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第3話 Cinema



 DISPELLERS(仮)の Ⅱ


 3.第3話 Cinema



 その、明月が澪菜に約束した連絡する時は、翌日すぐに訪れた。


 放課後、依子からあさひ、あさひから薺、薺から曄、そして曄から明月へと順に事態が告げられた。

 伝言ゲームの内容は、千佳が授業が終わるなり学校を飛び出して、どこかへ行ってしまったというものだった。

 今日は、曄が千佳と直接会い、妖怪に取り憑かれてないかを確認し、その上で必要があれば退治する予定のつもりで、

 依子がそのお膳立てをしておく手筈になっていたのに、その前に当の千佳が学校から姿を消してしまったのだ。

 何かが起こりそうな空気を読み取って、いち早く逃亡を図ったとでもいうのだろうか。


 依子は、千佳は高台公園へ向かったと断言した。

 千佳が既に学校にいないと知った時、急いでどこへ行くのか聞こうと電話をしたところ、千佳は自分には何も構うなと

 冷たく一言だけ吐き捨てて通話を切ったのだそうだが、その声と共に電話口の向こうから聞こえてきたのは、耳に覚え

 のある独特な駅員のアナウンスの声だった。

 千佳は通学に電車を使っていないから、電車で行くとすれば、考えられるのはあの高台公園しかないと言うのだ。

 校門前に集合した一行は、依子の言葉を信じてそのまま駅へ向かった。


 道すがら、明月は澪菜に電話して状況を報告する。

 「どうなるか分かんないから、まだ早いわよ」

 と曄は言うが、呪いを受けたにしろ取り憑かれたにしろ、千佳が妖怪に操られているのは確実だと考えて良さそうだ。

 でなければ、そんな不快な思いをした所へ自分の意思でわざわざ何度も行くはずがない。

 「あ、澪菜さん、俺。

  今から例の公園に行くわ、みんなで。

  なんか、問題の人が一人で先に行っちゃったみたいなんで、それ追っかけて・・。

  ・・・・、いや、まだそこまでは分かってねーけど・・・・・、いやいや、みんなだって、薺もいるし。

  ・・・まだ、今駅に向かってるとこ・・・、いや、だから・・・」

 「いいわ、あたしが話す」

 業を煮やした曄が電話を奪った。

 「今から退治よ、たぶんね。

  ・・・・え?、認めない?

  あたしはあんたの許可が欲しくて電話したんじゃないわ、ただ報告しただけよ、じゃあね」プチ

 あらら、速攻で切っちゃった。

 「なんかグチグチ言ってたわ。

  すぐ行くから、それまで待ってろってさ」

 あーあ、澪菜さん、怒ってなきゃいいな・・・。



 ☆



 曇天の中、昨日の公園を再び訪れた一行。

 天候のせいで湿っぽい雰囲気に包まれてはいるものの、全体的にはこの前となんら変わらないように見える。

 普通の人にはそうなのだろうが、撮影があったという東屋のある展望台に上がってみると、昨日とはかなり色相の違う

 感覚が明月を支配した。

 妖気、邪気がより強くなっている。

 もちろん、曄も薺も容易に感受出来るほどにはっきりしていて、その邪気の発生主が山の中の比較的近くまで来ている

 のは、説明の必要もないくらいに明瞭だった。

 だが、そこに千佳の姿はない。

 千佳はどこだ。

 辺りを見回しても、彼等の他には誰もいない。

 依子は繰り返し何度も千佳の名を呼びながら、険しい顔で展望台を隅から隅まで歩き回った。

 (無駄だって気付いてないんだな)

 明月には分かっていた。

 ここに人の気配はないと。

 もし、本当に千佳がここへ来たのなら、もう既にどこかへ行ってしまった後という事になる。

 自分達が到着するまでの時間的な差はそんなに大きくないはずだし、当然途中の道ですれ違う事もなかった。

 この辺で他に行くとすれば、後は背後の森の中しかない。

 まさしく、邪気を漂わせる源がいる方向だ。


 形跡を辿った曄が言う。

 「行くとすればこっちね、草を踏んだ後があるわ」

 なぜそんな雑草だらけの藪の中へ千佳が行かねばならないのか、そう思った時、彼女の身に危機が差し迫っている事を

 感じて、依子は青褪めた。

 「ど、どうすればいいの?、入って行くの?」

 曄は、妖気を感じていても躊躇う事はなかった。

 いや、感じているからこそ急がねばならないと考えているのだろう、あたふたする依子を尻目に、今にも藪の中へ踏み

 込んで行きそうな雰囲気だった。

 明月が機先を制す。

 「こっから先はまずい。

  澪菜さんが来るまで待たないと、この先は行かない方がいい」

 「あなたね、澪菜と被害者どっちが大事なの」

 対して、厳しい顔つきで痛いところを突く曄。

 「気持ちは分かるが澪菜さんは無視出来ん、後々どうなるか考えろ」

 そこで、はたと不吉な第六感が働いた彼女は、はやる気持ちを抑えて忌々しそうに森の中へ目を遣った。

 更に焦った依子がその肩に縋りついても、“くどくど言うな”と言いたげに口を尖らせるだけだった。

 「この先に千佳がいるの?、千佳を助けて」

 「独断じゃ動けないって、前に言ったじゃないですか」

 助けてやりたい気持ちは山々ではあっても、無断先行は気が咎める。

 澪菜のお仕置きとは、あの気の強い曄を以てして行動を抑制させる程に影響力のあるものなのか。



 そうこうしているうちに、下の駐車場に黒のダイムラーが到着し、遂にその澪菜女王様が現れた。

 「ま、まさか・・・(汗)」

 目映い程に白い浄采恭和女子校の制服に身を包んだ金髪の美少女の姿を見て、依子は仰天して目をパチクリさせた。

 曄や薺の知り合いと言うから、どんな人が来るのかと思いきや、まさかあの天下に轟く超お嬢様学校の生徒だなんて、

 一体誰が予想出来ようか。

 そこにいるだけで気品漂う優美で雅な出で立ち、フランス人形のように透き通る白い肌、絵に描いたような黄金律の

 整った顔立ちと指先まで行き届いた手入れ、おまけに大乳、歩く姿はエンゼルフィッシュのよう・・・ってどんなだ。

 奇想天外驚天動地、完全に住む世界の違う人がそこにいる。

 ある意味、テレビや雑誌等で顔を見慣れた俳優や芸能人よりも縁遠く、簡単においそれとは近寄り難い存在。

 同じ場所で時間を共有しているというだけでも痴がましい。

 決して大袈裟ではなく、その場にひれ伏して礼拝したい気持ちにさえなった。

 そのくらい、澪菜は世間の一般家庭からは程遠い高みにいるお嬢様なのだ。


 澪菜は、そんな庶民感情丸出しで怖じ気付く依子には目もくれず、スタスタとその前を素通りして明月の前に立つ。

 「状況はどうなってますの、明月」

 「どうも、この森ん中に入ってったらしい」

 明月の言葉を待つまでもなく、漂う邪気を感じ取った彼女は、その濁色だらけの辛気臭い森を見つめていた。

 「一人でですの?」

 「たぶん」

 「入ってからどのくらい経ちますの?」

 「分かんねーけど、30分は経ってねぇと思う」

 「そうですの・・・」

 もし、本当にこの邪気の中に人がいるとするなら、妖怪に襲われている可能性は大だ。

 30分という時間は、相手によっては既に手遅れとも考えられるような、非常に微妙なタイミングである。

 彼女は真剣な面持ちで、緊迫感を滲ませながら事態の深刻さを感じていた・・・。

 ように見えたのに、スッと明月の横にいる曄に視線を向けると、徐にニヤッと笑った。

 「あら曄、ちゃんといい子にしてまして?」

 「な、なによそれ、どういう意味よ!」

 「貴女がいつも目立とうとして先走るからよ。

  いい子にしてたのなら褒めて差し上げますわ」

 「目立とうなんてしてないし、褒めなくていい!」

 「撫で撫でして欲しくないの?」

 「欲しくない!」

 「もぉー、わがままなんだから(笑)

  人の好意は素直に受けるものですわよ」

 「ふん、なにが好意よ、あんたのは悪意丸出しでしょ」

 「相変わらず口の減らない子ね。

  そんな人聞きの悪い事言う子には、後でお仕置きですわよ、ジュエルペット」

 「ジュエルペット言うな!」

 また始まった丁々発止。

 この二人が顔を合わせると必ずこうなる。

 すっかり立ち位置が固定してきたな・・・。

 明月にはよく見慣れた光景だったが、依子はそんな遣り取りを見ながら焦燥しておろおろしていた。

 一刻も早く千佳を救い出して欲しいのに、澪菜のような高嶺の花にどうやって声をかけていいのかすらも分からない。

 まごついてなんかいられないのに・・・。


 すると、ようやく澪菜が依子の方を見た。

 「こちらが依頼者の方ですの?」

 「あ・・、あの、はい、よ、よろしくお願いします・・(汗)」

 その涼しげな眼差しと視線が合った途端、目力に負けた依子は思わず深々と頭を下げた。

 もはや、自分の方が上級生とか、そんな次元の話ではなくなっていた。

 完全に、澪菜の湛える華麗で高貴然とした雰囲気と圧倒的な存在感に呑まれてしまって、思いっきりまごついている。

 明月や曄が初めてこのお嬢様と出会った時は、陰陽師であるという理由を除いては特に畏まったりした覚えはないし、

 その後についても、彼女の強引さに呆れる事はあっても媚び諂うような事もしなかったが、本来ならばそっちの方が

 異常で、一般庶民的には依子の態度の方が自然といえば自然なのかも知れない。

 澪菜は淡々としていた。

 「申し訳ないのだけれど、ご挨拶しているいとまはありませんわ。

  わたくし達は、今からこの森の中へ行かねばなりませんの。

  貴女と、そちらのもうお一方はこちらでお待ちいただきますわ」

 依子の斜め後方にいたあさひにチラッと目をくれた後、そのすぐ横にいる薺に向かって命じた。

 「薺、用心の為にこの東屋に結界を。

  出来ますわよね」

 「了解、ボス」

 「ボスはおやめなさい」

 「分かった、澪ちゃん」

 薺は、用意していた護符を鞄から取り出して東屋の四角の柱に貼り付けると、その中央で目を閉じ、パンッと景気よく

 柏手を一発鳴らした後、気を集中させて、護符を依代にした結界を形成した。

 普通の目には全く変わらないように見えるのだが、結界の中だけは邪気が綺麗さっぱり消えている。

 わずか1、2分という早業だった。

 その手際の良さと完璧な仕事ぶりは、あの小っちゃい体と普段の態度からは想像も出来ない。

 ネコの皮を被ったトラみたいだ。

 依子とあさひは、その中で緊張しながら薺を見守っていたのに、何の変化も起こらないままで終わってしまったので、

 なんだかキツネにつままれたような顔で周囲をキョロキョロしていた。

 薺の作業が完了した事を確認した澪菜が、その二人に念押しする。

 「わたくし達が戻るまで、何があっても決してこの外へは出ないよう、固くお約束していただきますわ。

  二次遭難には新たな費用負担が生じる事をお忘れなきように」

 そう言うと、返事も聞かずにツンと澄まして振り返り、明月達の方へ向きを変えた。

 「では参りましょうか」

 その言葉に呼応するように、曄が明月の肩をポンと叩く。

 「じゃあ、明月が先頭」

 「な、なんで俺が・・」

 不服そうな反応をすると、ジロッと睥睨されてしまった。

 無言のまま、なにかしら文句の一つも言いたげな目で蔑まれると、反抗する気も失せ承服せざるを得ない。

 初めから分かりきっていた事とはいえ、何から何まで澪菜がリーダーシップを執るのがお気に召さない心理も混ざって

 いるのだろう。

 “あたしの言う事を聞きなさい”とでも訴えているかのように感じられた。

 まあ、こんな背の高い藪の中を、女の子が先頭に立って歩ける訳がないのも確かではあるのだが。



 ☆



 鬱陶しい邪魔な雑草を掻き分けて森の直中を進みながら、明月は、澪菜の依子に対する応対がいつもと違って淡泊で、

 なんだか妙に通り一遍に感じられたのが気になっていた。

 初対面の人に対して他人行儀になるようなお淑やかな性格の持ち主でもないくせに、どういう風の吹き回しだろうか。

 いつもの彼女らしくない事に違和感を覚えた。

 それは、どうやら曄も気付いていたようだった。

 彼の背後で、澪菜と話しているのが聞こえる。

 「あんた、あの人達にはなんか冷たいわね」

 「なにがですの?」

 「なんか、素っ気ないって言うか、つまんなそうって言うか」

 「そうかしら。

  あの方は3年生ですの?」

 「そうよ、あんたより年上なのよ。

  分かってんなら、もっとちゃんと挨拶とかしなきゃ駄目でしょ」

 (そういう曄ちゃんも年上の澪菜さんにタメ口だろ)

 「そうね、ちょっと非礼だったかも知れないわね。

  でも、被害者の救出を優先させねばならないのは貴女にも分かるでしょ。

  他に理由はありませんわ」

 とは言いつつも、実のところ、彼女にとって依子は全くの興味の対象外なのだった。

 ズバリ、通行人Aとか背景の書き割りの中の一人、日雇いエキストラ扱い。

 台詞があって、主役と絡めるシーンがあるのが不思議なくらいな存在。

 なんの面白味も感じない。

 見た目とか家柄とか、自分が他の人とちょっと違うからといって、それを根拠に畏縮したり迎合したり、顔色を窺って

 みたり虚勢を張ってみせたりするような人は相手にするに及ばない。

 陰陽師として特別視されるのは当然としても、お金持ちだからという理由で慇懃に扱われるのは率直に気分が悪い。

 自分の能力を以てして正当に評価してくれる人をこそ、昵懇たるに相応しいと思っているのだった。


 進むにつれ、邪気がどんどん濃くなってきた。

 同時に、周囲に霧のようなものが発生し始め、霞がかって視界をどんどん狭くしていく。

 (またか・・)

 以前の貂の事件の時を思い起こさせる現象に、またしても遭遇してしまった。

 が、今回の靄は前回とは違う。

 あの時は、感覚を完全に喪失してしまう程に濃密だったにも関わらず、妖気は全く感じなかった。

 それに比して、今回のは明らかな邪気を夥しく含んでいるのに加え、感覚を麻痺させるようなものではないし、視界を

 閉ざしてしまう程の濃度もない。

 どうやら、妖怪が自身を隠す為か、これ以上近寄らせない為の警告として、靄を発生させていると考えてよさそうだ。

 要するに、奴のテリトリーに入ってしまった事を意味している。

 明月は、ふとある事に気付いた。

 これだけ邪気を強く感じるのに、後ろにいる曄は一向に変化をみせる気配がない。

 以前なら、少しの邪気でもすぐに反応してふらついたりしていたのを考えると、この変わり様はどうだろう。

 澪菜の邸での夏休みの修行が実を結んだのだとしたら相当な進化だな、と感心しかけたのも束の間、一つの考えが頭を

 過ぎった。

 (もしや・・・)

 振り返って、後ろを見て納得した。

 予想が当たった。

 「な、薺てめー!、俺だけ除け者か!」

 最後尾を歩く薺が、その前を行く曄と澪菜を自らの結界で包んで保護していたのだった。

 結界は、薺の周囲3mくらいをドーム状に張られていて、もちろんそこだけポッカリと靄がなく晴れ晴れとしていて、

 明月はしっかりその圏外。

 「ベーだ」

 薺は、明月に向かって舌を出した。

 曄と澪菜がその場を取り繕うように彼をなだめる。

 「そんなに目くじら立てなくってもいいじゃない、あなたは自分で邪気を祓えるんだから」

 「そうですわ明月。

  それに、薺の体力にも限界がありますのよ。

  結界を広げれば、それだけ消耗が早くなりますわ」

 (くっそー、言いたい事言いやがって)

 「だったら、あの東屋の結界はお前が離れても消えねーのかよ」

 「・・アッキーには教えない」

 「・・・」

 (おのれチンチクリン・・・、俺の何が気に入らねーんだよ)

 元から人に好かれるタイプの人間ではないと自認していても、こうも本人の目の前であからさまに差別されると凹む。

 ちょっとふてくされて愚痴った。

 「この霧なんとか出来んかな。

  オッタンに頼んだら吹き飛ばしてくんねーの?

  どっかにいるんだろ」

 「上の空にいると思うけど、無理よ。

  オッタンはこんな森の中飛べないもん」

 そうか、鎌鼬は広い空間がないと飛べないんだ。

 曄の返事で初めて知ったオッタン最大の弱点。

 無数の枝葉を持つ大小様々な樹木が不規則に立ち並ぶ、こんなに障害物の多い狭い空間の中では、とても満足にその

 得意芸を披露する事など出来ない。

 鎌鼬の特徴を知っていれば、すぐに察しがつきそうなものだろう。



 周り一面靄だらけで、出口の見えないシースルーのヴェールの中にいるように感じながら、“黒坊主でも連れて来りゃ

 良かったかな”、などと考えている時、明月がふと自分の足元の草むらの中に何か蠢くものがあると気付くが早いか、

 突然白っぽく細長いものがシュルルッと素速く飛び出して来て、彼の右足首に巻き付くなり強烈な力で引っぱった。

 「おわっ!」

 足を取られて地面に尻餅をついても、そのまま藪の中を相当な勢いでズルズルと引きずられる。

 イネ科の植物の葉か何かのせいで、腕に幾つも切り傷が出来たが、その時はそんな些細な事にまで気が回らなかった。

 あまりに瞬く間の事で、頭がパニクって何が起こったのか理解出来ない。

 何メートルくらい引きずられたろうか、彼は何か柔らかいものに叩き付けられるようにぶつかって止まった。

 ぷにょん

 (なんだなんだ!、なにがあったんだ・・・)

 そこで彼が見たものは、得体の知れないデカいタコ。

 (タコ?、い、いやタコじゃねーな・・・)

 いきなり目の前に現れた妙なものを見て、混乱していた頭が一転、一気に活性化し始め、普段の彼からは想像出来ない

 集中力と、曄のパンツを覗く時以外は発動しない観察眼を発揮する。

 ブヨブヨした風船かクラゲの傘のような弾力のある、なんとも形容し難い物体だった。

 体の表面がツルンとしていて、幾分か光を反射するので白っぽく見えたが、本来は薄茶色かそれに近い色のようだ。

 これが、映像に映ったという白い影みたいなもの・・・なんだろうな、状況的に。

 大きさは、話にあったように高さが180Cm前後だし、遠目には人っぽいシルエットにも見えるだろう。

 全体に丸みのある楕円形をしていて、頭がなく目や鼻も見えない。

 口らしき裂け目というか皺のようなものが、体の中程にあるのが確認出来ただけで、一見して生物とは思えない。

 立っている巨大ナメクジ、という形容が一番似合いそうだ。

 腕や脚もあるのか分からず・・・、いや、腕みたいのはある。

 しかも、素っ裸の若い女性を抱くように捕まえているではないか。

 (あれが千佳って人か・・・

  なんか・・、ヤバい事になってんぞ・・・)

 よく見ると、不気味な軟体動物の柔らかい体の一部が伸びた触手のようなものが、何本も千佳の体に巻き付いていて、

 彼女の柔肌の上を無慈悲に這っている。

 感情もなく、無機質的にうねるその様子が不気味で気持ち悪い。

 その中の1本が、明月の足を捕らえてここまで引き寄せたのだった。

 (イソギンチャクかよ)

 千佳は意識がないのだろうか、全くの無抵抗で、目を閉じてされるがままになっている。

 彼は、急いで彼女を救う為、自分の足に絡んでいる触手を取り払おうと、手に気を込めて掴もうとしたその時、横から

 悲鳴と共に曄のパンツが飛んで来た。

 「きゃーーーーっ!」 どっかん!


 いや、パンツではない、曄が体ごと飛んで来て彼にぶつかった・・・、お尻から。

 「痛ったー・・・」

 「そりゃこっちのセリフだ!、なにやってんだあんた!」

 「あ、明月、こんなとこにいたの」

 「いいからさっさとどいてくれ、前より重たくなったぞ」

 「な、なによ!、あなたが急にいなくなるからでしょ!(赤)」

 「だからって、あんたまでとっ捕まるこたねーだろ」

 「しょうがないでしょ」

 明月が突然視界から消えてしまったので、慌てた彼女は思わず薺の結界から身を乗り出してしまい、妖怪に感知されて

 しまったのだった。

 彼女の足にもしっかりと触手が巻き付いていて、ぶつかって止まった後もじわじわと妖怪の元へ引き寄せられていた。

 曄は、なんとか手放さずにいた竹光を持ち直し、体をひねった力を入れ難い体勢で、その触手をバシンと叩くと簡単に

 千切れた。

 自由を取り戻して動き出そうとするやいなや、そこへ向かって新たに2本3本4本と触手が伸びてきて更に厳しく拘束

 されてしまい、その上周囲に充満する多量の邪気を吸ってしまった為、彼女は急速に抵抗力を失っていった。

 (こ、これはまずい・・・)

 明月は、慌てて曄の体をこれ以上引き寄せられないよう抱えて支え、せっせと触手を掴んでは気を送り込んでやった。

 浄化の気を受けた触手はみるみる勢いを失い、大人しくなってスルスルと本体へ引き下がっていく。

 “よし、この調子で”と他の触手を掴もうとしていると、今度は澪菜が飛んで来た。

 澪菜は明月の前を素通りして妖怪に直接ぶつかった。

 「きゃっ!」 ボヨン

 たちどころに、幾本もの触手が体に纏わり付いて自由を奪う。

 手足は疎か、まるで何かに導かれるかのように、羨ましくも制服のブラウスやスカートの中へも、うねりながら冷徹に

 どんどん入り込んでいく。

 彼女は必死に体を捩って抵抗を試みていたが、不謹慎ながら、そのクネクネ腰を動かす姿がまことにエロい。

 この、ナイスなバディのお嬢様の艶めかしい艶姿は、実に見応え十分で一見の価値がある。

 妖怪にはその価値なんか理解出来ないのだろうが、早くそのエロボディを救わねば、どんな目に遭わされるか分かった

 ものではない。

 (いや、たぶんすぐ横にいる千佳と同じ目に遭うんだろ)

 だが、弱った曄を取り残して側を離れるのは危険だ。

 曄は辛うじて意識はあるものの立ち上がれない、道端に座り込んだ泥酔者のようにフラフラした脱力状態で、到底自力

 では妖怪の魔手から逃れる事は出来まい。

 明月が気を送って浄化しても、すぐに戦闘再開とはいかないだろう。

 周辺は夥しい邪気で満ちている。

 (くそっ!、どっちを優先させりゃいいんだ)


 そこへ、藪の中からもたもたしながら薺が現れた。

 (ヤバい!、第3の犠牲者が来やがった)

 ところが、妖怪の触手は全く反応する素振りを見せない。

 そこに彼女がいる事に気付いていないかのようだ。

 視覚による情報収集能力を持たないこの妖怪は、気配を感じる事で周囲の状況を判断する為、感知出来ないものは存在

 しないのと同じ。

 つまり、結界の中の薺はいない。

 あの結界は、気配を遮断するオプション付きだったのか。

 薺は、妖怪とその光景を見るや立ち止まり表情を一変、今まで見せた事のない力強い目で睨み、深く息を吸うと大きく

 柏手をパンッと打ち、気を集中させ始めた。

 すぐに、彼女を中心にしてみるみる周りの靄が晴れていく。

 急速に結界を広げたのだ。


 東屋で見せたような、柱などに護符を張ってそれを拠り所に結界を形成するのは、その道の人なら常道だし、その法を

 心得た者は珍しくもない。

 薺のスペシャルなところは、依代を必要とせずとも己の気の届く範囲であれば自由に結界を張れ、しかもその大きさを

 自在に拡大縮小出来る上、状況に応じて中の気配を外へ漏らさなくするような形態変化も可能にする柔軟性を備えた、

 非常に難易度の高い高度な術を体得している事にある。

 更に、特別な用途にのみ用いる特殊な結界まで会得しているというのだから侮れない。

 ただの、熱狂的な曄信者のおチビさんと思っていると見損なう。


 結界はどんどん広がり、明月、曄、そして妖怪までもその範囲の中に呑み込んだ。

 周囲の邪気が祓われた事で、やっとその存在に気付いた妖怪だったが、時既に遅し、結界の中に取り込まれてしまった

 後では、もはや自分の思うままに行動する事は叶わない。

 動き方がそれまでと変わって、ゆったりとした緩慢なものから、小刻みにプルプルしたものへと変化した。

 なんだか動揺しているのか、おたおたし始めたように見える。

 ここで、明月はひらめいた。

 曄と澪菜、それに千佳を同時に救う方法があるじゃないか。

 これならやれる、いや、これしかない!

 今がそのチャンスだ!

 彼は、体を起こすと思い切って右手を妖怪の体に押し付け、目一杯気を込めて送り込んでやった。

 そうだ、妖怪自体を撃退してしまえばいいんだ。

 簡単な事じゃないか。



 ☆



 薺の結界に取り込まれて四面楚歌状態のところへ、明月の浄化の気を受けた事で、生命の危機に直面する事態に陥った

 妖怪に残された道はただ一つ、その場を離れるしかない。

 獲物を手放し、その図体がどんどん小さく縮こまっていき、終いにはバスケットボールくらいの大きさの球体のように

 なると、一目散に藪の中に消えて逃げ去った。

 靄が晴れ、同時に邪気も薄れていく。

 それを見て、薺が脱兎の如く曄の元へ駆け寄って心配そうに容体を診る。

 「曄ちゃん!」

 「大丈夫だ。

  邪気を吸っただけだから、祓ってやればすぐよくなる」

 明月は、曄の祓除を薺に任せて澪菜の様子を見ると、彼女は困ったような恥じらったような、なんともいえない幼子の

 ような可憐しい表情で、座ったままそそくさと乱れた制服を直していた。

 そして、彼の視線に気付くとみるみる頬を紅潮させ、目を潤ませながら飛びかかるように抱き付いた。

 「明月ぃーっ!」

 目一杯しがみつかれて、その手の力の強さが今までと違い尋常でないと感じて、明月はちょっと狼狽えた。

 「な、な、なんだよ、なにがあった」

 「わたくしの操を守って下さったのね、嬉しいわっ!」

 (なんだ、喜んでんのか)

 よく見えなかったので分からなかったが、澪菜の純潔は相当な危機的状況に陥っていたようだ。

 あの、ゴニョゴニョ動く触手が彼女の大事な所に入り込む、まさにその瀬戸際だったという事か。

 あと少し遅かったらと考えると、その窮地から救われたのが余程嬉しかったのだろう。

 この子の、物事を自分の都合のいいように捉える幼い一面は相変わらずだが、それ程万事休す状態だったと感じている

 からこその反応なのだと思えば納得も出来よう。

 (なんか勘違いしてるみたいだけど・・・、ま、いいか)

 「わ、分かったからちょっと離れろ」

 「いや。

  こうなったら、もう二度とこんな事にならないうちに、一刻も早く妻夫の契りを交わさねばなりませんわ。

  さっそくお父様に連絡して、結納の準備をしていただきますわ!」

 「ま、待て、早まるな(汗)」

 「遅かれ早かれですわ、だったら早いに越した事はないでしょ」

 (なんでこうなるかなー)


 薺に祓除してもらって少し元気を取り戻した曄が、上体を起こしてその二人に向かって一喝する。

 「なにやってんのあんた達!、被害者は!」

 そうだった、千佳は・・・。

 裸のまま草むらの中に横たわって、身動ぎ一つしない。

 間に合わなかったのか・・・。

 澪菜は間一髪のところで難を逃れられたが、こっちは遅きに失してしまったか。

 確かめようと明月が近寄ろうとしたら、澪菜がしっかり抱き付いていて足手纏いになった。

 その間に、曄の指示をうけてそこら辺に散らばる千佳の衣服を掻き集めた薺が一足早く側へ寄って、明月の視線の前に

 入って邪魔をする。

 「見るな、変態」

 「だったら早くその服で隠せ」

 (お前に言われるとなんか腹立つ)

 薺が千佳の肌を隠すのを待って側へ行き様子を窺うと、細いが息はある。

 意識はないようだし、けっこう生気を吸われてしまっているようなので、単純に安心してばかりもいられないが、これ

 がすぐに生死の狭間を彷徨う事にはならないだろうと考えてよさそうだ。

 医学的根拠ではなく、経験と知識と感覚でそう判断した。

 若造ではあっても、それでも彼等は専門家の端くれだ。

 その証拠に、明月が浄化してやると、たちまち千佳の顔に血色が差してきて、苦悶の影が消えた。

 そこで初めて、彼女が美少女ランキングパーフェクトの達成者だというのが事実だと理解した。

 (なるほど、こりゃモテるわ)

 目を閉じているので断言する確証は無くても、綺麗なモデルというより可愛いアイドル歌手系の顔立ちなのは分かる。

 そんな女の子のあられもない姿など、余程の犯罪行為にでも手を染めない限り、お目にかかる事はまずないだろう。

 ただ、明月は、澪菜、曄というそれに匹敵するかそれ以上であろう美少女と共にいる事が多いせいか、この千載一遇の

 チャンスを目の前にしても、他の男達のような感動や昂揚、興奮を味わう事はなかった。

 彼女に対してさほど興味も持っていなかったし、他の一般男子に知られて袋叩きにされるのも嫌だと考えたからだ。

 そして悟った。

 望むべくして手に入れた力ではないが、この力が無かったら、そもそも曄とも澪菜とも知り合っていなかった。

 ・・・オマケに薺とも。

 生涯モブキャラ、誰からも見向きもされない人間のままだったろう。

 それでいいと思っていたはずだった。

 この力のせいで失ったものは多々あるが、そればかりではない、得たものもあるのだと知った。

 そうなれば、使わないに越した事はないと思っていた力ではあっても、これはこれで悪くない。

 自分が人と違う事に感謝した。

 なんとまあ勝手な奴だ。


 その美少女の一人、澪菜が彼の肩越しに千佳の顔を覗き込む。

 「大丈夫のようですわね」

 「たぶんな」

 「どうやら、この方は度々ここで、あの妖怪に気を吸われていたようですわね」

 「そうらしいな、てかいい加減離れろ」

 「だって、わたくしが妖怪に捕まって大変な時に、明月ったら曄と抱き合ってたんですもの。

  悔しくて仕方ありませんでしたわ。

  だから、わたくしも」

 「あれはしょうがねーだろ、まだ仕事は終わってねーんだぞ」

 「そ、そうですわね。

  わたくしったら、すっかり取り乱してしまいましたわ」

 やっと、澪菜が明月から離れた。

 彼の言葉で、姉・朝絵の戒めが脳裏に浮かんだのかも知れない。

 そんなのは曄にしてみればどうでもいい事だ。

 「なにが取り乱してよ、確信犯のくせに」

 「あら、いつ来たの?、ジュエルペット」

 「ずっとここにいたわよ!」

 「あらそう、それはお気の毒。

  貴女はお怪我はしてませんの?」

 「・・フン」

 ちょっと膨れ気味の曄に対して、澪菜は優越感に浸ってご満悦。

 明月が身を挺して自分を救ってくれたと思い込んでいたから、或いはそう思い込みたかったから、或いは事実が多少

 違ったとしても、そういう事にしてしまえばいいと考えていたから。

 そんな思惑がその顔から丸分かりなのが忌々しく、曄は余計に憤りを感じた。

 ただでさえ、明月が祓除の必要な自分を薺に預けて、澪菜の方へ行ってしまった事に嫉妬してるのに。

 明月と薺の二人の祓除術に基本的な違いはなく、浄化の気を体内に送る事で邪気を祓うという図式は変わらない。

 要はその方法にある訳で、明月にしてもらった方が回復も早いし、第一その方が嬉しいというのが曄の本音だった。

 それが、よりによって澪菜の方を優先されたと履き違えたものだから、その心中や如何ばかりか。

 明月にしてみれば、薺が曄の介抱をしたいと望むのは案内済みだし、それを止め立てする特別な理由もないとなれば、

 自分が澪菜の身を気にかけるのは至当で、極々自然な流れだろうとの判断で取った行動だったのだが、この時の曄は

 そこまで思考が及ばなかった。

 そして、まだ浄化されきっていない体で無造作に立ち上がろうとして、膝に力が入らず体勢を崩して再び手をつく。

 咄嗟に明月が支えようと手を差し出すと、それを見て澪菜が勝ち誇ったように叱咤した。

 曄にはそう聞こえた。

 「なにやってるの、お仕事はまだ終わってませんのよ」

 「あんたが言うな!」


 曄は、決して澪菜が嫌いな訳ではない。

 いつも下に見られて扱われるのが忌々しいのだ。

 年齢的な部分では致し方ないが、能力的に、更に明月との関係で、常に自分の方が上位にいるのだという態度をされる

 のが疎ましい。

 それがなければ、もう少し親近感を持って接する事が出来ると思うのに、例え能力的に拮抗するようになったと頭の中

 で仮想してみても、期待するような未来図はなかなか見えて来ない。

 明月を挟んでの、二人の関係が改善される見込みは、残念ながら伸しイカのように薄い。

 それともう一つ、澪菜が明月に操を立てている事。

 これだけは、どう転んでも絶対に敵わない。

 自分には、もう明月に守ってもらわねばならない貞操などないのだから。

 この、絶対的不利な状況だけは、別の部分で補うしかないと思っても、何をどうすればいいのかも分からない。

 澪菜の大胆で積極的な振る舞いを、苦々しく感じながらただ見ているしかない・・・。

 だから、どうしても姉のように慕う事が出来ないのだった。


 その澪菜は、被害者の具合を見定めようとして、千佳の体に不可思議なものを見つけた。

 「あら、なにかしら、これ」

 長い髪を少し除けてみると、うなじの下、襟首の辺りに、幼児の拳大くらいの薄く青白いアザのような跡がある。

 事情を知らない人ならば、ただのアザと見過ごしてしまうかも知れないが、その場にいる人達は、すぐにそれが生来の

 ものではない、曄の言う妖怪の呪いの名残であると分かった。

 千佳自身は明月の祓除で浄化されているが、そこだけに微かに妖気が残っていたからだ。

 (へえー、こんな風になるんだ)

 正直、明月は、千佳に対して、どの程度の気で祓除してやればいいのか掴めなかったので、加減してしまっていた。

 そのせいで、呪いが完全に消えていなかったのだ。

 これが残っていると、千佳はまた妖怪の支配を受ける危険性がある。

 妖怪の呪いとは、一様に物理的に目で見て分かるものばかりではないので、今回のはそういう意味では運が良かったと

 言うべきだし、かくも執拗にはびこるものなのかと改めて肺腑に染みた。


 彼は、そのアザ状の跡に手を当て、再び、今度は前よりも強めに気を送ってやる。

 15秒程続けて、ゆっくり手を離すと跡が消えていた。

 「これで大丈夫かな」

 「たぶんね。

  後は本人次第だけど・・・、体調が戻ってからの」

 ちょっと自信なさげな明月の言葉への曄の返事は、どこか奥歯に物が挟まったような、煮え切らないものだった。

 呪縛の恐ろしさを知る経験者にしかわからない、けれど口にしたくない、後遺症的なものでもあるのだろうか。

 言葉少なで、誰とも視線を合わせる事もなかった。

 一方、澪菜は冷静に後処理の方法を考えた。

 「それと、この森の空間浄化ですわね。

  妖怪を近付けなければ、例え呪いが残っていても発動はしないでしょうし、いずれは消えますわ」

 しかしながら、学校帰りに慌てて急行した彼女はその用意がない。

 薺の手を借りる形で、護符と塩を使って簡易的に間に合わせるのが、現時点では精一杯だ。


 陰陽道の祭礼儀式の作法には独特なものもあるのだが、地鎮や禊祓いは基本的に神道と同じで大差ない。

 青竹、注連縄、紙垂、玉串、御幣、御神酒、場合によっては神楽鈴、形代などを用いて行われるのが通例で、本格的に

 やろうとするなら、事前の下準備も含めるとそれなりの時間を必要とするものだ。



 ☆



 展望台の東屋の中で、結界に守られながら不安一杯で待っている依子とあさひの所へ、千佳を抱いた明月とその一行が

 戻ってきた。

 「千佳!」

 駆け寄る依子。

 明月は、千佳をそっと東屋のベンチに寝かせた。

 「気絶してるだけっすよ」

 横にしゃがみ込んで、心痛な面持ちで彼女の顔を見つめる依子に、澪菜が後ろから言葉をかける。

 「衰弱はしてますけれど、命に別状はありませんわ。

  今は十分に栄養を摂って、暫く休ませるのが第一ですわね。

  そのうち元気になりますわ。

  怪我や感染症がないか、医療機関で検査していただくのは否定しませんけれど、取り立てて深刻な疾患とかが見られ

  ない限り、せいぜい過労とか貧血とかって診断されるのが関の山ですわよ。

  ブドウ糖の点滴とビタミン剤の処方程度で、他に具体的な治療を施す事はないでしょうね」

 立った姿勢のままなので、言葉通りの俯瞰目線で尊大に語る澪菜の姿は、依子には眩しくもあったが、超お嬢様である

 事を差し引いても、場違いな上に余りある冷淡な態度に受け取れた。

 「あ、あの・・、あなたは・・」

 「わたくしは桐屋敷澪菜、白泰山会の陰陽師ですわ」

 「陰陽師!?」

 まさか・・・、本物?

 雑誌だったかネットの情報だったかで、白なんとか会という陰陽師集団があるとは見知っていたが、まさかここでその

 中の一人と出会えてしまうとは。

 おまけに、それがあのセレブ女子校の生徒だったとくれば、これはもう宇宙人かツチノコ発見に匹敵する驚きだ。

 あのまもちゃんがタキシード仮面?・・じゃない、あのエンゼルフィッシュが陰陽師!?

 夢想だにしていなかったこの展開に加え、千佳が無事だった事への安堵も相俟って、依子は一気に興奮した。

 「妖怪は!?、妖怪はどうしたんですか!」

 「もう消えましたわ」

 「退治したんですか?」

 「いいえ、山の奥に追い返しただけですわ」

 「え?」


 澪菜は至って冷静に、いつもながらの受け答えをしたつもりだった。

 それが、依子には意外というか、想像と違う答えが返ってきたと感じた。

 容姿もその一因となったのだろう、話に聞く陰陽師とはまるで違う。

 陰陽師とは、妖怪退治人の事ではなかったのか。

 なにか、退治しない理由でもあるのだろうか。

 本当に、この人を信じていいのか。

 「退治、してないんですか?」

 「してませんわ」

 「・・・なんで・・」

 「わたくし達は、有り体に言えば環境保護団体みたいなものですわ。

  むやみやたらと必要のない殺生は致しませんのよ」

 「そ、そんないい加減な・・・、危険だって言ってたのに」

 「人間の勝手な都合だけで、逃げたものを追いかけてまで退治するなんて茶番ですわ。

  刑事ドラマではありませんのよ。

  わたくし達の業界では、そんな短慮的な行動は益少なく、逆に事態の終息を遅らせかねない愚策とされていますの。

  この公園の周囲の森を祓い清めれば済む事ですもの。

  その方が、遙かに合理的経済的かつ安全ですわ。

  もし、正式に退治を依頼すると言うのなら止めはしませんけれど、相応の対価が必要になりますわよ。

  広義に於いてはNPO団体でも、決してボランティアではありませんので」

 なんと世知辛い。

 結局お金か・・・。

 お嬢様のくせに、二言目には金の話を持ち出すなんて、下世話に過ぎて嘆かわしい。


 依子は、この澪菜という美少女を、どう捉えていいのか持て余した。

 お嬢様と陰陽師が両立する事自体が、不自然というか理不尽な気がして、すぐには納得出来ない痼りが残る。

 それでも、彼女は間違った事は言ってないし、それが理解出来ない世間知らずでもないし、分からず屋と蔑まれるのも

 気分が悪いので、腑に落ちないながらも口論する気は失せた。

 この人に嫌われたら、世の中全てを敵に回してしまうのではないか、という漠然とした恐怖感に似た感覚に囚われたと

 言い換えてもいい。

 澪菜の自信に満ちあふれた態度からくる存在感が、そう感じさせるのだろう。

 ただ、陰陽師という者に抱いていた理想に対して、乾いた現実を突き付けられたような気がしたのは事実だった。

 もちろん、澪菜は金銭に執着する気などは毛頭なく、単に、素人が浅知恵でああだこうだと言うべき事ではない、との

 忠告の意を込めて述べたに過ぎない。


 澪菜についての疑義はともかく、妖怪への依子の興味は尽きない。

 「どんな妖怪だったんですか?」

 「詳細な調査もなしに、曖昧な憶測だけであれこれ申し述べるのは差し控えますわ。

  わたくしも、これでも一応専門家の末輩ではありますけれど、全てを知悉していると言える程、底の浅い世界の話と

  いう訳でもありませんのよ。

  ですが、まあ、この被害者の方を見る限り、人に呪いをかけ、操作する術を持った類の妖怪だったというのは確かな

  ようですわね」

 「呪い?

  千佳は呪われてたんですか?」

 「これまでの話と、今日実際に見たものを総合して導き出した結論ですわ。

  恐らく、撮影で初めにここを訪れた時に妖怪に呪いをかけられ、その後、間欠的に呼び出されては気を吸われていた

  と考えるのが妥当でしょうね。

  人目を避けるようになったというのがなによりの証拠。

  更に、妖怪の姿が映像に記録された事を知って激昂したと聞けば、もう決定的ですわ。

  つまり、呪いがかかっている事が人に知られては困る、妖怪にとっては特に。

  本人がどの程度までそれを認識していたのかは分かりませんけれど、妖怪の用心深い性格が行動に反映されたものと

  考えてもいいでしょうね」

 「じ、じゃあ、千佳は自分の意思でここに来てた訳じゃないんですか?」

 「本人は意識なんかしてないわよ」

 曄が口を挟んだ。

 「取り憑かれたなんて夢にも思ってないわよ、きっと」

 「フン、ここまで自分の足で歩いて来てんのにか」

 明月が皮肉っぽく茶化しても、彼女は落ち着いて話を進めた。

 「でも、なにしにここへ来るのか、その本当の理由は分かってない。

  ただ無意識に来たくなる、来なくちゃならないって思い込んじゃうのよ」

 そこには、経験者にしか分からない感覚が潜んでいた。

 得体の知れない強迫観念に支配され、理由もなく情緒的な衝動によってのみ行動するようになり、時にはその感情まで

 をもコントロールされる。

 それは、理屈では説明出来ないし、当然、周囲の誰も理解するのは困難で、本人でさえ自分の行動に正当な理由付けが

 出来ない場合もある。

 妖怪の呪いは、長引けば人格崩壊をも引き起こす危険性を孕んでいる。


 「つまり、それが呪いですわ。

  この方はもう解かれていますけれど、もしそれが続いていたら、確実にその先は地下6フィートだったでしょうね」

 「そ、そうなんですか・・・(汗)」

 千佳が死に向かっていたという澪菜の言葉は、依子を動揺させた。

 「でも・・・、なんで千佳が・・・、いい子なのに、呪われるなんて・・」

 なぜ、千佳が妖怪の呪いを受ける事になったのか。

 その疑問はもっともだ。

 彼女はただ映画の撮影をしていただけで、妖怪に呪われねばならない理由はどこにもない。

 活動領域を侵し生活を邪魔した訳でもないし、敵対行動をした訳でもない。

 「心の迷いにつけ込まれたのかも知れませんわね。

  いい子か悪い子かの問題ではありませんわ」

 「迷い?」

 「悩み事を抱え込んだりしていると、必然的に心に隙が出来る。

  油断、散漫、そぞろ、上の空。

  妖怪にとっては、餌にするには最も都合の良い相手という事ですわ。

  きっと、飛んで火に入る夏の虫に見えた事でしょうね」

 それに似た話は、依子も本か何かで読んだ事がある。

 読んだだけでは実感が湧かなかったが、実際に目の前にその被害者を見ると、急に言い知れぬ恐怖が全身を覆った。

 迷いや悩みを持たない人などいないし、妖怪なんてどこにその身を隠しているか分からない。

 じゃあ、どうやったら妖怪の呪いを受ける事もなく、平穏な日常生活が送れるのだろう。

 もし、あさひが薺や曄達に相談せず、自分が単独で千佳を追っていたら、同じ目に遭っていたと推測するのは簡単だ。

 それを察したのか、澪菜は、更に煽るように駄目を押す。

 「この方は、運悪く妖怪のテリトリーのすぐ側まで行ってしまったというだけで呪われて、天国への階段を上らされる

  羽目になった訳ですけれど、別にこの方だからという訳ではないでしょうね。

  誰にでも起こり得る事ですわ。

  誰もその例外でいられる保証はありませんのよ」

 「・・・・(汗)」

 「自衛の手段もない人が、決死の覚悟もない人が、断じて興味本位で近付いて良い世界ではないのですわ。

  貴女方が、これまで部活でどういう事をしてきたのかは存じませんけれど、現実は罷り間違えば死に直結するのだと

  いう認識は持って然るべきですわよ。

  そこには、ロマンもファンタジーも存在しない、ただ事実が事実としてあるだけなのですわ。

  貴女には、お部屋の中で本でも読んで、空想に浸るだけに留めておく程度がよろしくてね。

  お分かりいただけるかしら」


 澪菜の苦言は、依子にはちょっと耳の痛いアドバイスとは受け取られず、むしろ、人の趣味嗜好を悪し様に批判された

 ものと解釈された。

 さすがにこれでは、どんなに相手が雲上人のような人でも、依子も一言返さずにはいられなくなった。

 或いは、インドア派の文学少女と誤解された事に腹を立てたのかも知れない。

 「あ、あなたに、そこまで言われる理由が分かりません」

 「なぜですの?」

 「じゃあ、どうしろって言うんですか。

  どうやって千佳を救えば良かったって言うんですか」

 「自力でどうこうしようなんて思ったのが、そもそも間違いの元ですわ」

 「私だって、霊媒師とか頼もうって思ってたましたよ、初めは。

  霊の正体を突き止めたら、でも、妖怪だって言うから・・・」

 「よかったですわね、奇跡的に明月が近くにいてくれて。

  でなければ、貴女は今頃被害者第2号ですわよ。

  貴女が為すべきは、霊の正体を探る事ではなく、先に有能な能力者を捜す事だったのですわ。

  消防も呼ばずに燃え盛る家に飛び込むなんて、愚かでしかありませんでしょ」

 「でも、どんな霊かも分からないのに・・・」

 「そう、そこですわ。

  貴女には、相手がどんなものなのかも識別出来ない。

  それが危険かどうかも判別出来ない。

  そして、何も分からぬまま焼死体となり果てる。

  その程度の、妖気を感じる力も持ち得ない人が関わろうとするなど、あってはならない事ですわ」

 「身の程知らず、って言いたいんですか」

 「お察しの通りですわ。

  己を知り分を弁えれば、自ずと為すべき事は見えてくるはずですわよ。

  貴女とわたくし達とでは、見えるものが違うのです。

  同じ舞台で同じ役を演ずる事は、到底許されないのですわ。

  ですので、明月、曄、薺に関しては、深く関わらないでいただかねばなりませんわ。

  わたくし共の活動に支障を来す事が懸念されますので、ご学友としての平素の世間並みのおつき合いを超えての干渉

  は、厳に慎まれるのが貴女の為でもありますのよ。

  万一お仕事に差し障りが出た場合、貴女にはその責任は重過ぎでしょうし、如何程のものなのかもご想像出来ないで

  しょうけれどね。

  無論、今回の事も、決して他言しない事をお勧めしますわ。

  被害者の方の名誉の為にも、波風は立てない方が無難ですものね」


 依子は、言葉にはしなかったが、本音は澪菜に激しい反感を抱いていた。

 自分は千佳を救う為に必死にやってきたのに、それを突然現れた彼女にあっさりと全否定されたと感じてしまったのが

 その原因で、さんざん心労を重ねてきたのが全くの無駄骨だったのかという無念さがそう思わせた。

 同時に、別にその努力を労って欲しいなどと思っている訳ではないが、自分が当事者から外される、局外者と扱われる

 のが嫌だった。

 自分が関わった事について、知る権利はあるはずだと思っていたのに・・。

 ただ、悔しいかな澪菜の言葉は一言一句正論で、率直に自分を新たな犠牲者にしない為に言っているのだと理解出来て

 しまうから、強く反論も出来ずに歯痒さだけが募る。

 「そ、そうですね・・・」

 小さく呟くように返事をした後、千佳の顔を覗き込んだまま暫く黙ってしまった。



 ☆



 澪菜は、下の駐車場に控えていた定芳を呼び、千佳と依子、あさひを家まで送り届けるよう指示した。

 その為、彼が戻ってくるまでここで待つ事になり、明月達もそれにつき合った。


 すっかり静けさを取り戻した公園には、真夏の頃とは少し違う清涼感のある風が、時折緩やかに頬を撫でた。

 茜色に染まった夕焼け雲でも眺められれば、それなりに暇潰しにもなったろうが、一面曇り空では味も素っ気もない。

 赤トンボの飛ぶ姿も楽しくなさそうで、どうにも所在なげに映るのは、見る側の心持ちのせいだけではなさそうだ。

 退屈凌ぎなのか、ベンチに座る曄が、徐に横の澪菜に質問した。

 「あんた、総本山に報告すんの?」

 「もちろんですわ。

  わたくしと明月の大切な記念すべき日なんですもの」

 (違うって)

 「そんな報告要らない」

 「いずれにしろ、この公園のお祓いをする事になるかも知れないでしょ。

  事前の情報提供も兼ねて、報告はしておかねばならないでしょうね」

 「映画の話とかも?」

 「もちろん、事件の発端ですもの。

  一応、記録としては残しておきますわ。

  でも、妖怪が映ったという映像には興味はないけれど、このまま捨て置くと側杖に成りかねないから、出来れば人に

  見せる前に処分するように、貴女の方から関係者に伝えておいてちょうだい。

  余計な騒動とかには巻き込まれたくありませんものね」

 「実力で黙らせろって言ってんの?」

 「手段はお任せするわ。

  一般の人は知らなくていい情報ですもの、広まる前に封殺しても問題なしですわ」

 (なんか物騒な話してんぞ、こいつら)


 澪菜が危惧していたのは、妖怪の映った映像や、そこに妖怪がいると知ってしまった者達の事ではない。

 そこから発展して、曄や薺の特殊な能力が一般の無知な人達に広く知れ渡る事である。

 曄については、彼女の性格や生い立ちなどから考えても、すぐ周囲に翻弄される事もないだろうし、そんなに憂慮する

 必要はないのだが、薺は違う。

 曄の側に陣取って、ベンチで地に着かない足をブラブラさせている薺に、意識の転換を喚起した。

 「薺、貴女もあの方々には注意なさいね」

 「・・仲良くしちゃダメ?」

 「いいえ、軽々しく相談に乗ってはいけないという事よ。

  今回のはいい勉強になったでしょ。

  貴女の特別な力を当て込んで、利用しようと接近してくる人は今後も現れますわ。

  欲の為か、情の為かに関係なく。

  でも、貴女はもうわたくし達の組の一員であり、個人の勝手な判断で霊や妖怪に関わる事は出来ないのよ。

  それに、貴女に罪の意識はないでしょうけれど、不用意な発言一つで人を巻き込んでしまう危険性もあるのだと自覚

  なさい。

  口は災いの元であり、死出の旅路の出発点ですわ、お分かり?」

 「・・・・分かった、組長」

 「その呼び方、15点ね」

 (0点じゃねーのかよ)

 「じゃ・・、座長」

 (劇団じゃねーよ)

 「うーん・・、組長よりはましですわね」

 (いいんかい!)

 「じゃ、園長」

 「旭山?、西田敏行じゃなくてよ、失敬な」

 「知ってる。

  西田は秀忠、澪ちゃんは津川の方」

 (なに言ってんだ)

 「んもぉ〜、貴女の言う事はよく分かりませんわ。

  どんどん脱線していくじゃないの」


 二人の間に挟まれていた曄は、ちっとも笑えないその変な遣り取りにうんざりした。

 「なにふざけてんの、そんな事であの連中が簡単に引き下がる訳ないでしょ。

  なんだかんだ言って、また近付いてくるわよ」

 「貴女と薺の力は、あの方達にとっては計り知れない魅力ですものね。

  でもその時は、貴女が鎌鼬でちょっと脅かしてやればいい事ですわ。

  二度と近寄りたくなくなるような、ね。

  たまには使ってやらないと、切れ味が鈍るわよ」

 「あたしを犯罪者にする気?」

 「わたくしがそんな卑劣な人間に見えて?

  もしそうなったら、それはわたくしではなく脚本家のミスですわ」

 「あんたの脚本だろ!」

 「・・そうですわね、暫くここから動けなくなりましたものね・・・」

 澪菜は、自分がここで足止めされているのは、自分の選択の結果だと感慨深そうに空を見上げたと思ったら、急に満面

 の笑みを曄に向けた。

 「そうですわ!、今日は曄の部屋でお泊まり会にしましょう!

  そうしましょう、それがいいですわ!

  いいですわよね、薺」

 「うん!(喜喜)」

 「ち、ちょっとなにその急な話、勝手に決めないでよ!」

 「いいじゃないの、時には楽しいわよ。

  期待に胸が膨らみますわね」

 (それ以上膨らむんか!)

 「明日学校あるでしょ、そういうのは休みの前の日とかにやるもんよ。

  だいたい、あたしの部屋に4人も寝れないし」

 「4人?

  貴女、まさか明月もお泊めになるつもりですの?」

 「え?」(ドキッ)

 「なんてはしたない!、やっぱり淫乱莫連エロ娘ですわ」

 「だ、だって(汗)」

 「わたくしは、一度も4人なんて言ってなくてよ。

  夫同伴のお泊まり会なんて聞いた事ありませんもの。

  なにがしたいのかしらねぇ、ピンクの脳細胞ちゃんは(笑)」

 「・・・・(赤)」

 早合点を恥じて下を向き赤面する曄をよそに、薺はその気一杯。

 「おやつは?、300円以内?、バナナはおやつに入る?」

 (遠足気分だよ、この園児)

 「バナナはフルーツよ」

 「ラッコさん持ってっていい?」

 「そうね、枕が変わると眠れないって言ってましたものね」


 曄は弱り果てた。

 「お願いだから、話を前に進めないで・・・」



 ☆



 後日談。


 その後、千佳は元気を取り戻し、今では普通に学校で以前と変わらぬ愛らしい笑顔を振りまいて、男子生徒達の羨望の

 眼差しを独り占めしている。


 曄が依子から聞かされた話では、どうやら千佳本人は芸能界とかには全く興味がなかったそうなのだが、周りがまるで

 それをさも当然のように言うものだから、否定すると気分を害してしまうかも知れないと思って斟酌しているうちに、

 いつの間にか既定路線として定着してしまってやむにやまれず、気持ちの整理もつかぬまま流されてしまっていたのだ

 そうだ。

 映研の交渉に乗って主演を引き受けたのもそのせいで、初めは渋ったが、高校生活の記念のつもりでという誘い文句に

 押し切られた。

 なんともお騒がせな娘だが、本人はかなり無理して周囲の期待に応えようとし続けていたらしい。

 だが、応えれば応える程、期待は更にその上を行き、どんどん望まぬ方向へ動いて行くのに、戻したくても戻せない。

 その悪循環の積層が、どれだけ千佳の重荷になっていた事か、知る者はいなかった。


 そして、例の現場での撮影の後から、体が疲れやすくなったり気分に波が出たりするようになり始め、いつしか次第に

 あの公園に行きたくて仕方なくなる。

 理由も分からずに、何日かおきに体がムズムズして抑えが効かなくなってしまうのだそうだ。

 気付いた時には公園にいる。

 だが、そこで何をしていたのかは全く記憶にないという。

 明らかに妖怪の呪いの影響のせいだろうが、何も憶えていないのは、千佳にとってはむしろ不幸中の幸いだったという

 べきだろう。

 今は、依子のアドバイスで周囲に気を遣いいい顔をするのは控え、進路も服飾系の専門学校に決めたそうで、ちゃんと

 周りにも自分の意思を隠さず表明するよう努めているそうだ。


 映画の方も、依子が不審な映像の存在を認めた上で、調査の結果、散歩の途中で撮影を見物していた老人が吸っていた

 タバコの煙が風に乗って映り込んでしまったものだったとの見解を示した為、噂は噂という域にさえ達しないまま立ち

 消え、衣枝が期待したような騒ぎにはならなかった。

 もちろん、編集でカットされ、学祭に向けて公開の準備が順調に進んでいるようだ。



 あ、そうそう、お泊まり会は、曄の強硬な反対で無期延期になったってさ。


                                       第3話 了


本当は二話構成にするつもりだったんですが、文字数制限に引っかかりそうだったので、やむなく三話構成になりました。

次話は未定です。

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