第一話「拳法家シラハ」
「幸先が良いぜ。路銀はあって困ることはないし」
ダスクベアを倒した青年――シラハは手の中で金貨をもてあそんだ。シラハはその後、ダスクベアに襲われていた冒険者を『晦冥の森』の外縁部まで送り届けている。金貨はその冒険者から謝礼として受け取ったものだ。
散歩のついでに拳を一発見舞っただけで思わぬ収入を手にしたシラハは上機嫌だった。
陰鬱に薄暗い『晦冥の森』を、シラハは鼻歌交じりに歩いていく。
一方で憂いもあるといえばある。
――あいつ……謝礼にいきなり全財産寄越そうとしやがったな……。
殊勝なことではある。命の恩人に礼を尽くす。その道徳を持ち合わせている人間は案外少ない。
だが冒険者としてはそれでは不足だ。命の恩にも相場があり、それ以上を支払うようではただのカモ、世渡りが出来ない。あの冒険者には力だけでなく強かさも足りなかった。
そんな未熟な冒険者が『晦冥の森』の深部まで一人で踏み入ってきた。その原因はやはり、
「俺達が『明けぬ夜』を殺ったからだろうな」
冒険者とは、孤王封鎖領域への立ち入りを許可され、封鎖領域の探索を仕事とする者達のことを言う。
今まで『晦冥の森』を職場とする冒険者達は孤王である『明けぬ夜』と遭遇しないことを必死に祈りながら、資源の採集や魔物の間引き、領域内の調査などを行ってきた。
だが『明けぬ夜』はもういない。孤王の恐怖から解放された冒険者達が無謀な探索をするようになってきているのだと、そんな噂を聞いていた。
「まぁ……孤王がいないとなれば何年か後には封鎖領域も解除。ここの冒険者からすりゃ最後の稼ぎ時、無茶しやがるヤツも出てくるか……」
孤王が倒された以上、この地は大きく変わっていく。良くも悪くも。シラハには森の木々のざわめきが以前と違う声色に聞こえていた。きっとそれはシラハの気のせいではないのだろう。
――『変わらない』ということは死んでるのと同じ……ってのはセレインの台詞だったか。
それはシラハの所属していた冒険者パーティー『射干玉狩る七曜』も例外ではなかった。
『射干玉狩る七曜』は『明けぬ夜』討伐のために結成されたパーティーだ。
シラハを含む七人のメンバーは皆それぞれ違う目的があり、そのために孤王の討伐を望んだ。
最古参のシラハは『射干玉狩る七曜』に五年間所属していた。十四歳から十九歳――シラハの記憶が正しければ――にかけての五年を共に過ごした仲間達との別れを惜しむ気持ちは無論あった。
だがやはり孤王の討伐が成った以上、皆それぞれの道を歩き出さなければならない。
リーダーの戦士は自身の引退とパーティ解散を宣言した。
魔術師は封鎖領域内の調査のためこの地に留まると言った。
工学者は孤王の情報を持って研究室に帰ると言った。
聖職者は新たな巡礼地へと旅立った。
復讐者は孤王に滅ぼされた故郷へ戻り、亡き同胞を弔うという。
女中は新たな生き方を模索すると言っていた。
そして拳法家も、また。
シラハの口元が微かにほころぶ。そういえば、魔術師はにはずいぶんと引き留められた。
あの魔術師は老成しているようでいて、結局根底は見た目通りの少女で寂しがり屋なのだ。
――シラハは行かぬよな!? わしの調査を手伝ってくれるじゃろ!?
そう泣きべそをかきながらシラハの服の裾を引っ張る彼女を説得するのは骨が折れたが、それでもシラハは今まさに『晦冥の森』から旅立とうとしている。
「まだ、この拳の答えが見つかってねぇからな」
それがシラハの目的だった。孤王を倒してもなお果たされない、シラハの師が残した「宿題」だ。
早い話がシラハは武者修行の旅に出ようとしているのだ。この土地にはもはやシラハを鍛えられるような敵は存在しない。だから旅立たなくてはいけない。
特に目的地の当てはないが、せっかく孤王を倒したのだ。どうせ行くなら『晦冥の森』の反対側が良い。シラハは自分達が拠点としていたケヴェルの街から『晦冥の森』に入り、ひたすらに真っ直ぐ森を突っ切ろうと考えていた。
――トゥオーノ方面はともかく……ロカマドゥールの方は全然だな。出来ればそっちに抜けられたらいい。
無論、『晦冥の森』はこんな行き当たりばったりに抜けられる場所ではないが、シラハの移動速度、踏破能力および持久力は人類の極限と言っても過言ではない。彼であれば森を抜けるまでそう日数はかからないはずであった。
シラハはここまで通ってきた道なき道を振り返る。そろそろ現在地が分からなくなってきた。工学者であれば器具を使って正確な現在地を割り出せるが、シラハには方位磁石と感覚しか無い。
それでも今ならばまだケヴェルに戻ることが出来る。
「ハハッ、何だそりゃ。今生の別れと決まったわけでもねぇのに」
シラハは体を前傾させると、ためらいなく走り出した。ごうと木々の間を抜ける一陣の風となって、新天地に向かって突き進んで行く。
そうして二日が経過した。シラハは水や食料の調達には慣れている。ただ、今までも食べていたはずの木の実や肉がやたらと不味く感じた。女中がいなければこうも味が変わるものかとシラハは顔をしかめた。
こうして食事や睡眠等最低限の休息は取りつつも、それ以外はひたすらに走り続ける。木の根や斜面で起伏が多い上に、落ち葉で滑りやすい森の中でもシラハの速度は鈍らない。鈍らないはずだったが、
「――?」
突如としてシラハが減速する。急停止ではなく、足音が響かないよう段階的に速度を落とし、やがて止まる。
「いるな。強いヤツが」
強者の気配とでも言えば良いのだろうか。『格』の高い生物がいた場合、シラハは第六感的にその存在を感じ取ることが出来る。ざらついた空気が肌をこするような感覚だ。孤王封鎖領域で長く生き延びていれば、この手の感覚は誰であれ身につく。
ただ今のシラハから見ても『格』が高いと言える魔物など、今の『晦冥の森』にいるはずがない。
「となると、人だな」
しかしこれはなかなかどうして強い。シラハや戦士よりは一枚落ちる印象だが、その他の『射干玉狩る七曜』メンバーには匹敵、あるいは勝っているかもしれない。
さて、どうしたものかとシラハは思案する。
これがシラハと同じような高位の冒険者なら構わない。だが、もし不法侵入者なら? 孤王が死んだ事を聞きつけて、冒険者認定証を持たずに封鎖領域を荒らす不届き者が現れる可能性を戦士は危惧していた。
別にシラハとしてはどうでも良いことだ。ただ、シラハは魔術師が封鎖領域内の遺跡調査を行っていることを知っている。
――もし盗掘者が入ってきたら困るだろうな。
そんな思考が、シラハの足を正体不明の強者の元へと向ける。
呼吸を練り、気配を消す。様子を見に行くのなら気取られてはならない。シラハが相手を察知したように、向こうもこちらを認識している可能性があるからだ。
先ほどまでの風を巻いて走るような疾走からは打って変わり、無音の歩法でシラハは移動する。
ほどなくして、シラハは木の上から気配の主を発見する。
そこには森の精霊かと見紛う程に美しい女達がいた。
2026/03/03 空行追加




