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沈む思い出、跳ねる金魚

作者: 茶ヤマ
掲載日:2025/08/24

田舎の実家に戻って、三日目。

梅雨の終わりが近いのに、空はどこまでも湿っぽく、

草むらには重たい雨粒が残り、舗装の隙間に水たまりが点々と広がっていた。


家の中には、父がひとり。

座椅子に腰かけて、テレビもつけず、じっと壁を見ていた。

声をかけても、返事はない。ただ、ときおり唇が微かに動いている。


夕方、気詰まりを感じて裏庭に出ると、雑草の隙間に濁った水たまりができていた。

なんとなく覗きこんだそのとき——


ぴちゃ。


音とともに、水面が揺れ、

赤い金魚が跳ねた。


まさか、と思ってもう一度のぞきこむと、

水たまりの中に確かに、数匹の金魚が泳いでいた。

水面は浅いのに、奥深く、ずっと下のほうに光が揺れている。

それはまるで、底のない井戸のようだった。


金魚が、また一匹、空に向かって跳ねた。

重力などないかのように、くるりと宙返りし、また水に、音もなく吸いこまれる。


ふと、思い出した。

昔、母が大事にしていた金魚鉢があったことを。

小学校の頃、誤って私が倒してしまい、母は何も言わなかったが、翌日から急に無口になった。


「…見えるのか」


背後で、父の声がした。

いつの間にか、父が私の背後に立っていた。裸足で。


「それ、お前のだな」


声は低く、乾いたようで、どこか…湿っていた。


私の足元。見下ろすと、そこにも水たまりが広がっていた。

先ほどよりも濃く、深く、中で何かがうごめいている。


——金魚の目だ。

何匹もの金魚が、こちらを見上げていた。


突然、()()()ばしゃん!と水が跳ねる音がし、私の両足が沈んだ。

地面のはずなのに、まるで池に膝まで突っ込んだようだった。


「母さんはな、あれに連れていかれたんだ」

父がつぶやく。


「金魚は、最初は、かわいかったんだ…

 母さんは、だからずっとあの金魚を世話してて…


 ある日、跳ねる音がしてな。それっきり」


私の膝に冷たい感触が這い上がる。

まるで、水の中から誰かの指が伸びてくるようだった。


「見たらだめだ。跳ねる音がしても、のぞくな。

 水たまりは、呼ぶんだ。過去のものを。愛したものを。

 そして、それに足をとられたら、戻れない」


父が私の腕をつかみ、ぐいと引き上げる。

次の瞬間、私は地面に尻もちをついていた。


みずたまりは干上がり、金魚も、水も、どこにもなかった。


私は漠然と理解した。

水たまりは…飲み込む。人の心を。

跳ねるように見せて、おいでおいでと、連れていく。


父は静かに立ち去りながら、背を向けて言った。


「思い出なんか、呼び戻すもんじゃない。

 跳ねる音がしたら…耳をふさげ。今度は、間に合わんかもしれん…

 俺がいなくなった時には、どうにもならんだろ」


ーーーーーー


あれから数年。

今でも時折、「ばしゃん」と水の音が耳元ですることがある……。


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