ああ、なんて可哀そうなお姉様!
「聖女召喚は重罪だそうです」と同じ世界、続きの時間のお話ではありますが、内容的には全然関係ありません。舞台になっている国から違います。
ただ、一族の守り神について気になった場合はあちらの第三七話・第三九話辺りを読むとだいたいわかります。
母が死んですぐの、10歳の冬。
僕は、運命の出会いを果たした。
村長の娘が自慢していた人形よりもずっと、その人は美しかった。
こんなに美しい存在が、生きて動いているなんて。
こんなに美しい人が、この世界にいるなんて。
とても信じられないくらいに、とてもとても、美しかった。
麦の穂よりもずっと鮮やかで、何に似ているともわからない程に煌めく黄色の髪。――今なら、黄色なんかではなく、黄金を溶かしたような輝きなのだと言えるのだけれども。
炎よりも夕日よりも鮮やかで、キラキラとまばゆく輝く赤い瞳。――今なら、ピジョン・ブラッドのルビーのようと称えられるのだけれども。
雪のように白く、自分たちと同じ人間だとは思えない程に滑らかに美しく整った肌。――今なら、白絹の如きと表現できるのだけれども。
当時の僕には、わからなかった。
あまりに美し過ぎて、その時の僕が今までの人生で目にした物のどれを使っても、その人の美しさはとうてい表現しきれなかったのだ。
「おひめさまだ……」
だから僕は、僕の姉だというその人を初めてみたその時、物語の中の理想的な存在を、挙げてしまったのだ。
開拓村に住んでいた僕にとっては、母が語って聞かせてくれた物語の中にしかいなかった。
けれど、高位の貴族令嬢からすれば実際に面識もあるくらいには近く、けれど混同なぞされるには恐れ多いくらいには遠く尊い。
そんな存在を。
「口を開けたままにしていると、いかにも馬鹿に見えるわよ。事実、あなたは愚かなのでしょうけれど」
だから【おひめさま】と呼ばれたその人は、とても冷たい声音で、淡々とそう切り捨てたのだった。
「私は、伯爵令嬢でしかないわ。愚かなあなたには違いがわからないのでしょうけれど、あなたの今の言葉は、本物のお姫様、すなわち王女殿下やそのご家族、つまりは王家に喧嘩を売っているようなもの。巻き込まれた私だって迷惑よ」
言っている事の半分もわからなかったけれど、とにもかくにもこの美しい人を不機嫌にさせてしまった事だけはわかった。
ざあ、と血の気が引く心地でいる僕を見下げ、どこまでも厳しく、彼女は断じる。
「仮にもこの家の人間になるのならば、そんな愚かな妄言を口にしないで欲しいものね。だいたい、完璧な立礼をしろとは言わないけれど、せめて頭を下げる程度の分別はないのかしら? それとも、お前は自分が私と同格だとでも思っていて?」
「ご、ごめんなさい……っ!」
反射的に、頭を下げた。
けれど、頭の位置が格の違いを示すのだということなら、僕は地面に埋まったって足りないのではないか。せめて床に膝をつくべきか。
ぐるぐると考え焦る間も、彼女は止まらない。
「目上に謝意を示すならば、申し訳ございません、でしょう。まったく、どんな育てられ方をしてきたのかしら。姿は凡庸、礼儀を知らず、その上頭の回転も遅いだなんて。……こんなのが私の弟ですって? 冗談でしょう? 本当に、私の父であるあの人の血を引いているのかしら? コレが?」
情けなくて、泣きたくて、もうどうすれば良いのかわからなくて。
ただ縮こまって震える僕の頭上から、更に厳しい言葉が降ってきた。
けれど。
「相応しい教育も環境も管理も世話すらも、何も与えられていないじゃないの。自分の血を分けた子どもをここまで放置しておいただなんて、あの人の正気を疑うわ」
続いて苛立たし気に吐き出された言葉は、そんな物だったから。
どういう意味かとそろりとその表情を窺えば、彼女はひたりと僕を見つめ、粛々と告げる。
「あの人はお前を愛した女の形見として愛玩するおつもりのようだけれど、そんな生き方が許される時期はもう何年もないでしょう。背が伸びて、男らしく育って、そうしてお前の母の面影を失ってなおあの人の愛玩に耐えるようであれると、お前は思うの?」
「お、思わない、です……」
彼女の問いに率直に答えれば、その人は実に美しい、完璧な笑みを浮かべ頷く。
「そうね。そうなのよ。せめてその程度はわかる知能はあるようで、安心したわ。わかっているのならば、現状に甘んじてはいけないわ。自分の価値を磨きなさい。他者に侮られないだけの能力を身に付けなさい。……私の弟に相応しく、そしてあの人に頼らずとも生きていけるようになりなさい」
彼女の言葉は、厳しくも温かかった。
ああ、この美しい人は、今は父の愛しかすがる物がない不安定な立場の僕を思って厳しく指摘してくれているのだ。
そう気が付いた瞬間にはもう、僕にとって彼女は、父よりも母よりもこの世界の誰よりも、大好きで大好きで大切な人に、なっていたのだった。
これが、そんな大好きで大好きで大切な美しい人、つまりはお姉様と、僕との出会い。
――――
お姉様はそれからも、ずっと僕に厳しかった。いや、厳しくしてくださった。
礼儀礼節を教え常識を説き知識を分け与え、ほんのわずかでも僕の言葉や所作に伯爵令息として相応しくない部分があれば都度親切に指摘し、ではどうすれば良いかまでを示してくれた。
お姉様は侯爵家出身の高貴な奥様からお生まれになり、街の屋敷で大切に養育されたお嬢様。
対して僕は、父が市井の女に産ませた上に、奥様の怒りを恐れ辺境の開拓村に身を隠した母に育てられた子である。
その上お姉様は、皆市井の者たちより格段に磨き上げられている貴族の人々の中にあっても突出するほどにお美しい。それは高貴な奥様譲りの元々の美貌もあってのことだが、たゆまず美を追求し常に表情を律し姿勢を整えるそのお姉様の努力の賜物であろうと、僕は思う。
しかも彼女の努力は美の追求だけにとどまらず、父の唯一の正式な子として、伯爵家の跡継ぎに足るだけの知識と教養、そして領地への深い理解と親愛までも身に付けていた。
その評判を聞き及んだ王家が、末の第四王子の婿入りを打診してくるほどに、完璧に。
生まれも育ちも才覚も努力も、何もかもが違う。
父親の血が同じというだけで、僕を弟と呼ばねばならない理由も道理も何もない。
僕らの年は、1歳も違わない。たった半年。それはすなわち、お姉様が奥様のお腹にいらっしゃる時に、父と母は。
そんな背景を考えれば、父の裏切りの動かぬ証拠である僕の事を疎んだって貶めたって、当然だろうに。
けれどお姉様は、『私の弟に相応しく』と、高い水準を求めてくださった。僕なんぞに、もったいない程の期待をかけてくださったのだ。
だというのに。
父は、お姉様を叱った。
『もっと弟に優しくできないのか』と。
父が僕に付けてくれた最初のメイドは言った。
『坊ちゃま、おかわいそうに』と。
お姉様は、この上なくお優しいではないか。一見厳しい言動は、僕の事を思えばこそだ。
こんなにもお姉様に手をかけていただいている僕のどこが、かわいそうだというのだ。
けれど、父やそのメイドと意見を同じくする人間は、その後も何度か現れた。
彼ら彼女らに共通する哀れみとどうしてか心地よくない愛の籠った視線を見ているうちに、やがて僕は気が付いた。
ああ、『かわいそうはかわいい』というやつなんだなと。
お姉様は、僕を哀れまない。
まだまだ不出来な僕だけど、いずれは彼女の足元くらいには及ぶだろうと思ってくださっているから。
遅れれば叱責し、倒れれば罵り、そうしてお姉様のいらっしゃる高みまで登ってこいと、叱咤激励してくださる。
僕を可愛がる人々は、僕を哀れむ。
僕は可哀想だからこそ可愛くて、故にずっと、可哀想なままでいて欲しいから。
そのままで良いのだとどこまでも肯定し甘やかし、僕が上を目指す心を挫こうとする。
最悪だ。
父らはむしろ、お姉様を見習うべきだ。誰よりも気高くどこまでも高貴なお姉様の黄金の精神を、崇め讃え尊び範とせよ。
『かわいそうはかわいい』だなんて、全くもって、気に食わない考えだ。
気に食わない考えだと、思っていたのに。
お姉様から半年遅れて僕が16歳になった、その翌日の事だった。
なんでも、僕らの、というか父の遠い先祖が、神に成ったのだそうだ。子々孫々を見守り慈しみ力を与える、一族の守り神に。
一族の皆々は神の奇跡を分け与えられ、そして治癒の魔法の才能を開花させた。
僕自身も数十年の修行の果てに高位の神官が至る程度の高度な魔法とやらが使えるようになり、これで神官になることができるのかな、と少し浮かれたりした。
将来的にお姉様にご迷惑をおかけする心配は、これでなくなりそうだと。
僕でこれなのだから、お姉様ならばきっと聖女の如き……と、考えていたのに。
「お母様っ! どういうことですのっ!!」
あまりにもお姉様らしくない取り乱した叫び声。それが、始まりだった。
前を通りがかったサロンの中、常に美しく整えているその髪を振り乱し、あまりに淑女らしくない様で、お姉様が声を荒げていたものだから。
僕は、足を止めてしまった。そして、見てしまった。
奥様が、うつむいているのを。
父が、怒りを堪えているような表情で、その人を睨みつけているのを。
そして、お姉様が、泣き叫ぶのを。
「私には、守り神様からの加護が与えられませんでしたわ……。わ、わたくしは、私はお父様の子ではないの!? お母様、お答えくださいまし! 私は、いったい誰の子なのですっ!!」
まさか。そんなはずが。
お姉様は生粋の貴族令嬢で、僕なんかとは違う、完璧な存在。そうだろう? そうでなければいけない。
ああ、父の子でないのであれば、もっと高貴なお方の隠された子という可能性はあるかもしれない。
あるいは実はお姉様は女神か天使といった、父の子どころか奥様の子でもないもっと尊いなにかであるとか……。
「……商人!? 出入りの、ああ……っ、あの平民、顔立ちが多少整っているだけの、あの軽薄な……っ!」
我ながら発想がぶっ飛びかけていた所に、お姉様の更なる嘆きの声が響いて聞こえた。
平民? 平民の商人?
俯いている奥様が何を言ったのかは聞こえなかったが、まさかそんな。
お姉様の父親の話をしていて、なぜ平民の商人の名前なんて物が出てくるのか。
混乱する僕の視線の先、お姉様が顔を両手で覆って、崩れ落ちる。
「いやぁああああああああああ……っ!」
哀れ、だなんて、そんなはずはない。
だってお姉様はいつだって美しくて完璧で、自信に満ち溢れていて、気高い、そんな人なのに。
けれど床に座り込み、ぐすぐすと涙を拭いながらうずくまるその姿を見て、僕はどうしてか、『ああ、かわいい』と、思ってしまったのだった。
――――
結局、お姉様は父の子ではなく、奥様と出入りの商人の間の子、だったようだ。
奥様が言うには先に愛人に入れあげたのは父の方であり、商人はそれを慰めてくれた、と。
僕の生まれた時期からして、まあそんな事もあるのだろうな。
僕とすれば、そのくらいの評価だったのだけれども。
父は、激怒した。
自分の浮気を棚に上げて、と言ってやりたいところだが、父の浮気は公にしていたが奥様の浮気は公になっていなかった。ずっと周囲を欺いていたというのが、悪質だそうで。
奥様は激怒した父に離縁され実家に戻され、お姉様は我が伯爵家の籍から除籍という事に、なってしまった。
完璧なお姉様には、これまでは完璧な婚約者様がいらっしゃった。
第四王子殿下。いかにも王子らしい甘い顔立ちの、大切にお育てされた王家の子にしてその中でも末子ということで人に甘えるのがやたらに上手な、とかく甘ったるい印象の男。
年齢は王子の方がお姉様より2つ上だったけれど、王子はいつでもお姉様に頼り甘え、お姉様はそれを仕方なさそうに受け入れる。そんな関係。
政略で両家の両親により定められた婚約ではあったけれど、それをきっかけに思い合うようになった2人。そう、見えていたのだけれども。
甘ったれ王子は、お姉様が我が伯爵家の家督を継げないと知るや否や、すぐに婚約の破棄を申し渡してきた。
打ちひしがれるお姉様を慰めるどころか、これまでの関係を惜しむどころか、『騙されていた』と被害者ぶって、一方的にお姉様を悪者にして。
王子がそうしたせいだろう。
これまではお姉様を褒め称え羨んできたはずの社交界の皆々は、一気に手のひらを返し揃ってお姉様をさげすんだ。
『商人の子がああも貴族ぶって振る舞っていたなんて、滑稽ね』
『すっかり騙されてしまっていたな。本当は大した事のない品を上手い事売り込む手腕は、父親に似たのかね』
『前々から、嘘くさいと思っていたのよ』
お姉様の美しさも、聡明さも、何一つ失われてはいないというのに、勝手な事を。
その上、屋敷の使用人までもが同じように言い出してしまった。
というのも、父が、僕を伯爵家の籍に入れ家督を継がせると決めたからだろう。
これまで僕を憐れんでいた人々はそれを殊更に喜び、これまではお姉様や奥様に粛々と仕えていたはずの面々は慌てて僕にすり寄ってきた。
『あの人たちには天罰が下ったのですよ。これまでずっと、坊ちゃまをいじめてきたのですから』
『あちらは不義の子、坊ちゃまは正式な旦那様の子です。もうあなた様をさげすむことなどできません』
『良かったですね! これからは、坊ちゃまの天下でございますよ!』
冗談ではない。
僕が不義の子じゃないわけがないだろう。あまりにも新発想が過ぎる。奥様が浮気したとて打ち消し合うものではないんだよ、そこは。
だいたい、僕は父の子ではあるが母は平民。
お姉様の父親は庶民であるかもしれないが、母親は間違いなく高貴な侯爵家出身の奥様であらせられるのだ。
条件としてはほぼ同じ。それどころか育ちが上等な分だけ、お姉様の方が上だろうに。
そう言って反論して周っても、使用人たちは今一つ納得がいっていない様子だった。
僕は誰も彼もを馬鹿じゃないのかと思ったが、誰よりもそれらの周囲の人々の反応を一身に真正面から受け止めてしまったのは、お姉様であった。
父に、奥様に、婚約者に、これまで信頼していたのだろう友人知人に、彼女は裏切られあるいは切り捨てられた。
拠り所としていた自身の血統は偽りで、守ろうとしていた領地も領民もそうする権利はなくなってしまった。
身分すら失い、これから先どう暮らしていくべきかもわからないのだろう。
お姉様は、この上なく打ちひしがれた。泣いて、泣いて、嘆き続けた。
事が発覚して、半月。まだ立ち直る気配もないお姉様は、明日にはこの屋敷を出なければならない。
宝石類はともかく、彼女の体格に合わせて作られたドレスなど、置いて行かせたって使い道など無いだろうに、父は身一つで出て行くようにと命じたそうだ。
奥様もとい元奥様は一足先に実家の侯爵家に戻られたそうだが、そのまま領地の修道院に幽閉される予定と聞いている。
憐れんだメイドが与えたと聞いている古着を身に纏い、使用人棟の一室で、彼女は泣いていた。
いつでも背筋を伸ばし凛と立っている印象の強い人だったのに、床にうずくまって。
何があろうと決して取り乱したりなどしない方だったのに、この世の終わりみたいに、泣いて嘆いて呻いて喚いて。
いつだって綺麗に手入れされていた髪すら、ぐしゃぐしゃになって床に着いてしまっている。
この半月の心労のせいだろう、華奢でたおやかでしかし女性らしく美しいラインという完璧なバランスを保っていた体格は崩れ、痩せ細ってしまっている。
白絹の肌にまで、どこか翳りが。顔を伏せているのに、それが見て取れてしまった。彼女が全然体格に合っていない古着を身に着けている上に、裾の乱れを気にする余裕もないようだからだ。お姉様は今、腕の四分の一近く脚の半分近くを、僕の目に晒してしまっている。
ああ、ああ、ああ……!
なんて可哀そうなお姉様!!
ゾクゾクと背中を駆け抜けたのは、まごうことなき快感。
あまりにかわいそうでかわいらしいお姉様のその様を見て、この半月、どんどんかわいそうになっていくお姉様を見続けて。
僕は、あいつらの気持ちが、わかってしまった。
かわいそうは、かわいい。この上なくかわいくてかわいくて、愛おしい。
そんな気持ちが。
その時、床に突っ伏していたお姉様が、僕の気配に気が付いたらしく、もぞりと動き出した。
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、それでも力強い瞳で、彼女は僕をにらみ上げる。
「……お前もわたくしを、わらいに来たの」
ああ、ズダボロだ。
いつだって美しかったお姉様の顔すらも、みっともなくぐしゃぐしゃになってしまっている。少し頬がこけ、大きな瞳ばかりがギラギラと目立つようになり、そして濡れて歪んでしまっている。
あまりにかわいそうで、とんでもなくかわいらしい。
「いいえ。そんな事はありませんよ、お姉様」
「……あなたに姉と、呼ばれる筋合いはないわ」
内心の愉悦が漏れ出ないように気を付けて、いつものように姉を敬い慕う弟の声音で伝えたつもりだったのに、お姉様は心底嫌そうにそう吐き捨てた。
僕は、お姉様が教えてくれた貴族の子息らしい微笑みで返す。
「ええ、お姉様のおっしゃる通りです。母親違いの姉弟と思っていたのに、父親までも違っていたのだから、もはや丸っきりの他人同士でしょう」
「……っ! うぁあっ……!」
お姉様は、そのルビーの瞳からぶわりと涙をこぼし、またも床に突っ伏してしまった。
慰める事はせずに、僕はただ事実を伝える。
「なのでお姉様、僕ら、結婚できますよ」
「……な。……なにを、言ってるの、あなた……」
お姉様は、ぽかんとした表情で僕を見上げた。
その前にしゃがみこみ、ハンカチでお姉様のぐしゃぐしゃになってもなお美しい顔を拭いながら、僕は続ける。
「他人なら、結婚できるでしょう。お姉様も、あの見る目のない薄情な王子から解放されたわけですし。僕は元々この家の人間と認められていなかったので、婚約者なんていませんでしたし」
「……それは、そうだけれど……」
「というわけで、お姉様、僕と結婚してください。お姉様にとって、悪い話ではないと思うんですよね。僕と結婚しさえすれば、お姉様が継ぐつもりだった伯爵領から離れずに済みますよ?」
ようやく多少は見られる状態になったお姉様に、僕はニコリと笑って告げた。
お姉様はぎょっと眼を見開き、それから、うつむく。
「なっ、わ、私にとって良い話、……だとしても! あなたが私を選ぶ理由なんて……」
「ありますよ。お姉様は美しく、聡明で、我が領を深く愛してくださっています。それにほら、僕、元々庶民ですから。こんなのに嫁いでも良いって言う貴族のご令嬢って、確実に条件が悪いような人じゃないですか。そもそも、この年頃まで婚約者がいない時点で、ねえ?」
「……確かに、なにがしかの訳ありしか、もう残ってはいないでしょうね。条件の良い方ほど、早々に婚約がまとめられるもの」
「お姉様も、7歳の頃には婚約がまとまったそうですね。優秀な証拠だ。当主教育だってほとんど完了している。ね? お姉様こそが僕にとっての最良だと思いません?」
「だ、だからって……」
お姉様はもごもごと言いつつも、身を起こした。
床に座り込み僕の言葉を反芻するように思案気な表情をしている彼女に、更に言ってやる。
「それに、父はカッとなって元奥様を追い出してしまいましたけど、あれもマズイと思うんですよね。うち、思い切り元奥様のご実家とずぶずぶじゃないですか。あちらに借金がどれだけあってあらゆる事業でもどれほど提携をしていてって……、お姉様なら詳しくご存知ですよね?」
「……騎士団も、大半あちらからお借りしているのよ。侯爵家との縁が切れてしまったら、治安もどうなることか……」
それは知らなかったし考えてもみなかった。さすがはお姉様だ。
「ああそうなんですね。父の世代での縁結びが失敗したわけですから、僕らの代で結びなおしておかないとじゃないですか?」
「……そう、かも、しれない、わね」
「そうですよ。お姉様は侯爵家の血を引いている事は確実なわけですから、あちらの侯爵閣下……元奥様の兄君の養子にでも一旦なって、それで僕のお嫁さんになりに来てくれたら良いんじゃないかなーって、僕思うんですけど」
「……相変わらず、あなたは馬鹿ね。そんな単純に済む話じゃないわよ……」
畳みかければ、少しは納得してくれたようだったのに、結局お姉様は、呆れたようにため息を吐いた。
僕は立ち上がりぐっと伸びをして、無責任に言い放つ。
「そうですか。でもお姉様は頭が良いのですから、両家とどう交渉すれば良いか、わかるんじゃないですか?」
「……私は、この家の事を、知りすぎている。在野に放つのは危険だと……。いえでも、侯爵家としては……」
考えをまとめるためにだろう。ぶつぶつと独り言を呟くお姉様の顔は、すっかり常の思慮深い伯爵令嬢の物に戻っていた。
ああ、そう、これだこれ。
僕はこの気高くお美しいお姉様が、やっぱり好きだ。
けれど同時に、こうも思う。
ああ、なんて可哀そうなお姉様!
僕なんかに、こうも執着されてしまって。
今までと変わらぬ生活をしたければ、愛した領地と領民を守りたければ、こんな僕の手を取るしかなくて。
ああ、ああ、なんてかわいそうでかわいくて、愛おしいことか!
弟としか思っていなかった男がこんな感情を抱いていると知れば、お姉様は気持ち悪がるかもしれないし、きっと戸惑い困惑することだろう。王子への気持ちが残っていれば、なおの事。
けれど、これほど魅力的なお姉様に、誰も決まった相手や競う求婚者がいないのなんて、きっと今だけの事だから。
「お姉様、僕は、あなたを愛してます。あなただけを、愛しております。侯爵家に『後継予定の男はもうすっかり骨抜きにしてある。絶対服従の愛の奴隷だ』とでも、父に『私を逃せば孫の顔を見られなくなると思え』とでも、どうぞお好きに伝えてください」
「……へ。……えっ、えええっ!?」
交渉材料の一つを与えるかのように告白すれば、お姉様は見たことが無いくらいに顔を真っ赤にさせて、すっとんきょうな悲鳴を上げた。
おや。この人は、さほどかわいそうじゃなくともかわいい時があるのか。さすがは、お姉様だ。
感心しながら見つめれば、お姉様はますます赤面し、実に居心地悪そうに、視線をさ迷わせるのであった。
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