第七話「貸し一つ」
『晦冥の森』は奇妙な静寂に包まれていた。その中を二つの足音がガサガサと行く。
一人はファス。地を這う木の根や緩い地面に足を取られて何度も転びそうになっているが、不思議と転ぶことはない。
その理由は杖だ。落ちていた木の枝に布巾を巻いて作った即席の杖だが、それによりファスは一人で歩けている。
「ふふん。私とてダンスはたしなむ身。赤子みたく足腰がまるきり立たないという訳ではないのだから、最初からこうすればよかったのだな」
とふらふら胸を張るファスに、もう一つの足音が応じる。背の高い青年のものだ。
「足腰より腕を心配したんじゃねぇか?」
先導するシラハが振り返り、
「杖が重くて筋肉痛になるんじゃねぇかって話でよ」
「否定は出来んな。以前儀礼剣を握ったときはしばらく痛みが引かなかった」
「へぇ、振り回したのか」
「いや? 儀式の手筈通り、跪く若武者の肩を二度ばかり叩いてやっただけだ」
「ふーん。じゃあ明日は赤ん坊みたく「あーん」してやろうか。フォークどころかスプーンも持てねぇだろうよ」
「むぅ」
ファスが少しふくれ面をして見せたのを最後に会話が途絶え、また二つの足音だけが残される。
それから少し経っただろうか、
「ああ」
と唐突にシラハが声を上げ、
「どうした?」
とファスが首を傾け、
「ん……あれ、私……」
と、どちらのものでもない呟きが零される。
「お目覚めみたいだな」
「……! レゼーレ!」
閉ざされていたレゼーレの瞼が持ち上がり、開かれる。蝶の口吻に見紛うほどの長い睫が微かに揺れた。
その顔をファスがのぞき込み、
「レゼーレ! 目が覚めたか! まずは落ち着くのだぞ。とりあえず窮地は脱しただから急に動くな止せ右腕を使おうとするな抜刀しようとするな怪我に障るこれは命令だぞ聞こえているのかレゼーレ!」
「ファス様……私は敗れたのですね」
「レゼーレ。私は無事だ。そしてそなたも怪我こそすれど生きている。それで十分であろう」
「ま、寝ぼけてはいるみてぇだがな。先に俺からも言っとくぜ。とりあえず、落ち着け」
「冒険者シラハ。一体何を……」
レゼーレの瞳が状況を探るようにシラハへ向けられ、次にレゼーレ自身へと向けられる。
彼女の右腕は添え木と布で固定されている。シラハの『雷勁』を受けたために、多数の骨折を負っているのだ。そして『雷勁』の衝撃により意識のほとんどを失っていた。
意識がいつ戻るかは誰にも分からなかったため、ファスはレゼーレが目覚めるのを待たずに出発することを決めた。ファスに「護衛」として雇われたシラハはその判断に従って、昏倒したレゼーレを運びながら移動を開始したのである。
しかし問題になるのはレゼーレの運搬方法だ。右腕を吊った意識不明の人間をどうやって運ぶか。背負うのはだめだ。腕が圧迫されてしまう。背負子などがあればそこに縛り付けられただろうが、そんなものはない。肩に担ぐのもまずい。
よって自然と横抱きの形……いわゆる、「お姫様抱っこ」に帰結した。シラハはレゼーレを「お姫様抱っこ」で運んでいたのだ。
「――」
レゼーレの白い頬に赤みが差した……ように見えたのはシラハの錯覚だったか。
抱えられたレゼーレは全くの無表情でシラハを見上げている。これだけ距離が近いと、彼女の睫の本数だったり、肌の白さ、右頬の花の入れ墨の細かさまでよく見える。
「……」
「……」
流れた重い沈黙をレゼーレが破る。
「冒険者シラハ」
「おう」
「これは拘束のつもりですか?」
「まさか。あんたを抑え込むならこの程度じゃ済まさない。手足をあともう三本へし折るさ」
「あの……でしたら、下ろしていただけますか。立てますので」
レゼーレが目を伏せて、少しだけ小さい声でシラハに頼んでくる。
シラハは少しばかり面食らった。この女がこんなしおらしい態度をとるとは思っていなかったのだ。
「嫌だと言ったら?」
シラハがなんとなくそう返すとレゼーレは一転、慇懃な微笑みを浮かべて
「受け入れます。敗者ですから。それであなたの気が済むのであれば安いものです。趣味は人それぞれですものね」
「分かった。下ろす。俺だってゴツゴツしたヤツを抱えてる趣味はねぇからな。……鎧の話だぜ」
「……」
レゼーレはシラハの腕をするりと抜けて地面に降り立つ。水が高きから低きへ流れるような動きで、足取りにふらつきはない。衝撃波のダメージもほとんど残っていないようだ。僅かに柳眉をつり上げたのは右腕の痛みゆえか。
「うむ。レゼーレ、無事なようだな」
「ファス様。申し訳ありません。して、今は一体……」
「そうだな。状況を説明する」
ファスはシラハを護衛として雇ったことを簡潔に説明した。
「それは……本当に?」
レゼーレが油断なくシラハの表情を伺ってくるのでシラハは頷いておいた。
するとレゼーレは額に手を当て、
「ファス様。一体どうやってシラハを引き込んだのです。これほどの男を……しかも、こちらが一方的に敵と見なして攻撃したのに……」
「それはひとえに『雷拳』シラハの器の大きさゆえだな」
「そういうわけじゃねぇが……ま、どうやら俺らの護衛対象はただ守られるだけのガキじゃないらしいぜ。それが分かったから付き合う気になったのさ「先輩」」
「先輩」と呼ばれたときのレゼーレの表情は筆舌に尽くしがたいものがあった。屈辱、無力感、怒り、安堵。シラハの眼力でレゼーレの胸の内を見抜くことは出来なかった。しかし最終的にレゼーレはシラハに深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。どうかよろしくお願いします」
「護衛については気にするな。俺がやりたくてやることだ。「それ以外」についても気にしなくて良いんだが……そうだな。貸し一つってことにしよう。あんたが、俺に。それでいいぜ先輩」
「はい。ありがとうございます」
形は違えど戦いに生きるもの同士、あっさり手打ちとなった。
「ところで、それならば「先輩」はやめていただけますか。嫌みにしか聞こえなくてよ」
「へぇ、俺に負けたくせに呼び名にケチつけるのか?」
「先輩などと呼んでおいて、顔を立てる気は無いのですね? それとも、これが「貸し」の取り立てということでよろしいのかしら。随分と軽く済ませて下さるのですね。あなたの身軽さに納得がいきました。心臓が軽いのですね」
「軽かったのはあんたの剣の方だとは考えないのか? だから軽く済ませてるのかもしれないぜ。そして俺はこれが取り立てって事でも一向に構わない」
「その割には必死に躱していたように思うのだけれど」
二人の会話を蚊帳の外で見守っていたのはファスである。ファスは言い合う二人の顔を見上げると、何か納得したかのように頷いて、
「ふむ。早速打ち解けたようで何より。重畳だな。レゼーレもシラハも流石は武人よ。殺し合いで親睦を深めるとは」




