13 捨てられたドレス
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なぜなら、アリッサが住むこのゴドルフィン王国では、貴族たちは家族の名誉と血筋を最も重要視していた。特に娘の行動は家全体の評判に直結するため、家出や駆け落ちのような規範を逸脱した行為は、家名を大きく汚すものと見なされた。そのため娘が自らの意思で家を飛び出す行為は、社会的に「裏切り」として認識され、家の秩序と名誉を守るために、家族はその娘を積極的に連れ戻そうとはしない。
もし娘を家に戻したとしても、その行為による家の名誉回復は難しく、むしろさらなる噂や屈辱がついて回ることになる。そこで貴族の多くは、娘を「家の責務から解放する」名目で家の籍から除籍し、あたかも初めから存在しなかったかのように扱う。この処置は家族全体を守るための、冷酷だが必要な決断とされており、多くの貴族は「賢明な選択」だと思っていた。
このように貴族社会では、家名を汚した者を放逐することは「家の名誉を守る最後の手段」として長らく慣例化されていたのである。そんなわけで、アリッサもまさか連れ戻されるとは思っていなかったのだ。
「それだけサミー卿が私とよりを戻すことに固執したのでしょうね」
「あれだけのことをしておいてアリッサ様と結婚しようなんて、サミー卿はどうかしていますわ。でも、王命では逆らうわけにはいきませんね。いったい、どうしたらいいのかしら」
プレシャスはアリッサを助けたいのに、なにも良い考えが思い浮かばず、途方に暮れてしまう。アリッサは自分の思いを共感してくれるプレシャスに、ラインに嘘をついたことを話した。
「サミー卿がまだ好きだなんて嘘をついたのは、ライン様を守りたかったからよ。国王陛下がライン様を罪人にしようとしていて、別れなければならないと思ったの」
アリッサがその時の状況を詳しく説明すると、プレシャスは不快そうに眉をひそめた。
「国王陛下は間違っていますわ。私たち女性にだって人権はあるのに・・・・・・家の利益だけを考えるお義父様やお義母様、ニッキー様も酷いです」
その晩、アリッサはプレシャスの部屋で枕を並べ、共に夜を過ごした。プレシャスが、ラインとの別れで心が大きく揺れ動き不安定になったアリッサを、励まし見守ろうと思ったからだ。
サミーは頻繁にギャロウェイ伯爵家を訪れ、アリッサにたくさんのプレゼントを持ってくるようになった。家族が寛ぐ居間に気軽にふらりとやってくるから、すでに使用人たちもサミーをアリッサの夫のように接していた。
「やぁ、今日はアリッサにとても似合うドレスを持ってきたよ。私たちの結婚式に着るためのウェディングドレスさ。どうだい、豪華だろう?」
綺麗にリボンで飾られた箱を広げながら、サミーは自慢げにドレスを取りだした。
「まぁ、すごい! サミー卿、奮発なさいましたね。さすがですわ。胸元から裾にかけて縫い付けられた大きなダイヤモンドが、キラキラしていて素敵だわ。ねぇ、アリッサもそう思うでしょう?」
「これはすごい! ダイヤモンドだらけのウェディングドレスなんて、初めて見ましたぞ。豪華絢爛とはこのことですな」
「アリッサ、胸元のダイヤひとつだけでも、すごい価値だぞ。それがぎっしり裾まで縫い付けられている。良かったな。アリッサのウェディングドレスは、どんな王女殿下が着るドレスよりも高価だよ」
ニッキーはドレスについているダイヤを眺めながら、さらに続けた。
「妹がこれほどのドレスを着て結婚式を挙げるなんて、兄としても得意な気持ちになるよ。何代にもわたって語り継がれるほどの豪華な結婚式になるぞ」
そのドレスにはダイヤモンドだけでなく、レースやフリルも惜しみなく施されていた。過剰なほどのダイヤの煌めきはまるで「これだけの財を注いだ」という主張をしているかのようだ。アリッサを引き立てるというより、サミーがダイヤモンド鉱山を所有する富豪であることを誇示しているように感じられた。
「私に似合うとは思えませんわ。ダイヤモンドをドレス全体に散りばめすぎです。もっと、少なくていいと思いますし、フリルが多すぎます」
「余計なことを言うな。アリッサはサミー卿に感謝して、おとなしくドレスを着ればいいんだよ。このダイヤは全部アリッサのものになるんだぞ。どれだけの価値があるのか、アリッサにだってわかるだろう?」
ニッキーはアリッサに顔をしかめた。
「まったく、娘は物の価値がわからなくて困ります。大粒のダイヤが全面にびっしり縫い付けられ、ドレス全体にも中粒のダイヤがぎっしりです」
ギャロウェイ伯爵はダイヤモンドを、頭の中でお金に換算しながら続ける。
「気の遠くなるようなお金をかけてくださったのに『ダイヤの数はもっと少なくていい』などとふざけたことを言うなんて。サミー卿、申し訳ない」
「アリッサの言うことは気にしないでください。この子は着飾ることにあまり興味のない子ですのよ。あら、今着ているドレスはライン卿からプレゼントされたものよね? いい加減捨ててしまいなさい。サミー卿に失礼ですよ」
ギャロウェイ伯爵夫人はアイボリーのドレスを指さすと、侍女にアリッサを着替えさせるよう命じたが、アリッサは必死に拒んだ。
(ライン様が選ぶドレスは私をより美しく引き立ててくれるものだった。サミー卿が選ぶドレスはドレスそのものが自己主張しすぎているのよ。私のことを考えて選んだドレスではないわ)
「アリッサ、ライン卿からもらったドレスは今すぐ捨ててほしい。代わりのドレスならいくらでもあげるよ。ドレスの全部にダイヤモンドをつけてもいい」
「まぁ、すごい。アリッサはサミー卿からとても大事にされているわね。サミー卿。今すぐ着替えさせますからお待ちになって。さぁ、アリッサ。ウェディングドレスを試着しましょうね」
ギャロウェイ伯爵夫人はアリッサを無理やり衣装部屋に引っ張っていくと、侍女と二人がかりでアリッサのドレスを脱がせた。ラインからプレゼントされたドレスは、侍女に捨ててくるよう命じる。
「嫌です。捨てないで。決してもう着ませんから、持っているだけだったらいいでしょう?」
「なんて愚かな子なの。もう、ライン卿とは終わったのよ。アリッサはサミー卿と結婚するのです。いつまでも、過去の男性にしがみつくなんて、みっともない。ライン卿に自分から別れを告げたのはアリッサでしょう?」
「ライン様を犯罪者になんてしたくなかったからよ。私はライン様を心から愛しているのよ。お母様には人を愛する気持ちがわからないの?」
「……貴族同士の結婚というものは、愛とは無縁のものよ。サミー卿とは利害関係がちょうど理想的に一致しています。親の言うことを聞いていれば間違いないのよ」
侍女はアリッサに申し訳なさそうな顔を向けながらも、ギャロウェイ伯爵夫人の命令には逆らえない。
「裏庭の焼却炉に捨ててきます。お嬢様、お許しください」
アリッサは衣装部屋の床に膝をついて、泣きじゃくった。いくら泣いても足りない。この悲しみは永遠に薄れることはないと、アリッサは思った。
泣きはらした目のアリッサがサミーの待つ居間に戻ると、満面の笑みでアリッサを抱きしめたサミーは、朗らかな声で歌うように囁いた。
「これからは、私が選ぶドレスだけを着てほしい。ダイヤが散りばめられたこの世で最も高価なドレスさ。それでこそ、私の妻にふさわしい。アリッサだって、嬉しいよね? ダイヤは女性の永遠の憧れだろう?」
(まるで、私を自分のアクセサリーみたいにおっしゃるのね。私はダイヤなんかより、純粋な愛が欲しいのに……)
しかし、アリッサは表情の抜け落ちた顔で、コクリとうなずいた。サミーに逆らうことは、両親が許さなかったからだ。