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第5話 師走遠征


 DISPELLERS(仮)の Ⅱ


 5.第5話 師走遠征



 年の瀬も押し迫った冬休み。


 普通に生きていれば、当たり前のように誰でも誕生日は迎える訳で、明月も無事16歳になった。

 それに関して、澪菜は当初、その祝賀を盛大に催すつもりでいたのだが、彼は頑強にそれを固辞した。

 その手のイベント事は嫌いだし、誕生日=一つ歳を取る=死に一歩近付くとしか解釈しない彼には、それを祝うなどは

 以ての外で、迷惑千万この上ない事でもあったからだ。

 15と16の境界線を越えたからといって、小遣いが増える訳でもなし、周囲の評価が劇的に上がるでもなし、特別に

 何かが変わる訳でもないのだから、黙ってそっと通り過ぎればそれでいい。

 唯一嬉しい事といえば、ようやく曄と同い年になれたという事だけだろう。

 彼にとっては重大事なのだが、それは他人に話しても意味のない事だし、一人心の中で至福に浸っていればいい事だ。

 おまけに、クリスマスを紋日とも思っていない家庭なので、普通の人よりは幾らか穏やかな年末を送れるはずだった。


 だったのだ、去年までは。


 それが、今年は澪菜組の仕事で遠出する事が決まり、最悪の場合出先で新年を迎える可能性も考慮に入れておく必要が

 あるという事態に見舞われた。

 長期戦覚悟の出張になるという事は、それなりに難しい任務という事なのだろうか。

 せっかく澪菜の要らぬお節介を回避出来たのに、仕事となればそうそう簡単には辞退出来ない。

 沈む気持ちで仕方なくその為の旅支度をしながら、彼は思った。

 せめて、年末年始くらいは静かに過ごさせて欲しいものだ。

 この慌ただしかった一年を振り返って感慨に浸る訳でも、新年に向けて新たな抱負を思索する訳でもないが、そうした

 一切の煩わしさから解放され、ただ何も考えずに日々をのほほんと暮らしたいだけなのに。

 いや、本音を言えば、寒い日は外に出たくない。


 そして、出来る事なら、曄と二人だけでぬくぬく過ごしてみたいなぁ・・・。

 (コタツでイチャイチャとかやってみてぇなぁ、ちくしょー)



 ☆



 桐屋敷邸を訪れて、まず驚いたのが、エントランスの前にドドンと停められたフォード・リンカーン・ナビゲーターの

 堂々とした姿だった。

 (で、でっか・・)

 さすがはアメリカが誇るピカピカの高級車、洗練された欧州車とは一味違う無骨さがあり、その重厚な存在感は容易に

 日本の道路事情下での運転の難儀さを予想させる。

 思わず、その横に立つ運転手の定芳に聞いてしまった。

 「もしかして、買ったんすか、これ」

 「ええまあ。

  初めは、ダイムラーを処分してマイバッハを購入しようかという話だったんですが、人が増えましたので、出入りの

  業者に相談したところ、この車を薦められまして」

 (マイバッハ!、マジか・・・)

 「じゃあ、ダイムラーは売っちゃったんすか」

 (勿体ねーなー、あの車好きだったのに・・・)

 「いえ、澪菜お嬢様の通学用に残してあります」

 (あ、そうなんだ・・、やっぱこの家のガレージは底が知れんな)

 「運転し辛そうっすよね、こんだけデカいと」

 「普通車として見れば車幅がありますからね。

  私は大型二種を持ってますので、バスに比べれば楽な方ですよ」

 「ガンメタって渋いっすね、カスタムっすか?」

 「ええ、澪菜お嬢様のご希望でして。

  他にも一部、サードシートを座り心地の良い物に交換したりとかしております」

 そこへ、屋敷の玄関から寿を伴って澪菜様が登場。

 ショートブーツにニーハイ、ミニスカート、そしてそのスカート丈と同じ丈のトレンチコートとマフラー。

 定番とも言えるコーディネートでありながらも、清楚さと活発さを両立させる着こなしは見事。

 さすがはお嬢様。

 「これで、明月も移動中の窮屈な思いから解放されますわよ」

 「あ、そ」

 (俺の為に買い換えた訳じゃねーだろ)

 次いで曄、薺も現れ、出張メンバー全員が揃った。

 曄はシックな黒の膝下丈のロングコートとロングブーツ、薺はアーバンシティカモのダウンジャケットを着ていた。

 「さあ、出かけましょう、明月とわたくしは最後列の席ですわよ」

 先に車に乗った明月が言われた通り着席しながら、フトモモの見えない曄の服装は残念だなぁと思っていると、後から

 乗ろうとして片足を上げた彼女の黒いコートの前がはだけて、真っ白なフトモモが目にも眩しく露わになった。

 (コートの下はミニスカかぁ!)

 普段隠されているものが何かの拍子で一瞬顔を覗かせる、チラリズムは煩悩男の脳裏に忘れ得ぬ強烈なイメージとして

 刻み込まれるのだ。

 (スバラ!)


 出発して間もなく、澪菜はちょっとがっかりそうに横に座る明月の顔を見た。

 「明月は、今日も猫妖怪を連れて来てませんのね」

 「猫?

  ああ、あいつか。

  あれならもういないよ」

 「いないんですの?」

 「寒くなったから、どっかよそへ行くって出てった」

 「では、春になれば戻ってきますのね」

 「さあ、どうだかな。

  今生の別れとかなんとか言ってたしな」

 「そうですの・・。

  それは残念ですわね、一度会ってみたかったのに。

  寂しくはありませんの?」

 「別に、そんなに長いつき合いでもねーし、ほとんど放ったらかしだったしな」


 野良ネコに憑依していた黒坊主が明月の元を去ったのは、12月の初め、いや、11月の末だったろうか。

 期末試験の直前だったので、詳細には記憶していない。

 寒くなった故にというのは、察するに単なる口実に過ぎず、本当の理由は他にあると明月は思っていた。

 その理由が何なのかは分からないが、別れ際に黒坊主が使った潮時という言葉に、真の安住の地を探すべき時にきたと

 判断した結果だろうと推察した。

 なので、無理に引き止めようとも思わなかった。

 執拗に曄に執着していた厄介者がいなくなって清々している反面、気配を感じなくなると何気に淋しい気もする。

 あれほど邪険にしてきたくせに、都合のいい奴と謗られても文句は言えない。


 黒坊主を思い出して幾らか感傷的な感慨を催す明月の横で、澪菜は、久々の彼との外出にデート気分にでも浸っている

 のか、妙に浮かれ気味で、不発に終わった彼の誕生パーティーの話や、仕事の為に中止を余儀なくされたクリスマス

 パーティーの話等々、艶めかしい口唇も熱い視線も滑らかだった。

 惜しむらくは、明月にその手の話は退屈以外の感想を与えない。

 「それより仕事の話をしてくれ。

  ちゃっちゃと帰って部屋の掃除しないと親父に叱られる」

 「そうですわね。

  わたくしも年内に終わらせてしまいたいのは山々なのですけれど、どうなるかは行ってみないと分かりませんわね」

 「どんな仕事なんだ?」

 「一言で言えば調査ですわ」

 それを聞き、前の席に座っていた曄が割り込んできた。

 「また調査なの?、この前と一緒じゃないのよ」

 「そんなに口を尖らせないで、曄。

  わたくし達は、与えられる任務を選り好み出来る立場にはないのよ。

  しかも、今回のは白泰山会の関係先の応援要請を受けての出張だから、決して忽せには出来ないのですわ」

 「関係先?、って何?」

 「会には所属していないけれど、会とは近しい間柄にある方ですわ。

  一応は同業者ではあるのでしょうね。

  でも、わたくしも見知った人だから、取り立てて緊張する必要はありませんわよ」

 「同業者って、祓い屋って事?」

 「ええ、一般的にはそう認識していいという事よ。

  陰陽師ではないから、祓除や封印が出来る訳ではないけれど、妖力を使って追い払ったりはしているようですわ」

 「じゃあ、調査っていうより浄化してくれっていう要請なんじゃないの?」

 「それはどうかしら。

  人手が欲しいっていう話だから、やはり調査なのではなくて?

  たとえどんな内容でも、手を抜く事は許しませんわよ」

 「何度も言わなくていい」

 「薺もね」

 「・・・・・・(睡)」

 「寝てるわ」

 曄の横に座る薺は、早くも持参した愛用のラッコさん枕を抱き抱えたままスースー寝息を立てていた。

 (ま、こいつはこんなもんだ)


 そういえば、以前、薺をスカウトする為に遠出した時、澪菜は大量に着替えを用意していたが、今回はスーツケース

 一つだけと世間並みに落ち着いている。

 前回で学んだのだろうか。

 ただ、今回も日程が立てられないのは同じで、より長丁場になる可能性もある事を考えると理解に苦しむ。



 ☆



 車は定芳と寿が交替で運転し、高速道路を走り、途中何度か食事と休憩を挟んで、目的地についたのは陽が落ちた後、

 夜になってからだった。

 そこは、けっこう人口が多そうな大きな町だった。

 町という表現は誤解を招く、都市、都会と言った方が適切だろう。

 市内の中心部に入ると、車窓から見える全ては人工物だらけで、夜だというのに人の波、車の流れが途切れる事なく

 続き、特別なライトアップでもないだろうにやたらと明るい。

 その明かりの下一つ一つに一人ならず人がいるかと思えば、人というのはよくよく虫に似ているんだなと感じる。


 駅前の目抜き通りから連なる繁華街を抜け、1本裏手の路地に建ち並ぶ雑居ビルの一つの前で、定芳が車を停めた。

 「ここですの?」

 「はい、ナビの指示通りですとここになります」

 (なんだ?、澪菜さん達も場所知らねーのか)

 外燈とネオン、看板照明の煌びやかなメインストリートと違い、裏通りは人も疎らで、ビルのコンクリート壁も冷たく

 一層寒々しい。

 当該ビル1階の弁当屋は既に閉店しているが、そのシャッターの前に、一組の高校生くらいの若い男女が立っている。

 車を降りると、その男が近寄ってきた。

 「やあやあ、遠いところをご苦労さん、お疲れやったね。

  お、澪ちんめっちゃ綺麗になっとる。

  前から綺麗かったけど一段と磨きがかかったやん。

  いやー、惚れ直すわぁ、マジで」

 (澪ちん?)

 なんとも慣れ慣れしい、というか砕け過ぎ。

 澪菜はさりげなく、しかしどこか迷惑そうな顔で文句を返した。

 「その言葉遣い、どうにかなりませんの?

  久方ぶりに会っていきなりそれでは、育ちが分かりますわよ」

 「つれないなー、1年振りだってのに。

  今更この俺にどうやって育ちの悪さを隠せってんだよ。

  お金持ちのお嬢様とは違いますのよん」

 「それは嫌味ですの?、相変わらずですわね。

  初対面の方もいらっしゃるのに、第一印象は大切ですのよ」

 「やめてくれよ澪ちん、そんなん言ったら照れちまうって」

 (なんかチャラいな)


 身長180Cmを超えると思われるその男は、薄らと茶色づいた乱れたくせ毛を掻き掻き、ヘラヘラ笑いながら澪菜と

 親しげに話していた。

 澪菜の言った見知った人とは、彼の事だったのか。

 余程以前からの顔馴染みと見受けられるが、だとしても、澪菜に対してこうもおちゃらけた物言いをする人は未だ嘗て

 見た事がない。

 そのせいかどうか、お嬢様の表情も久しぶりに会った友人に見せるものとはどこか違う。

 傍目には、あまり仲良しという印象は受けない。

 (どういう関係なんだ?)

 そこへ、男と一緒にいた女性が近付いてきて、丁寧に頭を下げた。

 「お久しぶりです、澪菜さん。

  わざわざお越しいただいてありがとうございます」

 「ごきげんよう、貴女も大変ですわね、こんな兄を持って」

 (兄?、兄妹か)

 終始ニヤニヤと口元の締まりの悪い軽薄そうな兄と違い、妹の方は黒髪をサイドテールに結んで、キリッとした目が

 その性格を物語っているようだった。

 (同世代・・・、もちっと下かな)

 澪菜は、その二人に明月達を紹介し、次いで出迎えた二人の名を教えた。

 「ご紹介しますわ、こちらが明月、曄、薺で、寿はご存知ですわよね。

  そして、こちらが今回の依頼者、正親前おおぎさき彪冴ひょうごと妹のにしきですわ」

 「ども~」

 「錦です、ふつつかな兄共々よろしくお願いします」

 「ふつつか言うな、俺は嫁か」

 チャランポランな兄と、よく出来た妹といった印象だ。

 「今日は菊花ちゃんは来てねぇのか?」

 「菊花は、会の幹部達の年末行事の為に、日々運転手役をやらされていますわ。

  正装しなければなりませんので、本人は相当嫌がってましたけれどね」

 「あーあ、菊花ちゃんも大変だなそりゃ。

  雀は?、帰省中か」

 「ええ、その通りですわ」

 「そうか、そりゃ残念だな。

  とにかく、ここは寒いんで上上がろうや」


 彪冴は、慣れた足取りで自分達が立っていた背後に立つ雑居ビルの2階へ上がり、情趣のない鉄扉が並ぶ狭い廊下の

 一番手前、“ラッキー興信・正親前”と書かれた表札が付いた扉を開けた。

 (興信?、探偵か?)

 「澪ちんもここは初めてだったな、ウチの親父の事務所だ。

  なんもねぇがそこら辺座って寛いでくれ、茶でも出すわ。

  おい、錦」

 「偉そうに命令するな、言われなくてもやってる」

 事務机とソファー、ロッカー、ホワイトボード、パーティション用の衝立。

 室内は地味で飾り気はないが小ざっぱりしている。

 机の上のアロエの鉢植えは、何かのまじないだろうか。

 「わざわざ来てもらってから言うのもなんなんだが、親父はここにはいねぇのさ。

  あのバカが、今上ってきたそこの階段から転げ落ちて足を骨折しちまって、仕事どころじゃなくなっちまったんだ。

  で、俺がその代わりをする羽目になっちまった」

 「いつですの?」

 「5日前、6日前だっけな?」

 「おじ様は今どちらに?」

 「病院だよ、全治3ヶ月。

  脚以外はピンピンしてて、とりあえずあと何日かで退院はするんだが、ギプスで固定されてるからトイレに行くのも

  四苦八苦してらぁな」

 「それで、わたくし達に応援を要請したんですのね」

 「いや、それは親父がポキる前から考えてたんだ。

  この仕事は、とてもじゃねぇが一人じゃ時間がかかり過ぎる。

  俺も駆り出された口さ、ここには他にスタッフがいねぇんでね」

 「どんなお仕事ですの?」

 「山林の調査だよ、なんか色々起こってるらしいぜ。

  不動産屋が依頼してきたんだ。

  本来なら入院した時点でキャンセルすりゃいいくせに、財布事情が許可してくれねぇんだとよ」

 「色々って、どんな事ですの?」

 「まあ、その話はまた明日、現場で追々するとしようぜ。

  もう遅えし、あんた等も疲れてるだろうし、言われた通りホテルは取ってあっから、そっち行って休んでくれよ」


 色々な事が起こる山林の調査。

 この時点では、明月達はまだ、どうせ前回の任務とそう大差ないものになるのだろうと高を括っていた。



 ☆



 翌日、ホテルの一室で目が覚めた時、明月は一人だった。

 (あー腹減ったな・・・、ルームサービス頼んでもいいのかな?

  下行ったらなんか食えるかな)

 部屋を出て1階のロビーへ行ってみると、ラウンジのソファーに腰掛けてコーヒーをすすっている薺と曄がいた。

 「今頃お目覚め?、何時だと思ってんの?」

 「あん?、何時?、10時?」

 曄のお小言に、腕時計を持たない明月は、ロビー内を見渡して時計を探した。

 「他の人はいねーの?」

 「昨日の、なんとかって人のお父さんの入院してる病院に、挨拶がてらお見舞いに行ってるわ。

  あたし達は戻ってくるのを待ってるだけよ」

 「あっそ。

  腹減ったんだけど、なんか食えるかな」


 明月がやっと遅めの朝食にありついてサンドウィッチをかじっていると、そこへ彪冴が現れた。

 「よ、おっはようさん。

  よく眠れたかい、って、こんな立派なホテル泊まってその質問はねぇか。

  いいねぇ、俺も泊まってみてぇよ」

 話し方は昨日と同じく軽々しいが、思いの外歩く姿は姿勢が良く、変に肩を左右に揺らしたりしないし猫背でもない。

 案外、まともな人なのかも知れない。

 曄が言葉を返した。

 「お見舞い行ったんじゃないんですか?」

 「あっちは錦がつき合ってる。

  俺は昨日も行ってるんで、あんなむっさいオヤジのヒゲ面なんか毎日見るもんじゃねぇしな。

  そしたら、ここで待ってろって言われたんで来たって訳よ」

 口元を緩めてヘラヘラと笑いながらも、その時の彪冴の曄を見る目は、何か意味深に真面目だった。

 その目を見て、咄嗟に良からぬ不安を抱く明月。

 (この人、まさか曄に一目惚れしたんじゃねーだろな)

 彼の観察眼では、曄ほどの美少女がモテない訳がないのだ。

 しかも、彪冴のような類の軽佻浮薄男は、可愛いと見ればすぐに手を出すというのが世の常識だ。

 この二つを合わせ考えると、結論は一つしかない。

 彪冴が曄を口説きにかかるのは火を見るより明らかで、もはや時間の問題、既にカウントダウンは始まっているのだ。

 曄の牙城がそんな簡単には落ちない事を知らないから、そんな無謀な行動が出来るんだろうと心の中で鼻で笑う一方、

 やはり面白くない感情が湧き上がるのも事実。

 (朝から嫌な気分はゴメンだな)

 ところが、彪冴は、ナンパの台詞とはかけ離れた意表を衝く事を言い出した。

 「あんたが聖護院曄ちゃんか・・・」

 曄はドキッとした。

 澪菜は名前しか教えてないのに、なぜ姓まで知っている。

 不吉な予感が過ぎる。

 「な、なんで・・・」

 「聖護院家は茨屋の本家だったんだろ。

  俺、あんたの親父さん知ってるよ」

 「えぇっ!?」

 曄の驚きは尋常ではない。

 全く初めて会う人に、いきなり素性を明かされてしまうなんて。

 こんな事は、彼女が引っ越して一人暮らしを始めて以降初めての事だった。

 いや、もっと以前、中学生の時ですらそんな経験はない。

 もしかしたら、この男は円松坊家とも遠からぬ関係があるのではないか、との最も望ましくない狐疑が噴出するのは

 避けられない。

 心臓がキックダウンして心拍数が急上昇し、見る見るうちに表情が強張っていく。

 そんな曄の動揺を感じ取ったか、彪冴は、その疑念を払拭するように間を置かずに言葉を続けた。

 「つっても俺は会った事はねぇよ、ウチの親父が昔からの知り合いなのさ。

  だから、事情は何も知らんが名前は知ってる。

  親父は今でも連絡を取り合ってるようだし、とりあえず元気は元気みたいだぜ。

  あんたの事は菊花ちゃんから聞いてたんで、娘は桐屋敷家と八百神の親父に保護されてるって伝えたら相当喜んでた

  らしいぞ」

 「菊花?」

 「ほら、菊花ちゃんは車のレースやってるだろ。

  なんてったっけな、チームの名前忘れちまった。

  だから、こっち方面でレースがある時はよくウチに顔出してくれるのさ。

  いっつもお土産持って来てくれてね、話も面白いし、俺は好きだね、あの人」

 「どこにいるの?、お父さん」

 「そんなの俺は知らねぇって。

  時々親父の世間話の中に名前が出てくるだけだからな。

  どこに住んでるかは親父もよく知らんと思うが、生きてるのは間違いねぇよ」


 ここで菊花の名が出てくるとは意外だったが、彼女が情報源だと聞くと激しく納得する。

 曄は安堵し、その顔が徐々に幼児退行していくように見えた。

 今では連絡を取る事も、顔を合わせる事も、声を聞く事すらも叶わなくなってしまった父親の消息を初めて知ったの

 だから、その喜びは筆舌に尽くし難い。

 それは、幼く愛らしい一人の少女のようになっていた曄の、緩やかに微笑む横顔が如実に物語っている。

 無くしたと思っていた大切なものを、何かの偶然で物陰からひょっこり見つけた時のような嬉しさに満ちていた。

 それはそれは大変な慶事だろう。

 それでも、明月には素直に喜べない懸念を払拭するには至らなかった。

 「ウチの親父も知ってるんすか?」

 「八百神の親父さんには、ガキん時から何度も会ったさ。

  たしか、ウチの親父と一緒に仕事した事もあったと思うぜ」

 明月の父・詳真は、確かに明月の幼少時には年に何度も遠出の仕事をしていた事があった。

 離婚して以降は回数は減ったが、今でも年に一度か二度程度は出張する。

 ただ、それが探偵の仕事を手伝っていたとは知らなかった。

 こうなると、彪冴の父親とは一体何者なのか、どういう繋がりなのかが益々知りたくなる。

 桐屋敷家との関係はおろか、茨屋・聖護院家や八百神詳真の事も知っているのであれば、業界にはそれなりに深く関与

 している事になる。

 であれば、円松坊家とも繋がりがあってもおかしくはないのだ。

 だが、父親の無事を知り幸福感に満たされている曄を目の前にして、その話をしていいものか。

 確認はしたいが、どう話を進めればいいのか分からない。

 まともに聞いたら、せっかくの曄の気分を台無しにしてしまう情報が出てくるかも知れない。


 明月の懸念を知ってか知らずか、彪冴は自ら正親前家の話を始めた。

 話好きの男で助かった。 

 「ウチの家系は先祖代々妖力があってな。

  とは言っても、あんた達のような正規な妖怪退治屋稼業とは違う。

  もちろん、陰陽師でもねぇし殄魔師でもねぇ、坊主でも神主でもねぇ。

  元々は武士だったんさ。

  まあ、武士っつっても、身分は侍じゃねぇ徒士かちだったらしいけどな。

  由緒正しき家系図的な物が残ってるような家柄でもねぇし。

  それでも武士は武士なんだから、表立ってはそういう事はやってなかったんだろうが、物の怪を追い払う特殊な力が

  あるってのは望まなくても知れ渡っちまって、その手の相談事や依頼は昔からよくあったらしい。

  なもんで、白泰山会や茨屋の事も知ってんのさ。

  何度もしつこく誘われたらしいし、その他の団体からもな。

  でも、先祖は武士であり続けた。

  宗教っぽいのが嫌いだったのか知らんけど、そういう意地っぽいのは俺は好きだね、さすが先祖だ。

  どうも、ウチはそういうのが好きな家系らしくて、時代が変わって武士じゃなくなっても未だに引き継いでる。

  一匹狼も悪かねぇが、おかげでいっつも金欠状態さ。

  俺なんか、小遣い少な過ぎてスマホゲーム課金出来ねぇから全っ然勝てねぇのよ。

  めっちゃ悔しいぞ。

  まあ、アウトローって意味じゃ、八百神の親父さんも同じだな。

  あんたもそう思うだろ、息子のアッキー」

 「は?

  いや、俺ゲームとかしないっすから。

  まあ、貧乏は貧乏すけど」

 「そうか、やっぱ貧乏か。

  ウチは一丁前に私立探偵とか言ってるが、他の普通の興信業者とは違う。

  親父が一人でやってるから大した事はなんも出来ねぇし。

  浮気調査とかストーカー監視とか、けっこう手間も時間もかかるし、一人で追跡するには限界があるもんだしな。

  要は資格が要らねぇからなのさ。

  来るのは専ら妖怪関係で、他の祓い屋の助っ人だったりがメインだな。

  どっかのお寺からだったり、フリーの祓い屋からだったりな。

  八百神の親父さんには、逆にヘルプしてもらったりしてたのさ。

  そうやって食い繋いでいる訳だが、白泰山会が一番の得意先なんだ、ウチは。

  ウチの親父と澪ちんの親父様が昔からの知り合いだったってのが理由らしい。

  茨屋は・・・、敷居が高いっていうか、閉鎖的な組織だって言ってたっけな。

  殄魔師じゃねぇ外部の人間は仕事には関われねぇから、親父が手伝う事はまず有り得ねぇ。

  聖護院の親父さんとは、個人的な知り合いってだけなんよ。

  だから、今回の依頼があった時、親父は白泰山会に応援を頼んだ。

  そしたらすっ転んでブロークンボーンで俺の出番になっちまったって訳だ。

  簡単に言えばそういう話。

  親父はくそガキに任せるのはどーたらこーたら言ってたけどよ、こればっかりはしょうがねぇだろっつの」

 明月はちょっと考えた。

 「て事は、ウチの親父は白泰山会の仕事も手伝った事があるって事っすか」

 「そんなん俺が知る訳ねぇだろ、自分の親に聞きゃいいじゃん。

  それとも、そんな話も出来ねぇ親子関係なんか?」

 「いや、ウチはまだ円満な方かと・・・」

 思い起こせば、澪菜は初めて会った時から既に明月の事をかなり詳しく知っていたし、パートナーとして父親が選んだ

 とも語っていた。

 今まで気に留めてこなかったが、澪菜の父・桐屋敷藤仁郎光斉は明月の事を知っており、即ちその父親に関する情報も

 得ていて然るべきと考えるのが至当なのだ。

 彪冴の父が詳真と知り合いなら、それが情報の発信源という推測も成り立つ。

 (帰ったら親父に聞いてみるかな)


 話が一段落する頃、澪菜達が戻ってきた。

 「随分遅かったな、あれ、錦はどうした?」

 「弾道おじ様の元に残りましたわ。

  身の回りの物を用意したりとか、色々ありますものね。

  定芳を側に付けておきましたので、困る事はないと思いますわよ」

 彪冴と錦の父の名は弾道だんどうといい、母親は7年前に既に死別している。

 「そうか、錦が親父にこき使われるのは気分悪いが仕方ねぇか。

  じゃ、出かけるとしようぜ。

  何が出るか見物だな」



 ☆



 今回の舞台となる山林へ向かう車中、彪冴は、依頼の内容について話して聞かせた。

 「今から行くとこは売りに出されてる土地でね。

  それを、ここの隣りの町にある稲北不動産ってところが買おうとしてて、その前に簡単な測量をして開発計画を立て

  ようとしてたらしいんだが、そこで奇妙な事が立て続けに起こるんで気味悪くなって、一度見て欲しいって依頼して

  きたのさ」

 「奇妙な事ってなんですの?」

 「色々だよ。

  心霊写真みたいのが撮れたり、測量機器が故障したり、晴れてるのに雨が降る音が聞こえたり、火事でもねぇのに

  焦げ臭い臭いがしたり、木の間を白い何かが浮いてたり、誰もいねぇはずなのに人の気配がしたりとかな」

 「開発計画って、温泉ですの?」

 「なんで温泉限定だよ」

 「いえ、前回のわたくし達の任務が温泉開発に関係していたものですから、つい」

 「温泉ならその山林の近くの町にあるぜ。

  澪ちんと一緒に温泉も悪かねぇな、てか是非頼みたい」

 「遠慮しますわ。

  明月と一緒の方がいいですもの」

 「お、なんだそれは、差別か?、男差別か?

  アッキーはいいのに俺はダメって、そりゃ差別だろ。

  澪ちんがそんな事する人だったとは知らなかったよなぁ」

 「話が逸れましたわよ」

 「あ、そ。

  その山林は温泉街にも近いし、反対側には20分も歩けば砂浜があって、海水浴場になってるって場所なのさ。

  俺もガキん時、夏休みに錦と一緒に行った事あって、けっこう綺麗でいい所だったぞ。

  人もそこそこいっぱいいたし。

  温泉があって海水浴が出来て、後はスキー場なんかでもあれば一年中客を呼べるだろ。

  不動産屋はそう考えて、開発計画を立てようとしてるらしいね。

  海と温泉の中間な訳だから、立地的にはいい位置だろうしな」

 「愚かですわ」

 「まあ、そんな一言で片付けんなって。

  金に目が眩んだ大人のやる事なんだぜ、常識だって都合のいいようにねじ曲げちまうさ」

 「事前に調査をするのは歓迎すべき事ですけれど、目には見えない自然環境の調査も必要だという事にすら気付かない

  程度では、果たして環境を改変するに足る資格があるとは思えませんわね」

 「まだ、その山に妖怪がいるとは決まってねぇけどな」

 「たとえいると分かっても、開発をやめる気はないのでしょうね。

  やっぱり愚かですわ」

 「妖怪退治の経費は皮算用には入ってねぇだろうしな。

  とんでもなく莫大な費用がかかるってんなら諦めちまうかも知んねぇぜ。

  退治の依頼が来たら思いっきりふんだくってやれ」

 「経費の前に、まずは妖怪の存在を確認せねば話は進みませんわ。

  寿はどう思いまして?」

 車のハンドルを握る寿は、ルームミラーでチラチラと後方の澪菜を見ながら考えを述べた。

 「そうですねぇ・・・。

  人をからかったり脅かしたりして、それを楽しむだけの妖怪もたくさんいますからね。

  今の話だけだとその可能性の方が高そうですが、今は警告だけなのかも知れません。

  だとすると、木を伐採したり土地に手を加えようとすれば、それでは済まなくなる事も考えられますね」

 「さすがはブッキー姉さん、そこまで先読みするかい」

 「他に体験者はおりませんの?

  近所の住人とか、他に目撃者とかいないのかしら」

 「するどいねぇ澪ちゃん。

  でも、それは行ってみないと分からんな。

  俺も不動産屋から聞いた情報しか知らんし、あいつ等は姦姦蛇螺とか言ってビビっちまってるしよ」

 (かんかん・・だらってなんだ?)

 不思議そうな顔をする明月を見て、曄が話しかけた。

 「知らないの?」

 「知らん」

 「一時期、一部のネットユーザーの間で話題になった怪談話よ。

  作り話だけどね」

 「へぇー」

 「まあ、それだけいい加減な情報しか今はないって事ね」

 「さすが曄っち、よう知ってんな。

  俺なんか分かんねぇからネットで探して読んじまったぜ」

 (ひかるっち!)

 「そうですわね。

  非日常的な現象をすぐに都市伝説などと結び付けてしまうのは、それだけ分析力が欠落している上に想像力が鈍化

  されてしまっている結果なのでしょうね。

  全ては現場に着いてからという事ですわ」



 ☆



 車で移動すること約1時間。

 「さ、着いたぜ」

 「どの辺りですの?」

 「ここら辺全部さ」

 現場についてみると、とはいえ、地上の人の目線からその全体像を把握するのは不可能だった。

 山一つと、その裾野に広がる広大な森が全て対象の地域なのだ。

 これだけの広さでは、一人で任務をこなすには何ヶ月もかかってしまう。

 温泉地と海水浴場の間だとは言うが、この周囲には家などの人工物は道路を除いて殆ど見えない。

 視界に映るのは、ただ鬱蒼とした雑木の森だけだった。

 (やべえな、こりゃホントに調べるだけで年越しだ)

 澪菜は小さく溜息をついた。

 「確かに、これでは手分けしなければ難しいですわね。

  それにしても、人の入り込む余地はありますの?

  登山道とか、遊歩道か散策道とか」

 「個人所有の土地だからな、気軽に森林浴に入れるような所じゃあねぇさ、一応は。

  ほとんど手つかずで放ったらかし状態だな、整備された道なんか期待するだけ無駄だぞ。

  中は間違いなく圏外だろうしな。

  まあ、獣道くらいはあるかな」

 「まるで樹海ですわね。

  わたくし達の入山許可は取ってますの?」

 「不動産屋は何も言わなかったぞ。

  つっても、別に柵があるって訳でもねぇし、所有者もそんなにいちいち気にしてなさげだし。

  好き好んで入る奴もいねぇだろ。

  とりあえず、俺とアッキーで軽く近辺を見てみるから、澪ちん達は近くに住んでる人を探して聞いてみてよ。

  不思議な現象を見た人とかいるかも知んねぇだろ」

 「大丈夫ですの?、二人だけで」

 「ノープロブレムだ、そんなに奧まで入るつもりはねぇから。

  女の子が歩き回れる所かどうか見るだけだよ」

 「フェミニスト気取りはおやめなさい。

  似合いませんわよ、妹にだって優しくしてあげた事もないくせに」

 「誰がお嬢様の為だなんて言った、曄っちとそっちのチビッ子ちゃんの為だっつの」

 「口の減らない方ですわね、では行きますわよ、曄、薺」

 澪菜は、彪冴にそっぽを向くと、住宅があると思われる方向へ道を歩き出した。

 曄と薺は、黙って付き従った。

 「チビっ子違う」

 という薺の捨て台詞と共に。


 女性達の背中を見送って、彪冴は明月の肩をポンと叩いた。

 「ほんじゃ、こっちも行くかアッキー」

 「はあ」

 明月は、人見知りだし話をするのも苦手なので、知り合ったばかりの人と二人だけで行動するのは正直嫌だった。

 こういう事になるなら、一人で動いた方が何十倍もましだと思った。

 人と打ち解ける方法も知らないし、距離感の取り方が分からない。

 知らず知らずのうちに人との間に壁を作ってしまっているのはなんとなく自覚しているが、自分はそれで何も困らない

 から構わない。

 困るのは、むしろ相手の方だろう。

 まあ、面倒臭い事は嫌いだから、ここは彪冴のやりたいようにやらせておいて、後からついていくだけでいいや。

 「確かに、結構っていうか相当荒れてるな。

  春になりゃもっと草とか生えるんだろうし、山菜採りにも入れんわな。

  奧の方には絶対行けんぞ」

 「そっすね」

 「どう思う?、妖怪はいるかな」

 「さあ」

 「見た目は薄気味悪いって程でもねぇんだけどな。

  やっぱ、女の子が中まで踏み込むのは無理かな・・・。

  ウチの錦なら問題ねぇが、澪ちん達じゃあな。

  あのお嬢様にインディ・ジョーンズごっこなんかさせたら、なんて言われるか分かったもんじゃねぇ」

 「なんか、怒ってるっぽかったっすね、澪菜さん」

 「そうか?、いつもあんな調子だろ、気にすんな」

 「前から知り合いなんすか」

 「澪ちんか、いつからだろうな・・・、小学生の時にはもう知ってたな。

  最初に親父に連れられて白泰山会の総本山に行ったのが、たぶん4年生くらいだったから、そん時からだな。

  同い年だし、可愛いし、一目で好きになっちまったぞ」

 「もしかして、今でもっすか」

 「もちろんだ、あの高飛車っぷりがたまらん」

 (マジすか)

 「あのトレビア~ンな乳もな」

 (それは納得)

 「高飛車だが、意外と尽くすタイプだったりするぜ、きっとな」

 「そ、そうっすか?」

 (そんなタイプか?)

 「俺はそう思う。

  だいたいな、自分から“あたしは尽くすタイプかも”とかって言う女は信用出来ねぇ。

  そういう女は確かに色々やってくれるんかも知らんが、必ず見返りを要求すんだよ。

  “あたしがこんだけやってあげてんだから、あんたもやってよ”とか、なんかちょうだいとかな。

  本当に尽くす女ってのは、自分の方からは絶対言わねぇもんだ。

  なんせ、そうすんのが当たり前だと思ってやってんだから、自慢する事でもねぇし、当然見返りも要求しねぇ。

  それが男の求めるホントにいい女ってヤツだ」

 「はあ・・・」

 (なんか苦い経験でもあんのか、この人)


 「いやぁ、しかし嬉しいねぇ。

  澪ちんと一緒に仕事すんのは初めてだかんな。

  ガッツリええとこ見したらんといかんやろ。

  ところで、アッキーはいつから澪ちんと組んでんだ?」

 「そうっすね・・、お呼びがかかったのは5月なんすけど」

 「じゃ、けっこうやってんじゃん」

 「いやいや、まともに組としてやったのはついこの前っすよ。

  俺はなんもしてないすけど」

 「お前、気に入られてるっぽいな」

 「はあ、まあ、そうらしいっすね」

 「なんだ?、お前は好きじゃねぇの?、澪ちん」

 「いやまあ・・・、嫌いじゃないんすけどね」

 「そうなのか?、菊花ちゃんの話と違うぞ」

 「なに言ったんすか、あの人」

 (また余計な事言ってそうだ・・)

 「そうだな、アッキーはお嬢の乳揉み権単独所有者だとか、毎日お嬢のパンツチェックしてるとか、白薔薇がついに

  赤薔薇になったとか、子供の名前は菜月に決まったとか」

 「全部ウソじゃないっすか!、マジで信じてんすか?」

 「あの人の話は話半分だよ、いっつもな。

  当ったり前だろ、一から十まで信じてたら、そのうちミッキーマウスがアメリカの大統領になるぜ。

  ネズミがミニットマン3の発射キーを握ってるなんて物騒な話、あの人なら言い出しかねん」

 「ああ、まあ、そうっすね」

 明月は胸を撫で下ろした。

 普通に考えれば、菊花の名調子をそのまま鵜呑みにする人など存在すると思う方がおかしいのだが、ついつい万が一を

 危惧してしまう。

 彪冴がそんな純情な男でないのは、その態度や言動で簡単に分かろうものを。


 「曄ちゃんと二股かけてるって話は、あれも嘘だったんか?」

 「そっちは信じたんすかぁ!」

 (やっぱり話してたか・・・)

 「なに?、お前ストイックなの?

  そんなビジネスライクな関係、流行らんぞ今時。

  勿体なさ過ぎだろ、あんな可愛い子が二人もいるってのに。

  それとも、あのチビっ子薺ちゃんの方が本命か?

  あの二人には見劣りするが、単独で見たらちゃんと可愛いぞ」

 「それはないっす、ていうか嫌われてますよ俺」

 「そいつぁ面白ぇ。

  あの子はどんな能力者なんだ?」

 「結界術師っすよ。

  その筋では結構な若手有望株だそうっす」

 「へぇー、見かけによらんなぁ」

 「そっすね」

 「じゃあお前まさか、ウチの錦の事狙ってねぇだろな」

 「は?」

 「今のうちに言っとくが、錦に手ぇ出したらブッ殺すからな」

 「はあ?」

 (なに言ってんだこの人、シスコンか)

 「妹には手出すなよ」

 「いやいや、いくらなんでも昨日初めて会ったばっかりでそれはないっすよ」

 「そうか、それもそうだ、っておめぇ、そりゃ錦は不細工だって言ってんのか!」

 「いやそういう意味じゃないっす。

  ていうか、逆にモテるんじゃないんすか、あの人なら」

 「そうなんだ、モテ過ぎて困っちまってんだよ。

  あいつ学校でどんだけコクられたりラブレターもらったりしてると思ってんだよ、数え切れねぇんだぞ。

  ゴミ掃除する方の気にもなれって話だ。

  可愛い妹を持つと苦労すんぞ、お前は兄弟は?」

 「俺は一人っす」

 「そっか。

  そういや、アッキーはどんな能力があんだ?」

 「大した事ないっす。

  感じたり、祓ったり」

 「それって大した事じゃねぇの?

  親父さんに似たな」

 「いやいや、役立たずっすよ。

  彪冴さんの力はなんなんすか」

 「言ったろ、俺の先祖は武士だぜ」

 「て事は、刀とか武器使ったりとか・・」

 (殄魔師みたいだな)

 「まあな。

  今、殄魔師みたいだって思ったろ?」

 「あ、ま、まあ」

 (バレた)

 「そうだよな、似たようなもんだって思うわな、普通にそれだけ聞いたら。

  でも俺は殄魔師じゃねぇ、殄魔師にもなれねぇ。

  知ってるかい、あれはホントに特殊なんだぜ。

  殄魔師の武器は他の人間では使えねぇ。

  いや間違えた、使えるけど本来の性能は出せねぇってのが正しいな。

  野球の硬式ボールは誰でも投げられる、でもあれ投げて150キロのスピードを出せるのはプロだけだ。

  ちょっと違うが、分かり易く例えればそんな話。

  その例えで言えば俺はアマチュアさ。

  でもな、アマにはアマのやり方がある、ていうか、俺はソフトボールのプロになればいい訳だ。

  ウチの先祖はその道を選んだし、俺もそう思う。

  ソフトボールが野球よりレベルが下だなんて思うなよ。

  派手じゃねぇんで人気はねぇが、奥深さは一緒だぜ」

 「なるほど・・・、そうっすね」

 (150キロは高校生でも出せるヤツはいると思うけど)

 「曄っちはどんぐらいの実力なんだろな。

  知ってるか?、アッキー」

 「本人は見習い程度だって言ってたっすけど、刀捌きは尋常じゃないっす」

 「そんなすげぇのか?」

 「俺は、あんなの今まで見た事ないっす」

 「へぇー、さすがは茨屋の元本家って感じかな。

  見習いなのに並みのレベルを軽く超えちまってるって事か」

 「そうかも知んないっす」

 「まあ、鎌鼬をペットにするくらいだもんな。

  信じられん事する子だよな、あんな可愛い顔してて。

  俺は殄魔師ってのは絶対そんな事しねぇって聞いてたぞ」

 「そういう、昔っからの為来りみたいなのには拘らなくなったっぽいっすね」

 「茨屋を抜けたのとは関係あんのかな」

 「さあ、どうなんすかね・・・」


 明月は、曄に関する質問には明確に回答しなかった。

 彼女に纏わる複雑な事情もあるし、本人の承諾なしにあれこれ話すのは憚られると考えたからだった。

 口下手ゆえ、余計な事まで口走ってしまうのを恐れたせいもある。

 彼女の不幸な生い立ちや、現在置かれている不安定な状況などについては、自分の口からは話したくもないし、話す

 べきではないと思っていた。

 その明月の掴み所のない返答を、彪冴はどう受けとめただろうか。

 「そんじゃ、ちょっと手分けしてみるか、俺こっち行ってみるわ。

  あんまり深入りすんなよ。

  適当でいから、なんかあったらすぐ戻れ」



 ☆



 一人で森の探索を始めた明月。

 彪冴が他人行儀な明月に気を遣ってくれたのかは分からないが、この方がずっと気楽でありがたい。

 改めて森の中で周囲を見渡すと、自然の直中であるにも関わらず、生命感が薄いのに気付く。

 季節のせいもあるだろうか、枯れ葉、枯れ枝の他、朽ち木や倒木も至る所にあるし、野鳥の声も少なく細々している。

 それに、妖気も感じない。

 妖怪がいそうな雰囲気もない。

 道もなく、落ち葉や石ころだらけで歩き辛さもあり、人の立ち入った形跡を探すのは言うに及ばず、動物の足跡さえ

 見つけられない。

 少なくとも、この周辺で妖怪に襲われる危険性は皆無だ。

 不動産屋がこの森のどこで測量調査を行ったのかは分からない。

 ここで見る限り、果たしてここがそんな奇妙な現象を体験するような場所なのか、何かの見間違いではないのかという

 疑問が必然的に浮上してくるくらいに、静穏で落ち着いている。


 足元に苦戦しながらも、歩き始めて暫く経った。

 全く何も感じないせいで、少し奧に入り過ぎたかも知れない。

 森の中は、前後左右どっちを見ても同じような景色で方向を見失い易いものだ。

 夏であれば、条件次第で大凡の自分の位置を推測出来たりするのだが、冬場はかなり正確性を欠く。

 更に、さっきまでとは少し空気の質が変わってきたような感じもする。

 それも、嫌な感じの方向に。

 これ以上入り込むのは危険だと判断し、そろそろ引き返そうと考えた時、どこからか僅かながら妖気が漂ってきた。

 (妖気・・・、やっぱりいたのか)

 彼は緊張して身構えつつ、冷静にその妖気を分析しようと試みた。

 そんなに強い妖気ではない。

 禍々しくも邪悪というものでもなく、しかし悪気はあるようだ。

 (やばいかな・・・)

 そこへ、小さい、微かな、ほくそ笑む笑い声のような音が聞こえてくる。

 どこからだろうと耳を澄ます・・・。

 (上か)

 見上げると、近くの大きなブナの木の枝の上に、香箱座りをしてこっちを見ている真っ黒いネコがいる。

 (ネコ?、いや、猫だ)

 ネコの姿をした妖怪、しかし見た目はただのネコだった。

 尾が2本とか、体格が妙に大きいとかもない。

 むしろ、普通のネコより一回りくらい小さく見える。

 黒坊主も野良ネコに憑依していたが、こいつもそれと同じ類なのか。

 “クックックッ・・また来た、人間だ”

 ネコの声帯から出る独特な甲高い声、その主は間違いなくあの妖猫だ。

 「おいお前、そこでなにやってる」

 声をかけると、たちまちフッとその姿が消えた。

 (逃げたか)

 当人(猫)は逃げたつもりなのかも知れないが、明月には気配でその動きが感知出来ていた。

 さほど警戒していないのかマヌケなのか、それともバカにしているのか、いずれにしろ凶暴な奴ではなさそうだ。

 (ちょっとからかってやれ)

 足元に落ちている手頃な枯れ枝を拾って、気配の動く方に向かって投げつけてやった。

 パコン!

 「痛っ!」

 (あ、当たった)

 ちょっと脅かしてやろうとしただけで、本気で当てるつもりもなかったのに、こうなるとなにげに嬉しい。

 ワクワクしながら命中した場所へ走って行ってみる。

 (あれ?、いねーぞ)

 どこだと思って辺りを見回すと、少し離れた木の陰から気配がする。

 そして、そこには一人の女性が立っていて、無言でこっちを睨みつけていた。

 黒髪、黒っぽい和服で、ちょっときつい目つきの灰色の瞳。

 まさか、こんな所に人かいる訳がない。

 「お前、黒猫か」

 「あんた何様?、いきなり物をぶつけるなんて非道だよ」

 (こいつ、人に化けられるのか)

 友好的な雰囲気はないが、いきなり襲ったり呪ったりする様子にも見えない。

 「お前が非道とか言うな、妖怪に道理もへったくれもあるか」

 「最近、やけにうるさくなったと思ってたら、これだから人って嫌だよ。

  礼儀も畏れも知らない。

  あんたは初めて見る顔だし、他とは違う気配だから見に来てみれば、結局同じじゃない」

 「ここで棲んでるのか」

 「まあね」

 「ここに来た人を見たのか」

 「ここは、人間如きが気安く立ち入る場所じゃないよ」

 「なにかいるのか」

 「フフン、怖いわよ~」

 恐怖心を煽るようにニヤッと笑う猫女。

 でも、その顔は怖いというよりどこか可愛かったりする。

 (全然怖さが伝わらん)


 ふと、明月は、人に対している時より、妖怪の方が距離感が掴め易い事に気付いた。

 邪悪な奴なら、むやみに接近せずにすぐその場から立ち去ればいいし、ちょっと悪さをするだけの無邪気な奴ならば、

 適当に距離を置いて逆にからかってやるのも面白い。

 危険度に合わせて間を取っていれば、こっちに害が及ぶ事はないのだ。

 これが、相手が人間になると、こんなに単純には割り切れない。

 外見や気配だけでは判断のつかない事が多過ぎる。

 笑っているからといって友好的だとは限らないし、無表情で無愛想だからといって嫌悪を抱いているとも言えない。

 言葉を以て、会話で相手を知ろうとするのが、人を人たらしめる所以であるとする意見もあるが、その内容の真偽は、

 言った本人以外には分からないのである。

 周囲の人は、この人がここで嘘を言ってもなんのメリットもないのだから言っている事は本当だと、数学の命題を解く

 ように、嘘を言う事のメリットデメリットを比較検討して消去法で判断しているに過ぎない。

 しかも、その判断は簡単に覆される。

 昨日の友は今日の敵。

 だから、敵ではないと分かっている相手でも、知らず知らずに距離を取ってしまう。

 人間の方が、その内に秘めたものを探るのが難しい。


 そこへいくと、この猫女は実に愛嬌があるし、裏表があるようにも見えない。

 「あそこの山にはね、主様が住んでるのよ。

  ここいらの妖者じゃ絶対太刀打ち出来ないようなね」

 「へぇー、どんな奴だ」

 明月の自然体で無警戒な反応を見て、猫女は目をクリクリさせた。

 「あんた、怖くないの?

  あたしを見てもちっともビビらないし」

 「まあ、慣れてるんでね」

 (お前はちっとも怖くねーよ)

 「襲われるゥとか思わないの?」

 「うーん・・、そうなったらなったで、どうにかなるだろ」

 「あんた、やっぱり他の人と違うね」

 「そうか?」

 「うん。

  なんか、キケンな匂いがする」

 「俺はなんにもしねぇよ、お前が手出ししなけりゃな」

 「やっつけてやれとか思わないの?」

 「別に」

 「あんたみたいな人が、なんでここに来たの?」

 「最近、この辺りに人間が来たはずだ、知ってるか」

 「知ってるよ」

 「その人達がここで怖い思いをしたらしい、お前の仕業か」

 「あたしは何もしないよ、ただ見てるだけ」


 明月に敵意がない事を知ると、猫女の悪意も次第に消えて行った。

 (この猫、なんか妙に人懐っこいな)

 もしかしたら、人に飼われていたネコが妖怪化したのかも知れない。

 そういう話は昔話でもよくあるが、目にするのは初めてだ。

 「お前、なんでここに棲んでる」

 「なんでって、別に理由なんかないよ。

  何やっても誰にも邪魔されないし、自由だし・・・、刺激には欠けるけどね」

 「さっき、ここには主がいるって言っただろ」

 「主様は、100年に一遍くらい怒るかな。

  よっぽど気に入らない事しない限り怒んないよ」

 「ハレー彗星並みか、それじゃちっとも怖くねーじゃねーか」

 「フフン、ホントは物凄く静かで大人しいの。

  優しいんだよ」

 「ウソ教えやがったなお前」

 「じゃ、一つだけいい事教えたげるよ。

  その人間達を困らせたのはあたし達じゃない、子供だよ」

 「子供?」

 「そう、人間の童子共のいたずらだよ」

 「変な音が聞こえたり、焦げ臭い臭いがしたりって、全部子供の仕業だってのか」

 「そうよ、あたし見てたもん。

  人間が棒や紐や機械を使って何かしてる時、その近くで子供達が木に上ったり陰に隠れたりして、変な音を立てたり

  物を燃やしたり、色んな事やってたよ」


 思いがけない発言が飛び出した!


                                       第5話 了


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