれだけ長い間、この森で人が来るのを待ち望んでいたのだろう。

 そして、千万は誰かの為に役に立つ事の喜びを知っている。

 これまでに出会ってきた、邪悪で残忍で利己的な妖怪達との決定的な違いはそこだ。

 単なるステレオタイプではない。

 こいつは、人に呪いをかけるような下劣さは持ち合わせてないし、その術も知らない。

 曄もその事に気付き、ようやく無害なのだと納得した。

 千万は動物のキツネとしては死んだが、妖怪の狐として生きている。

 現存する妖怪の中には、そうした動物としての前世を持っているものは他にも多数いるはずだ。

 その中に、こんなに親人間のものがいるだろうか。

 以前携わった中佳智の件の時、殺されてもなお霊になってまで主人を守ろうとしたネコがいた。

 状況は違うが、関わり方次第で動物は敵にも味方にも成り得るという事か。


 「ホントに・・、ホントにもう行っちゃうの?」

 帰ろうとする明月達を見る千万の眼差しは、淋しげで悲しげで、今にも泣き出しそうだった。

 別れを惜しんでいるのが手に取るように分かる。

 そんな哀願するような目で見つめられると、このまま置き去りにして帰って良いのかという感情が湧き上がる。

 だからといって、いつまでもここにはいられない。

 曄は、明月がどう結論を出すのか、黙って見守った。

 「おめえ、人が好きなんだな」

 千万は、小さくコクリと頷いた。

 「だったらなんでこんなとこにいる。

  人の登る山だって近くにあるんだろ?」

 「行きたいけど、そっち行ったら怖い物の怪に襲われて食べられちゃうよ」

 「じゃあどうして欲しいんだ、連れてって欲しいのか」

 「うん」

 今度は大きく頷く。

 (やれやれ、正直な奴だ)

 「俺の事危険な奴とか言ってなかったっけ」

 「大丈夫、明月は絶対酷い事しないよ。

  あたし分かるもん。

  だって楽しいんだもん。

  こんなに人と話したのは、ホントにホントに久し振りだよ」

 妙に懐かれてしまった。

 こうなると、益々別れが辛くなる。

 彼は頭を掻いた。

 「しゃーねーな・・。

  世話は見てやらんからな、飯は自分でなんとかしろよ」

 「うん!」

 千万は、満面の笑みで喜びを表現した。

 今は見えていないくとも、あのフサフサした尻尾を大きくフリフリしている様が目に浮かぶようだ。


 連れて帰ると決めたはいいが、人の姿のままでは旅館から追加料金を請求されてしまう。

 「そのカッコのまんまだと色々厄介だ、元に戻れよ。

  それから、人前じゃあんまり人に化けたりしゃべったりするな」

 「うん、分かった」

 言われた通りに、千万は狐の姿に戻ると、明月に飛び付いて彼の頬をペロペロ舐めた。

 とにかく嬉しくて堪らないといった感情を隠さない。

 動物にとっては当たり前の行動に、明月はちょっと迷惑そうに顔を背ける。

 曄は、その光景を微笑ましく思いながらも少し複雑な心境で見ていた。

 「いいの?、本当に連れて帰って。

  面倒な事になるわよ、きっと」

 「どうせ、どっちに転んでも後悔する。

  だったら、そん時やりたい方を選んで後悔した方がいい」

 「フフ、あなたらしいわね、刹那的」

 彼女は、明月の決断にはっきりと反対しなかった。

 彼ならばそうするだろうという予感があったからだ。

 決断するのにそれ程間を置かなかったのがなによりの証拠で、事情を知ってしまった彼が千万を見捨てて帰るような

 薄情な性格であるはずがない。

 どうせ、成り行きだとか言い訳するに決まっているのだろうが、人にはドライなくせに危険の薄そうな動物や妖怪には

 すぐに気を許す悪い癖が出ただけだ。

 こういう、妖怪を他の生物と分け隔てなく考える事の出来る明月に、曄は大きな魅力を感じてしまうのだった。

 だから、後々どんな弊害が起こるか分からず一抹の不安を拭い去る事が出来なくても、彼の判断に強く反対する気には

 なれなかったし、今の状況ではそれでいいと思った。

 その曄が千万の頭を撫でようと手を伸ばすと、千万は首を大きく左右に振ってそれを拒み、すぐさま明月の上着の懐の

 中へ潜り込んでしまった。

 「あ、こいつ、せっかく連れてってやるって言ってるのに」

 「ハハ、嫌われたもんだな」

 「ホント忌々しいわね、妖怪のくせに」

 頬を膨らませてプンプンする彼女の顔が面白かった。

 「さ、凍え死ぬ前に帰ろうぜ」

 ただ、懐の中の千万の体が、血の通った生物のように温かいぬくもりを持っているのは黙っておこうと思った。



 ☆



 明月は、森を出て携帯の通話可能な所まで来た事を確認すると、ご機嫌窺いがてら澪菜に連絡してみる事にした。

 返答は、彼女の方もまた稲北不動産への報告を終え、宿へ戻る途中なのだという事だった。

 その口調から、機嫌は良くもないが悪くもないと感じたので、軽く千万の件に触れておこうと考えた。

 「ほんじゃあさ、帰ってきたら報告あるから、あと土産も。

  ・・・ん?、・・・・今言ったらつまんねーだろ、お楽しみだよ。

  土産?、・・ああ、ちょっと森へ行ってきた。

  ・・・・・心配ねーって、もう出てるし、電話が繋がってんだ、それで分かるだろ。

  ・・・あー、だから・・・」

 説明下手な明月に、曄が電話を替わるよう手でジェスチャーした。

 「あたしも一緒よ、だから心配要らないわ。

  ・・・・・あんたね、あたしが一緒の方が心配ってどういう意味よ!

  ・・・まあいいわ、一応新しい情報も取れたから、あんたが帰ったら教えてあげるわよ。

  ・・・バカね、明月がお楽しみって言ったらお楽しみなのよ、あたしの口からは何も言えないわ。

  そんじゃ、お楽しみにぃ」

 曄は、言うだけ言うと未練なくブッツリと電話を切った。

 「相変わらずバッサリ切るなぁ、後で文句言われんじゃねーの?」

 「平気よ、澪菜はこの程度全然気にしないから。

  それよりどう説明すんの?、その狐。

  あなたの新しいペットだとでも言うつもり?」

 「妖怪をペットにするつもりはねーんだが」

 「どっちにしても絶対問題にするわよ、あのお嬢様」

 「そうか?、前の猫ん時でもそんな事はなかったぞ」

 「猫とは違うわ。

  その狐は化けるのよ」

 「化けたら悪いのか?」

 「・・・おたんこなす」

 明月は、曄が狐の何を問題視しているのか分からなかった。


 旅館に戻った当初、千万は余程嬉しいのか、二間続きの部屋の中を駆けずり回ってはしゃいでいた。

 それが過ぎたのか、澪菜達が帰投した時には、疲れて寝室側の明月の布団の中に潜り込んで眠ってしまっていた。

 事情を聞いた澪菜は、初めこそ驚いて明月と曄の行動を咎めもしたが、それ程強く戒めるような事はしなかった。

 彼等が得た新たな情報に興味があったのと、進んで協力しようとする姿勢の表れだと理解したからだ。

 「まったく、なんで事前に電話してくれなかったんですの?

  一体何事かと焦ってしまいましたわ」

 「いやー、不動産屋と話し合いの最中だったらまずいと思ったもんで・・。

  それにすぐ帰るつもりだったし」

 「一昨日出会った猫の妖怪に会うつもりだったんですのね」

 「まあ、それはそうなんだが・・、あれ猫じゃなくて狐だった」

 「狐?、ですの?」

 「ああ、そこの、俺の布団の中で寝ちまってる」

 「連れて来たんですの!?」

 「まあ、成り行きで」

 「どうりで、この部屋に入った時からなにか違和感がすると思いましたわ。

  危険ではありませんの?」

 「ないない、危険どころか普通のイヌネコより扱い易い。

  言葉が通じるんでね」

 「どんな狐なんですの?」

 澪菜は、布団の敷いてある隣りの部屋へ行き、静かに跪いて掛け布団をそーっとめくって中を覗いてみた。

 思わず呟く。

 「・・・か、可愛いですわね・・」

 布団の中で、尻尾を抱えて丸まってスースー寝息を立てる愛らしい姿を見て、一瞬で気持ちがほっこりして妖怪である

 事を忘れてしまいそうになった。

 その澪菜に向かって、曄が部屋の境の襖に凭れながら告げ口する。

 「明月ったら、あたしが旅館はペット禁止よって言ったのに、上着の懐に入れて連れ込んだのよ」

 (余計な事を言うな

  なんかトゲのある言い方だな)

 「そうなんですの?」

 「い、一応、顔見せくらいはしとかんといかんだろと思ってな・・」

 「そうですわね・・・、旅館の関係者には見つからないようにしなければなりませんわね。

  で、この狐がなんと?」

 明月は、千万が語った内容を要約して伝えた。

 「そうですの・・・。

  やはり、鳥の方はあの山とは無関係だと結論しても問題ないようですわね。

  山の主が占い師だという説はわたくしも考えてなかったけれど、候補から外して構わないんですのね」

 「どうやらそうらしい」

 「という事は、山から追い出されたという妖怪の方を一番に怪しむべきという事ね。

  その行き先については、何か情報はありますの?」

 「一応、千万は近くの山とは言ってたんだが、正確な場所までは知らん」

 「チヨロズ?」

 「あ、この狐の名前」

 「つけたんですの?」

 「いや、最初から持ってた。

  妖怪になる前は人間に飼われてたんだと」

 「そう・・、なにやら事情がありそうですわね」

 「まあな」

 ここで、旅館の仲居さんが夕食の準備が出来ていると伺いを立てに来たおかげで、話は一時棚上げされた。


 夕食は、さながら千万のお披露目パーティーのようになった。

 とりわけ、薺と寿と彪冴は一目で千万を気に入り、各々代わる代わる側へ呼んでは食べ物を恵んでくれるので、千万は

 食卓の周りを駆け回ってお裾分けに有り付いて喜んでいた。

 その様子は、妖怪ではなくただの人懐っこい動物だ。

 ただ、千万が普通のキツネと違うのは、食べ物を上手に両手で持って食べるという事だった。

 言うなればリスやアライグマのそれにそっくりで、どこで学んだのかはさておき、その愛くるしい仕草は寿ならずとも

 思わず「可愛い」と叫びたくなってしまう。

 賑やかな食卓には慣れている澪菜も、しかしさすがに動物と一緒というのは初めてで、少し戸惑っているようだった。

 お嬢様には些か不潔に感じられたのかも知れないが、決してそれを嫌だと思ったのではなく、寿や彪冴に先を越されて

 波に乗り損ねた感が強く、本音は自分もあの尖り耳のついた頭を撫で撫でしてみたいと思っていたのだ。

 千万がこんなに女心を鷲掴みにする芸を身に付けているとは明月も予想外で、更にその反響は別の意味で予想をも軽く

 上回ってしまうものだった。

 こうも簡単に受け入れられてしまうとは・・・、妖怪なのに。


 その中にあって、曄はただ一人、一線を引いて千万には関わらないようにしていた。

 敷女とからかわれたり、頭を撫でようとして拒絶されたのを根に持っているのだろうか。

 千万一辺倒の食卓の雰囲気を無視するように澪菜に聞いた。

 「で、不動産屋への報告はどうなったの?」

 その質問に、彪冴が笑顔で答える。

 「さすが澪ちんは話が上手いぜ、上手にはぐらかしてたもんな」

 「はぐらかすもなにも、わたくしはまだ一度も現地の山林に足を踏み入れていないのだから、詳細な報告などとても

  出来ませんわ」

 「でも、あの山には気をつけろって言ってたじゃねぇか」

 「わたくしは、いくら測量などの調査が認められているとはいえ、まだ契約自体が完了していないのだから、あまり

  踏み込むべきではないと忠告しただけですわ」

 「なんて忠告したの?

  まさか、山神様とか鬼婆がいるなんて言ってないわよね」

 「それはヌイさんの昔話でしょ。

  そんな、なんの根拠もないただの言い伝えを話したところで、相手が納得するはずありませんわ。

  霊ではなく妖怪がいるという確かな情報は得たけれど、その種類や数などは未だ不明だと伝えたに過ぎませんわ」

 「子供のいたずらとか言ってないの?」

 「彼等が望んでいるのは霊や物の怪が本当にいるかどうかの情報であり、結論として妖怪がいるのだから、今更子供の

  関与は取り上げたところでなんら意味を持たないでしょ」

 「で、相手の反応は?」

 「お祓いで解決が可能ならば、その方向で話を進めるようですわね。

  だから、わたくしは林地開発許可申請も含めて時期尚早だと言ったのよ。

  恐らく、単なる一般的なお祓い程度では、相手が望むような変化は期待するだけ無駄だとは思うけれど、それは今は

  まだ話すべき時ではないと判断しただけよ。

  それより彪冴、さっき明月が話した山を追われた坊主風の妖怪の件ですけれど、この近くにそんな妖怪が行きそうな

  山とかあるのかしら」

 「この周り一帯山だらけじゃねぇか、どの山だってんだよ」

 「ですから、よく人が登る山ですわ。

  貴方は地元なんですから、そのくらいの情報は持っていて当然でしょ」

 「俺は観光ガイドでも事情通でもねぇよ、そんなん知るか。

  登山なんかに興味もねぇし」

 「調べられます?」

 「スマホ画面小せぇからな・・。

  親父のタブレット持って来ときゃ良かったな。

  後で錦に連絡して、明日中にはなんとかするわ」

 「そうですの、ではその件は定芳にお願いしますわ」



 ☆



 そして翌日、澪菜達一行は、守東院冬梨の呪いを解く為に再び守東院家を訪れた。


 昨夜は待ちかねて殆ど一睡も出来なかったという宗也に導かれて、昨日と同じ応接間へ通されると、そこに一人娘の

 冬梨が母親に付き添われてソファーに座っていた。

 冬梨はパッと見で育ちの良さが分かる、ぱっつんロングの黒髪がよく似合う華奢な体型の美少女だった。

 が、その顔に健康的な微笑みはなく、怯えているのか、自室にあったぬいぐるみの一つを抱き抱えて縮こまっている。

 その冬梨を見て、澪菜をはじめ同行した薺と寿も一種の違和感を覚え、首を傾げた。

 冬梨が抱いていたぬいぐるみが全然可愛くないチョウチンアンコウだったのも妙な気がしたが、不思議に思ったのは

 そこではない。

 呪われているはずの冬梨の体からは、妖気じみた気配が一切感じられないのだ。

 どこにでもいる普通の人と全く同じ、人間の気配しかしない。

 これは、どういう事なのか。

 澪菜が後方にいた薺の意見を確かめようと振り向くと、薺は無言で首を小さく横に振った。

 やはり、何も感じないらしい。

 妖気めいたものが何もないなら、お祓いの必要もない事になる。

 それどころか、白泰山会に報告して指示や増援を待つなどは、時間の無駄遣いにしかならない。

 当初考えていたのとは随分違う展開になったが、澪菜は、そこから導き出される結論は一つしかないと断じた。


 「はじめまして、桐屋敷澪菜と申します。

  ご機嫌はいかがですの?」

 挨拶をした澪菜の方へ目を向けて、冬梨は震えるか細い声で答えた。

 「の、呪われてるって本当ですか?」

 「その前に、一つ確認させていただけますかしら。

  貴女のお部屋にあった青い石の事なのですけれど、どうしてあれを持っていましたの?」

 「青い石?、ああ、昨日お父さんが言っていた・・・。

  どうしてと言われても、なんでか昔から部屋にあって、なんとなく綺麗だし捨てるのも勿体ないから・・」

 娘の横にいた母親がフォローした。

 「あの石は、たぶん、この子がやっとよちよち歩きを始めたばかりの、まだ物心もつかない頃に庭で遊んでいる時に、

  どこからか飛んできたトリがこの子の近くに置いていった物だったと思います。

  それをこの子が気に入って、以来ずっと持ってたんです。

  未だに捨てていなかったとは知りませんでしたけど」

 「そうですの・・・」

 冬梨が重ねて質問する。

 「私、呪われてるんですか?」

 「ええ、それは間違いありませんわ。

  ただし、貴女がそんなに思い詰める程に深刻なものではないと判断出来そうですけれどね」

 「どういう意味ですか?」

 「貴女ご自身に呪いがかけられている訳ではないという事ですわ。

  わたくしは、貴女の体からはそういうものの気配、妖気や邪気を感じる事が出来ませんの。

  恐らく、いえ、たとえどんな専門家を呼んでも同じ結論に至るはずですわ」

 それを聞き、宗也が身を乗り出す。

 「え?、それってつまり、娘は呪われていないって事ですか?」

 「もし、冬梨さんのお部屋にあの青い石があったのを知らなかったら、皆口を揃えてそう答えるでしょうね」

 益々こんがらがってきた。

 「つまり、呪いの本体はあの石であり、石の所有者こそが呪われているという事だったのですわ。

  わたくしも、今日冬梨さんにお会いして初めて分かったのですけれど、冬梨さんご自身は石から遠ざかってしまえば

  全く影響はなくなりますわ。

  もう既に石は取り去ってますし、お部屋の浄化も済んでいますので、呪いという意味に於いては安全ですわね」

 「では、あの石は一体・・」

 「鳥の妖怪がなにかしらの意図の元、呪いを込めて冬梨さんに持たせたのでしょうね。

  冬梨さんが石を気に入るように、或いは手放す事のないように、一種の催眠術のような精神操作を仕掛けた可能性は

  ありますけれど、石と縁を切ってしまえば後々まで残るような強力なものではないようですわ」

 「影響は残らないんですか?」

 「現に、今の冬梨さんはなんの影響も受けておられないはずですわ」

 「その石は今どこに?」

 「わたくしの仲間がお預かりしていますわ。

  冬梨さんのお許しが得られればこちらで処分いたしますけれど、許可していただけます?」

 問われた冬梨は即決、すかさず即答する。

 「も、もちろんです。

  すぐにでもお願いします」

 「承知いたしましたわ」


 澪菜の言葉で、冬梨と母親は安堵して緊張から解放され、お互いに顔を見合わせて喜んだ。

 深々と二度三度頭を下げた後、応接間を退く二人を見送りながら、それでも父親の宗也は未だに心の底から安心出来る

 気分にはなれないでいた。

 「でも、あの時の占い師は、娘は呪われていてその印が付けられているはずだと言っていましたが・・」

 「その言葉こそが、呪いをかけた黒い鳥の妖怪と占い師は結託していないのだという決定的な証拠になるのですわ」

 「な、なぜですか?」

 「その占い師は、冬梨さんにはお会いした事はないんですわよね」

 「ええ、もちろんです。

  僕が家族に打ち明けたのは昨晩が初めてです」

 「結託しているのであれば、鳥がお嬢さん本人に呪いをかけたかどうかの情報は共有していなければおかしいですわ。

  占い師は冬梨さんに会った事がないから、印があるといかにもありそうな事をでっち上げたのでしょうね。

  冬梨さんはどう見ても直接呪いをかけられてはおりませんし、それをすら知らないのであれば、共謀説は完全に否定

  されると考えますわ。

  それに、わたくし達は、石はあの山林の物ではない、あの山林に石と同じ邪気を放つ妖怪はいない、更には占い師を

  名乗る妖怪は山林に棲んでいた可能性がある、という不確定ながらも独自の情報を得ていますの。

  それらを総合すれば、両者は共謀などしておらず、各々勝手な都合のみで動いているだけだと結論出来るのですわ」

 「なるほど。

  では、どうしてあの占い師はあんな、土地を手放せば呪いが解けるなどと言ったのでしょうか」

 「さあ、それについては直接聞いてみる以外、答えの探しようがありませんわね。

  出会えたら伺ってみますわ」


 冬梨の呪いについては、石を除けば本人には無害だと分かった。

 だが、それで全て安心という訳には行かない。

 「呪いについては何も心配は要りませんけれど、鳥が直接襲ってくる可能性はまだ消えた訳ではありませんわ。

  向こうが姿を現してくれれば幾らでも対処のしようもあるのですけれど、こちらから手を打つのはわたくしとしては

  立場上憚らねばなりませんし、現れるのを気長に待つ時間的余裕もありませんの。

  とりあえず、お屋敷の結界は張り直す用意をして参りました。

  今のわたくしに出来るのはここまでですわ。

  退治をご希望されるのであれば、わたくしの方から会にお取り次ぎしても構いませんけれど、いかがなさいます?」

 「そうですね、是非にでもお願い申し上げます」

 「承知いたしましたわ、ではそのように手配いたします」

 「ありがとうございます。

  占い師の方は大丈夫なんでしょうか?」

 「占い師の目的は、貴方やご家族を呪ったり襲ったりする事ではありませんわ。

  土地を放棄させようとしているのだから、その結果を確認する為に訪れる事はあるかも知れませんけれど、直接攻撃

  の可能性は低いものと考えられますし、たとえそうではなかったとしても結界を通り抜ける事は不可能ですわ」

 「そうですか。

  ところで、お嬢さん達はこの先どうされるおつもりですか?

  まだ僕を説得しようと考えておいでですか?」

 「わたくし達は、稲北不動産の依頼には応えねばなりませんので、山林の妖怪に関する調査を続行しますわ。

  占い師を名乗る妖怪が山林とどう関係するのかを突き止めねばなりませんし、開発に際しての影響についても考察の

  必要がありましょうしね」

 「でも、開発に反対の立場は変わらないのでしょ?」

 「もちろんですわ」

 「分かりました。

  では、僕の方でも稲北さんの計画を再考させられないか考えてみましょう。

  どこまで出来るかは分かりませんが、娘を救っていただきましたし、このまま知らん顔で交渉を続けるのも気が引け

  ますのでね」

 「お気持ちには感謝いたしますわ。

  けれど、冬梨さんの件はわたくし達が受けた依頼とは直接的には関係しませんので、それはそれこれはこれですわ。

  それに、あまりご無理をされますと信用にも関わりますから、程々になさって下さいね」

 「いやはや、とんだ夙成しゅくせい振りですね。

  誠に失礼ですが、お嬢さんはじゃじゃ馬と呼ばれた事はありませんか?」

 「恐れながら、幾度となく」


 その後、澪菜は薺に命じ、昨日ぬいぐるみを形代にして急拵えで張った結界を、準備してきた護符で改めて張り直し、

 何か用がある時はいつでも連絡してくれるよう言い残して、守東院家を後にした。



 ☆



 旅館に戻ると、彪冴の妹・錦が定芳と共に待っていた。

 昨夜、彪冴が頼んだ父親のタブレットとその他の用品を届けに来てくれたのだ。

 彪冴は、さっそく地図アプリでこの周辺を見てみた。

 「へっ、こうやって見るとホントに山しかねぇな。

  お、これかな?

  なんて読むんだ?、つき・・わ山、つきのわ山か?

  これだろ?、この辺で名前の付いてる山ったらこれくらいだぜ」

 「地図上だけでは分かりませんわね」

 「ならちょっと待て、検索してみる・・・。

  お、あったあった、へぇー、月和山つきよりやまって読むんだな」

 彪冴が検索で見つけたのは、登山を趣味にする人のブログだった。

 それによると、月和山は標高392m。

 登山道も整備されている為、初心者や老人、子供連れでも比較的簡単に登れる山で、登山口付近に商店などが立ち並ぶ

 ような活気に溢れる場所ではないが、中腹と山頂には小さな社があるのだという。

 山の事故で亡くなった人を弔う為のけっこう古くからある社だと、麓の住人に聞いたと書いてある。

 「そんなに高い山ではないんですのね」

 「へへん、山を甘く見るんじゃねぇぜ、澪ちん。

  確かに日帰りで余裕で行って来られるって書いてるが、こりゃ日頃から登山やってる人の足だったらの話だ。

  車で通学するみてぇなひ弱な足の人にはどぉうかなぁ?」

 「貴方こそ、登山に興味はないって言ってたじゃありませんの」

 「俺は錦に鍛えられてっからな。

  澪ちんなら、あれの練習にゃ5分もついて行けんぞ」

 言いながら、更に検索を続ける。

 「お、ちょっと待てよ、まだなんかあるぞ・・・。

  山菜採りにでかけた老人が行方不明、ハイキングに月和山へ向かった家族帰らず・・・。

  クマに襲われたか、だってよ」

 「それはなんですの?」

 「地元新聞のローカルニュースサイトだな。

  おいおい、けっこう遭難してんぞ。

  白骨遺体で発見されたのもあるらしいぜ。

  現地の人に聞くところでは、毎年って程じゃねぇが、度々発生するって書いてるぜ」

 「まるでサルガッソーですわね。

  その報道の例のように、事前に誰かに行き先を教えていれば、どこで消息を絶ったか判るのでしょうけれど、誰にも

  何も告げずに、それこそ散歩の延長のような気分で入山する人もいるでしょうから、被害事例は統計上の数字以上に

  あるはずですわ」

 「なんかおかしくねぇか。

  じいさんや子供でも遠足気分で登れる山で遭難すっか?」

 「恐らく、登山道を外れてしまったのでしょうね。

  落石や滑落に見舞われるような山でもなさそうですし。

  上級者向けの高度に危険な山でもない限り、登山道さえ外れなければそうそう遭難事故には遭いませんわ。

  登山道を逸れ、そしてなにかがあった・・」

 「じゃあ、やっぱりこの山か」

 「可能性は高いですわね」

 「行く気か?」

 「もちろんですわ」

 「行って何するよ。

  坊主妖怪探し出して、お前の占いは外れましたわよって教えてやる気か?」

 「愚問ですわ。

  妖怪は占ってなどいないし、あのお嬢さんがどうなろうと関心はないはずですわ。

  土地の売却だけが目的なのだから、それ以外は意に介さないでしょうね。

  なぜ人間の経済活動に関与しようとしたのか、それこそが質すべき事なのですわ」

 「行くなら行くでいいけどよ、雪はねぇと思うがそれなりの身支度は必要だぜ。

  いくら気軽に登れるったって、さすがにブーツとスカートはねぇだろ」

 「そうですわね、では今からお買い物に出かけましょう。

  今日のうちに準備して、明日は全員で山登りですわよ」


 (マジかよぉー)


                                       第8話 了


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