第二話「運命の女たち」
強者の気配の元に辿り着いたシラハは、自身が藪をつついたことを自覚した。
木の上、枝の影から見下ろした先で少女と女が姉妹のように連れ立って歩いている。
少女の方は面立ちにまだ幼さが残っている。それを見るに年の頃は十代前半と言ったところか。実用本位の地味な旅装を身にまとっているが、人形のように精緻な顔立ちであり見る者を魅了する。髪もそうだ。少し砂埃で煤けているが、それを差し引いても金糸のように輝いている。後頭部のシニヨンをほどけば腰にも届くのではなかろうか。
シラハもこの少女に愛らしさを感じないではなかったが、
――違う。こっちじゃねぇ。あれは素人だ。
足取りがいちいち危なっかしいのである。シラハが見ている間にも既に三回は転びかけた。戦いの素人どころか、街の外を歩いたことすらないのではないだろうか。魔術師である可能性も考えたが、少女の『格』は一般人以下のように感じられる。シラハが警戒するには当たらない。
この『晦冥の森』においては数秒と立たずに餌になるはずの弱者がどうして未だに生きているか、そちらの方が問題だ。シラハはもう一人の女の方に目を向け、
「――!」
こいつだ、と確信する。
その女は使い古された外套で全身を覆っていたが、隙間から剣や甲冑が見え隠れしており、それらはとても冒険者用とは思えないほど装飾に凝った逸品だ。胸当てに施された彫刻などそれだけで家が何軒建つことか。だが、どれほど美しかろうと武装は武装だ。その武装を女は普段着のように着こなしている。
兜の類いは被っていないので素顔をさらしていた。線が細く、骨格からして華奢であることがうかがえる。細い顎、すらりと通った鼻梁、はっきりと開きながらも切れ長の目。いっそ鋭さすら感じられるほどに隙が無く、秀麗である。二十歳になるかならないか、まさに全盛の美しさ。
ただ一点瑕疵があると言えば頬だ。右頬に入れ墨のようなものが入っている。緋色の花の入れ墨だ。彼女の白い肌の上でくっきりと色づく見事なものだが、この美貌に添えるにはいささか野暮にも思える。
女は少女の数歩先で、少女が追いつくのを待っている。
「ふぅ……すまぬな。多少は体力が付いてきたつもりだったが、こうも険しいとなんとも……ッ!」
仰々しい言葉遣いの少女がまた足を滑らせそうになった瞬間、女がそっと寄り添い少女を支える。今回だけではない。少女が躓くたびに、女はそのタイミングが分かっていたかのように少女を助けていた。
「いいえ。ファス様にこのような場所を歩かせてしまい申し訳ありません」
「構わぬ構わぬ。まだもう少し歩ける。どうせなら夜通し踊り明かせるくらいまで鍛えておこうと思っていてな。ふふ、お披露目が楽しみだな。その時は当然そなたにも付き合って貰うぞ?」
「仰せのままに、ファス様。……しかし、今のところは少しばかり足を止めねばならないようです」
女がファスと呼ばれた少女から目を離し、振り返る。それに一拍遅れて女の髪の房がふわりと広がる。猛禽が狩りの前に翼を広げたなら、あのようになるだろうか。
「客人のようですので」
女がシラハの方を見ている。おおよそ百歩の先、樹上に身を潜めたシラハの存在を女は確かに捉えていた。
その時シラハを襲ったその感覚を何と言い表せば良いだろう。
全身の産毛に至るまでが逆立つような、高所から飛び降りるときの浮遊感のような、体の芯までが凍てついたかのようなその感覚。
殺気だ。シラハはそう結論した。こんな感覚は二ヶ月ぶりだ。何と喜ばしいことだろうか。孤王を殺したこの身であってもまだこの震えを堪能できるとは。
女はシラハの隠れる方角に向けて言う。
「出てきてはいかがかしら。あなたに淑女を踊りに誘う勇気があればの話だけれど」
言われるまでもない。シラハは自身の立っていた枝を蹴って跳躍した。百歩の距離を一足に詰めて、女とファスの前に姿を現す。シラハは音もなく着地すると、
「大したもんだぜ。あの距離で気取られるとは思ってもみなかった」
シラハの出現にファスの方は面食らっているようだった。しかし女の方は平然と、
「随分と木登りがお上手なのね。それで、何かご用かしら。生憎と、クルミは切らしていてよ」
「そうだな……まずは名乗っとくか。俺はケヴェル支部の冒険者、シラハだ。ちなみにリスじゃなくて人間だ」
そう言ってシラハは懐から一枚のカードを取り出す。冒険者認定証と呼ばれるものだ。シラハの名前や資格の等級、所属パーティーなどが記載されている。
「要件はただ一つだ。あんたらの認定証を見せて貰おうか。ここは第三孤王封鎖領域、『晦冥の森』。冒険者以外の立ち入りは禁じられてる」
孤王封鎖領域への立ち入りは、有資格者――すなわち冒険者にのみ許される。
理由は様々あるが、最大の理由は孤王や魔物達を領域外に出さないためだ。
孤王は封鎖領域を出ることは滅多にないが、皆無ではない。時折気まぐれのように「散歩」に出ることがある。散歩の時、邪魔な石ころがあったならどうするか。避けても良いが戯れに蹴飛ばすこともあるだろう。孤王にとって人里など路傍の石程度のものだ。孤王が「散歩」にでれば街の二つや三つは簡単に滅ぶ。現に、シラハの仲間の復讐者の故郷はそうやって滅ぼされた。
もし封鎖領域内に考えなしに人が立ち入れば孤王を刺激し「散歩」の回数が増える可能性がある。
また、孤王以外の魔物にも同じ事が言える。例えば森の深部では比較的見かけるダスクベアだが、もしこれが領域外に現れれば大事件である。
だからこその封鎖領域。本来なら立ち入るべきではない場所だが、それでも最低限の調査や魔物の間引きのために領域へ立ち入る必要がどうしても生じる。故に資格を持った冒険者が、許可を受けてそれらを行う。
今のシラハとて名目上は「森の全域哨戒」をしていることになっているのだ。最高位の冒険者であっても完全な自由探索は出来ない。
「――と、まぁそういうことでな。無資格者は一応見逃しちゃならないことになってんだ。とっとと認定証を提示するか、大人しく降伏しろ。そんなに悪いようにはしねぇからよ」
さて、どう出るか。シラハが思うに、この二人は十中八九無資格だ。ただ目的が想像できない。相当強く、また育ちの良さそうな女が、もっとやんごとなさそうな少女を連れている。一つ言えるのは相当にきな臭いということだ。出来ることならもう少し様子を伺いたかったが、気配を気取られてしまっては仕方がない。
返答を待つシラハに対し、女は薄い唇を開き、
「ええ、もちろん。こちらに……」
腕当てをつけていてすら細い女の腕が、外套の中に消える。
「金ぴかの賄賂はいらねぇぞ。事情があるなら酌量してやらんでもないから降伏し――ッ!!」
一閃。銀光が一瞬にしてシラハの首を狙う。
が、それに先んじてシラハは仰け反って回避、そのまま後方倒立回転に移り、その勢いを使って女の顎を蹴り上げるも、直前に女が首を振ったので命中には至らない。
シラハは後方に飛び退り間合いを一度切った。ここに来てようやく女の得物を見ることが出来た。細身の片手剣だ。刀身全体に彫刻が施され一見豪奢に見えるが、血溝も備えていることから「実用性」の高さもうかがえる。
「そういうの、抜刀術って言うんだったか。そんなにちゃんとしたのは初めて見るぜ」
女が外套の中に手を差し入れた時点でシラハは最大限に警戒をしていた。このように不意打ちで抜剣してくることも当然想定していた。だが、女の抜刀はシラハの想定を上回るほどに速く、技の起こりがなかった。もし寸毫でも気を抜いていれば今頃シラハの生首がその辺りに転がっていただろう。
――『格』は俺の方が上だと思うんだがな。
シラハの口元に隠し損ねた獰猛な笑みが浮かぶ。
人の強さを決めるのは『格』だけではない。技――『技能』も重要な要素だ。拳法の鍛錬をすれば拳法の『技能』が、魔物を殺し続ければ対魔物戦闘の『技能』が、少しずつ磨かれていく。
では、目の前の女剣士はどの『技能』を得意としている? ――自明だ。
「なるほどね、道理で冒険者っぽくねぇわけだ。あんた、対人専門だな?」
そうでなければ、シラハの命を脅かすことなど出来ない。シラハはもっぱら魔物と戦って強くなったため対魔物の『技能』に長けているが、人間の強敵と戦う機会は少なかった。
だが恐らくこの女剣士は人間と戦うことで腕を上げてきている。人間の認識を騙す方法や人間の急所を狙う『技能』がシラハよりも高く、それゆえにこの戦いにおいてはシラハにも勝りうる。
女剣士はクスリと笑って、
「まぁ酷い人。淑女をまるで殺し屋のように」
「人の頸を躊躇いなくぶった切ろうとしてきたヤツが猫被るんじゃねぇよ。――一応聞いとくが、なんでこんな事しやがる? 俺はただの善良な冒険者だぜ」
シラハの問いに女剣士はただ鷹揚に微笑むだけだった。黙殺である。しかし向こうの小さい方、少女ファスが声を上げる。
「ま、待てレゼーレ!」
レゼーレというのは女剣士の名前だろうか。
「まだ敵と決まった訳ではなかろうが! その男は名乗り、目的を明かした。なのにいきなり斬りかかるなどあまりに無体であろう! たとえ彼の言葉の真偽が分からぬとしてもだ!」
――ガキの割にまともなことを言いやがる。
そう思ったのはシラハだけではない。なんと女剣士、レゼーレも「確かに仰せの通りです、ファス様」と自身の非をあっさり認めた。
「確かに彼が本当にただの冒険者である可能性もあります……しかし敵でないと決まったわけでもありません。そしてもし敵であったのなら、後手に回ることは絶対に許されない」
「――! そやつ、強いのか」
「はい。人間かどうか疑わしいほどに。ですがご安心を。しばし目を伏せていていただければすぐに終わります」
背後の少女と言葉を交わしつつも、女剣士の銀色の瞳は眼前の標的を捉えている。
「さて、聞いていましたね。「善良な冒険者」さん。どうせ私たちを狙ってきたのでしょうけれど、もしあなたが本当にただの通りすがりなら……どうかこの私の名を忘れないで」
女の剣、その切っ先がシラハの心臓へと向く。
「そうすればきっと、冥府で発した恨み言も私の耳まで届くでしょうから」
奇妙なことだが、シラハはこの時こそこの女……レゼーレを美しいと思った。
彼女の握る剣と同じだ。ただ外見だけでも美しいが、その美しさは命を奪う道具であるという本質があってこそ完全となる。
今、シラハを殺さんとするレゼーレの凄艶さと来たら――
シラハは口の中を噛んで、余分な思考を打ち切る。
「二度目になるが……冒険者シラハだ。手合わせ願うぜ、レゼーレ」
「どうもご丁寧に。お墓にお名前を彫ってあげられる程暇ではありませんが悪しからず」




