11 王家からの勅令
「こんな夜更けに、どのようなご用件で?」
ワイマーク伯爵家の門番が、門の横にある待機所から姿を現し、アリッサをじっと見つめて首をかしげた。
「もしかして、ギャロウェイ伯爵令嬢ですか? このような時間にどうなされたのです?」
「えぇ、よくわかりましたわね」
「もちろんです。旦那様がギャロウェイ伯爵令嬢とお付き合いされているという噂は、屋敷中に広まっていますからね。女性が訪れるとしたら、ギャロウェイ伯爵令嬢しかいないと皆が思っていますよ。旦那様はお心を一途にお持ちですから、他の女性が来ることは、およそありえません。少々お待ちください。すぐに旦那様にお伝えします。まだお休みにはなっていないはずですので」
門番は急ぎ足で屋敷の方へと向かう。しばらくすると、アリッサの最も会いたかった人物が現れた。茶色の瞳にはアリッサへの深い愛情が宿り、端正な顔には心配の色が浮かんでいる。
「こんな時間に一人で歩いてここまで来たのですか? 貴族の居住区とはいえ、夜道は危険です。こんな遅い時間に、女性が一人で出歩くなんて無用心ですよ」
ラインは愛するアリッサの迂闊さに思わず注意してしまった。彼女の安全を第一に考えていたからこそ、危険な目に遭わせたくなかったのだ。
「ご心配をおかけしてごめんなさい。でも、義姉のプレシャス様がこっそり貸し馬車を手配してくださったので、歩いて来たわけではありませんの。それに・・・・・・私、ライン様のもとに嫁ぎたくて、ギャロウェイ伯爵家を出てきたんです。セリーナ様が妊娠していなかったので、サリー卿は彼女と離婚し、私と結婚しようとしているんです。両親や兄もそれを支持していて・・・・・・このままギャロウェイ伯爵家にいたら、私はサリー卿に嫁がされてしまいます。だから・・・・・・家出してきたんです」
「そんなことが起きていたんですか。とにかく、よく来てくれましたね。さあ、中に入ってください」
ラインの屋敷はまるで自然そのものが家と調和しているかのような美しさに満ちていた。敷地内に広がる庭園には、油を燃やすランタンがあちこちに灯され、柔らかな光が花々や木々を照らし出す。庭園に植えられた色とりどりの花々は風に揺れ、鮮やかな色彩で訪れる者を出迎えた。
優雅な花の香りが常に心地よい風に乗って漂う。石畳の小道を歩くと、そこかしこに見たこともない変わった薬草が植えられ、庭全体が調和のとれた癒しの空間となっていた。
庭園を抜けて屋敷の中へと入ると、外の自然がそのまま屋内に延びてきたかのような印象を受けた。ラインは植物をこよなく愛しており、その趣味は屋内の設計にも反映されていた。玄関ホールには、天井から吊るされた鉢植えや、壁に這う緑のつる草が美しく飾られており、どこか森の中にいるかのような心地よさが広がる。
サロンに置かれた家具や調度品も、自然の素材を生かしたデザインが多く、部屋全体がセンス良くまとめられ、植物の豊かな存在感と見事に調和していた。
「素敵なお屋敷ですね。屋内にいても、まるで森の中にいるように感じます。ギャロウェイ伯爵家のタウンハウスとは大違いですわ」
「ワイマーク伯爵家は、代々薬草の栽培や加工、調合を行い、それを医薬品として世に送り出してきた家柄です。私たちは、木々や花々をただの植物とは思っていないのですよ。彼らは、私たちに恵みを与えてくれる大切な友であり、自然は常に私たちを支えてくれている。森が薬草を育て、それを私たちが正しく活用することで、より健やかな暮らしを送ることができると思っています。だからこそ自然に感謝し、その恩恵を忘れないよう、屋敷の中も緑に満ちているのです」
特に目を引くのは、部屋の一画に設けられた小さなインドアガーデン。床を一部掘り下げ、そこに直接花や低木が植えられている特殊な構造で、日中は天窓から自然光が降り注ぎ、花々が生き生きと咲き誇る。中には、ラインみずから育てた薬草もあり、その多くは彼の家業である医薬品の原料として使われるものだ。例えば、アロエやエキナセアなど、健康や癒しをもたらす植物も植えられていた。
アリッサは初めて見るラインのタウンハウスに、驚きながらもキョロキョロと辺りを見回す。ラインは微笑みながらその様子を見守った。
「気にいってもらえましたか? 今、温かいミルクを持ってこさせます。気持ちが落ち着いたら、今日あったことを詳しく話してもらえませんか?」
アリッサはメイドが持ってきたミルクを飲みながら、今日の出来事を詳細にラインに説明した。ラインはサミーに対して憤りを通り越して呆れてしまう。
「サミー卿の頭の中はどうなっているのでしょうね? アリッサを裏切っておいて、『神が私たちの愛を試した試練』と言ったのですか? ずいぶん都合のいい頭だ。サミー卿にも腕のいい医者を紹介してあげたくなりましたよ」
「私がここに来て迷惑ではありませんか? 家出したからには、ギャロウェイ伯爵家の恩恵は受けられません。ワイマーク伯爵家にメリットはないです。貴族のほとんどは、家の繁栄を考えて結婚するでしょう? 持参金もお父様が管理しているので、勝手に持ち出せませんでした」
「私はギャロウェイ伯爵家との繋がりがなくても一向に構わないですよ。高価な薬や化粧品を買いたがる裕福層は、貿易ネットワークや人脈などなくても、あちらから寄ってきます。効能さえしっかりしていれば、苦労してでも手に入れたいお客様は後を絶たない。私には政略結婚など必要ないのですよ。アリッサは身ひとつでワイマーク伯爵家に嫁いでくればいいです。私が持参金などあてにする男に見えますか?」
「いいえ、そうは思いません。この屋敷もとても立派ですし、ギャロウェイ伯爵家よりもずっとお金持ちだとわかりました。私・・・・・・最高の妻になると誓います。だって、ライン様は私に自信を与えてくれる誠実な方ですもの。ライン様の妻にしかなりたくありません」
「もちろん、私も妻にする女性はアリッサしか考えられません。アリッサのことは全力で守りますよ」
アリッサはラインに優しく抱きしめられ、初めてのキスを交わした。
(良かった。これで、私はライン様と一緒になれるわ。私にはライン様しかいない。誰よりも信頼できる男性だもの)
アリッサは家出をすれば両親も諦め自分を勘当し、家族から縁が切れると簡単に考えていた。ギャロウェイ伯爵家から持参金や援助は望めないが、ラインと結婚できるだけで、アリッサは充分だったのだ。
アリッサはラインの屋敷に住み始め、緑に囲まれたこの屋敷が日に日に好きになっていった。
(ずっと前から住んでいたような気がするほど落ち着くわ。家にお花や緑があふれているのはとっても素敵)
ラインの仕事はただ薬草を育てるだけではなく、それを加工し医薬品や化粧品として販売するという大規模な事業である。そのため、彼の屋敷にはいつも薬草の香りが漂い、心安らぐ空間となっていた。ワイマーク伯爵家の事業は貴族社会でも大成功を収めており、屋敷そのものが植物とともに息づき、ラインの繊細な感性と事業の成功を反映するかのような、自然で美しい空間を創り上げていたのだ。
アリッサがラインの屋敷に身を寄せてから、すでに十日ほど経っていた。アリッサとラインは、屋敷の広々とした図書室で薬草の本を広げていた。図書室には木製の書棚が壁一面に並び、その中には薬草や植物に関する貴重な資料がぎっしりと詰まっている。部屋の隅には色とりどりの花々が咲き誇る鉢植えが置かれ、窓際の棚にはツル草が優雅に垂れ下がり、周囲の空間に緑のアクセントを加えていた。これらの植物が、静かな読書の空間に自然の息吹を吹き込み、心地よい緑の空間を作りだす。二人は机に向かって並んで座り、共に本をめくりながら、知識を共有する楽しさを感じていた。ラインは時折、アリッサに微笑みかけながら、興味深い発見を一緒に喜んでいた。
そんな和やかな時間に、執事の遠慮がちな声が図書室に響いた。
「旦那様。大変でございます。王家から勅令が届きました」
「なにっ? 早速、確認しよう。王家が公式の命令や指示をだしてくるなんて、滅多にないことだが……」
ラインが内容を確認し、アリッサも横からその文字を目で追った。それはラインに対して、裁判に出廷するよう命じる正式な召喚状だった。
「酷い。ライン様が私を不当に匿っていると、お父様が国王陛下に訴えたのですね。まさか、こんなことまでするなんて・・・・・・」
この国では18歳で成人となるが、それまでは親の庇護下にあると見做される。アリッサが18歳になるには、あと半年ほど必要だった。
王命裁定は王宮内の大評議室で行われると記載され、出頭するべき日時も指定されていた。この勅令は即時に執行されるべきものであり、違反または無視した場合、法により相応の罰が課されるとの注記もあったのだ。