第三話「女剣士レゼーレ」
シラハとレゼーレの戦いは、静と動の連続だった。
にらみ合いを続け、その間両者ともに微かに身じろぎをするだけの時間が何十秒も続いたかと思えば、その静寂が一瞬にして破られる。
今回はレゼーレが動いた。
「『翔け貫くは雨燕』」
その瞬撃が刺突であることは躱した後に――正確には躱しきれずに肩口を浅く裂かれた後に気付いた。
――見えてたはずなのにな、面白れェ!
純粋な速度ならば見えないと言うことはないはずだ。いくらレゼーレの剣が速くとも『明けぬ夜』よりも速く強いと言うことはあり得ない。
ただ速いだけではなく、攻撃の予備動作を隠すのが抜群に上手いのだ。技の起こりがほとんど無い。
結果シラハの反応が一手遅れる。一手遅れているから、
「『中天槌』」
カウンターに振るった鉄槌打ちもするりと胸当てでいなされる。逸らされた拳は空を切り、つむじ風を生み、落ち葉を高々と舞い上げた。
常人相手なら拳の余波が起こす風だけでも十分なのだが、こうも『格』が近い相手だとそうはいかない。レゼーレは痒みも感じていないだろう。感じていないはずなのだが、一瞬彼女の口元がへの字に歪み「なんて威力」と呟きを漏らす。
「シラハさん、だったかしら。私、あなたに謝罪しなくてはいけませんね」
「ようやく善良な冒険者をぶっ殺しかけた詫びをする気になったか?」
「いえ、それについてではなく」
「ねぇのかよ」
「私、つい先刻まであなたのことを人語を解す魔物か何かだと勘違いしていましたの。だって奪刀を狙うでもなく、ただひたすらに素手や足で殴る蹴る。そんなものは知性ある人間の戦いとは言えないでしょう?」
「挑発か? 普通にカチンときたけど乗らないぜ。知性ある人間だからな」
「ええ、ですからその謝罪を。あなたの武道を侮った事をお詫びします」
「あ?」
レゼーレの剣の切っ先が再びシラハの胸元に向けられる。
「あなたの拳の威力、速度はただ肉体の強さ、『格』の暴力だけでは出せない。全身の筋肉を一分の無駄もなく使い切るように最適化された『技能』。血反吐を吐くような試行錯誤の積み重ねがあってこそのもの。尊敬に値します。徒手の武人シラハよ」
「そりゃどーも」
人殺しに躊躇いのない割には妙なところで律儀な女である。
「ですがそれでも思わずにはいられない。もしあなたが武器の道を選んでいたのならと」
突如、レゼーレの外套がはためいた。レゼーレが剣を持たない左手で自身の外套の裾を掴み、シラハの視線を遮るように振るったのだ。
「!」
外套の影からレゼーレの斬撃が来る。シンプルな水平斬りだが外套の目隠しのせいで反応がまた遅れた。シラハは後方に逃げるしかなかった。それを追い打つように、レゼーレがまたあの刺突を放とうとする。
シラハは舌を巻いた。あのような目隠しは冒険者にはない発想だ。
――けど、その突きはさっき見たばかりだぜ。
今度こそは完全に躱してカウンターを決めてやろう。そう構えたシラハにレゼーレの剣が再び突き出される。あまりにも正確に真っ直ぐに伸びてくるその突きは、シラハからは点としか見えない。
――点にしか見えねぇって事は、切っ先が目玉を指してるって事だ。
つまりレゼーレの狙いは顔だ。そう読んだシラハは恐れずその点をにらみ据え、
――そこだ。
完璧なタイミングで前に出る。レゼーレの出足を挫く最善の「機」だった。
しかし読み違えたのは軌道。途中まで真っ直ぐシラハの顔面を突きに来ていたレゼーレの剣がいつの間にか小さな弧を描いている。手首と肘を入れることで刺突を斬撃に変化させたのだ。
狙いは顔から少し落ちて、頸動脈。
「チッ」
シラハは咄嗟にその剣を払いのける。カウンターに使うつもりだった右手を使って、である。
無論まだ左はある。が、レゼーレまでの距離が遠い。
「ハッ!」
諦めずにシラハは左で貫手を作り、意趣返しとばかりにレゼーレの目へと向ける。
貫手。親指を除く四指を伸ばして指先で突く。拳よりも脆いのでシラハは滅多に使わないが、指を伸ばす分遠くを突ける。このような目潰しには極めて有用である。
しかしシラハが精一杯伸ばした指は、レゼーレの長い睫に触れることさえできなかった。
レゼーレは涼しい顔でそのままするすると後ろに下がり、再びシラハへと剣を向けた。
「お分かりでしょう? だから人は武器を持つのです。その道を歩んだあなたと戦ってみたかった。残念です」
「悪いが分からねぇな、何一つ」
などと言いつつも、レゼーレの言わんとすることはシラハにも分かっている。
――やっぱり拳だと間合いが短すぎる。
あと一歩でレゼーレに拳が届く。だが、それがなかなか埋まらない。
拳よりも剣、剣よりも槍、槍よりも弓が基本的には強い。間合いの長さとはそれ程に圧倒的なものなのだ。巨大な魔物相手だと多少リーチが伸びたところで誤差の範疇だったりもするが、このように人対人だと間合いの有利は如実に表れる。
このままではシラハは間合いを詰められず、一方的にレゼーレの剣の餌食だ。
だが拳を握った時点でそんなことは分かっている。
素手では間合いが短い。ならばどうするか。シラハはそれにとてもシンプルな答えを出している。
あらゆる間合いを無に帰すほどに、速く踏み込めばよい。
シラハは一段速度を上げることにした。
地面を蹴り砕いて踏み込む。その音よりもなお速くシラハの拳が伸びる。
「――ッ!」
急に速度の上昇したシラハに反応しきれずレゼーレは守りに入る。シラハの腕を切り落とすように斬撃を振るった……当たらないと分かった上での牽制だ。レゼーレの剣は何も捉えることが出来なかったが、シラハの速度を僅かに削ぐことに成功した。
しかし既にシラハは間合いの攻略に王手をかけている。あと拳一つ分でも踏み込めば、そこからはシラハの間合いだ。
「どうした? 随分と窮屈そうに剣を振るじゃねぇか!」
「――――」
ここが好機とばかりにシラハは拳を何十と重ね打つ。雑な乱れ打ちではない。一息に何十発と放っておきながら、その一発一発それぞれがレゼーレの防御を崩すべく狙いを定めた拳である。
だが驚くべき事にレゼーレはその打撃の悉くを防いだ。反撃に出ることは出来ずとも、剣で、鎧でいなし、また足を一瞬も止めることなく動き続けることで直撃を避けている。にもかかわらず豪雨が降り注ぐような打撃音が鳴り響く。
冒険者は攻撃の威力をこそ何よりも重視する。いかに巧みに急所を狙ったところで、半端な攻撃では魔物の体に傷一つ負わせられないからだ。
冒険者の極地であるシラハの拳もそうだ。孤王を殺すために磨いてきた拳。いくらレゼーレが完璧な防御をしたところで意味が無い。僅かでもかすっている時点で着実にダメージは蓄積している。そして、そうやって削り倒すための連打である。
「ッ……なんて、野蛮な……ッ!」
「もう限界か? 「効かせる」には今の倍は必要だと思ってたんだがな。細すぎるぜあんた……今度ダスクベアのステーキ食わせてやるよ!」
遂にシラハが己の間合いにレゼーレを捉えた。放つ技は敵の顎を鉄槌で打ち上げる技、
「『昇陽槌』」
レゼーレの『格』なら絶命こそしないだろうが、戦闘不能は確実だ。よくもまあ片手剣でここまで凌いだものだが、これで終わりだ――待て、片手?
「ッ!?」
襲い来る二振り目を防げたのは、シラハが攻撃を直前で中断していたからだ。シラハは右手を攻撃ではなく、レゼーレの左手を押さえ込むのに使ったのだ。
レゼーレの左手はいつの間にか短剣を逆手に握っていた。短剣の抜刀術だ。
「このタイミングの『潜み狩るは黒梟』を防ぎますか」
「狙ってたな? 二刀使いなら最初から両方抜いとけば良いものを、小出しにしやがって」
中距離ならレゼーレの片手剣に分があるが、近距離はシラハの拳の独擅場。と思わせたのは策略で、実際にはレゼーレは短剣も隠し持っていたわけだ。短剣ならば接近戦でも振るうことが出来る。
――左手はマント振ったり小細工するために空けてるもんだと思ったが、ちゃんと攻撃も出来た訳だ。
もしシラハがあのまま『昇陽槌』を打とうとしていれば、『潜み狩るは黒梟』とかいう短剣の抜き打ちで腕を切り落とされていただろう。
かろうじて出鼻を押さえ込むことに成功したものの、押さえられてなおレゼーレの短剣はシラハの手首を狙って暴れ回る。
心地よい冷や汗がシラハのこめかみに浮かぶ。
「料理は前菜から順番に出すものでしょう? その方がより肉料理も楽しめてよ」
レゼーレが片手剣の柄頭でシラハの頭を狙い、シラハは外受けに防ぐ。その隙にレゼーレは短剣の自由を取り戻し一閃。シラハは一度後退せざるを得なかった。
間合いが切られ、レゼーレが改めて二刀を構える。右に片手剣、左に短剣。それこそがレゼーレの本来の戦い方であると一目で分かった。感じる殺気が段違いだ。こうして対峙しているだけでも己の死が頭をよぎる。
風が吹いたのか、木の葉がざらざらと擦れる音がする。本当にそうだろうか。風などではなく、今レゼーレが半歩こちらににじり寄った足音ではないだろうか。
「そうだな……確かに認めるよ。俺は今楽しんでる。人生で二番目か三番目くらいかにはな」
「ならもう少し手を凝らしましょうか。あなたの最後の晩餐ですもの」
「言ってろ」




