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5 婚約破棄するべきなのに

 アリッサはサミーの言葉を聞きながら混乱していた。心の中でセリーナへの憎しみが膨らんでいった。


「友人の婚約者を誘惑するなんて、セリーナ様は酷い人だわ。きっと、はじめからそのつもりでサミー様に近づいたのですね」


「きっと、そうだよ。セリーナ嬢はそういう女性だったのかもしれない。私は被害者なんだ、アリッサ。君を裏切るつもりなんて少しもなかったよ。セリーナ嬢は妊娠しないと言っていたんだ・・・・・・」


 サミーはそう繰り返すばかりだった。サミーの言葉は身勝手でかなり狡い言い訳のように聞こえるが、サミーの麗しい笑顔や二人で過ごした日々の楽しい思い出に囚われているアリッサには、サミーが酷い男だとは思えない。相手のセリーナを責めて悪者にすることで、アリッサは心のバランスを保とうとしていた。


 サミーが涙ぐみながら「婚約を解消してほしい」と言ったとき、即座に反応したのはニッキーだった。彼は両親の利己的な考えを真っ直ぐ受け継いでいた。すなわち、家の利益こそが最優先という立場を貫くという姿勢だ。


「この婚約は家同士の利益を考えたものでした。妹とは、8年間も婚約関係にあったのですよ? そのようなお話しならば、婚約解消ではなくギャロウェイ伯爵家からの婚約破棄となりますね。慰謝料もいただくことになるし、なにより、妹の立場を考えたら到底許せる話ではありません」


 アリッサはニッキーの顔を不思議そうに見つめた。


(家族の情より利益を優先するお兄様が、珍しく私の為に怒ってくださるの?)


 少しだけ嬉しい思いで兄の顔を見つめていたが、すぐにそのような思いは裏切られた。


「慰謝料は通常の相場の二倍払います。ですから、ここは穏便に婚約破棄ではなく、円満な婚約解消ということにしてください。社交界での私の立場が難しくなることは避けたい。セリーナ嬢が払うべき慰謝料も、私が払います」


「二倍? 二倍ねぇ・・・・・・妹の心の傷がどれほど深いか考えてください。友人に婚約者を奪われるなんて、社交界でどんな噂をされるか・・・・・・いい笑いものですよ」


「・・・・・・三倍、いや、五倍お支払いしましょう。ウィルコックス伯爵家にはダイヤモンド鉱山がある。お金ならいくらでもあるのですから。どうか、穏便に婚約解消という形で円満に事を収めましょう」


 サミーから大金が入ると聞いたニッキーの態度はたちまち軟化した。


「・・・・・・五倍? 五倍ですか・・・・・・それなら、まぁ、ギャロウェイ伯爵家の損にはならないかもしれない。父上はどう思われますか? やはり、つまるところは金でしょう? 他の女性を妊娠させたサミー卿との結婚に拘っても、アリッサが惨めになるだけです。たっぷりと慰謝料をもらって、新たに婚約者を探したほうがアリッサのためにもなります」


 あっさりと、ニッキーはサミーを責めるのをやめ慰謝料の話を進めようと、早速執事を呼び出し書類作成のための準備を始めた。


「確かに、ニッキーの言うとおりだな。五倍の慰謝料を払っていただけるのなら、婚約解消でも良いでしょう。アリッサにも、サミー卿の心をしっかり繋ぎとめておけなかった落ち度がありますからな。ご存じのようにアリッサは優秀ですが、女性としての魅力が足りなかったことは否めない」


 ギャロウェイ伯爵の発言は娘をおとしめるものだったが、ギャロウェイ伯爵夫人やニッキーもその発言をとがめることはなかった。アリッサはそれが家族全員の意見であると思い、惨めな気持ちでうつむいた。


「ごめんよ。愛しているのはアリッサだけなのだよ。裏切るつもりはなかったんだ」


 そう言い続けるサミーをアリッサは嫌いになることもできず、ただ悲しさと虚しさを抱えながら、自分の部屋へと駆け込んだ。自室に戻る途中、アリッサはニッキーの妻であるプレシャスと出くわす。プレシャスは居間に入ろうとしていたが、タイミングを逃してしまい、少し離れた場所でサミーとギャロウェイ伯爵家の人々の会話をずっと聞いていたのだった。


「アリッサ様にはなんの落ち度もありませんし、女性としてもとても魅力的です。ギャロウェイ伯爵の言い方は酷いですし、まったく見当違いですわ」


 家族のなかでプレシャスだけは、アリッサの魅力をわかっていた。だが、長年家族たちから植え付けられてきた劣等感はすぐに消えることはなかった。


「お父様のおっしゃることは正しいですわ。私がセリーナ様以上にサミー様を惹きつけるものがあったのなら、こうはならなかったのですから。私の魅力が足らない、というのはそれほど見当違いの意見ではないのです」



 ☆彡 ★彡

 


 その後、アリッサとサミーの婚約が円満に解消されたという記事がロイヤル・タイムズに掲載された。貴族たちはさまざまな推測を巡らせ、夜会やお茶会でその話題に花を咲かせる。表向きは円満な婚約解消とされているが、実際にはサミーがセリーナをエスコートして夜会や舞踏会に参加し、式も挙げずに速やかに籍を入れてしまっていた。


 本来なら、ギャロウェイ伯爵家からの婚約破棄により、サミーは不誠実な男性としてのレッテルを貼られるはずであった。しかし、ギャロウェイ伯爵家が婚約解消を受け入れたので、何か特別な事情があるのではないかと邪推されてしまう。その結果、社交界では2つの理由が囁かれることになった。


 1つは、ウィルコックス伯爵家から莫大な慰謝料が支払われたため、婚約破棄の手続きを進めなかったという説。もう1つは、アリッサにも何らかの落ち度があり、婚約破棄の要件を満たさなかったという説だ。噂は常に面白おかしく広がるもので、実際にはサミーの裏切りが原因なのに、アリッサに何か不祥事があったかのような話まで飛び出すようになった。アリッサは無責任な噂に悩まされ、次第に公の場に出ることを避けるようになってしまった。


 しかし、そのようなことになっても、アリッサはまだサミーを忘れることができなかった。愛する人を失った喪失感で、しばらく食事も喉を通らない日々が続いたのである。そんなアリッサにギャロウェイ伯爵は冷たかった。


「既に、爵位を継ぐべき同年代の子息たちは婚約者がいるか、結婚している。今から探すのでは、かなり条件が悪くなるかもしれない。年齢の離れた男性の後妻になる可能性も高いから、そこは覚悟しておきなさい」


 なんの落ち度もなくサミーから捨てられたアリッサに、ギャロウェイ伯爵夫妻は慰めの言葉ひとつ、かけなかったのである。


 家族揃っての夕食の席で後妻の話をされたアリッサは、従順な娘らしく父親に答える。


「はい、わかっております。お父様たちの選んでくださった方に嫁ぎますわ」


(きっと、すごく年上の方に嫁がされるのでしょうね。あれほど麗しいサミー様のあとでは、どんな男性も色あせてしまうから、どうでもいいけれど・・・・・・)


 アリッサはサミーが恋しかった。綺麗な水色の髪と瞳。彼の優雅な仕草のひとつひとつが、頭に刻み込まれていた・・・・・・とても長い間、婚約者として過ごしてきたのだ。すぐに忘れることなどアリッサにはできなかった。


「大丈夫。きっと、良い方が見つかりますわ。それに、私はこのままアリッサ様がギャロウェイ伯爵家にいてもいいと思います。アリッサ様は商取引や市場の動向を迅速に把握する才に長けていますし、兄妹で協力して領地を治めている貴族だっています」


 プレシャスはアリッサを庇ったが、ニッキーは即座に反論する。


「プレシャス! 余計なことを言うなよ。アリッサが嫁にも行かずギャロウェイ伯爵家に居続けるなんて、また社交界でおかしな噂になるだろう? アリッサは父上や私の言うことを聞いて、ギャロウェイ伯爵家の利益となる男に嫁ぐべきなんだ。今度こそ、浮気をされないようアリッサも気をつけるんだぞ。なんなら、その面白みのない髪を金髪に染めたらどうだ?」


 ギャロウェイ伯爵家の人々はアリッサを除いて、皆が輝く金髪と青い瞳を持っていた。ゴドルフィン王国では、一般の人々のほとんどが茶色の髪と瞳を持ち、貴族階級においても同様に茶髪茶瞳が多数を占めていた。しかし、ニッキーのような一部の高慢な貴族たちは、自分たちの金髪碧眼を高貴な証と信じ、まるで茶色の髪や瞳が劣っているかのように見なす傾向があった。


 実際、ほとんどの貴族たちは金髪碧眼を美しいと感じつつも、髪や瞳の色にさほどの価値を見出してはいない。茶髪茶瞳であっても、品位や血統に変わりはないというのが一般的な考えだった。しかし、特にニッキーは自分たちの特徴を誇りに思い、茶色の髪や瞳をありふれたものとして、どこか軽んじる態度を取っていたのである。


「ニッキー様。アリッサ様に謝ってください。アリッサ様の髪はとても綺麗ですし、染める必要なんてありませんわ。それに、浮気をするほうが悪いのであって、アリッサ様を責めるのは間違っています」

 

「プレシャスは私の言うことに逆らうな。君はギャロウェイ伯爵家の嫁なんだぞ。妹を庇う暇があったら、早く跡継ぎを生めるように努力しろよ」

 

「まったくですわ。アリッサのことより、自分の至らなさを反省するべきです。私はギャロウェイ伯爵家に嫁いですぐに妊娠できたのに、プレシャスさんは1年近く経っても、まだ妊娠できない・・・・・・情けないことですよ」

 ギャロウェイ伯爵婦人は、心ない言葉をプレシャスに投げかけるのだった。



 トラスク公爵の舞踏会が開かれる晩のこと。ギャロウェイ伯爵家の居間では、アリッサが母親から説得されていた。


 「今回だけは一緒に出席しなければいけませんよ。他の貴族たちが催す小規模な夜会とは違うのです。病気でもないのに欠席することは、トラスク公爵夫妻への不敬になりますからね。トラスク公爵は国王陛下の弟なのですよ? 社交界でも大変影響力がある方です」


「その通りだ。いつまでもサミー卿のことを引きずるな。たっぷりと慰謝料もいただいたし、すでにサミー卿はセリーナ様と結婚している。アリッサも気持ちを切り替えて、次のお相手ぐらい自分で捕まえるような気概を見せなさい」


 後妻の話までして親の決めた相手に嫁げと言ったわりには、ギャロウェイ伯爵はアリッサに「自分で捕まえるような気概を見せなさい」とも言う。ただでさえサミーの件の傷が癒えないのに、アリッサはどうすればいいのか混乱してしまうのだった。






 



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