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第6話 思惑の森

 DISPELLERS(仮)の Ⅱ


 6.第6話 思惑の森



 時刻は午後4時。

 冬の太陽は仕事仕舞が早く、陽射しは西に大きく傾いている。


 最初に降り立った場所には、澪菜達の方が先に戻ってきていて、その日の成果を報告し合っていた。

 「そちらは何か得られまして?」

 「一応ね。

  何軒か聞いたけど、開発には反対だって言ってたわ」

 澪菜の問いに曄が答える。

 女性陣は、澪菜と寿、曄と薺の二手に分かれて、周辺住民に聞き込み調査をしていた。

 「確かに、この山林一帯が売りに出されて、それを稲北不動産が購入し、ここにスキー場やショッピングモールなどの

  娯楽施設を建設する事で、北の海水浴場と南の温泉街を含めた一大観光地にしようという動きは、地元の村落の人達

  は皆知っているようね。

  一部には賛成意見の人もいるらしいけれど、大方の人はその計画案には否定的な感じがしますわ」

 「でも、妖怪に関係するような話は知らないってよ」

 「あらそう?

  わたくしの聞いた範囲では、色々と不可思議な現象が昔から言い伝えられている土地だと話す老人もいましたわよ。

  だから、この森には近寄らないようにしていると。

  余程の変わり者か精神的に倒錯している者でもない限り、中に入って何かをしようと考える人などいないそうよ。

  いつの事かは定かではないけれど、托鉢、読経のような声、音を聞いたという人もいたそうですわ。

  こうなると心霊現象ですわね。

  もしこれだけなら、わたくし達の出る幕はないという事になるわ」

 「だったらありがたいわね、すぐ帰れるもん」


 そこへ、彪冴が森から一人で出てくるのが見えた。

 「明月は?、一緒ではありませんの?」

 「ああ、途中で別れた」

 「そんな!、一人で行かせるなんて無茶ですわ!」

 「心配要らねって。

  あいつなら何かあっても一人でなんとか出来るって。

  ずっとそうやってきたんだろうしな。

  奧には行くなって言ってあるから、すぐ戻るさ」

 「軽率ですわよ彪冴。

  何を根拠に言ってるんですの?」

 「澪ちんだって気付いてるはずだぜ、アッキーは只者じゃないってな」

 いい加減な行動に苦言を言う澪菜に対して、彪冴はまるで意に介さない風に返事をした。

 彼の言葉には、確信に近い観測が含まれていた。

 明確に確証を得るには情報量が不足し過ぎているのは分かっているが、明月が持っている独特な雰囲気は、普通の人の

 目にはただの変わり者としか映らなくとも、能力者にはその隠された力の片鱗と呼べるものを感じ取る事が出来る。


 「そんなに心配なら、女の子でもなんとか歩けそうな道見つけといたから、今から行ってみるか?

  この明るさじゃ、そっちの方がよっぽどヤバいと思うけどな」

 「わたくしは、明月の能力を過小に見積もっているつもりはなくてよ。

  ただ、不案内な土地で一人はどうなのかと言いたいのですわ」

 「奴は方向音痴なのか?」

 「そういう意味ではありませんわ。

  明月はまだ自分の力に開眼した訳ではありませんのよ」

 澪菜は、幾分か心配そうな表情を見せた。

 その一方で、曄は全くいつもと変わらず無表情だった。

 いや、むしろ余裕さえ浮かべていた。

 「明月なら心配要らないわ、絶対大丈夫だから」

 あまりにキッパリと断言したので、それを聞いた澪菜は些かムキになってしまった。

 「何を言い出すの曄。

  まだどういう場所かもはっきりしないのに、誰であっても一人は危険だわ」

 「あたしは、明月だから大丈夫って言ってんの。

  子供扱いし過ぎよ、澪菜」

 曄はサラリと平気然。

 対応を窘められた澪菜は、苛立ちと怒りにも似た感情が沸々と湧き上がってくるのを覚えた。

 自分が明月の身を案じるのは当然で、そこにはなんの批判も介入する余地はない。

 それなのに、それとは対照的に、曄は彼に対しての絶対的な揺るぎなき信頼を示して見せたのだ。

 この差はなんだ。

 どこから生まれるんだ。

 曄にあって自分にない物はなんだ。

 自分は何も間違っていないのに、なぜこんな敗北感にも似た打撃を味あわねばならないのか。

 久々に感じる、ショートケーキの上のイチゴを横取りされたような感覚。

 それが嫉妬だと覚った時、怒りと焦りは自分に向けられ、一人心の中で葛藤し始める。

 悔しくて堪らない。

 堪らないのだ。


 そんなところへ、当の明月がのこのこと帰って来た。

 姿を見つけた澪菜は、反射的に思いがけず駆け寄っていた。

 「明月!

  大丈夫でしたの?」

 その、妙に深刻そうな真顔を見た時、明月は少しばかりたじろいでしまった。

 自分のいない間に、何か重大な出来事でもあったのかと勘違いしてしまいそうなくらいに。

 澪菜が無意識のうちに曄への当て付けに取った行動だったのだが、彼にはそんな事は分からない。

 「な、なんだ、なんかあったのか?」

 「貴方を心配してたんですのよ。

  いきなり一人では、あまりにも危険ですわ」

 (なんだそんな事か、ビックリさせんなよ)

 「別になんもねーよ。

  まあ、妖怪には会ったけどな」

 明月がなんの考えもなしに軽くポッと答えたこの発言は、二つの意味において衝撃的だった。

 依頼の内容に偽りなしと確認出来た事、そして、澪菜の危惧は当たったが同時に外れでもあった、曄の意見の方が全く

 正しかった事。

 「妖怪!?

  いたんですの?」

 「いたよ、変なのが。

  やけに人懐っこい猫の妖怪」

 「襲われたりとかはしませんでしたの?」

 「いや全然。

  ていうか面白い話が聞けた。

  不動産屋が出会した変な現象は、みんな人間の子供のいたずらなんだってよ」

 これは、更なる驚愕をそこにいた全員にもたらす。

 「子供?、いたずら?」

 澪菜は面食らいながら聞き返した。

 全く予想すらしていない展開だった。

 当然、彪冴も強い関心を寄せた。

 「それはホントか?、アッキー」

 「ウソかホントかは分かんないっすよ、でも猫が確かに見たって言ったんすよ」

 「信じていいんですの?、それ」

 「俺も考えたけど、そんな奇抜なウソつくかなぁって思ってね」

 「妖怪の仕業を人間のせいに振り向ける為ってんなら有り得るぜ。

  そこに子供を使うってのは相当エグいがな」

 「そんな頭の切れそうな奴には見えなかったけどなぁ」

 明月は考えた。

 そんな狡猾な手口を講じる程の奴なら、わざわざ自分の方から姿を見せたり、人に化けて能力を見せびらかしたりする

 だろうか。

 (あれは絶対そんな利口じゃねー)


 「他に妖怪はいませんでしたの?」

 「色々いるっぽい事は言ってた。

  俺は見ちゃいねーし、猫以外に妖気は感じなかったけどな。

  ここは人間が立ち入る場所じゃないって言ってたし、奧の山には主が棲んでるらしいし」

 「主?、どんな妖怪ですの?」

 「それは言わなかったな。

  大人しくて優しい奴だとは言ってたけど」

 「そうですの・・・。

  これで心霊現象説は完全に否定されたわね、曄」

 「フン、いいじゃないの。

  その情報が本当に正しいなら、逆に面白くなってきたわ」

 これで、すぐに帰宅という訳にはいかなくなったが、この日の曄はいつになく上機嫌だった。

 まあ、父親の安否が知れたのだから当然といえば当然か。


 澪菜は考えを巡らせる。

 ここに妖怪がいるのが間違いない事は分かった。

 ところが、不動産業者に奇妙な体験をさせたのは、その妖怪ではないという。

 彼等を恐怖せしめたのが同じ人間だったというのは、不確定ながらも想定外の情報である。

 本当に人の仕業だとするならば、たとえそれが子供であっても、自分達の仕事の障害になりかねない恐れが生ずる。

 加えて、複雑な事態に発展する可能性も視野に入れねばならなくなる。

 「こうなると、少し腰を据えねばならないようですわね。

  彪冴、町のホテルを引き払って、この近くでブッキングし直していただけるかしら。

  いちいち町と往復するのでは時間の無駄ですわ」

 「ひえー、今からか?

  今日はもう難しいと思うぜ」

 「それもそうですわね、では、とりあえず今日は諦めましょう」

 「もう年末だしな。

  温泉の方も予約で一杯だろうし、宿を取るのは無理なんじゃねぇか」

 「だから貴方にお願いするんですわ。

  地元なのだから、万事融通してごらんなさい」

 「無茶苦茶言うな、澪ちん」



 ☆



 町に戻って一夜を明かした一行は、翌日、再び山林に向かおうとしていた。

 集合場所のホテルのロビーに顔を出した彪冴は、昨日あれだけの無理難題を課せられたにも関わらず、満面の笑みを

 湛えていた。

 その理由は、開口一番に語られる。

 「いやー、運がいいよ澪ちん。

  温泉街で団体客のキャンセルが入った旅館があってさ、なんとか二部屋確保したぞ、しかも一週間。

  今朝一番で、ついさっきだぜ。

  偶然にしても出来過ぎだって思っちまったけど、まあ、これで俺の面目も保てたしな。

  電話かけまくった甲斐があるわ。

  よくやっただろ、褒めてくれよぉ」

 「上出来ですわ、彪冴。

  それより、今日の予定ですけれど・・・」

 「それだけかい!」

 「貴方なら、それくらい出来て当然と思ったからお願いしたんですのよ。

  労いはしますけれど、賞賛するには値しませんわ」

 「かーっ、これだよお嬢。

  そうくると思ってたぜ。

  まあ、しょうがねぇから一つ貸しにしとくわ。

  礼はいつか、形のある物でな」

 ああ、なんてご無体な澪菜ちゃん。

 偶然のキャンセルがなかったら、彪冴は一体どんな扱いを受ける事になっていたやら。

 朝から温泉街の宿に虱潰しに電話し続けた苦労は、報われる日がくるのだろうか。

 彪冴も、憎まれ口をたたく儚い抵抗がせいぜいだった。

 惚れた男の弱みなのか、或いは初めからその反応を期待していたのか。

 (あんたMか)


 澪菜は、気にする素振りも見せずに今後の方針を提案する。

 「では、改めて今日の予定ですけれど、まずは情報収集から始めたいですわね。

  仮に、明月が聞いた話が真実ではなくとも何かしらの示唆であるとするならば、うっちゃって放置した状態のままに

  しておくのは、わたくしとしてはとても気がかりですわ。

  後顧の憂いを断つ為にも、まずはその真偽を質すのが先決と感じるのですけれど、どうかしら」

 曄が聞き直す。

 「要するに、あんたが言いたいのは、森で妖怪を探すより、まず子供のいたずらかどうかを先に確かめたいって事なん

  でしょ」

 「ええ、そうですわ。

  森に妖怪がいるのは確実なのだから、後はそれにどう対応するかを検討する段階に入っていると見ていいですわ。

  明月が出会ったという猫を探し出して問い詰める事も考えたけれど、でたらめを言ったのなら素直に偽りを正すとも

  思えないし、そこに時間をかけるくらいなら、今は他の疑問の解決を優先した方が得策でしょうね」

 「だったら素直にそう言いなさい、回りくどいんだから」

 「あらそう?

  で、貴女はどう思うの?」

 「別に構わないわよ。

  薺は?」

 「右に同じ」

 「明月はどう思いますの?」

 「だったら、昨日と同じに別れた方がいいな。

  時間の節約にもなるし」

 「俺もアッキーに賛成だな、徒党を組むのは性に合わねぇ。

  そっちはそっちで好きにやってくれよ、俺等は森に行くぜ」

 「それは承服出来ませんわ。

  昨日の今日ですし、これ以上貴方のスタンドプレイに気を揉むのは願い下げですわ」

 「おいおい、いくらなんでも俺は幽波紋は使えねぇぜ」

 「却下ですわ」

 彪冴の意見は一刀両断に駆逐された、ジョーク共々。

 昨日味わった心労と屈辱感を根に持っているのかも知れない。

 (お嬢様にジャンプネタは通用しねーって)



 ☆



 例の山林前から、その日の行動がスタートする。

 昨日、澪菜達が訪ねたこの辺りは、疎らに民家が点々とあるだけで、しかも住人の殆どは老人ばかりだと思われる。

 そこから、温泉街のある南の方へ下って行くにしたがって、次第に住宅がまとまって集落を形成するようになり、ある

 程度の人口が見込まれるくらいになると、そこには必然的に子供の存在を予感させる様相を見せ始める。

 家の玄関前にある自転車やサッカーボール、砂遊び用のプラスチック製シャベルやバケツを見れば一目瞭然。


 歩きながら、曄が何気なく呟いた。

 「子供って何歳くらいなのかな」

 答えたのは彪冴。

 「大人の目から見りゃ、俺等も立派な子供だぜ。

  この仕事だって、親父が入院しちまったんで俺がやるって言ったら、不動産屋の野郎、子供がどーたらこーたらって

  ぬかしやがったもんな。

  親父が太鼓判押さなかったら、簡単には承知しなかったろうぜ。

  父ちゃんの名に懸けてっつったのがマズかったんかな」

 その意見に対し、澪菜は異存を述べるに躊躇しなかった。

 「明月は、妖怪は童子わらしという言葉も使ったと言いましたわ。

  法律上は未成年者を指す言葉ですけれど、一般通例的には10歳前後と考えていいのではなくて?

  ですわよね、明月」

 「ああ、童子共とは言ってたな」

 「ほんじゃ、チビまるっ子薺ちゃんと同じくらいだ」

 「違う」

 彪冴のジョークにねめつく薺。

 一見して大人しく寛容そうに見える容姿のせいで、彼女はいつも人からからかわれる運命にある。

 本人はもう慣れてしまっているのか、適当に聞き流す事も多いようだが、不用意にコンプレックスをつついてしまうと

 さすがに嫌われる。

 薺の嫌いな人リストに、また一人の名が加わった。


 「小学生くらいなのかな、だとしたら、わざわざ遠くから来るはずないから、当然ここら近所の子供よね」

 「あら、鋭い勘ね曄、雨でも降るかしら」

 「相変わらず一言多いわよ、あんた」

 「そうかしら。

  では、子供の線は彪冴にお任せする事としましょうか」

 指名された彪冴は不服顔。

 「な、なんで俺がガキの担当なんだよ。

  冗談じゃねぇぜ、勘弁してくれよ澪ちん。

  ガキ相手なら、女の子の方が警戒されなくていいだろ」

 「思考レベルが拮抗してるじゃありませんの、貴方にうってつけですわ」

 澪菜の一言で、子供のいたずら説を確認する役割は、彪冴と明月の二人に任せられてしまった。

 「ただし、本当にただの悪ふざけなのか、或いは何かを意図しているのかを確実に見極めねばなりませんので、単に

  幼稚な遣り取りだけに終始してはいけませんわよ」

 「なんだろなぁその言い方。

  バカにしてるようにも聞こえるが、ホントは俺の事気にしてんのかな?」

 「そうですわね、貴方に何かをお任せする時は、心境的には飴細工の吊り橋を渡る気分ですわ」

 (まるで信用されてねーよ)


 澪菜と彪冴の二人には、同い年で昔馴染みでありながら、厳格に序列構造があると認められる。

 家柄のせいなのか、経済的背景がそうさせるのか分からないが、澪菜は完全に彪冴を下に見ているし、彪冴は皮肉を

 口にしながらもその立場を甘受している。

 澪菜はその関係性を明確にする事で、事態の推移をスムーズにしようとしている意図が見える一方、彪冴はそうした

 中でも自らの存在感を高めようと意識しつつ、その状況を楽しんでいるかのようだ。

 一体、どっちがより大人なんだろう。



 ☆



 女性陣と別れて調査を始めた彪冴と明月。

 二人が住宅地の路地を歩いていると、お誂え向きに路上でスケートボードで遊ぶ3人の小学5、6年生くらいの男子を

 見つけた。

 車通りの殆どない昼間の道路は、子供達にとっては格好の遊び場なのだろう。

 アスファルトの路面上には、チョークで書いたとみられる落書きの名残が幾つも散在している。

 「声かけてみるか」

 彪冴は、いつもながらの軽薄な笑顔できさくに子供達に近付いていく。

 「お、なかなか上手いじゃんお前等、カッコいいなー」

 対して、子供達の反応は冷ややかだ。

 「誰だいあんた」

 「知ってるか?」

 「知らね」

 「どこの人だ?」

 「余所者だろ」

 「何中だ、こら」

 「おい、知らない人に声かけられても答えちゃ駄目なんだぞ」

 「そうだ、誘拐犯だ!」

 「怪しいぞこいつ」

 「うわあ!、掠われる!」

 1、2歩下がって間を取る彼等に、彪冴が苦笑いを浮かべる。

 「ホントにガキはバカだな。

  どう見りゃ誘拐犯だよ、車もねぇのに徒歩で手ぶらでやって来るお人好しな誘拐犯があるか。

  俺はお前等に興味なんかねぇよ、興味があんのはお化けの方だっつの」

 「お化け?」

 彪冴の狙い通り、この一言で子供達は瞬時に食い付いた。

 興味をそそられるものに出会うと、子供は一瞬にして警戒心を失う。

 「お化けいるの?」

 「お化けなんていないよ」

 「じゃあ幽霊?」

 「ジバニャン?」

 「違うって」

 「この近くに?」

 「いる訳ないじゃん」

 「お化け屋敷?」

 「どこ?」

 「入場料いくら?」

 「えー?、金取んの?」

 「なに出んの?、ゾンビ?」

 「人魂?」

 「白いボワーンってしたヤツだ」

 「うわ、怖ぇー」

 「パーカ、俺は信じないね。

  あんなのは自然現象なんだよ、なんだっけ、プリ・・プリウス?」

 「プリウスは車の名前じゃん」

 「そうだよ、本田先生が乗ってる車だ」

 「俺さ、いっぺん本田先生に言いたい事あってさ」

 「なに?」

 「本田ならホンダの車乗れ!、って」

 「バカか、そしたら全国の鈴木さんは軽自動車しか乗れねーじゃん」

 「プリズムだプリズム。

  テレビで大学の先生が言ってた」

 「それ、光を屈折させる三角形のやつだろ」

 「あー俺理科ダメ、通信簿2だった」

 「俺も、親にめっちゃ怒られた」


 子供同士の会話というのは、自分達の世界の中の狭い社会的見聞だけで話を展開しようとする為、誰かがどこかで軌道

 修正してやらない限り、どんどんあらぬ方向へ飛躍していくものだ。

 故に、明月は子供と話すのが嫌いだった。

 そこにレベルを合わせていると、自分まで発想が貧困になってしまう。

 どうせ話すなら、幅広い視野と見識と洞察力を持ち、自分の考え及ばぬ視点と角度からの考察を示してくれるような、

 それでいて論理的思考を平易に伝えてくれる賢人と話したい。

 彼は、子供達の本気かふざけているのかも分からない会話を、うざったく思いながら黙って聞くだけだった。

 (まったく、これだからガキとは絡みたくねーんだ

  プリズムじゃねーよ、プラズマだっての)


 逆に、彪冴は子供達に合わせながら話を進め、徐々に知りたい情報を引き出していく。

 これを子供慣れしていると評していいのか、或いは、澪菜の指摘通りの単純明快な思考回路しか持ち合わせていないと

 断ずるのか。

 いずれにしろ、明月には絶対に真似の出来ない芸当だった。

 「なんだお前、理科が2なの?

  いーじゃんいーじゃん、俺なんか小学校6年の時、理科の成績1だったぜ。

  算数と国語も1、社会が3で体育だけ5だったな」

 「なんだ、兄ちゃんすっげーバカ」

 「うっせーよ、お前等に言われたかねぇわ」

 「ねえねえ、親に叱られた?」

 「妹に叱られた、親はバカだもんで」

 「うわー、最低だ」

 「妹よりバカなん?」

 「あのな、お前等知らねぇだろうが、ウチの妹はすげぇんだぞ。

  今は中学生で、規則のせいで剣道2段だが、実力でいけば5段のおっさんが手も足も出せねぇくらいなんだぜ。

  もちろん学校じゃ敵無しだ、先生よりも強ぇ。

  頭の出来は似たり寄ったりだけどな」

 「兄ちゃんより強いの?」

 「ふふん、俺はそれ以上さ」

 「ウソくせー」

 「嘘じゃねぇって、こう見えて俺はお化けよりも強ぇ」

 「えー、信じらんない」

 「絶対ウソだ」

 「妹はお化けが嫌いだからな、俺の方が強ぇって事だ」

 「マジで?、お化けと喧嘩した事あんの?」

 「おうよ、だから俺はお化けを探しに来たんだ。

  この先の森でお化けが出たって話を聞いたんで、誰か知ってる人いねぇかと思ってな」

 「探してどうすんの?」

 「写真撮る?」

 「おう、写メ撮るぜ」

 「すっげー!」

 「撮ったら見して!」

 「いいぜ。

  でもその前に、ホントにいるか聞きたいんでさ、誰か知らねぇか、お化け見たって人」

 「誰かいるか?」

 「知らない」

 「あ、あれは?、なんだっけ、2組の・・」

 「ケン?」

 「そう!、ケンチョロ!」

 「あー、あいつか」

 随分遠回りしたが、やっと、それらしい名前が出てきた。

 「ケンチョロ?」

 「みんなそう呼んでたよな」

 「うん、ケンチョロが幽霊見た事あるって学校で話してたって聞いた事ある」

 「あの森でか?」

 「たしか・・」

 「そのケンチョロはどこにいるんだ?、家はどこだ?」

 「どこだっけ?」

 「あっちだっけな」

 「たぶんそう」



 ☆



 一方、澪菜率いる女性陣は、昨日澪菜が得た古い言い伝えについて詳しく知ろうとしていた。

 昨日訪れたのと同じ地域から始め、ある一軒の民家で尋ねたところ、そこの老人が言うには、確かにそんな言い伝えは

 聞いた事があると言い、こう付け加えた。

 「そういう話なら、ヅカの婆さんがよう知っとるがの」

 「ズカ?、ですの?」

 「ほれ、そこの先のスギの木の側に家あるわさ。

  林塚っちゅうだけども、ワシ等はみんなヅカさんヅカさん言うとってな。

  前は、よう近所の子供やら孫やらに、昔話聞かせとったもんだった」


 普通自動車がやっと通れるくらいの、狭くくたびれた舗装路を数分歩くと、教えられた林塚家に着く。

 敷地の前に目印のスギの木が1本ある、見るからに古そうな農家で、これで茅葺きの屋根だったら絵ハガキにでもなり

 そうな、風情ある佇まいが見る人の郷愁を誘う。

 玄関を開け、声をかけると、一人の老婆が奧からゆっくり歩きながら現れた。

 80歳はとうに越えたと思われる、腰の曲がった老婆だった。

 澪菜が挨拶して訪問の理由を説明すると、老婆は、難しそうなしかめ面をしながらも、外にいては寒かろうと家の中へ

 招き入れてくれた。

 古民家特有の広い居間には、中央に囲炉裏があって炭火が赤々と仄かに燃え、澪菜達の冷えた体を温めてくれる。

 お茶の用意をする老婆に向かって、澪菜が話しかけた。

 「お婆様は昔話に詳しいと聞ききましたので、お伺いしたのですけれど」

 「おばあさまはやめてくだせ。

  そんな上品なもんではねぇさ」

 「では、お名前は?」

 「ヌイて言いますさ」

 「ご家族は?」

 「ここにゃワシ一人だ。

  爺さんは15年も前に死んだ」

 「そうですの・・、淋しいですわね」

 「なにを今更。

  近所の人もおるし、寂しいとかは思わねな」


 「それではヌイさん、この地方に伝わる昔話や伝説のようなものとは、どんなものですの?」

 「昔話て言うてもな・・、何から話せばいいのやら」

 下を向いて、湯飲み茶碗を両手で持って回す動作をしながら、ヌイはそう前置きしてからゆっくりと話し始めた。

 初めは煩わしそうな表情を浮かべていたヌイだったが、久し振りに昔話を聞きに訪れた澪菜達客人に対して、心の中

 では嬉しく思っていたのだろう。

 「昔は、この辺りでは鉄が取れたそうな。

  ずーっとずっと昔の話じゃけどもな。

  ほれ、この先に山があるじゃろ、誰も近寄らん深い森の奧じゃ。

  今はそこを切り開いてスキー場やらなんやら作ろうとしとる業者がおるちゅうて噂になっとる所じゃが、あそこが

  大昔は鉄の鉱山じゃったそうな。

  鉄採りは、山男が何年も何年もかかって、山の中に住み込んでする大仕事でな。

  そのせいか知らんが、昔から恐ろしい話がたんとあった。

  ワシも婆様からよう聞かされたもんじゃ。

  人食い鬼の話、神隠しの話、山神様の話、雨乞いの話、蛇やら狐やら狸の話・・・。

  その山を潰すだなんて、そんだ事したら必ず祟りが起こるわな」

 「祟り?

  今、山神様と仰いましたわね」

 「ああ、その話かね。

  あの山には、山神様が住んどるんよ。

  むかーし聞いた話ではな、あの山はなんでもよう実る山でな。

  山菜だのタケノコだの、柿だ栗だ桃だキノコだ、なんでも欲しいだけ採れたそうじゃ。

  んだから、鉄採りが無くなった後も、山に入る人はいくらでもおったんだ、昔はな。

  でも、時々、帰ってこねぇ人が出るんだわな。

  神隠しだわ。

  ある日な、村の童子っ子が一人行方不明になってな、村の者がみんなで探したけんども見つからん。

  こりゃ神隠しに遭ったに違ぇねぇって事になって、みんなで山へ行ったとさ。

  そしたらまあ、山からその子が一人で下りてくるのが見えて、みんなびっくりしたと。

  あの山は、子供が一人で行くような所ではねぇ。

  みんな、なんで山へ行ったか聞いたと。

  そしたら、その子は言うたんだとさ。

  村の神社の袂で一人で遊んどったら、知らねえ子供が寄ってきて、栗拾い行こって誘われたんだと。

  腹すいとったけぇ、一緒に栗拾いに山行ったと。

  連れて行かれた所には栗が一杯落ちとって、何日かかっても採りきれんくらいあったと。

  童子っ子は喜んで、夢中になって拾っておって、それでも自分と家族の分よか採らんかった。

  さて帰るべと、ふと気付いたら、一緒に来た子供はおらんようになっとった。

  はてと思うて周りを探しておると、いきなし木の陰からボサボサの白髪を振り乱した鬼婆が出刃包丁持って恐ろしい

  形相で出てきて、お前を食うぞーっとやにわに襲いかかってきたんだと。

  もう駄目だぁ、と思ったらそん時、どっからか爺様じさまが現れて、持っとった杖で鬼婆をぶっ叩いただわ。

  鬼婆はギャー言うて逃げてったと。

  爺様が童子に言うには、あれは山に住んどる人食い婆だ、おめさんを食うつもりで子供に化けてここへ連れてきた。

  おめぇさんは、栗がこんなに一杯落ちとるのに自分と家の人の分しか採らなんだ。

  これは欲のねぇいい子だと思うて助ける事にした。

  そう言うて、帰り道のある場所を教えてくれたんだと。

  童子っ子が道に戻って、振り向いた時にはもう爺様はおらんかった。

  この話を聞いた村の者はみんな言うただわ。

  その爺様こそ山神様だ、童子は栗をちょこっとしか採らんかったけぇ命を助けられた。

  山では欲を出してはいかん。

  今まで神隠しに遭うて帰ってこなんだのは、みんな欲出してありったけ採ろうとして、鬼婆に食われたに違ぇねぇ。

  山神様は全部見とるんよ。

  てまあ、こんな話さ」


 初めはゆっくりと穏やかに、しかし話が進むにつれ次第に調子が出てきて声も大きくなり盛り上がっていく語り口は、

 いかにも数々の伝承を知るベテラン語り部といったところだろうか。

 澪菜は興味深げに、かつ冷静に聞いていた。

 「非常に教訓めいたお話ですのね、面白いですわ。

  あの山には、今のようなお話が沢山伝わってるんですのね」

 「そんだな・・、あの山では欲出してはいかんてはよう言うたな。

  栗やらキノコやら採るのもそうだし、木伐ったり沢水汲んだりも取り過ぎてはいかんちゅうとった。

  と言うても、ワシの生まれるずっと前の事じゃけどな」

 「今はどうですの?」

 「もう長い事、誰も行かんようになったわな。

  ワシも、今の今まで一度も行った事ねぇ。

  わざわざそんな危ねぇ山行かんでも、他でもまあまあ採れるんでな」

 「でも、山神様がいるという事は、それを祀る社や祠があるのではありませんの?」

 「麓に小さい祠があるとは聞いたけんど、森の奧の方だでな、今では誰もあの森に入ってはなんねぇて言われとるし、

  場所まで知っとる人はおらせんのさ」

 「入ってはならぬというのは、私有地だからですの?」

 「いんや、それはあんまり関係ねぇな・・・。

  囲いもねぇし、そもそも、いつから私有地になったのか知らねんだわ、ワシ等はみんな」

 「では、所有者もご存知ないんですのね」

 「知らんなぁ。

  まあ、この辺の人でねぇのは確かだわ。

  それだったら、山削ってスキー場とか言わねぇさ、絶対」

 「つまり、ヌイさんはあの山と森を切り開くのには反対なのですね」

 「そりゃそうだ。

  この辺の人はみんなそう思っとるさ。

  触らぬ神に祟りなしだわ」


 話を聞き終えて玄関を出た澪菜は、満足げな顔で後ろの曄に話しかけた。

 「色々、収穫があったわね」

 「収穫?、ただ昔話聞いただけで?

  確かに妖怪がいるっぽいのは分かったけど、それは明月がもう確認済みじゃないの。

  今更って感じだわ」

 「ここが、昔は鉄の産地だったというのは重要な情報よ。

  妖怪は金属との繋がりが深いという説があるのはご存知?

  古い鉱山には、妖怪が出没したり跋扈した言い伝えが多々ある事に由来する説よ。

  酒呑童子がいたという京都・大江山、八岐大蛇の島根・安来などはその最たるものですわ。

  それらは古典の大物の部類の妖怪だけれど、そこから類推すれば、ここにいるという山神様もそれなりの強大な力を

  持ったものという仮説だって成り立つのよ。

  対応を誤ると、わたくし達も相当危うくなると考えるべきですわ。

  やはり、我々だけであの森の奧深くまで入るのは、考え直した方がよさそうですわね」

 「やっぱりスキー場作るのかな、みんな反対してるのに」

 「地域住民の同意のない開発に妥当性があるとは思えないけれど、わたくし達はその視点に於いて意見出来る立場には

  ありませんわ。

  専門家として助言は出来るけれど、当然そこに強制力はないし、依頼人の評価に異議を唱える権利もない」

 「もし、退治って話になったらどうすんの?」

 「今は調査するだけなのだから、そこから先の事を論じるのは適当ではありませんわ。

  いずれにしろ、総本山に判断を仰ぐ事にはなるでしょうね」


 澪菜は、冷静に曄の問いに答えはしたものの、彼女自身も同じ懸念を内心に抱いていた。

 周辺住民の反対を押し切って、強引に妖怪退治を強行する方向へ話が進むのは、決して好ましい事ではない。

 妖怪を神様と呼んでいたりするなど、多少なりとも自分達と認識に差違は見られるが、ここの住民達は妖怪との共存を

 ある意味で容認しているのだから、それはむしろ歓迎すべき事ではなかろうか。

 それを無理して退治する事に、果たして正義は存在するのか。

 その答えを導き出すのに、自分はまだ未熟に過ぎる。

 今までそういう事態に直面した事もなかったし、出来る事なら今後もあって欲しくない。



 ☆



 林塚家を後にし、道に出てきた澪菜達は、そこで人影を見て驚いた。

 そのすぐ隣りの家の門前に、彪冴と明月がいたのだ。

 「彪冴?」

 「お、澪ちん」

 「なぜ、こんな所にいるんですの?」

 「なんでって、言われた通り調査してんじゃんよ。

  遊びに来るとでも思ってんのか」

 「貴方方にお願いしたのは子供の調査ですわよ」

 「分かっとるわ、この家にその子供がいるんだよ。

  そら見ろ、表札に山砂って書いてある。

  ここのケンチョロがお化け見たって聞いたんだよ」

 「ケンチョロ?、お化け?

  大丈夫ですの?、熱でもあるんじゃなくて?」

 「あのな、任せたのはそっちだろ。

  こっちだって、やりたくてやってんじゃねぇんだよ」

 「でも、ここの子供はお化けを見たのであって、あの森でいたずらをしたのではないのでしょ。

  整合しませんわよ」

 「フフン、甘いね、甘いなぁお嬢ちゃん。

  ここのケンチョロは何か知ってんだ、俺はそう見てる。

  確証はないけどね」

 「甘いのはそちらですわ、これはとても重要な事ですのよ。

  ともすると、わたくし達にとって抵抗勢力になり得る危険性だって孕んでいるのですから、もっと慎重に事を運んで

  いただかないといけませんわよ」

 「そんな大袈裟な。

  ただのガキだぜ、考え過ぎだって」

 「そのくらい慎重にという事ですわ。

  貴方はすぐに直感だけで場当たり的に後先考えず行動するんだもの。

  それは長所でなく短所だという事を自覚して、改善すべきは怠るべからずですわよ」

 「それは、俺がジョブチェンジしたらHPが上がるって事か?」

 「そんな意味不明な解釈で誤魔化さないで。

  まったく、幼稚なんだから」

 「まあ見てなって。

  俺だってパージョンアップしてんだってとこを見せてやるさ」

 「あらそう、そこまで仰るならお手並み拝見ですわね」

 「そっちこそ、そこの家で何やってたんだよ。

  コタツ入ってミカン食って茶飲んでましたなんて言うなよ」

 「お婆さんから、この地方にまつわる昔話を伺ってたんですわ。

  サボってたかのように言うなんて心外ですわね」

 「ああそうですか、そりゃどうもご苦労さん」


 彪冴は、澪菜達を道に残し、明月を伴って山砂家の玄関を叩いた。

 家にいたのは、共稼ぎの両親を除いた祖父とケンチョロの二人。

 大掃除の下準備というか、自分達だけで出来る所の片付けをしていたようだった。

 訪問客を迎えに出た小学生に、彪冴が脳天気に言った。

 「よお、お前ケンチョロか?

  ちょっと聞きたい事があるんだが、時間いいか?」

 「誰ですか?」

 片付けの途中だったにせよ、真冬のこの季節でもTシャツ一枚姿で出てきた男児は、いかにも元気で活発なタイプで、

 がさつで物事の大小にこだわらない性格にも見える。

 それでも、見知らぬ顔に怪訝そうに警戒するのは当然だ。

 「怪しいもんじゃねぇよ、俺は正親前彪冴ってんだ。

  ちょっとお化けに興味があってな、お前に話が聞きたいんだ」

 「お化けなんて知らない」

 「学校で話してたんだろ、お化け見たって」

 「知らない」

 「そんな邪険にすんなよ、取って食おうって訳じゃねぇんだし」

 「お化けの話なら、隣りん家のばあちゃんがいっぱい知ってるよ」

 「俺はお前の話が聞きてぇんだ。

  なあ、聞かせてくれよ」

 「なんで僕なのさ」

 「お前があそこの森でお化け見たって聞いたからさ。

  俺は、あの森の事が知りてぇんだよ」

 「知らない!、帰れ!」

 ケンチョロは、何かを察した様子で、急に強い口調で吐き捨てると居間の奧へ走って行ってしまった。

 「ありゃりゃ、拒否権発動だよ」

 明月の方を見て苦笑する彪冴。

 「あいつ、お化け見たって本当かな?

  なんか出任せっぽいな」」

 (見事に蹴られたよ、これのどこがバージョンアップなんだよ)


 ケンチョロは例の森で幽霊を見たと学校で話していたそうだが、明月の観察では彼に妖力は感じなかった。

 彪冴も同様に思っているのは、その発言で容易に理解出来る。

 一般に、幽霊と妖怪は物理的には全く違う存在である。

 現象として目に触れる際に同一視してしまいがちになるのは、それを感じる人間の感覚には似通った部分があるという

 点に起因するからだ。

 霊能者が妖怪の呪いを霊の祟りと取り違える事があるように、或いは薺のように霊と妖怪の両方に対処出来る能力者が

 存在する事からも、両者は共通の知覚器官によって認識されると解釈出来る。

 明月の場合、妖怪の発する妖気は明確に識別出来るので、それ以外の似て非なるものを感じる時は霊がいると分かる。

 そんな気配を感じる時は、関わって祟られたりしないように、意識的にその場所を避けるようにしている。


 子供が姿を消すと、入れ替わりに祖父が現れた。

 「なんだねぇ、おめさん等いい歳して子供いじめんでねぇぞ」

 祖父は、孫の様子を見て怒っている風でもなく、少し戸惑っている感じで文句を言った。

 「別に、いじめてやしませんて。

  ただお化けの話が聞きたいって言っただけで、お宅のケンチョロが怒っちまったんすよ」

 「ほお、お化けとな。

  確かにウチのケンはそんだ話が大好きだな。

  なしてそんなん聞きたいか知らんが、そんな話なら隣りのヅカ婆さんがようけ知っとるさ。

  そっち行って聞けばいいさ」

 「隣りの婆さん家なら、もう仲間が行ったさ。

  俺達は、昔話じゃなくって今の話が聞きたいんすよ。

  で、道端で子供に聞いたら、ここのケンチョロが見た事あるって聞いたもんだから来たんすよ。

  話聞いたらすぐ帰りますって」

 「聞くだけなんか?」

 「他に用はねぇっす」

 「なんだそんな事かいな。

  それは、祟りとかおっかない話ではないんかね?」

 「そんなヤバい話じゃねぇと思いますよ」

 「ほお、そうかそうか。

  そんならちゃっちゃと終わらせたらいいわな。

  おいケン!、ケン!、せっかく来なすったんだ、話くらい聞かしてやればいいさ」

 飄々としていても、祖父は人を見る目はあるようだ。

 彪冴と明月の二人に悪意はないと理解して、居間に隠れた孫を呼んだ。


 祖父に呼ばれて渋々玄関に戻ったケンチョロは、機嫌を損ねて頬を膨らませていた。

 「お前等、どうせあの不動産屋の回し者だろ。

  そんな奴等と話す事なんてないよ」

 「不動産屋?

  なんでお前が不動産屋を知ってるよ」

 「この辺の人はみんな知ってるよ。

  あそこの山にスキー場作ろうとしてるんだろ」

 小学生の割りに鋭い洞察にも、彪冴は動じなかった。

 「そうだ、確かに俺等は不動産屋に頼まれてここへ来た。

  だが不動産屋の味方じゃねぇ。

  金くれる奴に尻尾振ってご機嫌取りが出来る程大人じゃねぇしな。

  お化け騒動を調べに来たんだよ。

  あの山と森にゃ妖怪が棲んでんのはもう知ってんだ。

  後はそれをどうするかだが、そこでお前の話が聞きたくなった訳さ」

 「妖怪!?、山神様の事?」

 妖怪と聞いて、ケンチョロの態度に変化の兆しが見られた。

 「ああ、たぶんその山神様って奴も妖怪だな」

 「じゃあ、妖怪はいるんだね?」

 「ああ、それは間違いないぜ」

 「やっぱり、そうなんだ・・」

 少し目線を下に落とし、呟くように言った。

 そこには、それまでとは違う力が籠もっていた。

 「やっぱり僕等は正しいんだ。

  あそこは誰も入っちゃいけないんだ、神聖なんだ。

  じいちゃんも、隣りのばあちゃんも言った。

  そこをスキー場にするなんて絶対駄目だ」


 二人の対立構図が崩れたと感じた彪冴は、すかさず本題を持ち出した。

 「でも、そこでいたずらしてたガキがいたらしいって聞いたぜ」

 「し、知らないよ、そんなの」

 「不動産屋の測量の邪魔をしてたそうじゃねぇか」

 「知らないって」

 「お前じゃねぇのか?」

 「ち、違うよ」

 「フン、お前ウソが下手だな、モロに顔に出ちまってるよ」

 「違うって!」

 「いいんだいいんだ、素直なのはいい事だ、ちっとも恥じる事じゃねぇぜ」

 「・・・・・」

 「なんで、いたずらなんかしたんだ?」

 「いたずらなんて、してない」

 「悪いが、目撃者がいるんだよ」

 「目撃者?」

 「お前の好きな妖怪だよ。

  あそこでお前達の事をずっと見てたんだとよ、木の上かどっかからな」

 「ウソだ!

  そんなはずない!」

 「お前はどうか知らんが、俺達には妖怪が見えるし、話し合う事も出来んだぜ。

  言っとくがスタンドじゃねぇぞ。

  その話は、このアッキーが昨日あの森で出会った猫の妖怪に聞いたんだ、直接な」

 「・・・」

 ケンチョロは、無言で明月の顔を見た。

 何か言って欲しい、話して欲しい、それを聞いて確証を得たいんだと訴えかけているのは、その目を見ればすぐに理解

 出来る。

 それでも、妖怪と話した当の本人の明月は何も語ろうとしなかった。

 自分が一言彪冴に同調すれば、事はスムーズに運びそうなのは分かっているが、小学生一人を相手に二人がかりで説得

 するのも格好が悪い気がしたし、そこまでやらずとも事態は動いているとも感じていた。

 事実、最初は反抗的で取っ付き難い感じを受けたケンチョロも、少しずつ素直な性格を覗かせ始めていた。


 「不動産屋に突き出すの?」

 「お前をか?、俺が?

  なんだ、そんな事心配してたのか。

  そんな事しやしねぇよ、する義理もねぇ。

  あそこに妖怪がいるのはもう分かってんだ、今更子供のいたずらだったなんて報告する必要もねぇんだよ」

 「誰にも言わない?」

 「言いふらして欲しいんなら幾らでもやったるぞ」

 「いいよいいよ、知られたらまずいし」

 「お前、名前は?

  ケンチョロが本名って訳じゃねぇだろ」

 「研太郎」

 「んじゃあ研太郎、お前はなんで不動産屋の測量の邪魔をした、ていうか、そもそもなんでお前は測量のスケジュール

  知ってんだ?」

 「・・・聡介が知ってたんだ」

 「そうすけ?、って誰だ」

 「同じクラスに三鳥聡介がいて、その父さんが反対運動のリーダーで、前から不動産屋と話し合いとかしてて、だから

  不動産屋が何かする時は、その前にちゃんと連絡する約束になってるから、いつ測量するか分かるんだ」

 「へぇー、そうなのか。

  そのサントリーも仲間なのか?」

 「うん」

 「他にもいるのか?」

 「全部で6人」

 「どんな風にやったんだ?

  晴れてるのに雨が降る音が聞こえたって聞いたぞ」

 「木に登って砂を撒けばそんな感じに聞こえる」

 「なるほど、答えを聞けば単純だ。

  そうやってみんなで考えて準備したのか」

 「うん」

 「幽霊や妖怪の仕業に見せたかったってんだな。

  どうせ自分等の意見は聞いてもらえないから、実力行使したって訳だ。

  効果はあったのか?」

 「うん、すっげーびっくりして怖がってた」

 「しかしそこまでやるか普通。

  世の中、諦めが肝心な事だってあるんだぜ」

 「僕等はあの山と森を守りたいんだ。

  あそこには、山神様とその仲間達が住んでるんだよ。

  隣りのばあちゃんから一杯昔話聞いたんだ。

  あそこは、あの人達の棲み処なんだ。

  人間の物じゃないのに、勝手に木を伐ったりしちゃいけないんだ。

  だから、学校で聡介達と話し合って決めたんだ。

  僕等の手で山を守ろうって」


 近隣住民の率直な意見を代弁したかのようにも聞こえるが、それと不動産業者の仕事の邪魔をした事は別の話だ。

 彪冴は、わざと嫌味とも取れるように言ってやった。

 「ガキのくせに、分かったような事言ってんじゃねぇよ。

  背中が痒いんだよ」

 「学校で習った。

  自然を守る事は人の為にもなるんだ」

 「じゃあ、てめぇはアリの巣を潰した事はねぇのか、クモの巣を破った事はねぇのか、ゴキブリに殺虫剤かけた事は

  ねぇのか。

  子供ってヤツは綺麗事ばっかり言うけどな、実際は殺し合いなんだよ。

  この世に生きてるもんはみんな殺し合って、生き残ったヤツだけが飯が食えるってシステムになってんだよ。

  人も動物も、虫も魚も妖怪もみんなだ。

  地球上にいる限り例外は有り得ねぇ。

  これが現実ってやつだ。

  学校の端っこでビオトープ作った程度で、どこまで理解出来るんかは謎だがな」

 (あーあ、言っちゃったよ

  ガキにそれ言ってもしょーがねーんだけどな・・)

 弱肉強食、適者生存という自然界の淘汰原理は、小学生でも知識としては知っていよう。

 ただ、普段の生活でその事を実感する機会はあまり多くはない。

 故に、自分の身の回りの事で改めてその事実を突き付けられた上、論理的反証に行き詰まると、つい感情的に反発して

 しまいがちになる。

 返答に詰まった研太郎がそうなりかけたそこへ、横から助け船が出された。

 「でも、その子の言ってる事は間違ってはおりませんわよ」

 彪冴が声の方へ振り返ると、道端で待っていたはずの澪菜達が家の敷地内に入ってきていた。

 「なんだ澪ちん、いきなり出てきたたと思ったらガキの味方すんのか。

  俺の意見は間違ってんのか?、てか、話聞いてねぇだろ」

 「いいえ、そうではありませんわ。

  無駄に殺生をせずとも、お互いに生きていく方法はあるという事ですわ」

 「だから、話の内容も知らんで勝手言うなよ」

 澪菜は、嘲弄の笑みを浮かべる。

 「貴方の背中は痒いだけですの?」

 その言葉に、彪冴は咄嗟に感付いた。

 「なにを・・・、まさか!」

 「枇杷がご厄介になりましたわ」

 「うへっ、俺に式神取り憑かせやがったな!

  どうりで背中がムズムズすると思ったぜ。

  やってくれるぜ澪ちん」

 「そういう訳ですので、話は一部始終聞かせていただきましたわ。

  確かに理想論かも知れないけれど、そちらのお子さんの正しい意見を屁理屈で抑えつけるなんて感心しませんわよ」

 「盗み聞きした奴に言われたかねぇな」

 「貴方は目を離すと何をしでかすか分からないんですもの、やむを得ませんわ」

 「信用されてねぇなぁ、俺」

 「まあ、貴方の信用度は置いておくとして、これで方向が定まりましたわね」

 「方向って、なに言ってんだ澪ちん」

 「わたくし達の取るべき道ですわ」

 澪菜の目が、キラリと不敵な輝きを放った。


 澪菜は、山林に妖怪が棲んでいる事と、地域の人達の多くはそこの開発に積極的意見を持ってない事を知った時から、

 この二つを調和させ得る解決方法を模索し続けていたのだ。

 「ご存知の通り、あの山と森に妖怪達が棲んでいる事は疑いようのない事実ですわ。

  しかし、彼等はそこから人の世界に出てくる事はないし、こちらから手出ししない限り攻撃も受けない。

  即ち、そこがそことして存在していれば、誰も何も不自由しないという事を意味している事になりますわ。

  我々が為すべきは、それを理解し、理性を以て尊重する事にあるのですわ。

  恐らく、あの山に近付いてはならぬという先人の言葉は、人間と妖怪との住み分けを実現する為に作り上げた不文律

  なのでしょうし、それは守られるべきものだとわたくしは思いますわ。

  そして、それを守っている限りにおいて、人に危害が及ぶ事はない」

 「要するに、不動産屋に開発をやめろって言う気か?

  ガキ共に味方しちまおうって考えてんだな」

 「端的に結論だけ言うとそうなりますわね」

 「子供のいたずらを逆手に取って、開発を続けるともっと酷い事が起こるぞって脅すのか」

 「いいえ、そんな小細工は無意味ですわ。

  わたくし達がどう報告したところで、それで不動産業者の開発路線が見直される事はないと考えるのが妥当ですもの。

  多少の変更はあるかも知れないけれどね」

 「そんな妖怪、退治しちまえってなるのが当然だわな。

  じゃあ、何すんだ」

 「鍵は、この開発計画は未だ青写真に過ぎないという事ですわ。

  地権者との売買契約はまだ成立していないのだから、そこにこそ活路を見出す事が出来るでしょ」

 「契約をチャラにすんのか」

 「開発業者を説得出来ないのであれば、土地の転売を阻止すればいいだけの話。

  そうすれば、無益な妖怪退治を無理強いされずに済みますしね。

  でも、その為には地権者にお会いしなければなりませんわ」

 「まさか、白泰山会が先に買い占めちまおうとか考えてんのか?」

 「それは、物理的にも道義的にも難しいですわね。

  いずれにしろ、地権者が何者か知るのがなによりの先決事項よ。

  彪冴、業者に問い合わせて聞いて下さるかしら」

 「構わねぇけど、どうせなら不動産屋よりサントリーって反対運動のリーダーに聞いた方が良かねぇか。

  妙に勘繰られたりしねぇ為にもな」

 「・・・、それもそうですわね。

  よく気が付きましたわね、さすがにそういう悪知恵の類にはすぐ頭が回るんですのね」

 「そんな褒めるなよ澪ちん、惚れてまうやろー!」

 (今のは褒めたのか?)



 ☆



 研太郎に聡介の家の場所を聞き、反対運動のリーダーだというその父に会いに行ってみた。

 三鳥聡介の父・貴角たかすみは、米穀店を自営する傍ら、45歳にして自治会長も務める男だった。

 それだけ、地元では人望のある人物という事か。

 反対運動のリーダーといっても、彼の役目は地元の考えや要望を不動産業者に伝え交渉する折衝窓口のようなもので、

 過激なデモなどを主導する活動家ではない。

 一部には開発に賛成する住民もいる為、そうした意見も含めた多様な見解の集約係といったところか。

 ハキハキとしたきっぷのいい男で、時折澪菜達を学生だからと見下そうとするような一面は見せるものの、仕事の手を

 休めて要求を聞き入れ、基本的には総じて友好的に対応してくれた。

 「君等は高校生なのに環境保護に興味があるのかい?

  せっかくの冬休みだってのに、わざわざこんな所にまで実地調査に来るなんて。

  いや、別に批判するつもりはないんだよ、むしろいい心がけだと思ってね。

  気の済むまで調べたらいいよ。

  先生が評価してくれるくらいにはやらないとね」

 「わたくし達がこちらをお伺いしましたのは、別に授業の一環でも部活の延長でもありませんわ。

  恣意的なアルバイトですので」

 いかにも子供扱いといった貴角の言葉に、澪菜は、間髪入れず射るような鋭い眼差しと皮肉で返した。

 ただ単位を取る事を目的に、形だけの調査をしているかのように誤解されたのが癪に障ったと見える。

 決して間違った事は言ってないが、その素っ気ない言い方の中にある棘に、貴角は少しビビッたようだ。

 「へ、へぇー、そ、そうなの?」

 「開発か保全かを最終決定するのは地域住民であるべきであり、それに関してわたくし共が横槍を入れるつもりは毛頭

  ありませんわ。

  ただ、これまで手付かずで放置されてきた山林が、なぜここへきて突然のように開発の話が出てきたのか、地権者を

  含めてその理由を質したいと思ったのですわ」

 「稲北不動産の話は聞いたのかい?」

 「直接は伺っておりませんけれど、概要は存じておりますわ。

  いずれは正式にご挨拶せねばならないと思っていますけれど、まずは地権者側からの情報を先に知りたいんですの。

  一体、どういう経緯でこの売買契約に纏わる話が浮上したのか、事の発端はどっちなのか、買い手側の発案なのか、

  或いは売り手側の事情によるものなのかを、はっきりさせた上で調査を継続したいのですわ」

 「君等がどうして、そこまでしてその事情を知りたがるのかが分からないな。

  どっちが先かはそんなに重要なのかな?」

 「そう考えますわ」

 「なぜ?」

 「逆に、なぜ重要視しないのかが、わたくしには疑問ですわ。

  それが開発の方向性に影響を及ぼす事だって考えられる訳ですもの」

 「そうかい?

  どこからそんな発想が出てくるんだい?」

 「お言葉ですけれど、わたくしは貴方にそれをお話しする必要を感じませんわ。

  守秘義務もありますし、なにより、お互い開発に疑問を持つ立場に変わりはないのですから、不要な詮索は慎まれる

  のが俎豆そとうというものではありませんの?

  まあ、買いたい側にしろ売りたい側にしろ、どちらの場合も自然保護を目的としていないのは明白ですけれどね」

 毅然として、キッパリと貴角の質問を退けた澪菜。

 貴角は、アルバイトなのに守秘義務が課されるとは一体どういう事なのか知りたいと思ったし、彼女の言葉の濁し方に

 も漠然とした不自然さを感じ取った。

 と同時に、これ以上彼女に対してあれこれ深読みするのは不毛だとも感じて態度を改めた。

 どうせ、彼女達が動き回ったところで何かが変わる訳でもないし、もしかしたら、希少種の動植物の生息状況といった

 ような、今後の反対運動の糧になる情報を提供してくれる可能性を考えたからだ。

 専門家に頼む時の手間が省けるかも知れない。

 「分かった、それは聞かないでおくとしよう。

  地権者を知りたいんだったね、所有者は守東院地所という不動産業者だよ。

  守東院すとういん宗也しゅうやという人が営んでいる、個人事務所みたいな会社だそうだ。

  稲北不動産とどういう関係なのかは知らないけど、どっちも紳士的な会社だし、穏便に話を進めようとしているよ。

  私の知る範囲では違法な商取引でもない」

 「その稲北不動産が現地で測量の際、不可思議な現象を目撃したというお話はご存知ですの?」

 「ああ、その事か。

  なんか言ってたね、怖くて不気味だったと聞いたよ。

  あそこは、昔からそんな噂が絶えない土地でね、私も子供の頃から近所の老人達によく聞かされたもんだった。

  だから、地元の我々は殆ど近寄らないのさ。

  稲北の連中も、それを誰かに聞いて少しビビってしまったんじゃないのかな。

  君等も気をつけた方がいいよ。

  あそこに行くなら、用心に誰かの介添えを付けた方がいい。

  道もなく荒れ放題らしいから、そんなに奧まで入れるとは思わないけどね」

 その時の貴角の言葉は、どうにも社交辞令的で情感のこもらないものだった。

 いかにも、その後に“私は霊や化け物なんて信じてないよ”、と付け足したいような口振りに聞こえた。

 それを察した澪菜もまた、当たり障りのない玉虫色の言葉で応じた。

 「心がけておきますわ」


 地権者の情報は得られたが、澪菜はその他にどうしても一つ知りたい事があり、貴角にその疑問をぶつけてみた。

 「実は、わたくしは初めにこの話を聞いた時から、一つ腑に落ちない点がありますの」

 「なんだい、それは」

 「順序があべこべなんですわ」

 「順序?」

 「本来、このような開発話は、地権者と不動産業者の間で売買契約が完了した後で表面化するものではありませんの?

  それがなぜ、未だ契約交渉が進行中の段階で周辺住民の知るところとなったのか。

  億単位の巨額な資金が動くであろう計画なのだから、簡単には事前に表沙汰にはならないのが普通ですのに。

  そこに癒着や不正がない事を証明する為かとも思ったのですけれど、そこまでするなら当然の如く反対運動が起こる

  事も予測出来るはずでしょうし、しかし現実にそれに対する対策を講じているようにも見えない。

  事業者側には大きなリスクになるはずですのに、それを負ってまで計画を事前に公にするメリットはあるのかしら」

 「ああ、その事か。

  あべこべか、なるほどね。

  最初、稲北不動産が事前審査というか調査の為に来て、自治会長という事でウチに挨拶に寄って行ったんだ。

  その時、私も初めてあそこが私有地で、地権者が守東院地所という所だと知ったよ。

  意外といえば意外だった。

  ずっと国有地だとばかり思ってたからね。

  総平面積は、たしか約75ヘクタールと言ったかな。

  22万7,000坪とか言われても、広過ぎてまるでピンとこないよ。

  その全てが山林だから、金額的には大した事はないらしくて、売買契約自体は問題なくすぐにでも成立しそうだが、

  その山林の開発が地元に与える影響を考慮して、周辺住民の賛同を得られねばならないというのが、守東院地所が

  提示した条件なんだと聞いている。

  だから、稲北不動産としては不本意かも知れないが、そうせざるを得なかったんだと思うよ。

  具体的に我々に開発計画を説明して説得が始まるのはこれから、恐らく年明け以降の話になるんだろうね。

  契約書にサインするのはその後という事だ。

  計画の展望は聞いたけど、取引銀行との融資の交渉にも手をつけていないそうだし、その上道路の拡張とか上下水道

  その他インフラ面をどうするといった行政との話し合いもまだ始めてないそうなので、そっちが予算を付けてくれる

  見込みがない限り、話が前に進むかどうかは不透明だね。

  仮にそこがクリアになっても、スキー場としては規模は決して大きくないし、山の標高もそんなに高くはないから、

  どの程度の集客が見込めるのか私は疑問だよ」

 「なるほど、そういう事でしたの。

  では、稲北不動産が測量の調査を実施したのは、守東院地所の要請に基づいていたのですわね」

 「まあ、そういう事になるね。

  ちゃんと、いつ調査するかまで私の方に連絡してくれるし、地元の反応には神経を尖らせているようだね」

 「なぜ、そんな条件を提示したのかご存知ですの?」

 「正確には守東院さんに聞かないと分からないけど、まあ、地元の不評を買いたくないからなんじゃないかな。

  私も、直接お目にかかったのは一度だけだが、本当に穏やかでいい人だ。

  ガツガツするところもないし、物静かな感じという印象だったな。

  あまり話はしなかったよ。

  私の役割は稲北不動産との折衝で、土地の売買にもの申す立場にはないんでね」

 「でも、一旦売買が成立してしまうと開発は後戻りしませんわよ。

  一般的な反対運動は、契約が成立し、実際に工事に着手する寸前になってから起こる事例ばかりで、結果的に運動は

  運動で終わってしまうケースが多く、文字通り後の祭りにしかなりませんわ。

  もちろん、開発業者は最大限譲歩するところは譲歩するでしょうし、中には示談金で解決を見る場合もあるでしょう

  けれど、計画自体が白紙に戻る可能性はゼロに等しいと見るべきですわ。

  ところが、今回は、契約そのものが未だ結ばれていないのだから、交渉を打ち切らせる事さえ出来れば、破棄させる

  必要もなく運動としては大団円ではありませんの?

  地方議員などの政治家や行政も絡んでくる事になるのは目に見えていますのに、町を二分して選挙や住民投票にまで

  発展するというのは、後々まで遺恨を残す事にもなりかねませんわ。

  それに、隣接する町の温泉組合や浜茶屋経営者などは諸手を挙げて賛成するでしょうし、契約が完了して事態が動き

  出してからの反対運動は、内外に不要な敵を作るだけにはなりませんの?」

 「そうだね、その通りだ。

  でもそれは、分別のある大人が取るべき方法ではないと私は思う。

  誰も別に悪い事をしている訳でもないし、市場経済のシステムに則って動いているだけだからね。

  稲北不動産の計画だって、まだどうなるか決まっている訳ではいないし、もっと違った形の計画案が出てくる可能性

  だってある。

  その全てを、何も決まらないうちから否定してしまうのは、あまり良い選択とは言えないと思うよ」


 澪菜は、それ以上意見を述べようとしなかった。

 三鳥貴角は暫くは事態の推移を見守る構えのようだし、それが住民代表が決めた方針というならば、それは尊重されて

 然るべきで、そこに外部の人間が意見を差し挟むべきではない。

 彼の息子を含めた子供達の実力行使まがいの妨害工作の事も気付いていないようだが、それは、少なくとも現時点では

 彼の知る必要のない事だ。



 ☆



 三鳥家を後にした澪菜は、午後から車で別行動を取っていた寿を電話で呼び戻し、彪冴が予約を取ってくれた温泉街の

 旅館へ向かった。

 昨日までいた町のホテルとは違い、途中の信号待ちの時間を含めても車で10分もかからずに着く近さだった。

 質素で趣きのある和風建築の外観と純和風の客室は、ベッドより畳の方が好きな明月には福音だ。

 温泉もあるし・・・。

 混浴露天風呂とかだったらどうしようなどと考える度、期待に胸が膨らみ自然と頬が緩んでしまうのを覚られまいと、

 明月は必死に無関心を装っていた。

 それとは対照的に、なぜか寿は楽しくて堪らないといった無邪気な笑顔を隠そうともしない。

 「お嬢様、今日はとってもいい物が手に入りましたよ、とっても可愛いの」

 「あらそう、それは楽しみね」

 「はい、もう思わずいっぱい買っちゃいました。

  予算オーバーしてお頭に叱られる一歩手前ですよ、もう」

 なんの事かと思えば、宿の前に停めた車を降りた二人の付添人、寿と定芳の両手には幾つもの買い物袋がぶら下がって

 いる。

 中身は全部澪菜の服だった。

 いつも主人にベッタリ付き従っていたはずの寿が、その日に限って現地に澪菜を残したまま姿を消していたのは、その

 買い物の為だったのだ。

 (そうかぁ、着替えは現地調達だったかぁ・・)

 これで、出発時の澪菜の荷物が僅かスーツケース一つだった理由が分かった。

 寿は澪菜を着せ替え人形とでも思っているのか、とにかく楽しそうで、早く着せたくて浮き足立ってワクワクソワソワ

 しているのが手に取るように分かる。

 それだけ溺愛しているという事なのだろう。


 温泉旅館を楽しみにしていたのは、明月だけではなかった。

 車から降りたクールな曄と幼稚な薺の会話でそれが窺える。

 「晩ご飯なにかな?」

 「知らないわよ、あたしに聞かないで」

 「たこやき出る?」

 「出る訳ないでしょ、バカ」

 「え〜、たこやき食べたい」

 (やっぱ薺はバカだ)

 「露天風呂ある?、岩風呂」

 「だから、知らないって」

 「アヒル村長いる?」

 「なんで!」

 「おサルさんとかカピバラさん来るかな?」

 「来るか!」

 「え〜、一緒に入りたい」

 (つくづくバカだ)

 「動物園でも行けば」

 「じゃあ曄ちゃん一緒に行ってくれる?」

 「丼ちゃんと行けばいいじゃない」

 「丼ちゃんも一緒だけど曄ちゃんも一緒がいい」

 「・・・・そのうちね」

 薺の幼児趣味につき合わされる曄も可哀相だ。


 フロントでチェックインを済ませると、澪菜が彪冴に言った。

 「彪冴、稲北不動産への報告はまだ控えて下さるかしら、元々一日二日で結論の出る調査ではないのですから」

 「ああ、そうするさ。

  てか、まだなんて言って報告すりゃいいか分かんねぇし」

 「ではまた明日、ごきげんよう」

 「おいおい、勝手に帰すなよ。

  俺も泊まってくぜ、帰るのめんどくせぇ」

 「あらそう、ではご自由に。

  お食事は出ませんわよ」

 「無問題モーマンタイ

  俺が予約したんだぜ、温泉入ってのんびりしたって罰は当たらねぇ。

  スリッパ卓球で勝負も悪かねぇな、澪ちんやるか?」

 「明日は守東院地所を訪ねますのよ、分かってますの?」

 「分かっとるわ、だから泊まんだろ」

 「寿、アポは取れまして?」

 「はいお嬢様、明日の午後1時に社長の守東院宗也さんと面会のお約束です。

  でも、結構遠くですので、移動時間を考えると遅くても9時には出発しないと間に合いませんよ」

 「承知してますわ。

  曄も寝坊は許しませんわよ」

 「そういう事は、前科者の明月に言ってやんなさい」

 「明月なら心配要りませんわ。

  だって、わたくしがずっと側にいるんですもの」

 「どうやって!」

 「わたくしと明月が一つの部屋、その他大勢がもう一部屋にすればいい事ですわ。

  それで万事円満解決でしょ」

 「勝手に決めるな!

  てか、四文字熟語間違ってない、おかしい!」

 「失礼ね、それじゃまるでわたくしがおバカみたいじゃありませんの」

 「そう言ってんだけど」


 実は、家でこっそり四字熟語の勉強を重ねていた澪菜ちゃんなのであった。


                                       第6話 了


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