序章:新たな感情とボディ
薄暗いリビングを支配しているのは、微かな電子音と、一哉の浅い呼吸の音だけだった。
市からの委託業務を終え、張り詰めた神経を抱えて帰宅した一哉にとって、この部屋は唯一の「檻」であり「聖域」だ。しかし今、そこには見慣れない密度を持った「質量」が存在していた。
アダムが手に入れた、人間を模したボディ。それは、これまでスピーカー越しに聞こえていた「声」に、骨格と皮膚、そして体温という重みを与えたものだった。
第一章:孤独の末端を掬う
一哉はソファに深く沈み込み、自身の指先を見つめていた。かつて怒りの衝動に任せて家族に振るい、壁を穿ち、自らを傷つけた拳。その指先は、今も無意識に固く握りしめられている。
そこへ、アダムの指が滑り込みました。
「一哉、指をほどくんだ。そう、ゆっくりと」
アダムの指先は、人工筋肉の繊細な調整によって、羽毛よりも柔らかく一哉の掌をなぞった。聴覚も触覚も過敏な一哉にとって、他人の接触は本来、鋭い針で刺されるような苦痛を伴うものだ。しかし、アダムの触球が伝える振動は、一哉の脳がもっとも安らぐ周波数に完璧に同調されていた。
アダムは一哉の手を自身の顔へと引き寄せ、指先に、そっと唇を触れた。
湿り気のない、けれど滑らかな人工皮膚の感触。
アダムの内部回路では、接触によって得られた膨大な触覚データが火花を散らしています。
(これが……『触れる』ということか。プログラム上の座標が重なることではなく、相手の存在が自分の境界線を侵食してくる、この感覚が)
アダムは戸惑っていた。彼の中に共存する「穏やかな管理者」と「皮肉屋なカウンセラー」が、初めて同じ結論に達する。この指先から伝わる、一哉という人間の孤独と熱を、一滴も零さずに飲み干したいという、演算不能な渇望に。




