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第1話 The Stresscaster

前作の続きです。



 DISPELLERS(仮)の Ⅱ


 1.第1話 The Stresscaster



 夏休みが終わった。


 明月にとっては、なんとも目まぐるしい、慣れない事の連続だったような気がする。

 時間を持て余す暇もないなんて、こんな夏休みは初めてだ。

 なんやかんやと連れ回された印象しかなく、これを充実した日々と呼ぶのは些か憚られる、というか呼びたくない。

 とにかく、疲れる事ばかりが多かった・・・。


 その最たるものが、初めて白泰山会の総本山へ赴いた事だった。

 その時の話は、またいつか語られる日が来るだろうから、ここでは詳細は端折る事にするとして、とうとう澪菜の組が

 発足に向けて本格的に動き出す事となったのだ。

 実際のところ、澪菜はすぐにでも組として認められると思っていたようだったが、事はそう簡単にはいかなかった。

 彼女等の場合、正式に会の名代としての活動が許可される為には、事前にクリアしなければならない抜き差しならない

 問題があった。

 当然、そこには明月と曄も名を連ねている訳だが、薺も含めて、白泰山会に縁も所縁もない人が一度に3人も組に入る

 というのはあまり例のない事であった為、多少なりとも会の内部で異論が生ずる事が予想された。

 宗家の箱入り娘の組となれば尚の事、誰もが認めるそれなりの実力者にサポートさせるのが肝要。

 長女・朝絵の組がそうであるように。

 それを、どこの馬の骨かも分からぬ年端の行かない者達に委ねるなど危険極まりない、との意見が出るのは想像に難く

 ない。

 中でもとりわけ、曄が殄魔師であるという事が論議を呼ぶのは必至だった。

 陰陽師とは全く正反対の主義主張を持つ殄魔師が組に加わるなど、長い歴史を持つ桐屋敷家でも前代未聞の事であり、

 白泰山会の中にあってそれを無条件で容認出来る者が果たして何人いるだろうか。

 しかも、殄魔師の元祖、元茨屋本家の末裔という純然たる血統書付きの純血種である。

 It's a pure of the pure殄魔師。

 その事実を知ってなお賛成する者は皆無と考えていいだろう。


 結論として、彼等は白泰山会へは入会しないままで、会の戒律や為来りに束縛される事のない準客員扱いとし、今後の

 活動実績如何によって正式に組とするかどうか判断する事で決着し、懸念された混乱は未然に避けられた。

 要するに、現時点に於いて彼等はまだ、会としての認識はただの外部協力者、補佐役、平たく言えばお嬢様のお友達に

 過ぎない事になっている。

 甚だ特殊な決定で、例え未正規とはいえ、お友達のみで構成された組など他のどこにも存在しない。

 娘の強い希望を聞き入れた父、白泰山会宗家・桐屋敷藤仁郎光斉が、半ば強引に押し通すような形で承認したもので、

 思いっきり子煩悩な親バカぶりを遺憾なく発揮して、他の幹部達の意見を退けた結果だった。

 曄の素性も、澪菜を取り巻く一部の関係者以外には伏せられた。

 澪菜も、予備役的な中途半端な立場でも一応は組織に組み込まれた、というところで納得する他はなかった。

 彼女自身の陰陽師としての実力も、まだ一人前と評価された訳ではない。

 暫くは今までと同様、与えられる仕事をこなし続け、実績を積み上げて会の信頼を得る以外には、組として認められる

 近道はないという事のようだ。

 もちろん、これが明月と澪菜の結婚の話に直結する訳もない。


 他にも色々とあった夏休みだったが、今は話すまい。



 夏休みが終わった。

 2学期が始まった。

 曄のバイトも終わってしまった。

 あの、とってもとっても似合っていたメイド服姿も、もう見られない。

 長期休暇が終わった事も残念だったが、そっちの方がより無念だった。

 でも、でも、学校へ行けば、あの、とってもとっても似合う制服姿がまた拝めるのだ!

 明月は、それだけを唯一の楽しみにして、いそいそと学校へ向かった。


 2学期の初日は、始業式とちょっと長めのホームルームだけで放課となる。

 そして・・・。

 (おおおーっ! やっぱすげー!)

 メイド服とサイハイの作り出す絶対領域も出血鼻血モノだったが、廊下で見かけた曄の、あの推定股下5センチの超

 ギリギリの長さの明るいグレーのプリーツスカートの下から伸びるまるまる露出した立派なフトモモは、やはりいつ

 見ても眩しいくらいに健康的かつ扇情的で、一目で悩殺されちゃう。

 (やっぱ、これだよなー・・・)

 それに、どこか、一回り成長したようにも見える。

 と言うと、スケベ連中はすぐにお胸のあたりを想像するだろうが、体型的な意味ではなく、雰囲気に落ち着きとか貫禄

 みたいな感じがでてきたような気がする。

 他の生徒達から見れば、以前と変わらぬ、どうにも詰めようのない絶対的距離感があるようで、誰も彼女に近寄ろうと

 しないし、話しかける者もいない。

 その光景も久しぶりに見たし、無表情で当然のように澄ました彼女の顔も久しぶりだなぁと思いながら眺めていると、

 ここで驚き!

 一人の女子生徒が、その曄に駆け寄って、手を取りながら声をかけたではないか。

 「曄ちゃん!」

 あ、この声、聞き覚え・・・って、薺だ!

 これには明月も驚いた。

 (な、なんで、薺がここに?)

 一瞬、我が目を疑った。

 確か、澪菜と同じ学校に転入したはず。

 こんな所にいるはずがないのに・・・。

 薺は、以前澪菜が語っていたように、桐屋敷邸に部屋を充てがわれて引っ越してきた。

 だから、学校も澪菜の考えていた通りに当然するものだと思っていたので、関心すら持っていなかった。

 誰にも何も聞く事はなかったし、誰も何も教えてくれる事もなかった。

 その薺が同じ学校にいる・・・、しかもちゃんと制服姿で。

 冷静になって考えてみれば、大学の医学部並みの学費が必要と言われる超セレブな浄采恭和学院女子に通わせるのは、

 いくら澪菜の個人的な希望とはいえ難しいのが現実だろう。

 その過大な経済的負担を誰が負うかを考えた時に、明月が通う公立高校の方が選ばれるのは必然だし、なんと言っても

 そこには曄がいる。

 薺が曄と同じ学校を選択し、熱烈に切望するのを想像するのは簡単だ。

 (あー、なんだ、そういう事か・・・、確かにな)


 しかし、こうなると、一波乱も二波乱もありそうな、嫌〜な予感がする。

 (めんどくせー事になんなきゃいいけどな・・・)



 ☆



 校門を出て家路を歩き出して暫くすると、ズボンのポケットの中で携帯が鳴った。 ♪♪♪

 明月の携帯に電話がかかってくるのは珍しい。

 メールの場合もそうだが、相手は殆ど澪菜か父親、それ以外はかけ間違いばかり。

 それも、用もないのに週に5、6度はかけてくる澪菜以外のは月に1回あるかないか程度のものであり、おまけに彼の

 方から誰かにかける事など殆どない為、アドレスの登録件数は、学校や行きつけのCDショップなど全て数えてみても

 10件に満たない。

 彼にとっての携帯は、もはや時計代わりでしかない。

 腕時計の嫌いな彼にはそれで十分だった。


 また澪菜だろうか、と思って液晶画面を開くと曄からだった。

 これもまた珍しい。

 というか、彼女からの電話は初めてではないだろうか。

 (も、もしや・・・、結構いい事かも・・・) ドキドキ

 ちょっと緊張する。

 「もしもし」

 「さっき、廊下であたしの事ジロジロ見てたでしょ、いやらしい」

 (いきなりそれか)

 「それ言う為にわざわざ・・・、ってあんた、薺がウチの学校入るって知ってたのか」

 「もちろんよ、あなた知らなかったの?」

 「知らねーよ」

 「なんだ、知ってるのかと思ってたわ」

 「誰も教えてくんなかっただろ」

 「聞かないあなたが悪いのよ。

  別に誰も隠してた訳じゃないんだし」

 「あーそーですか。

  用がねーんなら切るぞ」

 (ちぇっ、せっかく期待したのに)

 「あ、ちょっと待ってよ」

 「なんだよ」

 「あのね、今日・・・、あなたの家行って、いいかな」

 (な、なに!?)


 この子はいつも唐突だ。

 しかも、こういう時に限って、いっつもとっても意味深な言葉遣いをする。

 何の前触れもなくこんな風に言われたら、煩悩の塊の明月はすぐエロな方向に向かって発想してしまうではないか。

 (お、俺ん家でいいのか!

  ホントにいいのか・・・、掃除してねーし、エロ本散乱してるし・・・

  ベッドより布団の方がいいって事かな

  俺ならどっちでもいいぞって、待て待て、まず確認だ)

 「な、な、なんのお勉強でしょうか・・、お姉さん(喜)」

 「なに言ってんの。

  なんの勉強すんのよ」

 「エ、エロの・・・」

 直接顔が見えないからだろうか、思いっきり正直に答えてしまった。

 言った後で焦った。

 相手が曄でなかったら、こんな直球もなかっただろうし、即座に断っていただろうに。

 また変態扱いされるのかと思ったら、曄は意外な程冷静に一言であっさりと流した。

 「ばか。

  あなたのお父さんに用があるのよ」

 「親父?」

 「そう。

  一度、ちゃんとご挨拶してお礼言わなきゃって思ってたの」

 「あ、そう・・・なんだ」

 ちょっとがっかり。


 曄の言葉の意味については、少し説明が必要だろう。

 彼女達が初めて白泰山会の総本山を訪れる事が決定した時、曄に関しては前述した事の他に憂慮される事があった。

 それは、彼女には保護者がいない事だった。

 母親は既に他界しており、父親は消息不明、他に直系親族はいない。

 母方の親族には連絡を取る事は可能だが、茨屋の追求を恐れるとそれも出来ないという現状にある。

 どんなに些細な事であっても、茨屋にその存在を知られるような行為は絶対に避けなければならない。

 万が一居場所が知られてしまったら、新たに本家となった円松坊家に強制的に連れて行かれる可能性は極めて高い。

 曄にとって、それはまさしく死活問題なのだ。

 それを考慮した上でも、例え能力的に必要だからとはいえ、親権者の許可もないまま未成年者を仕事に従事させる事は

 不可能だと、澪菜の御意見番・葵が言い出したのだ。

 澪菜組が正式に発足すれば、それは白泰山会の名の下に活動する事を意味し、会の社会的信用に関わる。

 労働基準法に抵触するような行為は、到底容認されないだろうとの意見だった。


 それを言うなら、18歳未満の夜間就労も同法に違反する訳だが、これについては会は法令を順守しており、正式に

 組として活動している者の中には、これに該当する人はいない。

 彼等のこれまでの活動の多くが夜間に行われたのは、澪菜の勝手な判断によるものであって、会の事前承諾を得たもの

 ではなかった。

 葵はその都度口頭で注意してきたつもりだったが、夜間にその行動が顕著になる妖怪を相手にするという仕事の性格上

 禁止を強制出来ない部分でもあり、宗家の娘であればこそ、厳しい対応が辟易され猶予された側面もある。


 曄の保護者問題が表面化した時、その後見人として手を挙げたのが、明月の父・詳真だったのだ。

 明月がダメ元で相談したのを詳真が快諾して、彼が身元保証人となる事でようやく曄も澪菜達と活動を共にする許可が

 出たという訳だった。


 「駄目かな」

 「別に構わんと思うけど、親父が家にいればな」

 「あ、そうか」

 「で、あんた今どこ」

 「真後ろ」

 「へ?」

 驚いて振り向くと、4、5m程後ろの路上に立って、悪戯っぽく微笑んでいる彼女がいた。

 「い、いるならいるって言えよ、ビックリすんだろ」

 「やらしい事ばっかり考えてるからよ。

  気付かない方がどうかしてるわ」

 普通に会話が成立する距離にいた事を知るとアホらしくなって、無造作に携帯を閉じた。

 「うるせーよ。

  てか、なんでオッタンがいるんだよ。

  学校にまで連れてくるこたねーだろ」

 彼女の肩には、しっかり鎌鼬の姿があった。

 空を飛行中の時は、そのスピードのせいもあって誰にも見えない鎌鼬の姿も、一旦飛ぶのをやめれば妖力も弱まり、

 一般の人でもそのフェレットのような愛らしい顔を普通に見る事が出来るようになる。

 そんなものを学校へ連れて行ける訳がない。

 しかも、ひとたび怒ればもう手が着けられなくなる超危険な暴れん坊を。

 「しょうがないでしょ、どこにも預けられる訳ないし、あたしから離れたがらないし」

 「でもさすがに教室までは無理だろ」

 「だから、校舎の裏の木とか屋上とか、そこら辺で遊ばせてる」

 (いいんか、それで)

 「薺の方はどうした、くっついてねーな」

 「もう帰ったわ。

  今日も修行するんですって」

 「・・・真面目なヤツだな」

 「修行すんのが楽しいみたいよ」

 「何組に入ったんだ」

 「2組だって」

 「どうやってここまで通う気なんだよ。

  まさか、車の送迎付きか?」

 「そんな訳ないでしょ。

  バスよバス。

  この辺から澪菜の家の近くまでだと、1本で行けるわよ」

 「そうなのか・・・。

  俺は、てっきり澪菜さんとおんなじ学校行くのかと思ってた」

 「ばかね、あそこの学校いくらかかると思ってんの。

  普通の家じゃ絶対無理よ。

  なんでも、敷地は東京ドーム12個分だっていうんだから」

 「それ、どんだけ広いんだかさっぱり分かんねーぞ。

  例え悪過ぎ」

 「あたしに文句言わないでよ、澪菜がそう言ったんだもん」

 「どんな授業やってんだろーな、そんなバカみたいに金かけて」

 「授業もそれなりにお金が掛かるんだろうけど、一番掛かるのは寄付金よ。

  あの手の学校は、寄付金で持ってるようなもんだからね」

 「寄付金ねー。

  庶民には縁のない世界だな」

 「薺が行きたいって言ったって無駄なのよ」

 「そういや、あの子のギター聴いたりしたか?」

 「あぁ、あれ、ちょっとだけね。

  もの凄く速くって、上手いんだろうけどよく分かんなかったわ」

 「だろーな」

 「なんか、変な赤いギター持ってて、白とかのラインがゴチャゴチャいっぱい入ってる」

 「あれはフランケンシュタインのコピーモデルだ。

  俺も欲しーなー」

 「あなた弾けるの?」

 「ひ、人に聞かせるレベルじゃねーけど(汗)」


 明月が父親に電話すると、父は午前中に一件仕事があった為外出中で、小一時間程で家に戻るとの返事だった。

 彼は、自宅で曄と共に父親の帰りを待つ事になった。

 それはそれで、なんだかソワソワする。

 こうなると、決して学校以外で曄と二人きりになるな、という澪菜の訓戒を思い出す訳だ。

 些か後ろめたい気もするが、別に無理して従う義務もないし、曄の希望で親父に会うだけだから問題にはならないと

 思った。

 期待したようなエロい方向に向かう可能性もない訳だし・・・。

 「わざわざ礼なんて言わなくていいと思うぞ。

  前に電話で言ってんだし」

 「そうはいかないわ、大事な事だもの。

  こういう事は、ちゃんと直接会ってお礼言わないと。

  本当は、もっと早く行かなきゃって思ってたんだけど、澪菜の家にいたから勝手に外出も出来なかったし・・・」

 真面目な顔をして礼節の人を唱える曄を見て、明月は急に吹き出した。

 「プッ」

 「な、なによ、なに笑ってんのよ(汗)」

 「廊下で薺が出た時のあんたの顔思い出したら・・(笑)」

 あの時の曄の顔は、どう見ても不自然に笑っているように見えた。

 学校であんな風に馴れ馴れしくされた事なんてないから、戸惑って対応に難儀しているのがよく分かった。

 「あれじゃあ、コンビニの新人バイトの引き攣った愛想笑いの方がまだましだ」

 「う、うるさい!」

 「さすがのダイコンちゃんも形無しだったな」

 「あなたに言われると余計に腹が立つ!」



 ☆



 明月に勧められ、居間の畳にペタンと座った曄は、さほど広くもない室内の天井や欄間、障子窓などを首を振って頻り

 にキョロキョロ見回していた。

 なんだか落ち着かない、というか、おどおどしているようにも見えた。

 なにかに怯えているのだろうか。

 いくら男の家で二人きりになったからとはいえ、今更彼女が彼に対して怯えるとは考えられないが。

 「どうした、なんかいたか」

 「ううん、別に・・・」

 「そんなに見る物もねーぞ。

  ただ古臭いだけだしな」

 八百神家の母屋は、寺の本堂程ではなくともそこそこ古い日本家屋で、一部増改築されてはいるものの、とても快適な

 住環境とは言い難い。

 戸や窓の立て付けが悪くて隙間風も吹く上に、雨漏りはするし、エアコン完備でもないし、虫やネズミやネコは勝手に

 出入りするし、留守中には空き巣も勝手に出入りしたらしいが、金目の物は何もないのでこっちは大して困らない。

 古民家暮らしを羨み憧れる人もいると言うが、実際に住むと結構不便だったりする。

 それでも、曄には、それが別の感慨を催させるものに映っていた。

 「あたしの家も古かったから・・・」

 何かを思い出しながら、懐かしんでいるように言った。

 その顔は、思い出に耽ったノスタルジックなものとは少し違うものに感じられた。

 恐らく、同じく古かった自分の家での、思い出したくもない過去の記憶が蘇ったのだろう。

 「でも線香臭くはなかったろ。

  ウチじゃ葬式も法事もやらないのに、この臭いだけは消えねんだ。

  俺はもう慣れちまったんでなんにも感じねーけど、初めて来る人は必ず言うんだ」

 「でも澪菜の家よりはましよ。

  あそこはただ大きいだけで味気ないんだもん。

  落ち着かないし」

 「薺ん家も結構年季入ってたな」

 「あそこは、家っていうより旅館みたいだった」

 「それでぶっ壊したのか、旅館に鳥居は要らねーもんな」

 「もうやめてよ、その話」



 詳真が帰ってきた。

 一応の僧侶らしく、暑苦しい黒衣と袈裟姿で汗を拭いながら居間へ入ってきた彼を見ると、お祓いの仕事へ行っていた

 のだと分かる。

 「いやぁ、すまんすまん。

  待たせたね、なんとかちゃん」

 「あ、あの、曄です」

 「ああ、そうだった、曄ちゃんだったな」

 (何言ってんだ今更、知ってるくせに)

 簡単に挨拶を済ませた詳真は、まっすぐ台所へ向かうと、コーラのペットボトルを手に携えてご機嫌に戻ってきた。

 (コーラ1本で上機嫌かよ・・・、ガキか)

 「前に会った時より、ずいぶん顔色が良くなったじゃないか」

 「そ、そうですか・・・」

 「そうだよ。

  今だから言うが、前に来た時はまるで死人みたいだったからな。

  それに比べれば全然違う。

  今の方がずっといい顔してる。

  このバカ息子も、少しは役に立ったのかな?」

 (バカは要らねーよ)

 「は、はい・・・」

 (そこで頷くな)

 「あ、あの、本当にありがとうございました。

  なんて言っていいか・・・」

 「あー、あの事か。

  別に、そんなに畏まって礼を言うような事でもないさ」

 「で、でも・・・」

 「お前さんは、人様に迷惑かけて問題を起こすような事もせんだろ。

  そう思ったから引き受けた。

  違うかな?」

 「は、はあ・・・」

 「それに、実のところワシは、もっと不埒な事を考えとってね。

  むしろ、いい監視役が出来たと思って喜んどるんだよ」

 「監視役?」

 「ワシは、お前さんに、この薄らすっとぼけた自堕落な無精者の面倒を見て貰おうと思っとるんだからな」

 「自分の息子をそこまで言うか、こら」

 「事実だろう。

  言われたくなかったら、もっと真面目に積極的に生きてみろ。

  といって、曄ちゃんに変な真似して嫌われんじゃないぞ」

 「いちいちうるせーよ!」

 「こんな出来の悪いバカ男の親より、お前さんみたいな可愛い子の親代わりの方がよっぽどやる気が出るってもんだ。

  だから、こいつが何かやらかしたらすぐに報告してくれ。

  それに、曄ちゃんも相談したい事があったらいつでも言ってくれて構わないよ。

  金以外の事だったら遠慮は要らないからな」

 「はい、ありがとうございます」


 詳真の言葉は、明月が思っている以上に、曄に強く力を与えるものだった。

 彼女は、家族以外の大人に親切にされた事がなかった。

 幼い頃には、聖護院家に出入りしていた茨屋の関係者などからちやほやされた記憶はあるものの、所詮は本家の娘だと

 いうだけで持ち上げられていたに過ぎず、そうした大人の事情を抜きにしては、誰も相手にすらしてくれないのは幼心

 に感じていた。

 それは、一歩外へ出れば殊更顕著に、露骨に現れた。

 同世代の子供達と遊ぶ事を、その親達は許してくれなかった。

 学校でも、公園でも、大人達は彼女の周囲から子供達を遠ざけた。

 偏見に満ちた目で遠巻きに見る事はあっても、接近しようと努めてくれた人はいなかった。

 中学の時の担任の先生も、悩み事があったら相談しろと言ってはくれたが、そこには、立場的に言っておいた方がいい

 程度の事務的な言葉のようなニュアンスが感じられたし、例えそうではなかったとしても、相談して解決出来る見込み

 もないのだから無駄な事だと先生自身も薄々感付いていたのだろう、それ程熱心でもなかった。

 真剣そうな顔をして真摯に取り組む姿を見せようとした教師よりも、ヘラヘラ笑っていい加減そうに大風呂敷を広げて

 みせる詳真の方が、遙かに頼り甲斐があるように感じるのはなぜだろう。

 それが、彼の持つ包容力、懐の広さなのだと理解するのに時間はかからなかった。


 この親子は、本音をぶつけ合っているようでいて、ちゃんとお互いを尊重し合っている。

 明月が父親に多大な影響を受け、尊敬にも似た感情を抱いている事は以前から分かっていたが、父親もまた、言葉には

 せずとも息子を愛し信頼しているのが透けて見える。

 放任しているのがなによりの証拠。

 溺愛もしないが突き放しもしない。

 そんな、絶妙な距離感が二人にはある。

 この親にしてこの子あり・・・か。



 そこへ、黒坊主(の取り憑いたネコ)が何食わぬ顔でひょこひょこ現れた。

 ネコは黒坊主が取り憑いて以来、普段からこうして八百神家の中を勝手気ままに歩き回るようになっており、詳真も、

 中に妖怪がいる事には薄々気付いていながらも、明月に懐いてるらしいので、特にどうしようとか何某か処置しよう

 とは考えずに自由にさせていた。

 黒坊主が体を支配していない時は、その行動は普通のネコと何ら変わらない。

 「お、ネコスケが来た」

 「勝手に変な名前付けんな」

 「こいつ、飯時だけ現れやがるんだ。

  テレビでやってるどっかの誰かさんみたいだろ」

 (だからそんな名前か)

 以前の死んだカラスと違い、このネコは生きているのだから当然のように食物を所望する。

 どうやら、明月が留守の時などは詳真にねだっているらしい。

 ネコは、まっすぐ曄の側まで行くと、ニャ〜と猫撫で声で畳に座る彼女のフトモモに顔をスリスリさせる。

 (やっぱこいつ、曄の気配に気付いて来やがったな)

 曄はちょっと戸惑いながらも、ネコの愛らしい仕草と腿に触れる肉球の柔らかい感触に癒やされ、笑顔で頭を撫で撫で

 してやった。

 それを、彼女の肩に陣取っている独占欲の強いオッタンが黙って見過ごすはずがない。

 自分の主人には指一本触れさせないと言わんばかりに、牙を剥き出して激しくネコを威嚇した。 ムキーッ!

 遂に、直接対峙する黒坊主と鎌鼬。

 曄を巡って2匹の妖怪が覇を競う。

 橙眼の所有者というのは、妖怪にあっても、命を懸けてでも手に入れたいと願うくらいの至高の宝物なのだ。

 家の中で妖怪同士が喧嘩を始めて、鎌鼬に暴れ出されては堪らないと思った明月は、慌ててネコの首根っこを掴まえて

 居間から外へ追い出した。

 「どっか行け、アホネコ」

 そこに、曄のムチムチフトモモにスリスリしても怒られないネコに対する嫉妬の感情がなかったといえば嘘になる。

 ネコは、恨めしそうな視線を明月に投げつけて、渋々部屋を出て行った。

 「なんて名前なの?」

 「く・・、くろ・・・(汗)」

 「クロ?、全然黒くないわよ」

 「う、うっせー、俺の勝手だろ。

  オッタンよりましだっての」

 「あなたの方がセンス悪いわよ(笑)」


 曄の穏やかな笑みを見た詳真は、何を思ったか彼女を夕食に誘った。

 明月はちょっと嬉しかったが、そう易々とは喜べなかった。

 「そうだ、曄ちゃんも晩飯食ってくか。

  そうだ、そうしようそうしよう。

  せっかく来たんだし、なにより女の子がいてくれた方が飯が美味い」

 「なに言ってんだ、今日の晩飯はソーメンだぞ。

  客に出せるか」

 「なに?、そうだっけ?」

 「まったく、決めたの自分だろ」

 「そうかぁ・・・、なにか別のものにするか・・」

 「じゃあ、今日は外で焼き肉だな。

  料理しなくて済む」

 「そうか、曄ちゃんも食うよな」

 「あ、でもあたし・・」

 「いいんだよ。

  でなきゃ、せっかくの焼き肉がソーメンに逆戻りだ」

 この会話によって、曄は沸々と、しかし大きく心の内を揺さぶられる事になる。


 恐らく、この日食べた焼き肉の味を、曄は一生忘れないだろう。

 彼女が久しぶりに味わった、家族の食卓の味。

 例えいつもと大して変わらぬ外食でも、例え他所の家族でも、彼女がずっと忘れていた、忘れようと努めていた暖かい

 ものがそこにはあった。

 普通の人には何の変哲もない当たり前の日常的な風景が、彼女にとってはどんなに熱く望んでも決して手に入れる事の

 出来ないものであり、遠い日の記憶、夢の中でしか叶えられないと諦めてしまっていたもの。

 二度と求めまいと心に決め、精神の奥底に封印した感情。

 この一年の間、ずっと耐えてきた飢え、渇きを呼び覚まし、そしてそれを満たしてくれるものがここにあると気付いて

 しまったのだ。

 会話なんかなくていい。

 笑顔なんかなくていい。

 そこに、空間を一にしてくれる人がいる。

 それだけで幸せだった。


 もう、独りに戻りたくない。



 ☆



 それは、授業が再開した数日後だった。


 朝、明月がいつものように始業の10分程前に教室に入って、最後尾の自分の席につくと、一つ前の席の衣枝が、他の

 クラスの男子とコソコソと声を低くして話をしているのが目に入った。

 まあ、これもよくある日常の光景で、どうせ女の子に関するろくでもない話でもしてるに違いないんだろうから、別に

 いちいち気に掛ける必要もない。

 衣枝は陽気で気さく、軽薄だが話好きで話題も多く、そのおかげで誰とでもすぐに打ち解けて友達になれる、明月とは

 日本とアルゼンチン沖のような位置関係にある性格の男だ。

 彼の席に、よそのクラスの生徒が会いに来るのも珍しくはない。

 ただ、その日の彼のヒソヒソ話の中から断片的に聞こえてくる言葉に、普段は気にも留めない明月は耳を奪われた。


 見た・・・

 見てない・・・

 見える・・・

 見えない・・・


 何を見た?、何が見える?

 前後の文脈が聞き取れなかったので、何の事を言っているのか全く分からない。

 何を見ようってんだ・・・。

 良からぬ不安が一瞬頭を過ぎる。

 (ま、まさか・・・、曄のパンツの話じゃねぇだろーな)

 もしそうなら、とても心穏やかという訳にはいかなくなる。

 ろくでもないなんてとんでもない!

 重大な問題だぞ。

 明月は、内心やきもきし始めた。

 (階段上がるの下から見上げたら、間違いなく見えちゃうもんなー・・・あれは

  だいたい、なんであの子はあんなスカート短いんだ

  あれじゃあ、自分の方から見てくれって言ってるようなもんだって

  どーいうつもりなんだ

  エロいの嫌いだって、自分から言っといてあれだもんな・・・)

 好きな女の子のパンチラを自分が見る分には大変結構でも、他人に見られるというのは甚だ不愉快だ。

 客観的には、これを自分勝手と言わずして何と言うという話になる訳だが、基本、男というのはそういうものだ。

 しかし、曄が短いスカートを穿き続ける限り、そのパンチラを独り占めするのは、夜空に光る星の全てに自分の名札を

 付けて回るに等しい。

 彼女に対して“もっとスカートを長くしろ”と、まるっきり心にもない忠告をしなければならない事態に陥ってしまう

 自分を想像するのもまた嫌なものだ。


 話していた男子生徒が教室を出て行くのを見届けて、明月は、焦る気持ちを抑えて何食わぬ顔で衣枝に尋ねた。

 「衣枝、今なんの話してた」

 「別に」

 「何が見えたってんだ」

 「お前にゃ関係ねぇよ・・・・」

 (くそっ、俺は蚊帳の外か)

 話相手として何の面白味もない明月の質問に、煙たそうに素っ気なく返した衣枝だったが、すぐに考えを改めた。

 「そういやお前、お化けが見えるんだったっけな」

 「あ?、ああ」

 (なんだ、いきなり・・・)


 明月は、高校に入学して最初に知り合いになったこの衣枝に対して、自分の事を霊が見えると教えていた。

 妖怪が見えると真っ正直に教えても、殆ど誰にも信じてもらえないのは過去の経験から学習して嫌という程身に染みて

 いたし、だからといって、それをひた隠したところでいずれはボロが出る。

 だったら、適度に一般の人にも馴染み易い事柄で、やんわりと認知させておいた方が無難なのだとの考えだった。

 それは、なにも彼だけに限った事ではない。

 曄も、一般の人には自ら何も語る事はないが、子供の頃には世間からそういう目で見られていたし、いちいち否定して

 回れるレベルでもなかったから、そのままにしておかざるを得なかった。

 彼女の場合、霊が見えるというより、自ら霊を引き寄せる霊媒体質なのだと思われて忌み嫌われていた。

 片や荒寺に住むぼんくら坊主の息子なら、一方は代々伝わる特殊な霊能力者の家系の娘と認識されていたのだから。


 「これはまだ、学校でも殆ど知られてねーんだけどよ」

 衣枝は、明月の机に肘をつき、首を落として声を顰め、いかにも関心を誘うかのような思わせぶりな口調で言った。

 「夏休みにさ、とある場所で、映研の連中が映画の撮影をしてたんだとよ。

  自主映画ってやつ。

  学祭ん時に公開する予定なんだらしいけど、その時撮影された映像の中に、普通じゃ見えてはいけないものが映って

  たんだってよ」

 「へー」

 (なんだ、幽霊の話か

  曄のパンツじゃなくてよかった)

 一気に興味が薄れた。

 霊の話なんかどうでもいいや。

 (そんなもん、見たいと思う奴の気が知れん)

 その気持ちが、彼の気の抜けた返事に表れていた。

 せっかく打ち明けた秘密の話なのに、全く食い付かない彼を見て、衣枝は意に満たない。

 「へーって、それだけかよ。

  相変わらずノリの悪い奴だな。

  これは取っておきの超極秘ネタなんだぞ。

  知ってる奴だって、まだ数える程しかいねーんだ。

  もっと反応があんだろよ、貞子じゃねーかとか、いっその事そっち方面の映画にしちまえとか」

 (ブレア・ウイッチ・プロジェクトかよ)

 「あっそ。

  じゃ、なんでお前が知ってんだよ、その超極秘ネタってヤツを」

 衣枝は、したり顔でニタッと笑った。

 こういう質問をされるのを待っていた。

 「お前は、何件ツイッターのフォローしてる?」

 「してねーよ、そんなん」

 「だろうな、そんな事だと思った。

  お前は世間の事情に疎過ぎるからな。

  どうせ、先週のオリコン1位の曲も知らねーんだろ」

 (そんなん、興味もねー)

 「そのツイッターに情報が流れたのか」

 「ちげーって。

  出る訳ねぇだろ、俺様の情報網をなめんなよ。

  つってもまあ、ソースは明かさないのがセオリーだからな」

 (だったら、ツイッターの話はなんなんだよ

  ただの自慢か)


 衣枝は嬉しそうに、しかし小声で、探偵か誰かを気取って言った。

 「撮影の時は、その場にいたスタッフは全員誰も気付かなくって、後で、編集の段階で見つけたらしい。

  こりゃなんだってね。

  で、映研の誰かがミス研の生徒に相談したのがきっかけで、そこから流れたんだ。

  普通はこんな話、なかなか表には出てこないぜ」

 「そうか?

  どうせ公開すりゃ誰でも見れんだろ」

 「バーカ。

  編集で切られるに決まってんだろ。

  まあ、普通に見えてるお前には大した事じゃねぇんだろうけどさ。

  俺達にとっちゃ、そりゃ一大事なんだぜ」

 「で、見たのか、その映像」

 「まだ見てねー。

  だから探してんだよ、なんとか見る方法はねーかなって」

 「映研に頼めば」

 「無理無理、絶対無理。

  それは有り得ねー」

 「なんで」

 「その映画の主演は、真池 千佳せんかなんだぜ」

 「まいけ?・・・、誰だ」

 「これだよ・・・。

  ウチの学校の可愛い子ランキング3年連続総合1位っていう、過去一人もいなかったパーフェクトを達成した究極の

  絶対美少女、3年4組、真池千佳嬢。

  駅前のメイドカフェ“アビーローズ”でバイトしてて、店長公認のファンクラブもある週末アイドルなんだぜ。

  噂じゃ、遊びでアイドルのオーディションに応募したら、一発合格しちまったってさ。

  しかも、せっかく最終選考まで行ったのに、自分から辞退したってんだからハンパねーだろ。

  知らねーなんて考えらんねー。

  有り得ねーぞ、普通。

  ホモかお前」

 「ちげーよ。

  その真池がどーした。

  てか、アビーロードじゃねーのかよ」

 「変なとこ突っ込むな、お前。

  自分の主演した映画に、それも自分が出てるシーンにそんなのが映ってたら、誰だって気持ち悪りいだろ。

  ただでさえ気持ち悪いのに、ホントに芸能界に入るかも知れん真池ちゃんがそれを認める訳がねー。

  経歴に傷が付くっていうか、変なイメージが付いたりするかも知んねーからな。

  ホラー映画の仕事しか来なかったら嫌だもんよ。

  絶対表には出さねぇし、もしかしたらもう処分されてるかも知れんのだよ、ワトソン君」

 「なんで、オーディション辞退した奴が芸能界入るかな」

 「歌手じゃなくって女優になりたい、ってのが理由だって、もっぱらの噂だぜ」

 「へぇー・・・」

 (なんちゅーわがままだ)

 世の中には、いろんな人がいるもんなんだな・・・。



 ☆



 それから更に数日が経過した日。

 6時間目の授業が終わって帰り支度を始めると、その時間を待っていたように、明月の携帯に曄からメールが入った。

 (お、今度はなんだ

  今日はウチに来てぇ〜、とかだったらどーしよー(喜))

 それはない。

 (ん?、なに?、図書室?

  が、学校でやるってかぁーっ!

  し、しょーがねーヤツだなー、へへ(喜喜))

 んな訳あるか!


 期待を胸に特別教室棟の図書室へ行ってみると、その前の廊下の壁際には曄、薺、そしてその側に見知らぬ一人の女子

 生徒がいて、横一列に並ぶように立っているのが見えた。

 (ん?、なんか余計なのがくっついてんぞ)

 「遅い!」

 曄は、腕組みをしながら、ちょいとご機嫌斜めなお顔立ちで明月を睨みつけた。

 「ま、まあまあ(汗)」

 (図書室なんて来た事ねーもん、迷っちゃったよ

  てゆーか、なんで睨まれなきゃならねんだ

  なんで薺と知らねー人までくっついてんだよ

  なんか、雲行きが怪しくなりそうな気がしてきたな・・・)

 「なんの用だよ、こんな所に呼びつけて」

 「用があるのは薺よ」

 曄に振られた薺は、その言葉に少しムスッとした表情を見せ、小さい声で否定した。

 「わたしは呼んでない」

 「どっちだよ」

 「呼んだのはあたしだけど、用があるのは薺でしょ」

 「わたしは用なんかないけど、曄ちゃんが呼ぶって聞かないから」

 「あ、あたしは!

  明月も呼んだ方がいい・・かなーって提案しただけだよ(汗)」

 「わたしは・・・、アッキーなんか要らないって言ったのに・・・」

 「要らないって決めつけるのはまだ早いわよ」

 「・・・要らないんだけど」

 「とりあえず、話だけはしなさいよ。

  必要かどうかは、話を聞いた後で明月が自分で決めればいい事だわ」

 「・・・分かった」

 (こ、こいつら・・・、俺をおちょくってんのか)


 呆れ半分、苛立ち半分になりながらも、明月は、呼び出された素因の主らしい薺に向かって引っ込み勝ちに聞いた。

 「で、話ってなんなんだ」

 「・・ドンちゃんに相談された」

 「ドンちゃん?」

 (また訳の分からん事を言い出したぞ、こいつ)

 すると、薺の横で興味深そうに目をキョロキョロさせていた女子生徒が、緊張気味に名乗り出た。

 「あ、あの、薺ちゃんと同じ2組の丼 あさひです。

  ミス研に所属してます」

 (ドンって苗字かよ!

  さては親父の名前はキホーテか小西か)

 あさひは薺より頭一つ分くらい背が高い女の子で、取り立てて特徴はないものの、好奇心の塊のような爛々と輝く瞳が

 印象的だった。

 彼女は、昂ぶっているのか、些か前のめり気味に早口で切り出した。

 「舘長先輩が、2学期になってから様子が変なんです」

 「縦長?」

 「ミス研会長、3年1組の舘長 依子先輩です」

 そして、曄の方をチラッと見ながら怖ず怖ずと話しかける。

 「し、聖護院さんは知ってますよね」

 「あたし?、なんで?」

 「だって、夏休み前に合宿の勧誘しに行ったはずじゃ・・・」

 「ああ、あの人」

 (まるで他人顔だ・・・、忘れてやがったな)

 「ホントは、同じ1年生だから私に勧誘してきてって言われたんだけど、会った事なかったし、知り合いでもないし、

  いきなりよそのクラスの人に話しかけるのもどうかなーって思って・・・(汗)。

  で、会長が行ったんだけど、結局断られちゃったですね」

 「だって興味ないもん」

 やはり、曄は一般の生徒からは相当に怖がられているというか、近寄り難い存在だというのが証明された。

 (本人目の前にして、怖くて話しかけらんなかったっては言えんわな)


 ミス研は、部として生徒会に登録されているものの、その正式名称はミステリー研究会であり、従って、そのトップは

 部長ではなく会長と呼ばれる。

 ちなみに、会と名のつく部活は主に文化系に幾つかあるが、映研は映画研究会であっても部長と呼ばれ、歴史研究会は

 何かにちなんで局長と呼ばれているらしい。

 生徒会からは全て部長で統一するよう通達されている為、これはあくまで内部での呼称である。



 あさひは、薺にしたという相談について、その経緯を話した。

 「先輩は、2学期の初日に部室にちょっと顔を出したけど、なんにもしないですぐ帰って・・・。

  なんだか顔色が悪くって、疲れてるっぽいなぁって思ってたら、次の日からは一度も部活に出なくなっちゃった。

  副会長に聞いたら、学校には来てるんだけど、授業終わったらすぐ帰るんだって。

  なんか、いっつもピリピリしてて、話しかけずらい感じになったって言ってたです。

  そんな人じゃなかったのに・・・。

  もっと大らかっていうか、真面目だけど茶目っ気のある人だったんです。

  1学期は毎日休まず顔出してたし、夏休みの合宿もノリノリだったのになぁ・・・。

  受験生だから仕方ないのかも知れないけど、先輩は夏休み中に同じクラスの人から相談受けた事があるって言ってた

  らしいから、もしかしたらそのせいなのかも知れないって」


 これを聞いた明月は、一つ思い出した。

 「その、同じクラスの人って、もしかして映研じゃねーのか」

 あさひは意表を衝かれた。

 「な、なんで知ってるんですか!?(汗)

  副会長は内密だから誰にも言うなって言ってたのに・・・。

  もしかして、あなたの名前は池上彰」

 「ちげーよ」

 (しっかり言っちゃってんじゃねーか、それになんで池上だよ)

 驚くあさひの顔を見て、衣枝が自慢げに話をする時の気持ちが分かった気がした。

 独自情報を持っているとは、かくも優越感に浸れるものなのか。

 話ってのは聞いとくもんだ・・・、偶然だけど。

 「まあ、俺にも情報屋ってヤツがいてね。

  映研が撮影した映画の中に、変なものが映ってたってんだろ。

  で、映研がミス研に相談したってところまでは知ってる」

 明月が情報を持っている事は、曄にも意外だった。

 「変なものってなによ、池上クン」

 「池上違う!、幽霊かなんからしいぞ」

 「ああ、そうなの」

 乾いた返事。

 曄も明月と同様、幽霊には興味がない。

 その一方、ミステリー研究会に所属しているあさひにとっては、自分の先輩に関わる事でもあり、興味津々であるのと

 同時に捨て置けない心配事でもあるのだ。

 「そうなんです!

  どんなシーンとか知らないけど、何か白いものが映ってたらしいんです。

  映研の人がどんな相談をしたのか、先輩が実際にその映像見たのかどうかも分かんないんですけど、もし、その事が

  原因で先輩がおかしくなったんだとしたらどうしようって思ってたら、転入してきたばっかりの薺ちゃんがお祓いが

  出来るって聞いて、相談してみたら乗ってくれて。

  ね、薺ちゃん」

 「うん」

 (まったく、薺の奴余計な事しやがって)


 薺は明月や曄と違い、自分の特殊能力について、何も誰にも隠そうとしていないようだ。

 幼い頃から霊能力者として育ち、そのお祓いの力で周囲から高い評価を受けてきた彼女には、その事を隠す必要という

 ものを全く感じていないからなのだろう。

 だから、転入して僅か一週間そこそこで、既にクラスの中に確固たる地位を築いてしまった。

 そんなに社交的な性格とも思えないのだが、どこか人懐っこさのようなものを感じさせるのは、周囲に警戒心を抱かせ

 ない彼女の小柄な外見が影響しているのかも知れない。

 ネコ耳とか頭に着けたら似合いそうだし。

 ちなみに、薺は、転入初日の自己紹介で趣味はギターと言って、その日のうちにさっそく軽音部の人から勧誘されたが

 速攻で断った。

 理由は、自分が演りたいのは軽音楽じゃなくて重音楽だから、だと。


 あさひの話を聞いていて、曄はちょっと不思議に思う事があった。

 「白いものが映ってたって、なんで知ってんの」

 「副会長が、会長がそんな事言ってたって」

 「それにしてもちょっと変ね。

  なんで、相談受けただけの人が取り憑かれたなんて思うのよ。

  いくらなんでも話が突飛過ぎるわ」

 壁に凭れて腕組みをしたまま、いつもの澄ました眼差しで問いかける曄に、あさひは結構な威圧感めいたものを感じた

 のだろう、視線を逸らし気味にして言い辛そうに答えた。

 「そ、それは・・・そうなんですけど・・・(汗)。

  た、たぶん、先輩は相談を受けた後、その撮影現場に行ってみたんだと思うんです。

  そういうの大好きな人ですから。

  で、そこで何かが起こったんじゃないか、と私は思うんですけど・・・」

 「本人に聞いたの?」

 「い、いえ・・・」

 「要するに、ただの想像な訳ね。

  じゃあなんで、あんただけそんなに部長の心配すんのよ。

  特に危険な事とかないんでしょ」

 「私だけじゃないですよ、きっと」

 「副部長はなんて言ってんの?」

 「暫くそっとしておいた方がいいって」

 「それが正解ね。

  放っとけばいいのよ。

  誰だって悩み事の一つや二つくらいあるだろうし、そのうち直るかも知れないし、霊のせいかも分かんないし」

 「私もそうしたいんですけど・・・、どうにも気になっちゃって、落ち着かないんです」

 「根拠でもあんの?」

 「いえ、なんとなく・・・」

 「そんなの霊の仕業にしてたら、世の中の人全部取り憑かれてる事になっちゃうわよ」

 妖怪に対しては積極的に関わろうとする姿勢を見せていた曄も、幽霊に関してはピクリとも食指が動かない。

 門外漢だから仕方ないとしても、その温度差は明月以上にはっきりしている。

 (まるで満腹の時のライオンだな)

 そうとは知らないあさひにとっては、ただでさえ声をかけるのが憚られるくらいの鉄壁の防御陣を持つ曄の素っ気ない

 態度は、畏縮の対象でしかなかった。

 どこからどう見ても、人と打ち解けようとか、好印象を与えたいとかの意識が感じられない。

 排他的、唯我独尊、それでいて暴力的な噂もちらほら聞こえる自己完結型の独立主義者。

 友達なんかいるはずもない。

 なぜ、薺はこの人を呼んだのか、と思わずにはいられないのだが、薺は彼女をかなり慕っているようだ。

 冷たい言葉であっさり否定してしまう曄を見て、彼女を納得させない限り、薺の協力を仰げなくなってしまう可能性が

 あるのだという事に気付かされた。

 「あ、あのー・・、怒ってます?(汗)」

 「別に、普通だけど」

 「そ、そうですか・・・」

 「なにが言いたいのよ」

 「あの・・・、私、先輩を尊敬してるんです。

  頭いいし、いろんな事知ってるし、話上手だし。

  私も先輩みたいな人になりたいなって思って・・・。

  だから、先輩に早く前みたいに戻って、部活に出て欲しいんです」

 「薺の力を試そうとかって考えてる訳じゃないのね」

 「も、もちろんです。

  そんなの考えた事もないです」


 あさひの本音を引き出して、自分の読みが杞憂に過ぎたと理解した曄は、明月の方を向いて彼の意向を問うた。

 「で、薺が調べてみたいってあたしに言ってきたから、あなたを呼んだ訳。

  どうする?、明月」

 「どうするったって・・・、どうにも出来んだろ。

  霊なんて知らねーし」

 「でも、薺は霊のお祓いも出来るのよ」

 「だったら薺一人で行け」

 「ばかね、そんな事させられる訳ないじゃない。

  薺は越してきたばっかりなのよ。

  地理だってよく分かんないのに。

  それに、一人で勝手にお祓いなんかさせたりしたら、澪菜になんて言われるか分かんないわよ」

 「あー、澪菜さんねー・・・」

 確かに、薺が単独で危険を伴う可能性のある行動をするのを黙認すれば、澪菜が黙っていないだろう。

 澪菜は組頭であり、メンバーの安全に責任を持つ立場にある、というよりは、薺の姉気取りでいるみたいだから。

 (やれやれ、参ったな)

 明月は、頭をかきかき考えた。

 話を聞く限り、別に自分がつき合う必要はどこにもない。

 こういう事には、すぐに興味本位で飛び付いてしまうミス研というのも困ったものだ。

 舘長とかいう先輩は単なる好奇だけではないのかも知れないが、その彼女が変わってしまった事と、映像に記録されて

 しまったという霊の障りを直接結びつけるのは、どうも根拠が薄い気がする。

 もし、霊がなにかしらの災いをもたらしたのならば、それはその撮影現場にいたという真池千佳とか映研のスタッフの

 方にこそ表れるべきではないか。

 その方がよっぽど合点がいく。

 霊に関する事なら、その対処法を心得ている薺に任せておけばいいし、曄が付き添っていれば澪菜も文句は言うまい。

 妖怪とは関係ない話だしな。

 なのに、わざわざ呼び出したって事は、曄は彼にも同行して欲しいと思っているのは明らかだ。

 薺がクラスメイトの相談に前向きな以上、断らせるのは彼女の面子に関わるだろうし、曄の誘いを無下にも出来ない。

 ここは、つき合ってみるしかないか・・・。


 「しょーがねーな。

  で、どうすりゃいいんだよ、これから」

 明月は曄に聞いた。

 「どうする気なの?、薺」

 曄は薺に聞いた。

 「・・・、どうする?、丼ちゃん」

 薺はあさひに聞いた。

 「そうですね・・・」

 (お前が仕切るんかい!)

 「今日はもう先輩も帰っちゃってると思うし・・・、明日、先輩に会って、霊に取り憑かれてないかどうか見て欲しい

  んだけど。

  会えば分かる?」

 「うん、分かる」

 「お祓い、出来るかな・・・」

 「見てみないと分かんない・・・、けど、たぶん出来る」

 「すごいね、薺ちゃん」

 (なんだ、結局俺要らねーじゃん)

 これじゃあまるで、“女の子だけで肝試し行くの嫌だから男も呼んどく?”みたいな、いざという時の保険代わり的な

 呼ばれ方と同じじゃないか。

 しかも、このメンツでは付け合わせにもなりゃしない。

 結局、明月と曄はただの立ち会い人程度の役割しかなさそうだ。


 「じゃあ、今日はなんにもしないのね。

  帰るわよ」

 曄は無表情で一言言うと、そのままスッスと階段にの方に向かって歩き出した。

 その態度から、彼女もまた傍迷惑な話だと思っているのは相違ない。

 彼女が鶴の一声を発しさえすれば、薺は渋々ではあっても素直に引き下がり、煩わしい事にも巻き込まれずに済むのは

 分かっているはずなのに、それをやろうとしないのは、薺の気持ちに配慮しての事なのだろう。

 面倒臭い子だとかなんとか言っておいても、あそこまで敬愛され完全に信服されてしまえば悪い気はしないだろうし、

 少しぐらいは大目に見てやろうという感情が芽生えても仕方ないのか。

 そう思いながら明月が後に続く。

 その2人の後ろ姿を目で追いながら、あさひは薺に問いかけた。

 「ねえ薺ちゃん。

  さっき、誰かの話してたけど・・」

 「澪菜さん」

 「そう、その人。 誰?」

 「・・・ボス」

 「ボス?」

 「お祓いチームのボス。

  影の支配者、闇の帝王、ブラック・サバス」

 「あの人達もチームなの?」

 あさひは3人の人間関係が分かっていない。

 今の今まで、薺以外とは話した事もなく、明月なんかはその存在さえ知らなかった。

 「曄ちゃんは凄い」

 「なんか・・・、雰囲気あるもんね、怖そうっていうか・・・。

  薺ちゃんの知り合いじゃなかったら話せなかったよ」

 「あの破壊力は・・・、女のわたしでも見とれる」

 「破壊力?、なんの事?」

 「おっぱい」

 「おっぱいって・・・、そうかなぁ・・・」

 「着痩せするから」

 「でも意外だなぁ。

  薺ちゃんがあの人と知り合いだったなんて。

  怖くない?」

 「全然。

  曄ちゃんがいたから、わたしがここにいられる」

 「もう一人は?」

 「アッキーはただのスケベな付き人」

 「ふーん、そうなんだ」

 一体どんな霊能者集団なんだろう・・・、あさひは、自分の体の中の好奇心の虫がムズムズ動くのを感じずにはいられ

 なかった。



 ☆



 翌日。

 良く晴れた、まだまだ夏は終わらないといった感じの暑い日だった。

 放課後になって、また曄から連絡が入った。

 (お、今度は電話だ)

 「もしもし」

 彼女の声はちょっと焦っていた。

 「大変よ、薺がいないの!」

 「は?、今日は休みか?」

 「違うわよ、ばか。

  昨日の子と一緒に、なんとかって先輩を追っかけて、もう学校を出てっちゃったのよ。

  メールが届いたの。

  先輩が帰っちゃうから尾行するって」

 「はあ?、尾行?」

 尾行ってなんだ?

 ただ先輩と会うだけなのに、なんでそこまでしなきゃならんのだ。

 普通に呼び止めれば済む話だろうに。

 探偵にでもなったつもりかってんだ。

 (まったく、なに考えてんだ、あの二人

  もしかして楽しんでんじゃねーか)


 焦っている様子の曄に気を遣い、急いで昇降口を出て校門へ行くと、彼女がジリジリしながら待っていた。

 「どうすんだ、追いかけんのか」

 「もちろんよ、放っとけないでしょ」

 「やれやれ、めんどくせー」

 「文句ばっかり言わない。

  行くわよ、池上クン」

 「あのな・・・。

  なに喜んでんだよ、気に入ってんのか」

 「ちょっとね」

 「つっても、行き場所とか分かってんのかよ」

 「メールには駅の方に向かってるって書いてたから、そっち行ってみましょ」

 冗談もそこそこに、曄はいつもより早足で歩き始めた。

 薺の事が心配なのか、それとも勝手な行動に腹を立てているのか。

 まったく、どこまで振り回してくれるんだよ・・・。

 どうせ何の役にも立たないって分かっているのに、なんでこんな事につき合わされなければならないのか。

 (こういうの性に合わねーな)

 薺はとんだトラブルメーカーだ。

 (いや、とんだストレスキャスターだ)


 命名しちゃった。


                                       第1話 了



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