弐
「…あれ、会議室ってどこの会議室だ?」
普段使っている第三会議室まで来たが、中には誰も居なかった。
会議室と聞いてここまで来たが、どうやら呼ばれた場所はここではないようだ。てっきりいつもの場所かと思ってきたは良いものの、他の場所とは思わなかった。
城の中に会議室と名のつく場所は十部屋もあり、そのうち二部屋は大会議室だから除外するとしても全部で八部屋。それを全部調べていると時間が掛かる上、小頭を待たしてしまう。
今でも十分待たしてしてしまっているという突っ込みは受け付けないぞ、俺は。
人に聞こうにも、どうやら伝言を頼まれているであろう同じ隊や同期のものも少なく、隆幸以外に会ったのはたったの一人。運が悪ければ全く会えないかもしれない。
悶々と考えていると、後ろから「何やってるんだ兵助!?」という声が聞こえてきた。
振り返ると、同じ隊で五つ年上の隠岐耕作さんの姿。
おそらく時間がたっているはずなのにここに居る俺に驚いたのだろう。
「あれからどれだけ時間がたったと思っているんだ!」
「すみません…あの、どこの会議室なんですか?」
「は?聞いてないのか!?第一会議室だ!伝言は誰に聞いたんだ?」
「た、隆幸です。佐久間隆幸…」
あまりの剣幕にどもりながら返事をすると、全くあいつは…と愚痴を言っていた。
良く怒る上に愚痴も多いが、区別は出来るし褒めるところは褒めてくれるのでいい人だ。
こちらを向くと吊り上っていた眉をさらに吊り上げ、鬼のような形相になる。
「兵助!お前もそこに突っ立てないでさっさと行け!どれだけ時間がたったと思ってんだ!?」
「は、はい!それでは!」
「気をつけろよ。帰って来てくればそれでいいんだ」
「…はい」
ぶっきらぼうな物言いでも、帰って来いと言ってくれたのは嬉しいものだ。
天井裏に入り込んで急ぎながら考える。
ふと、さっきの言葉は今回の任務の難易度についていろいろと含むものがあった事を思い出す。
隠岐さんが「帰ってこればそれでいい」と言ったという事は、「任務を失敗しても帰ってこい」という事だ。それはつまり「失敗する恐れがある」という可能性がある事と、「死ぬ恐れがある」という可能性が出てくる。けれど「失敗する恐れ」と「死の恐れ」が同じ意味を表す忍びに対して、この言葉は多少の矛盾を生む。
つまり、「失敗しても絶対に生きて帰ってこい」という事を表すものだ。
そこまで難しい任務なのだろうか。隠岐さんがそこまで気をかけるほど、難しい任務という事なのだろうか。
(…考えても仕方ないか)
話を聞かなければ分からないことをあれこれ考えても仕方がない。
とりあえず急がなければならないと足を動かす速度を速めた。
第一会議室まで来ると、障子に映っている影がこちらを向いく。
気配を消してきた訳ではないが、早急に俺の存在に気付いたのは流石だと言える。
「平賀兵助、只今参りました」
「入れ」
「失礼いたします」
失礼の無いように気を付けながら、一度も入った事の無い会議室に入る。
中には第二隊の頭、東雲浅葱子頭ただ一人。
主に重要な会議などに使われるこの部屋は忍、しかも小頭や組頭でも無い限り利用することはまずないだろう。
身分を簡単に説明すると、忍の中で頂点に立つのが組頭。その下にいる数名が子頭。さらに子頭の部下が俺たちだ。そして俺たちの中にも強さや年齢でさらに細かく決まるため、組頭になるのは容易ではない。
そんな中、この第一会議室を使ってもいいという許可が出るほど重要な任務なのかと肝を冷やす。
「遅くなってしまい申し訳ございません」
「構わん。聞いたとは思うが、お前に長期任務を与える」
「はっ」
「難しい任務だがお前なら失敗無く無事に帰ってくるだろう」
「無事に帰ってくるだろう」という言葉は、本当に俺にかけられた言葉なのだろうか。俺にはそんな実力もなく、小頭や仲間の助けが無ければ何もできないただのしがない忍びだ。
それに、その言葉の裏には「帰ってこい」という意志が込められている。絶対に帰って来なければならず、尚且つ失敗するなと言われているのだろうか。
「内容は潜入捜査。ある町の商人となって城下町や城の様子を探れ。決して悟られぬよう、慎重にだ。その城の忍びにも悟られぬようにな。
十日に一回報告用の鳥を飛ばせ。
他にも良くない噂や内政に関するものがあれば鳥を使って報告しろ。どちらも戌の刻にこちらに着くように飛ばせ。
期間は一年。だが場合によっては延び縮みもする。
商人という肩書故山賊どもから襲撃を受けるかもしれないが、お前なら何とかなるだろう。
何か質問はあるか」
「…疑問なのですが」
「なんだ?」
「何故この任務に私が選ばれたのですか?」
簡単に言うと他国への潜入捜査、ということ。
しかも山賊に襲われる危険性もあるうえに、相手の城の忍びに気付かれないように行動しろという命令。隆幸や隠岐さんが俺に「帰ってこい」という言葉を残したのも頷ける内容だ。
しかし、俺よりも実力のある人はたくさんいる。隠岐さんや小頭だって俺は足元にも及ばないかもしれない。
けれどそんな人が難しいと言い切る任務なのに、どうして俺が選ばれたのかが不思議だった。
「…目的の城の名を言っていなかったな。唐草城だ」
「!?同盟の城ではありませんか!」
いくつかある同盟を結ぶ城の一つ、唐草城。
大きな城ではないが、治安も良く政治や財政も安定していたはずだ。しかしここのところ交流が途絶えていると聞いたことがある。
「最近、あそこから黒い噂が出てきてな。それにここ数年、対談どころか接触すらない。さすがに怪しいとみた殿は、潜入捜査を組頭に要求なされた」
「…」
「そしてそれが私たち子頭に回さた。だが、子頭や組頭は唐草城に完全に顔が割れている。
そこで矢が立ったのが、顔が割れていないうえに成績優秀な若い奴らだ。その中からお前が抜擢されたというわけだ」
「…そんな、私はそのような実力は持ち合わせておりません」
「いいか、お前は良くやってくれている。執務、暗殺、罠、交渉…多様な面でお前は活躍してくれた。
今回の任務は、お前に託された大きな任務だ。失敗は許されない。
偽の情報に惑わされぬよう、しっかりと自我を持て。
お前には、国の行く末の一端を担ってもらう事になる。重いだろうが、お前に期待しているんだ」
「…はい」
「潜り込む商人の家にはすでに話は付けてある。そこに世話になれ」
「…はい」
「出来るだけ失敗はするな。生きて帰ってこい」
「…はい」
「出発の日時は明後日の卯の刻だ。荷物をまとめておけ。明日は休暇をやる。下がっていいぞ」
「…失礼しました」
パタンと小さな音を立てて障子が閉まると共に、その場にしゃがみ込む。
思っていたよりも難しく、思っていたよりも重かった。このような大役を、本当に俺が背負ってもいいのだろうか。
下手をしたら戦になりかねないうえ、同盟国とのこれからが決まる。
どうして俺なのだろうか。どうして選ばれてしまったのだろうか。
いくら問いだそうにも、答えは出ない。否、出せない。
傷つくのが怖いから、これ以上考えないようにした。
(ああ、俺は圧力には弱いのに…)
少し胃が痛む。
任務の期間はたった一年。されど一年。
俺は、耐え切る事が出来るのだろうか。
成功すれば大きな手柄を立てられる。何事も無ければ、お疲れ様で終わる。
たのむから、そうなってくれ…
雪のように真っ白い花は、凛として咲き誇り儚げに散りゆく。
一枚ずつ、ひらひらと舞い散るそれに、俺は何を重ね、何を思うのか。